はじめて触れるものの中に、懐かしさを感じたことがあるだろうか。言葉では上手く表現できないのだけれど、ステファン・ツァピスのピアノの響きが僕の心に喚起させたものは確かにそういったものだった。心を掠めてはただ浮遊する、不思議な感触である。
仲野麻紀とのデュオ作『四つの手とひとつの口のための音楽』は、二人が現在活動の拠点としているフランスらしさがよく出た理知的現代音楽、という印象が強かった。鍵盤に触れる右手は光を捉え、左手は対極の闇を捉えているような視点、人間への諦念や達観した冷静さを感じた。それだけに本作『チャーリー・アンド・エドナ』の豊かな表現力に僕はただ驚かされたのだった。それは彼の一側面に過ぎなかったのだと。僕がふと思い出したのは、手の冷たい人は心が暖かいんだよ、なんて小さな子どもの頃に聞いたつまらない話であった。
スイス生まれ、フランス育ちのステファンはギリシャ人とフランス人のハーフである。生まれながら背負った多国籍的要素のためか、影響を受けたアーティストとしてデューク・エリントンやマル・ウォルドロン、セロニアス・モンクの名前を挙げてはいるものの、ピアノの響き自体からゴツっとした黒さはあまり感じない。彼らの影響はむしろ作曲面に表れている。『ソロ・モンク』をきっかけにジャズを始めた彼は、そこから受け継いだ優しさに(明暗どちらも含む)欧州的文脈と異国情緒を加え、オリジナリティ溢れる作品を創造した。
面白いのは、インスピレーションを現実の地名や人名から得ているにもかかわらず、その曲が描くのが夢想であること。夢の隙間から現実を見ているような印象を全編から受けるのだが、それこそが彼が世界を愛するための唯一の方法なのだろう。彼のノスタルジーは多国籍であるが故に何処にも帰結できない残酷な宿命を抱えているが、しかし移動こそが人間の真理であり、またブルースの拠り所であることを、彼は生まれながら知っていたに違いない。