ディーヴァ系のヴォーカリストでも、心情を吐露するシンガー・ソングライターでも、一昔前に流行った宅録女子でもなく、これらの要素を併せ持ちつつも、あくまでバンドの先頭に立つ。海外ではハイエイタス・カイヨーテネイ・パームに代表されるような、そういった新たな女性ミュージシャン像が、ここ日本でも少しずつ広がりつつある。Yasei Collective松下マサナオ中西道彦、セッションやサポートで幅広く活躍する田中“TAK”拓也という強力な楽器陣を従え、リアルタイム・エフェクトを駆使した独自のパフォーマンスを披露するZA FEEDO沖メイ。ルーツにあるダブの要素は引き継ぎつつも、これまでのロック路線からソウル/R&B路線に舵を切った素晴らしい新作『NEWPOESY』を発表したTAMTAMのクロ。夏に行われたツアーではこれまでよりもバンド感を増した姿を披露し、ファイナルの東京・丸の内コットンクラブ公演も大盛況で終えたものんくる吉田沙良――男性陣とタッグを組む紅一点という共通項を持つ、3人のフロントウーマンはまさに新しい時代の感性を体現している。

そこで今回は、ZA FEEDOのデビュー・アルバム『2772』の発表と、それに伴うリリース・ツアーにTAMTAMとものんくるが参加することを機に、3者による鼎談を実施。いまはまだインディーズ・シーンのなかでの盛り上がりかもしれない。しかし、1年後にはここで話されていることがメインストリームの一角を形成する可能性が十分にあるはずだ。

ZA FEEDO 2772 FLAKE(2016)

 

気付いたら、機材がどんどん増えていくんですよ

――まずはそれぞれどのようなキャリアを経て、現在のバンドで歌うようになったのかをお伺いしたいです。

沖メイ(ZA FEEDO)「私が歌いはじめたのは大学のジャズ研に入ってからで、ヤセイのメンバーでもあるマサナオや(斎藤)拓郎ともそこで出会ったんですけど、もともとはビッグバンドでテナー・サックスを吹いてたんです。でも、ある日同級生の男の子に〈歌ってよ〉と言われて。それまで人前で歌ったことなんてなかったから、最初は無理無理って感じだったんですけど、〈一回練習だけでも〉と言われてボサノヴァを歌ったら、意外と楽しかったんですよね。そこからです」

沖メイ(ZA FEEDO)
 

――ZA FEEDOはどうやって始まったんですか?

「大学を卒業したタイミングでアメリカ留学から帰ってきたマサナオに、〈帰ってきたから一緒になんかやろうぜ!〉と声を掛けられて。そこでマサナオと一緒にLAの学校に行っていた山口豊(現・陽香&The Super Traffic JamsYa'mangelo)というギタリストと私と3人で始めて、そのうち道くん(中西道彦)も加わって、当時は〈メイとトリオ〉という名前でやっていました。最初はカヴァーばっかりだったんですけど、TAKさんが入ってからオリジナルを作りはじめて、拓郎にサポートとして参加してもらっていまに至る感じです」

――カヴァーはどんな曲をやっていたんですか?

「最初にやったのはスティングの“Seven Days”という5拍子の曲で、あとは(アース・ウィンド&ファイアの)“September”を7拍、6拍でアレンジしてやったりとか(笑)。そういう有名な曲に、原曲の面影がほとんどなくなるくらいのアレンジを施して演奏してました」

――最初から拍子はおかしかったわけですね(笑)。そうやって活動をしていくなかで、歌に対する意識も高まっていった?

「そうですね。もともとは美大に行きたくて絵の勉強をしていたんですけど、小さいときから絵を描くのが大好きで、時間さえあれば描くのがあたりまえだったから、描きたいものがすぐに描けちゃう気がして、もう満足しちゃってたんですよ。そんなだから、絵の描き方を指導されながら勉強するということに馴染めなくて。途中で美大の受験をやめちゃって、別の大学に入ったんです。そういう経験のなかで、自分にとって一番新しくてあたりまえではない、思い通りに行かないのが〈歌う〉ということのような気がして。〈まだまだ、いろいろやってみたい!〉といまでも思いながら続けていますね」

――おそらく、クロさんはメイさんと近いキャリアなのでは?

クロ(TAMTAM)「まったく一緒だなって(笑)。私も歌うようになったのは大学からで、サークルにはトランペットをやるつもりで入ったし、いまのバンド・メンバーもそのサークルで知り合ったから、サックスかトランペットかの違いくらいで、あとはまったく一緒ですね」

クロ(TAMTAM)
 

――どういうきっかけで歌いはじめて、TAMTAMに繋がったんですか?

クロ「私がいたのはレゲエやスカ、カリプソとかラテンをやってるサークルだったんですけど、〈コピバンで歌ってくれないか?〉と言われて、DRY&HEAVYLIKKLE MAIさんのヴォーカルをやったのが最初です。で、大学生の終わりぐらいのときに、いまはもう辞めちゃった(小林)樹音くんに声を掛けられて、TAMTAMを結成したという感じです」

TAMTAMの2016年作『NEWPOESY』収録曲“コーヒーピープル”
 

――歌い手としての意識のようなものは、いつ頃に芽生えましたか?

クロ「それはだいぶ遅かった気がして、初期の音源はいま聴き返すと恥ずかしかったりもするんですけど、逆に恥ずかしいと思ってるのが恥ずかしい時期が来て、プロ意識とまでは言わないまでも、真剣にやらんとなって思ったのが、3作目の『Polarize』(2013年)を出したくらい。周りに真剣な人も増えてきて、学生の遊びからようやく抜け出したというか」

吉田沙良(ものんくる)
 

――その一方で、沙良さんは小さい頃から歌を歌ってきたんですよね?

吉田沙良(ものんくる)「そうです。私は小っちゃいときから〈『Mステ』に出たい〉みたいな感じだったんですけど、バンドを組んだりはしてなくて。高校は歌をちゃんと勉強しようと思って、クラシックの高校に入って、ずっとオペラをやっていたんですけど、その間に実はサックスもやってました。あのストラップに憧れて……」

「わかる(笑)」

吉田「そんな理由だから、長くは続かなかったんですけど(笑)。で、高校3年間でもう基礎はいいだろうと思って、自分がやってないジャンルをやってみたいと思ったときに、ポップスはカラオケとかで歌うし、クラシックはもうやっていたなかで、洗足学園大学のジャズ科を見つけたんです。最初は〈これも勉強のうち〉という気持ちだったんですけど、途中ですっかりジャズにハマっちゃって、先輩とか同級生とバンドを組んでライヴをやるようになり、ものんくるのリーダーの角田(隆太)さんとたまたま出会って。楽屋でオリジナルを聴かせてくれて、〈これを歌いたい!〉って思ったので、ものんくるを始めました。なので、私は歌先行で生きてきましたね」

ものんくるの2015年のライヴ映像
 

――それぞれ歌との向き合い方がありつつ、現在ではシンセやエフェクターを使っていることがひとつの共通点になっていますよね。

「何を使ってるんだっけ?」

吉田「microKORGです」

「あ、おそろだ」

クロ「私も持ってます(笑)。でも、ライヴで使ってるのは(Teenage Engineeringの)OP-1っていう、A4サイズの半分くらいで、シールドがイヤフォン・ジャックから出るガジェットっぽいやつなんですけど、変な音を出すのにいいんですよね」

――流行りの〈ギタ女〉ならぬ、〈microKORG女子〉たちだと(笑)。でも、あくまでバンドのフロントウーマンであって、一昔前の〈宅録女子〉とも違うというか。

「私が好きなヴォーカルの人はもともと機材とかを使ってなくて、最初は歌一本でやってる人に憧れを抱いてたんですけど、ZA FEEDOのメンバーとやるようになってから機材がどんどん増えてきました。いまはmicroKORGとサンプラーとカオシレーターを、全部BOSSのTera Echoというエフェクターに繋いでいます。デモを作るときにシンセを使うので、なるべくデモに近付けたいと思って、気付いたら増えちゃったっていう」

ZA DEEDO『2772』収録曲“UBU”のパフォーマンス映像。話に挙がった機材類も映し出される
 

吉田「私が機材を使うようになったのはホント最近で、そもそもエフェクターの存在を知ったのも、メイさんも使っているTC-HeliconのVoiceLive Touch 2を知り合いのヴォーカルの子が朗読のライヴで使っていたのを見たのが最初。〈こんなのがあるんだ〉と気になっていたんですけど、(ZA FEEDOと)対バンしたときにメイさんが同じやつを使っていて、カッコイイなって思ったんです。それで、私は最初にBOSSのVocal Performerを人から借りて使っていたんですけど、いまはどんどん(機材が)増えていく傾向にあります(笑)」

「他のメンバーがソロを弾いてたり、自分が歌ってないときってどうしたらいいかわからないから、そういうときに機材があるといいよね(笑)」

吉田「わかる(笑)。最近は機材を使うようになって、それが解消されて嬉しいんですけど、でも気持ちとしてはPAさんに全部やってほしいんですよね。専属のPAさんがいて、〈ここでダブル〉とかやってくれたら最高だなって。なので、いまはいじることが楽しいんですけど、将来的には原点回帰して、何もなくなるといいなって(笑)」