秩父を拠点に活動するギタリスト・笹久保伸と、彼を中心とするアート運動〈秩父前衛派〉を軸に、同地から生まれる新たな潮流に迫る連載〈秩父は燃えているか〉。第7回は、秩父市の中心にある音楽スタジオで、これまで『Quince』『アヤクーチョの雨』『秩父遥拝』など数々の笹久保作品をレコーディングしてきた〈STUDIO JOY〉の主であり、久保田麻琴も高く評価する若き敏腕エンジニア、山口典孝と笹久保のスペシャルな対談をお届け。エンジニアとしてのキャリアと矜持、スタジオの成り立ちや哲学に加え、笹久保の創作活動や秩父のシーンにおいて彼がいかに重要な存在であるかが読み取れる興味深いインタヴューとなった。

なお、取材日にちょうど笹久保が新作の録音中だったこともあり、Gentle Forest Jazz Bandのコーラス部隊、Gentle Forest Sistersうたた・ねで活躍するヴォーカリストの木村美保と、〈現代のボヘミアン〉と呼べそうな北海道の個性派シンガー・ソングライター、ハヤシヒロトがスタジオに来ていたことも記しておきたい。下掲のMikikiオリジナル動画では、レコーディングの様子を中心とする当日の模様を楽しめるので、併せてチェックを!

 



【〈STUDIO JOY〉創設から笹久保伸との出会いまで】

――スタジオ・ジョイのオープンはいつですか?

山口「2005年の10月11日、ちょうど10年目ですね。当初はリハーサル・スタジオだけでした。ただ、作っているときに〈せっかくブースがあるんだから、形だけでもレコーディング・スタジオっぽく作っておこうかな〉ということで、いまの形態になりました」

――DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション:録音/編集/ミックスなどの作業が可能なPCを中心とする一体型のシステム)が個人でも簡単に導入できる環境が整いつつあった時代だと思うのですが、そんな流れのなかであえてレコーディング業を仕事として始めた理由はあるんですか?

山口「特にこれといった理由もなくて(笑)。なんとなくスタジオを作れそうな環境が揃ってきて……録音作業自体が昔から好きだったんです。自分でバンドをやりながらMTRで宅録したり、友達のバンドをレコーディングしてみたり。その流れでスタジオを作って、バンドが練習に来て、〈じゃあデモを録るのを手伝うよ〉というところからスタートしました」

――山口さんはご出身が秩父ですよね。音楽に積極的な興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?

山口「バンドを始めたのは高校生になってから。〈プロを目指したいな〉と考えたのが高校3年生くらいでした」

――その頃の地元の音楽シーンはどのような状況でしたか?

山口「僕が高校生の頃は、あまりシーンと呼べるほどのものはなかったです。高校は4つ5つあるんですが、バンドも少なくて学年で1バンドか2バンドくらい。いろんな高校の友達を合わせても、同学年では2バンドほどでしたね」

――そこからエンジニアの道に本格的に進もうと思ったのはなぜですか? 音楽の専門学校に進まれたんですよね。

山口「学校にはプレイヤーとして行ったんです。スタジオを始めたときも、毎月4~5本はライヴをやっていたし。実はバンドはいまも続けています」
※山口は、97年結成のアイリッシュ・パンク・バンドのPRINCE ALBERTにベーシストとして在籍

――プレイヤーとの兼任だったんですね。ちなみに学校は東京ですか?

山口「東京です」

――では地元に帰ってきて、あえて秩父にスタジオを作ろうと。

山口「そうですね」

――笹久保さんがペルーから帰国したのが……

笹久保「2007年です」

 

――おふたりの出会いはいつ頃だったんですか?

笹久保「2009年頃だと思います。商店街のイヴェントで演奏する機会があって」

山口「でもその前に一回会ってるよね? 最初のきっかけは清水くん(清水悠:秩父前衛派のギタリスト)ですね。清水くんはスタジオが出来た当初からのお客さんで、よく遊びに来てくれていました。笹久保くんが帰国してすぐの頃だったか、ある日突然清水くんが笹久保くんをスタジオに連れて来たんです」

笹久保「俺スタジオ来たっけ?」

山口「うん」

笹久保「あまり記憶にないな(笑)」

山口「ただ〈何かあったらお願いしますね〉と挨拶した程度でしたけど。それが、一緒にセッションした1~2か月前ぐらいのことじゃないかな」

――おふたりでセッションしたんですか?

笹久保「商店街のイヴェントで」

山口「即興でしたね」

――山口さんは、そのとき笹久保さんの弾くギターに驚いたんじゃないですか?

笹久保「でも俺、別に普通だったよね(笑)」

山口「演者が10人ぐらいいたので、たしかにそこまで認識していなかったかもね」

笹久保「山口さんはマンドリンを弾いていましたね」

――そういった交流を経て、笹久保さんがスタジオ・ジョイを頻繁に使い始めるようになったのはいつ頃からだったのでしょうか? かなりの作品数をここでレコーディングしていますよね。今日録っている作品で……

笹久保「9枚目です」

山口「頻繁に使ってくれるようになったのは、2年ほど前からですね。一度セッションをした後に、2~3年は何の連絡も取らなかったんです。その間に清水くんもバンドを辞めてしまって、スタジオにも来なくなった。ところがある日、何かのきっかけで清水くんと偶然顔を合わせる機会があって、〈今度笹久保さんが秩父ミューズパークの音楽堂でソロ・コンサートをやりますよ〉と聞いたので、お祝いを持って行こうと決めて」

――そこでまた交流が始まったんですね。

山口「それが2011年11月の話。笹久保くんのアルバム『翼の種子』が出た後だよね」

【参考動画】笹久保伸の2012年作『翼の種子』収録曲“La Rosa Morena(褐色のばら)”ライヴ映像

 

――ということは、怒涛のレコーディングにはそのあたりから突入することになるんですか?

山口「最初はそれほどでもなかったよね。年が明けて、1月に笹久保くんから〈1曲だけ録りたい〉と頼まれたので、パパッと2時間ぐらいでレコーディングしたのが始まりだった気がします」

――なるほど。では、膨大なレコーディングをこなしてきたスタジオ・ジョイで、これまで特に印象に残っているエピソードはありますか?

笹久保「アルバム一枚一枚に思い出はたくさんあって、このスタジオとの思い出もあれば、携わる人たちも毎回違うんです。一番最初に録った『Quince』というアルバムは僕のソロでしたが、それからドラマーやギタリストなど、さまざまなミュージシャンが参加するようになって……1枚1枚に色んなエピソードがありすぎる」

【参考動画】笹久保伸の2013年作『Quince』収録曲“Llorando Se Fue”ライヴ映像

 

山口「たしかに、色々あり過ぎてどれが一番とは言えないかもね(笑)」

――でも、これだけ続けていればそうなりますよね。

笹久保「僕は自分の作品を自分でプロデュースして演奏もするけど、ノリさんも色々とアドヴァイスをしてくれるようになったんです。ただの仕事上のエンジニアとプレイヤーという関係だけじゃなく、友達でもあって。共同作業的な部分も少なからずあるんです」

――今日のレコーディングも拝見していたら、お互いアイデアを出し合いながら試行錯誤していましたよね。

笹久保「そのうちに〈ベース弾いてよ〉と頼むケースも出てきました。プレイヤーとしても参加してくれているんです」

山口「どこまで突っ込んでいいのか、という部分では難しいんですけどね。昔であれば、大きなスタジオにはディレクターとプロデューサーがいて、エンジニアは専門的な作業に集中できた。けれどいまの時代は、そうしたセッションは少ないと思うんです。エンジニアがディレクションもできないと成り立たない。僕の場合は、そこでアーティストと関係性を作っていく作業が楽しいんですが、口出しされるのが嫌な人もいれば、アドヴァイスを求めてくる人もいたり」

――山口さんが影響を受けたエンジニアやスタジオはありますか?

 

山口「あまりないのですが、自分自身でもずっとバンド活動を続けてきた経験が、エンジニアをやるうえでは大きかったと思います。自分のバンドがレコーディングをしてもらうときに、エンジニアによってやりやすい/やりやすくないという部分の差を感じることがあったんです。秩父でスタジオを運営していくなかで、機材やスタジオの設備の面では東京の超一流のスタジオには勝てないけど、〈いかにアーティストがやりやすい空気を作っていくか〉という部分に関しては、1円もコストをかけずにできるから」

笹久保「やりやすい空気って、すごく大事ですね。一緒に録っててもエンジニアの雰囲気が嫌だと気を遣うし、その影響でうまく弾けなかったり」

――今日も本当に和気あいあいと進んでましたもんね。

山口「特定のスタジオやエンジニアからの影響はないかもしれないですが、アーティストなりの方向性や考え方を感じ取ろうとしながら、〈この人がどうやったらやりやすいのかな?〉という部分は、自分自身の経験もふまえて意識していますね」

笹久保「山口さんはキャパシティが広い人で、来る者は拒まずという感じ。それを続けているうちに本人の守備範囲の外にあるようなことも覚えて、次に会ったときにはもっと良くなってる。編集技術も僕が録りはじめた1枚目より、いまの方が格段とスキルアップしてますよね」

 


【笹久保伸から拡がる人脈と秩父の音楽シーン】

――今日録っていたのはどのような作品ですか?

笹久保「秩父前衛派名義のアルバムで、今日録っていた“PYRAMID12:30”という曲は坂本龍一さんとのチャットでのやりとりのなかから歌詞が生まれたんです。秩父の環境破壊がテーマで、〈ピラミッド〉というのは秩父の武甲山のことなんですが、山がだんだんと壊されていく……〈そういうものの破壊の上に我々が生きている〉という内容のことを歌っています」

【参考動画】秩父前衛派の映画「PYRAMID」予告編

 

――コンセプチュアルな作品なんですね。

笹久保「秩父前衛派は秩父をコンセプトに音楽を作っていて、秩父の表向きの面だけではなく、いろんな要素からインスピレーションを受けながら、それをヒントに第二フィールドの秩父を音楽作品上で展開しています。第一作目と二作目はもちろん、今回の三作目にもそれが強く反映されていて。僕はこれまで、構造を考えながら計算して作るタイプの音楽も創作してきましたが、今回は割と発想や衝動に重点を置いて作っているアルバムだと思います」

――そうやって秩父をテーマに活動を続けている笹久保さんを、山口さんはどんな風にご覧になってるのでしょうか?

山口「目の付けどころや発想が凄いですよね。演奏技術の素晴らしさは誰もが感じる部分だと思いますが、一番は行動力ではないでしょうか。〈何かしたい〉と思った次の瞬間には動いているんです。それが笹久保くんのアーティスト活動や創作活動の根っこにある。結局どんなイメージやアイデアも動き出さなければ形にならないので」

――では笹久保さんから見たエンジニアとしての山口さんは?

笹久保「僕と一番最初に録音した頃、山口さんはしっかりとアコースティック・ギターを録った経験がなかった。でも、一回やってみたらとても良かったんです。どちらかと言えば、山口さんはポップスやロック寄りの音を録ってきた人だから、僕がやっているような音楽のレコーディングは難しいかな?という心配があったのですが、オープンなスタンスでスポンジのように色々なものを吸収して、録り方のコツを掴んだように思います。すごくいい音で録ってくれるんです。とても腕のいいエンジニアだと思いますよ」

――そういえば、途中からハイレゾの録音にも対応できるようになったんですよね。

山口「そうなんです。ハイレゾの録音は笹久保くんとやり始めてからで、『Quince』が初めてでした」

――現代音楽家の藤倉大さんと笹久保さんの共作アルバム『マナヤチャナ』は、インターナショナル盤が藤倉さん主宰のレーベル、ミナベルからハイレゾで配信されたんですよね。

笹久保「タワーレコード渋谷店で藤倉さんと共演したときのライヴ盤も出てたんじゃないかな」

【参考動画】笹久保伸と藤倉大が共演したタワーレコード渋谷店でのライヴの様子

 

山口「『マナヤチャナ』は、このスタジオで録った素材をロンドンの藤倉さんが作業しながら出来たアルバムです。ハイレゾの環境で聴ける人は、そのときの僕らが聴いていた音と同じ音質で聴けるからね」

――そうやってどんどん進化する山口さんの手腕は、あの久保田麻琴さんにも一目置かれているというお話で。久保田さんとの接点は何だったんですか?

山口「久保田さんとの縁も、笹久保くんとのレコーディングがきっかけです。『Quince』を録っている最中に、クラシック・ギターの録音が初めてだったので、アドヴァイスをもらいたくて電話でお話をさせてもらいました。〈これまでロックやバンドものしか録ってなかったんですが、どうしたらいいですか?〉って聞いたら〈俺もそうだからよく分わかんない〉って(笑)」

――いい話ですね(笑)。いまそこの壁面に飾ってあるタクシー・サウダージさんのアルバム『Ja-Bossa』もここでレコーディングしたんですか?

山口「そうですね。久保田さんとは、笹久保くんの『Quince』で挨拶をさせてもらって、タクシーさんの『Ja-Bossa』から密に付き合わせもらうようになりましたね」

【参考音源】タクシー・サウダージの2014年作『Ja-Bossa』収録曲“イパネマの娘”

 

――でもつくづく思うのですが、そのタクシーさんや清水さんだったり、笹久保さんとのアルバム『アヤクーチョの雨』でも歌っているイルマ・オスノさん含む秩父前衛派の面々だったり、秩父は笹久保さんを中心に、人口約7万人の町とは思えないほど濃い人脈があるじゃないですか。山口さんはそういった独特のコネクションをどのようにご覧になっているのですか?

山口「みんな生活のなかの近いところにいる印象で……何かの目的のために集まっているというよりは、生活のなかで自然にできていく繋がりなんですよね。そこに面白い人がポンポンと出てくることがやっぱり凄い(笑)」

――ちなみに、笹久保さんの周辺以外での秩父のアーティストやバンドも録音しているんですか?

山口「はい、していますね」

――メインはロック・バンド?

山口「そうですね。でも地元でも色んな音楽やっている方がいますよ」

――そのなかで〈これは!〉というアーティストはいますか?

山口in the sunっていう若いバンドが、インストゥルメンタルでミニマルな感じからノイズっぽいことまでやっていて、昨年の11月に〈秩父4D〉というイヴェントで、doravideoさん中心に秩父で動いていたアーティストです。新しいEP『CIRCLENATION』を僕が録ったり。doravideoさんとのユニット、doravideo in the sun名義でもライヴをしていました」

【参考動画】in the sunとdoravideoによる2014年のパフォーマンス

 

――さすが秩父、若い世代にも面白い人たちがいるんですね。では最後に、スタジオ・ジョイの今後の目標や抱負があれば教えてください。

山口「続けていくことですね。スタジオを広くしたり、高い機材を揃えることはあまり考えていなくて。広くていいスタジオは都内にあるし、そういった環境を求める人は都内に行けばいいと思う。地方で僕らみたいな小さなスタジオがある意味というのを考えています。小さいと言っても実際はそんなに小さくないけど(笑)。初めて使う人たちにも気軽に録れたりすることの方が大事だと思います。きちんとした作品を録りたいという人にはしっかり対応していきたいし、真面目に続けていくことですね」

――経営拡大というよりは、地元のシーンのサポートをしていきたいと。

山口「そうですね。録音でも練習でも、いかに使ってくれる人が使いやすいか。独りよがりになったら潰れると思うんですよ」

笹久保「ジョイが潰れるときは、秩父前衛派が潰れるときだから(笑)」

山口「スタジオが潰れることは求められてないと信じたいので、継続できるうちは来てくれる人の求めている音をきちんと提供して、それを一日でも長く続けていけたらいいですね」