フル・アルバムのリリースこそなかったものの、Yogee New Wavesの2015年は極めて起伏に富んだ1年だったと言えるだろう。春にギタリストの松田光弘が脱退し、夏には〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015〉や〈SWEET LOVE SHOWER 2015〉など多数の大型イヴェントに出演。その一方で、秋にはヴォーカリストの角舘健悟が喉を患って〈Sunset is Coming TOUR〉の名古屋・得三公演が急遽キャンセルとなるというアクシデントにも見舞われたりもした。しかし、12月には新作EP『SUNSET TOWN e.p.』がリリースされ、渋谷WWWでのリリース・パーティーはソールドアウトと大成功に終わった――ここではそんなヨギーの濃密な1年間について、角舘、ベースの矢澤直紀、ドラムスの前田哲司というメンバー全員に、時系列でたっぷりと語ってもらった。

 


 

January

――2014年末から2015年にかけてのバンドのムードはどんなものでしたか?

角舘健悟(ヴォーカル/ギター)「ガンガンだったよね」

前田哲司(ドラムス)「イケイケゴーゴーでしたよ」

角舘「どんな奴でもかかってこいよという雰囲気だったかもね。けどいま考えたら、若気の至りだったなあって思う」

前田「メンバーも脂が乗ってきて、ライヴもグルーヴが出てきて、ほんとに無敵感があった」

角舘「『PARAISO』の曲が完全に身体に染み渡ってて、もうやるっていうよりも〈匂わせる〉に近い感じでライヴができてた。この時期は悪いライヴがなかったよね」

前田「そうだね、ここらへんの時期は終わったあとの反省会もなかったよな」

角舘「すぐ〈乾杯!〉という感じ。〈イエー、おつかれー! ちょー楽しかったねー!〉というバイキングみたいなテンションだった(笑)」


2014年12月23日、東京・新宿MARZでのライヴ映像

 

――2015年はこういう年にしようといった話はされてたんですか?

角舘「いや、してないですね。もうこの勢いのまま飛び続けるほうが俺らにとっていちばん良いとわかってたかな」

――1月30日から2月1日までHomecomingsの〈GHOST WORLD TOUR〉にゲスト出演されてました。

角舘「はじめて同世代のバンドとツアーを回ったんですよ」

前田「最初は名古屋で、そのあと大阪、岡山と3日連続でした。(矢澤)直紀くんはここは行けなかったんだよね」

角舘「そうそう、直紀くんよりイケメンの奴がサポート・ベースに入って(笑)」

矢澤直紀(ベース)「俺らの誰よりもイケメンだったでしょ(笑)。だから1月はあんまりバンドに参加してない」

前田「このツアーは楽しかったなー。まず1日目に誰よりも良いライヴをしたように思います」

角舘「お互いに関東としてのプライド、関西としてのプライドがあったんじゃないかな」

前田「ホムカミも影響を受けたのか、最終日の岡山では良いライヴしてたよな」

角舘「2日目の大阪のライヴのあととか、あいつら反省会してなかなか打ち上げに来なかったよね。凄くいいと思った」

――このツアーがヨギ―に与えた影響はありますか?

角舘「2014年から同世代のバンドが同時多発的に出てきたんです。そのなかでもホムカミとはずっと仲良くしてた。だから、このツアーに誘われて嬉しかったけど、そこまで特別視してたわけではないかな。自分たちの首に噛みついてくる奴らのほうが、俺らは同世代として欲しいと思ってた」

――この1年で首に噛みついてきたバンドはいますか?

角舘「噛みついてきたってワードはちょっと乱暴だけど、同じレーベルのnever young beachやD.A.N.、あとはSuchmos。彼らの音楽はもうグッドだよね」

 never young beachの2015年作『YASHINOKI HOUSE』収録曲“どうでもいいけど”

 

February

――踊ってばかりの国や曽我部恵一と共演した2月7日の東京・恵比寿ガーデンプレイスでのアコースティック・イヴェント〈GOOD VIBRATIONS vol.2〉と同日の夜に開催された川崎の〈BAYCAMP 201502〉は、ダブルヘッダーでライヴを敢行という強行スケジュールでした。

前田「〈BAYCAMP 201502〉が深夜というか明け方の出番だったから移動できたんだよね」

矢澤「ヨギーは週末しかライヴができないから、土日でなにか良いイヴェントがあったらとりあえず出るというスタンスでやってるんです」

前田「曽我部さんの弾き語りがあまりに気持ち良くて、そのまま一緒に打ち上げまで行って、それから〈BAYCAMP〉に行った」

矢澤「憧れていた人たちと(一緒に)ライヴをできるようになってきたのが、この頃のような気がします」

角舘「そうだね。大好きな曽我部さんにやっと会えた、みたいな」

前田「しかも、びっくりするくらい褒めてくれたんだよね」

角舘「歌として褒めてくれる感じがあったよね。俺らがメロディーを紡ぐ感じに共感してくれた気がした」

――27日にはSECOND ROYALから”Fantasic Show”の7インチ・シングルがリリースされました。

角舘「俺はすごくレコードが好きだから、セカロイ(SECOND ROYAL)から話が来たときは2つ返事で〈出す〉と言いましたね。変な話、他のレーベルからでもOK出してたと思う」

前田「セカロイの(リリース)条件が新曲だったんだよね」

――1年を通して見ると『PARAISO』でも『SUNSET TOWN e.p.』でもなく、ここにこそバッチリはまったシングル曲だなと思いました。

前田「うん、確かに」

角舘「『PARAISO』はチルウェイヴやサイケ、レゲエやダブに着目して作ったんですよ」

前田「だったね。制作当時はチルウェイヴをめちゃくちゃ聴いたもんね」

角舘「で、『PARAISO』のあとに僕のなかで山下達郎さんブームが来るんですよ。前から好きだったんですけど。車の中でずっと聴いたり。“SOLID SLIDER”とか。この曲のここをやってみようとかそういう話じゃなくて、普通に良いよねとなった」

前田「“Fantasic Show”はみっちゃん(松田光弘)のリフがキーになった。あの感じは『PARAISO』までのヨギーにはなかった。でもリズム隊の2人もブラック・ミュージックはもともとすごく好きだから、ああやっとこういうのをやっていいんだと(笑)」

矢澤「ついに健悟からOK出たなって。のちにそうなるとわかったんだけど、この曲はみっちゃんの参加した最後の作品でもあるからね。この頃のあいつの不安とかも入ってる曲なんだろうなと思う」

――昨今のディスコ再評価みたいな流れともハマりましたよね。リスナーの反応はいかがでしたか?

角舘「シンプルにヨギ―のライヴで踊れるということに気付いてくれた人が多かったね」

――もともとヨギ―のライヴ自体は踊れるものだったけれど、それをいちばんわかりやすい切り口で示したのが“Fantasic Show”で、この曲を出すことで他の曲のグル―ヴィーな面も伝わりやすくなったのかもしれません。

前田「あるかもしれない。リハでも最初にこの曲をやるんですよ。いまのヨギ―のサウンドを作るうえでプロトタイプになってる曲」

 

March

――6日に東京・渋谷WWWにて森は生きているとnever young beach、DJで田中宗一郎を招いての“Fantasic Show”のリリース・パーティーが開催されました

前田「3月頭にみっちゃんの脱退が決まって」

角舘「その直後だよね。俺は気が気じゃなくて、この日のライヴの内容はまったく覚えてない。残ってるのは最低のライヴをしたことだけ」

矢澤「良くなかったねえ」

前田「しかもネバヤンが結構良くてね。みんなちょっと不安みたいなのがあった。それはネバヤンに対してじゃなくて、将来への不安みたいな(笑)。それで上手くいかなかった」

角舘「俺は歌詞を間違えるわ、自分のグルーヴも出てないわ。どこを見ていいかもわかんないし、上の空が抜けなかった。そのあとタナソウさんにも〈全然良くなかった〉と言われるんですよね」

前田「でも俺らも俺らでこの日の良くなかった理由は明白だったから、そんなに話し合うことでもないという感じだったな」

 

April

――この月はヨギ―のライヴが1本もなくて、角舘さんのソロでの演奏が活発化しました。

角舘「4月から大学院を休学したんです。学校という鎖が取れたことで動きやすくなった。単純にシンガー・ソングライター自体に憧れもあったし。身体一つで稼ぎに行けるのってすごくシンプルじゃないですか。肉を採りに行って売るみたいな。このときは卒業式でも結婚式でもなんでも行って歌うよというモードでしたね。それはいまも変わらなくて、ヨギ―が出られないイヴェントには僕が出て――という感じでやってるんです」

前田「この月に俺も就職して、新人研修があるから4月はヨギーのライヴはできないねという話になってたんです。そのぶん健ちゃん1人で、というのが増えた時期でしたね」

角舘「俺はここで完全に背負う覚悟ができた。俺が動けないとYogee New Wavesは死ぬと思ったから」

矢澤「健ちゃんのソロが多くなるのはプロモーション的にも良いですよね。俺ら(矢澤と前田)は限られた時間しかなくて、その限られたなかで120〜150%出すには、フロントマンが穴を埋めてくれるしかない。渉外的な部分も全部やってくれてるし、いまのヨギーは4月の健ちゃんのソロ活動があってこそだと思います。1か月何も動きがないと結構違ってくるから」

前田「見栄え的にもね。ライヴ面で言ったら、ここらへんから健悟のグルーヴがすごく変わってくる。その変化はバンド的に良い面も悪い面もあるんだけど」

――良くも悪くもというのを具体的に言えば?

前田「健悟が出したいノリというのがソロを見るとよりわかるじゃないですか。良い面は、そこに寄り添ってあげたいと思えるところ。でも逆にYogee New Wavesとして、そこをどこまでやっていいのか判断が難しくなるというのが悪い面ですね。それを全部やっちゃうと、Yogee New Wavesというより角舘健悟のソロに付いて行くバック・バンドになるし、そうはなりたくない。最近もそこは話したよね」

角舘「俺のソロをバンドで具現化したら、たぶんZAZEN BOYSみたいになると思うんですよ。急にテンポが速くなったり遅くなったりを繰り返したり」

前田「バンドとしての気持ち良さをどう見据えるか、みたいなところは意識するようになりました」

――結果的には、角舘さんがフットワーク軽くソロでやることによって常に動いているようにも見えるし、週末にしか活動できないことで、むしろバンドのライヴ自体のスペシャル感も高まった。良い着地点にいるのかなと思います。

角舘「いろいろな意味で、僕らは適応することの上手い若者たちではあるんですよ。どう問題を解決して、いまの状況をどう自分たちのために活かしていくのかを考えるのは上手」

前田「自然にこの流れになってたような気がするけど、いま思うと健悟がすげえ考えてやってくれていたことがわかるし、ありがたいなと思います」

――18日の〈レコード・ストア・デイ〉には『PARAISO』のアナログ盤がリリースされました。

角舘「『PARAISO』はメンバー同士がお互いを癒すためのアルバムというか、俺は身内が楽しめる〈パライソ〉というものを作ったように思う。要するに、いち早く社会に出ていた直紀くんとか、そういう人が幸せになれる場所としてYogee New Wavesを作ろうと思ってたの。メンバーに〈旅行に行こうよ〉と言ってるみたいに俺は曲を作った。だから外よりも内側に向けたアルバム」

矢澤「Yogee New Wavesが、バンドとしてやっと一つの形になった作品だったんじゃないかな。音楽的な要素も人脈も、そのとき使えるものをすべて使い切って作った。出したときに今後もっとこうしていきたいというのはあったけど、心残りや悔いは一切なかった」

前田「若さとか熱量が全部落とし込まれてるよね」

矢澤「緻密というより、そのときの俺らが出せるものをがむしゃらに出して作ったアルバム」

『PARAISO』の収録曲“Hello Ethiopia”

 

 
 左から、矢澤直紀、前田哲司、角舘健悟

 

May

――5月頭に立て続けにライヴが3本あって、その最後の〈VIVA LA ROCK 2015〉で松田(光弘)さんが脱退されます。

角舘「みっちゃん(松田)が抜ける前の3本はもう完走直前のランナーみたいな感じで、5日をゴールとして一回走り切った。その次の〈SPACE SHOWER Presents SPRING BREEZE〉のライヴまでは意図的に3週間くらい空けたんです。だから休んで走って休んで走ってみたいな。俺らはその連続ですね」

――(松田が参加した)最後のライヴはどのように覚えられてますか?

角舘「俺がしっかりしてないといけないという長男的感覚に陥ってたから、ちょっとそっけなかった気がする」

矢澤「もう次に入るサポート・ギターもある程度決まっていた気はするから特に心配はなく、人もすごく来てたし、楽しむ気しかなかったですね。会ったときのこととかいろいろ振り返りながら演奏したことを覚えています。この日はみっちゃんのことしか考えずに演奏してた」

前田「たまらないね」

角舘「“Listen”のときに〈哀愁たっぷりに聴け〉と歌う部分があるんすけど。“Listen”はギタリストのためのと言うか、ロックスターになってね、みたいなギターが入ってる曲だから。そこで言葉を発したときに〈みっちゃん行っちゃうんだな〉と気付いた」

前田「全然実感がなかったです。みっちゃんとは大学の1回生のときから一緒にバンドをやってて、ずっと一緒にやると思ってた。だから本当に信じたくなかったんじゃないかな。残り3本とかも意識しないようにしてた。〈VIVA LA ROCK〉が終わってからもう本当にいないんだと思って、実際次のライヴに行ったらいなかった。そうなるまで実感がなかったです。想像以上にショックだったんですね」

――松田さんが抜けてからしばらくは、DYGLの下中洋介さんがサポートに入ってましたね。

角舘「(下中は)もともと俺とはすげえ仲良かったんですよ。彼もヨギーが結成した当初から知ってくれて、俺らの音楽をずっと好きでいてくれてた。でも彼はメタラーですからね(笑)」

前田「1人だけノリが違うと言われてましたね。ヨギーの3人はすごく横揺れなのに彼は縦すぎると(笑)」

角舘「そのなかでも彼は上手くやってくれてましたけどね。俺と2人でスタジオに入って〈俺はこう弾くぞー、お前はどう弾く!? もっと来いよー!〉みたいな、すごくフィジカルに擦り合わせた」

前田「いやー、でもこの時期は結構きつかったなー。なんかバンドの初めての苦労という感じでした。いままで辛いことがあっても楽しいと言って誤魔化せてたのが、ここでもう騙せなくなって絶望している時期でもあった」

角舘「ここで俺らが歯を食いしばれた理由には、周りのバンドがすごく気にしてくれてたというのもある。Yogee New Wavesというバンドへの期待値みたいな。〈絶対みっちゃん抜けないほうがいいよ〉とか言われてたしね。そのなかで俺らは周りの期待と自分たちの期待をどっちもクリアするにはどうすればいいかを考えた。そのハードルはすごく高かった」

前田「真面目な話し合いが増えた時期でしたね」

 

June

――高円寺AMP caféでの〈にんじん展〉で、角館さんがジンを出展されました。そのタイトルが「LIKE SIXTEEN CANDLES」という『SUNSET TOWN e.p.』の冒頭曲と同名ですね。

角舘「その頃から曲もあって、弾き語りでずっとやってました。人間と人間のまぐわいと言うか1個の細胞になりたいんだけど、それは溶けきるまで、つまり生きてるかぎりできない――これくらいの時期から、〈LIKE SIXTEEN CANDLES〉という概念が僕の人生のテーマみたいなものになってますね。1つになることは無理だとわかっていながら1つになりたいと思う矛盾性みたいなものに愛おしさを感じた。そこから書き始はじめたんです」

 

July

――7月は2日に“CLIMAX NIGHT(Super Mellow ver.)@IMAGE CLUB”の映像が公開されました。

角舘「Yogee New Wavesが3人になっちゃったというのもあって、新しい音を取り入れるという研究的な姿勢になったんですよ。新しい音楽をやりたいというより、おもしろい音を出したいというシンプルな反応でした。この〈Super Mellow ver〉も、僕がキーボードを入れてやりたいと言った。そのなかで〈これはないだろう〉〈いや、これが良いんだ〉とか試行錯誤があった。『PARAISO』で採り入れたチルウェイヴは、川や海で太陽が沈むのを眺めながら酒を呑んで最高だね、気持ち良いねという感覚に近いと思うんです。いわば、旅行みたいな都市から離れた体験というか。でも、俺はAORが似合うラグジュアリーでゴージャスな体験みたいなものもすごく好きで、この〈Super Mellow Ver〉ではAOR的な鍵盤を入れて都会的にやろうとしたんです。俺らはここらへんで無鉄砲な現実逃避をやめた。〈海を見に行って楽しいね〉というのは、大人がすることじゃないだろうと。海に行ってもいいけど、都市のなかでどれだけ楽しく過ごすかというのが大人の楽しみ方だと思ったんです」

角舘「このビデオの監督は佐藤大という、いまもミュージック・ビデオを作ってくれている奴なんですけど、ジャングル奥地のラグジュアリーな別荘にヨギーが女の子たちと遊びに行っているという設定なんです。この頃、俺と大ちゃんのなかで共通言語になってたのは〈セクシーさ〉。どんどんセクシーになろう、どんどん色気を出していこうとなった」

前田「全員の意見として大人な部分を持っていたいよね、というのがあった。音楽だけじゃなくて〈もっと大人なカッコイイ服着ようぜ〉みたいに服装とかも話し合った。でも、すべて自然な流れなんですよ。みっちゃんの脱退やメンバーが働き出したことで現実と向き合っていった」

角舘「〈楽しけりゃいい〉というのが終わったのは、絶対にみっちゃんが抜けた瞬間ですね」

前田「そこで、昨年からの無限大最強イケイケみたいなムードはなくなった。そして自分たちのペースでやるというのをすごく考え出した」

矢澤「シーン的にインディー・バンドが台頭してきたのもこのあたりじゃないかな。3月までのヨギーはぶっちゃけ何やっても良いと言ってもらえた時期。それが終わって、シーンにいろんな良いバンドが出てきた一方、俺らは現実の味も知り、変化しなきゃとすごく模索していた気はする」

角舘「バンド的には移行していこうという感じになりつつ、俺はもっと楽しめたらいいじゃないって気持ちがあったな。メンバーから〈鍵盤なくても良くない?〉という意見もあったんだけど、〈俺らは音楽家だし何がいけないの? 楽しくて素敵な音楽やりたいんだったら頭堅くなるのは良くないよ〉とメンバーを仕切ってた」

前田「うん、そうだったかもしれない」

角舘「まあメンバー落ち着けよ、絶対楽しいから安心しろよと」

前田「そこまで言うならやってみるか、という感じだったよね」

――バンドのモードが次に進んでいくなかで、ライヴのやり方も変化していったのでしょうか?

角舘「ただ、それまで培った〈ガキのグルーヴ〉って言ったら変だけど、〈やっぱ最高〉みたいな気持ちは……」

前田「ベースには持ってたな」

角舘「どんなに大人を意識したところでまだ抜け出せない。大人になりたいけどなりきれない青年たち、みたいな感じ。結局うんこちんこで笑えちゃうみたいな」

前田「でもそのうんこちんこにちょっと責任感あるみたいなね。大人のうんこちんこ(笑)」

 

August

――7〜8月は〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015〉や〈SWEET LOVE SHOWER 2015〉、角舘さんがDJで出演した〈TOKYO ISLAND〉など大きなイヴェントへの出演が多いですね。

角舘「俺は〈ROCK IN JAPAN〉からオファーが来たとき〈絶対に出よう、これに出ないのはおかしい〉と強く志願したんです。いまはメジャーとインディーのハイブリッドになりたいバンドが多いじゃないですか? インディーで終わりたくないバンドが多いなかで、俺らが一歩先に〈ROCK IN JAPAN〉に出ることは功績になると思ったんです。誰も出られなかったらハイブリッドにはなれないわけで、もっと後に続いたらいいなと思ってる。来年never young beach、D.A.N.、Suchmosの誰が出たっていいはずだし。全体の幅を広げる意味として〈ROCK IN JAPAN〉には出たいと思った」

前田「〈TOKYO ISLAND〉で角館がDJをした日に、俺も遊びに行ったんですよ。そこでSPECIAL OTHERSの人たちとゆっくり話す機会があって、それが本当に良かったんです。スペアザってどこかメジャー感覚がありながらもやりたいことをやってるし、すごくカッコイイと思うんです。そんな彼らが〈やりたいことやったらいいよ〉と言ってくれたんですよ。〈俺らはやりたいことしかやってないし、結果こうなったからお前らもなれるよ〉と。〈そのためにこういうでっかいところにも出るし、そうしつつ自分たちのやりたいことをやるのが長くやれる秘訣かもね〉と話してくれて、すごく感動した。そこだな、そのラインに乗りたいなと思った。今度オリンピックをやる場所で夕日を見ながら、健悟と俺とスペアザのメンバーで煙草を吸いながら話したんですよね。俺のなかで、その日にバンドをどういうふうに持っていくかが決まった気がした」

――ヨギーとスペアザ、音の柔らかさや色気は似てるように思います。

角舘「それは嬉しいですね」

――でも、大きな場所だと社会や大人の事情みたいなものともいっそう直面しますよね。そういう場で居心地の悪さを感じたり、あてられたりした経験はありませんでした?

角舘「それがですね、俺らはわりとどこでも楽しめる、柔軟に対応できちゃうゴキブリみたいな奴らなんです」

一同「ハハハ(笑)!」

角舘「〈ROCK IN JAPAN〉のバックステージに子供用のプールがあるんですよ。たぶん俺らがメジャーだったら事務所の人に申し訳なくてそこに入ったりできないと思うんですけど、俺らはなぜかメンバーみんなが海パン持ってきてるんですよ。で、メジャーなミュージシャンの子供たちが遊んでるなかに飛び込んでいった」

前田「普通は力関係とかで身を引くだろうし、〈あいつら空気読めよ〉みたいな周囲の雰囲気もあったけど、子供と混ざってどんちゃん騒ぎしちゃいました」

角舘「ただ子供の親が実は信じられないようなロックスターで、そのパパがプールに入ってきたときは〈やべえ〉と一瞬で出ましたけど(笑)」

――タフに楽しめるのはすごく良いですね。

角舘「なにをそんなに大人ぶってんだ、なにをそんなに子供ぶってんだって思いますよね」

 〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015〉でのYogee New Waves

 

――サポート・ギターが下中さんから吉田巧さんとなったのは夏頃からですか?

角舘「吉田が入ったのは7月12日の〈OUR FAVORITE THINGS〉からですね。俺とは高校の頃からの知り合いで、彼はもともとPARADEというバンドをやってたんです」

矢澤「昔、対バンしたよね」

角舘「僕らがヨギ―以前にやっていたThe Alien Hipsで何回か対バンした。ギターのリヴァース・ディレイでソロを弾けるようなサイケな奴なんですよ。それに俺は惹かれてたんです」

 吉田巧が在籍していたPARADEの2012年のライヴ映像
 

 

 

  

September

――9月5日の〈BAYCAMP 2015〉も含めて、夏はいろんなバンドを観る機会が多かったと思います。衝撃的な出会いをしたアーティストはいましたか?

角舘「強気に言うなら、俺は正直いなかった」

矢澤「うん、この時期となるといないな」

前田「なんか別物と思うことが多いかな。同じイヴェント、同じステージに立っていても土俵は違うなと感じることが多い」

角舘「それこそ、この時期に共演したインディー・バンドたちにも俺らとは違う場所でやってるという感覚があったかも。すごくカッコイイんだけどね。俺らはインディーから脱却したいという気持ちがある。そのなかで唯一フィットしたのが、秋に自主企画の〈Dreamin Night 2〉に出てもらったSuchmosかな。やっぱりインディーってナメられてると思うんです。下手でも許される、ルックスに気を使ってなくても許される、歌詞が変でも許される、俺はそれがすごく嫌かな。俺らは最高のポップスをやりたいだけなんです。 ぬるま湯に浸かってもてはやされるくらいなら、ガンガン次に行きたいと思うな」

前田「出来上がっているシーンに完全に収まりたくもないし、だからと言ってメジャーなバンドと仲良くしたいというのもなかったりする。どこでもない場所に行きたいんでしょうね。変なことをやりたいし、〈うわ、それあったか〉と言われていたい」

角舘「でも絶対的にインディーの良さもあるじゃないですか。耳が早いのはインディー・バンドだし、シーンとしても音楽的だし。メジャーでは見られない雑なライヴでも、それがすごく熱かったりする。そこは俺らも絶対持っていたい。ハイブリッドでいたい」

――なるほど。9月12~13日には台湾公演をされました。

角舘「アジア良いなー、と思いました。近い国ならではの共通意識を感じられた。僕らがアメリカやヨーロッパでやっても同じ反応は返ってこないだろうね。“CLIMAX NIGHT”の最後の〈ララララ♪〉のところとか、非言語化されてる箇所や英語の部分は全部一緒に歌ってくれたんですよ」

前田「〈Wanna Be Crazy♪〉とかね。海を越えられたな 」

角舘「歌いまくって踊りまくってたよね」

前田「このライヴをスペシャル感のあるものと思ってくれているのが強く伝わった」

――それは特に、東京のインディー・シーンに欠けているものかもしれないですね。

角舘「おもしろいことがいっぱいありすぎて飽和してますよね。そのなかで俺らは東京を熱狂させられるという自信が欲しい」

――その点でも、ヨギーが週末しかライヴをしないのは良いと思いますよ。

角舘「スペシャル感を出すのが今後の課題かもね。もうバンドとしてのドサ回りは終えた気がする」

 

October

――10月5日に角舘さんはちょっと意味深なツィートをされています。

 

角舘「徐々に大人になっていっていることに気付いていたんですよ。それがなんとなく嫌だったり、逆に早くなりたかったり、駄々っ子みたいな変な気持ちになっていた。ここらへんの時期ってすごく気合い入ってるんですよ。リリースに向けてレコーディングもしてるし、バンド企画の〈Dreamin Night 2〉(10月11日)もあったし。〈Dreamin Night 2〉でSuchmos、never young beachという仲の良い、良い意味でムカつく奴らと一緒にできることに武者震いしてた。もうガキの遊びじゃねえぞと思ってた。それで、この言葉が出たのかもしれない」

前田「〈Dreamin Night 2〉のSuchmosにはビックリしました。こんな感じになってるんだ、と。俺はみっちゃんと組んでた前のバンド(Gisan)で対バンしたことあったんですよ。その頃から知ってるぶん、いろんな変化があってこうなったんだな、すげえなと感じた。グル―ヴィだしライヴの盛り上げ方も上手いし。〈やべえ、これは良いのが出てきたぞ〉と思った」

角舘「〈かっけーじゃーん〉みたいな」

前田「久しぶりに負けねえぞと思いましたね。純粋にウゥっとなってグワーと燃える感じ。ライヴを観ながら久しぶりに悔しさを感じた」

矢澤「武者震いしてたよね。ライヴ前に気負うことはあんまりないんですけど、この日は健悟もちょっと違ったよね」

角舘「で、俺らもしっかり良いライヴができた。この日はバチバチしてたよね」

前田「こういうライヴを経ることで、俺ら3人のグルーヴも高まってきた」

矢澤「3人で仲良くなったよね」

角舘「前までは俺と直紀くん、前田とみっちゃんという感じの2対2な感じで、そのタッグで会うことが多かったけど、いまは三角形になった」

前田「メンバーの関係性が変わってきた」

角舘「楽園を求めて甘いものだけ食べてたらいいガキではないということに気付いたよね。この日、何も準備せずに甘いものだけ食べてた昔の俺らがやってたら、Suchmosにボロクソに負けてただろうな。

 Suchmosの2015年作『THE BAY』収録曲“YMM”

 

――『PARAISO』の曲自体もバンドにとって意味が変わってきたんじゃないですか?

角舘「変化するんですね。時間が経ったら自分の曲じゃなくなるとか意味が変わるとか、よく言うじゃないですか。俺は変わんねえだろと思ってたんです。まあ変わってはいないんですけど重みが増したって言葉がいちばん近いかな。責任感みたいなね」

前田「うんこの責任感ね」

角舘「うんこというものをちゃんと説明できるようになった。いま『PARAISO』の曲をやるにあたっては、僕らが水遊びをしている島にお客さんが船でガンガン来て、〈わー、おいでよおいでよ〉と、みんなで遊んでいるという世界観になっている。そして、それぞれに帰るところがあって、僕らも〈パライソ〉には住んでいない」

――アナログ盤のジャケットにはその世界観が表れている気がしました。

角舘「左上にローマ字いっぱい書いている箇所があるんですけど、あれはお世話になった人のイニシャルなんですよ」

 PARAISOのアナログ盤のジャケット画像

 

November

――10月末から〈Sunset is Coming TOUR 〉がスタートしました。が、31日のD.A.N.を迎えた大阪Pangea公演のあと、角館さんが病気を患い7日の名古屋・得三公演は中止となりました。

角舘「10月24日の〈ボロフェスタ2015〉の頃に扁桃炎になっちゃったんですけど、Pangeaまでに一度回復したんですよ。でも11月に入って再発してしまったんです。頸部周囲膿瘍でした」

前田「俺は名古屋のライヴをすごく楽しみにしてたんですよ。〈ボロフェスタ〉も大阪公演もすぐに帰らなきゃいけなくて、地方だったのに全然楽しめなかったんです。で、名古屋はやっとゆっくりできるぞーと気合い入れてドンキでネックピローを買って帰ったら、どうやら健悟の様子がおかしいらしいと。〈もしかしてこれナシ? 2,500円出したぞ〉と一瞬ショックでしたが(笑)、すぐにグッとこらえて、いや大事を取ったほうが絶対いいぞと思った。だからこの土日はどうしていいかまったくわからなかった」

矢澤「意味わかんなかったね」

前田「ずっと土日はヨギーのことで埋まってましたからね。ライヴがなくても練習するし話し合いするし。でも健ちゃんが体調不良だから何もすることできなかった」

矢澤「仕方なく2人でスタジオ入ってね」

角舘「偉いじゃん。俺は休みながらおもしろいことに気付きました。それは俺の声は売り物なんだなということ。いろんな人から〈お前は国の宝だから養生しろよ〉とかメールが来たりファンからもお見舞いメッセージが来たり。〈やめてよみんな、僕はそんな偉い奴じゃないよ〉と思いつつ」

――不安はありました?

角舘「声が出なくなっちゃったらどうしよう、歌が下手になっちゃったらどうしようとはすごく思いました。けれど俺と佐藤大のルールで、辛いことは1か月後に笑えるというテンションでいつも虚勢を張ってます。だから、もし声が出なくなっても俺はきっと笑ってピアノ弾いてるなと思った。実はあんまりびびってなかったんです。そうなったところで音楽を止めようとも思わなかったし」

矢澤「でも前田は一緒にハンバーガー食いながら、〈このまま健悟の声が出なかったらどうするんだろう〉という意味わかんない心配してたよね」

前田「やめろよ(笑)!」

角舘「かわいいじゃん」

矢澤「〈たぶん、そんなことにはならないとは思うけど〉って(笑)」

  

December

 ――ツアーの京都公演などを経て2日に『SUNSET TOWN e.p.』をリリースします。

Yogee New Waves SUNSET TOWN e.p. Roman/Bayon production(2015)

角舘「このEPはシンプルに僕らが家路に着いたあとの話。PARAISOという夢見心地の島から、僕らは一時帰宅したんです。“Sunset Town”というのは、僕がそれまで住んでた家がテーマになっている。だけど僕だけじゃなくて前田だったり直紀くんだったり、それこそみっちゃんにとっても、そこは早稲田という青春の街なんです。常に拠点は僕の家だった。その家を取り壊さなきゃいけなくなり、僕は引っ越したんです。僕は引っ越し先の街からその家に帰りたいという現実逃避的な気持ちがすごく強かった。そこで、昔住んでた街を思いながら曲を書いていることに気付くんです。すごく自然に“Sunset Town”という曲が出来上がった。だから“Sunset Town”はCLIMAX NIGHT”と同じ街を描いてます」

 2014年作EP『CLIMAX NIGHT e.p.』収録曲“CLIMAX NIGHT”

 

角舘「『SUNSET TOWN e.p.』が『PARAISO』と異なっているのは海が見えないことですよね。あのアルバムは“Hello Ethiopia”“Megumi no Amen””Summer”、海辺だったり風が強く吹いてる場所が多く出てきた。“Hello Ethiopia”では崖の上に立っているけれど、今作の“Night is Coming”ではマンションの屋上に立ってるんです。だから実は『PARAISO』のパラレル・ワールドでもある。同じ時間軸を進んでいる違う世界みたいな。それはまさに、バンドと社会という楽園とシティーを行き来してる俺らと同じです」

――同じ街を描いた2つの作品において、時間を経ていることで景色に違いはあるのでしょうか?

角舘「景色的にはそんなに変化ないと思う。“Baiuzensen”の夜と“Night is Coming”の夜は同じで、“Good Bye”という曲は“Sunset Town”で眠る前に俺が考えていた哲学。ただ、言葉に重みは増した。ただ〈キスしてくれないか〉というだけの子供じゃなくなった。もしかしたら彼女にそれを言わずに、ぽっと家を出ちゃうような大人になったのかもしれない」

前田「夜から夕方になったことでノスタルジーを強くしてるところはあるんじゃないかな」

――矢澤さんと前田さんの2人は新しい作品で意識した点はありますか?

矢澤「俺は健悟が持っているイメージや情景を演奏で読解しようとしてる」

前田「そうだね。それは感情的な部分もそうだし、音楽的な部分でも、一緒に音楽を聴いてどういうところを良いと思っているかにはすごく敏感になっている。健悟はいまこういうのが好きだろうなという部分はあるし、それを踏まえて彼が想像しているものの少し上を行けたら良いなと思ってます」

角舘「良かった」

矢澤「ミュージシャンっぽく〈ここはこういうリズムがどうで……〉みたいな理論的な話はあんまりしないよね。どちらかと言えばイメージやニュアンス、感覚的なほうに重きを置いている」

前田「歌詞や健悟の歌を大事にしたいと思う面は強いです。それは『PARAISO』のときより強いんじゃないかな」

矢澤「そうだね」

角舘「いつもありがとうございます(笑)。いま〈感覚〉と〈理論〉という言葉が出たけど、どっちも持ったら最強かもね。いまはわりと感覚ベースだと思うけど、次のアルバムではもうちょっと理論的になってもおもしろいのかなと思う。いまのヨギ―は子供から大人になっちゃったのかもしれない。でも天邪鬼なもので、大人になると子供になりたくなるみたいですね。だからアルバムで変な奴になっちゃいそうで怖いな(笑)。俺がすげえ良いなと思うのは小沢健二。〈余裕のある大人子供〉という、あのスタンスで音楽をやりてえなと思っている」

 2015年作EP『SUNSET TOWN e.p.』収録曲“Like Sixteen Candles”

 

――そして、5日には初のワンマン公演でもある〈Sunset is coming TOUR〉のファイナルが渋谷WWWで行われ、ソールドアウトにもなりました。お客さんの雰囲気も良かったですね。バンドだけじゃなくて他のお客さんに対してもウェルカムなムードでした。

角舘「それは俺もちょっと思ったな。お互い無理を強要しないというか」

前田「〈手を上げろ〉みたいな変なノリとかもまったくなかったしね」

角舘「おもしろい話があって、WWWが終わったあとにShiggy Jr.のドラムの諸石和馬と髭のライヴを観に行ってから呑んだんですけど、そこで〈お前らWWWでなんで手を上げさせなかったんだ〉って言われたんですよね。あんなにエモい気持ちになってる客を置いてけぼりにするのかと。そこで俺もちょっと一理あるというか〈なるほどー〉とも思ったんです。あいつら的には客を誘導するのもステージ上での仕事だと言うんですよね。でも俺はそれは嫌なんです」

前田「勝手に上げるのが良いよね」

――観葉植物や岩を置いたりとステージ上の演出も凝ってましたね。

角舘「俺はずっとライヴハウスという黒くて暗いハコの中で自分たちの世界観のすべてを表現できるかと言われたら、そうじゃないと思ってたんです。むしろ俺らみたいな音楽はなおさら情景が見えるほうがいい。それもあってステージをすごく装飾しました。自分の家にいるような雰囲気を出したかったんですよ。少年が空想することで自分の部屋が海になったり街になったり、そういう無邪気なクリエイティヴィティーを表現したかった。いまは音源の価値がどんどん落ちている時代ですよね。で、ライヴがどんどん価値を増していく時代だとも思っている。いろいろなバンドが自分たちの最高の環境にするためにライヴを装飾していって、それでチケット代が5,000円とかになっても、オーディエンスはその値段に見合った体験を味わえるから納得してチケットを買う、みたいになればもっと良いと思う」

――ワンマンならではの、普段と違うセットはどう意識しましたか?

角舘「盛り上げるのは簡単なんですよ。4つ打ちで掛け声をかけてたらぶち上がる。でも、そんなことよりも、それ以上の体験をさせることがいまの音楽にとっては大事ですよね。いまみんながそれをやろうとしているし、俺らは上げる以外の最高の気持ちにさせることをワンマンで実行してみました」

前田「抑える美学は意識したよね」

角舘「そのキーワードが色気、余裕、ニヒリズムだと思う。俺はその3つの言葉を大事にしたいと思います。4つ打ち文化やブチアゲ文化が広まって、そこで踊る人たちはいるけど、それ以上に踊るための光の背後で、影になる人のほうが実は多いということに上がってるやつは気付かない。それって一種の暴力。俺は影の人たちに寄り添ってたいし、そういう人たちがヨギーの音楽を通して明日もがんばろうと思ってくれたら最高だと思う」