ミュージシャンの沖メイが綴る連載〈サウンズ・オブ・クリーチャー〉。〈音楽と生き物〉をテーマにするこの連載、前回第5回は、沖が高校時代に〈修学旅行〉で西表島に向かった経緯、そして川やマングローブ林を越えて鹿川湾に至るまでの道のりを書いてくれました。

その後編となる今回は、鹿川湾でのテント生活とその経験から生まれた曲について。彼女の〈当たり前なんてない〉というモットーは、どのようにして導き出されたのでしょうか? *Mikiki編集部

★連載〈沖メイのサウンズ・オブ・クリーチャー〉の記事一覧はこちら

 

水汲み、洗濯、滝シャワー、重油ボール……西表島でのテント生活

さてさて、やっとたどり着いた鹿川湾ではこんな生活が待っていました。

まず、班ごとにテントを張り、トイレを掘りました。
頃合いのいい林の中に穴を掘るのですが、砂だからちょっと大変。
穴は男女別に用意します。女の子たちが用を足す時は見張り番を立てていましたね。
夜は風に飛ばされないよう工夫しながらライターで使用済みトレットペーパーを燃やすのが中々難しかった。

一応〈修学旅行〉。食事時間と消灯時間のタイムテーブルは決めていた。

林の中に川を見つけ、飲食用の水はその上流で汲み、洗い物・歯磨き・洗濯は下流で行う、と決めました。
さらに下流には水の溜まり場があって、誰かのアイデアで底の石を取り除いて風呂桶のようにしました。

崖から注ぐ、滝のシャワーもありました。
シャワーを浴びるときは鋭利な岩の上を慎重に歩いて水の真下に行きます。
滝の水は雨の量によって量が左右されていて、チョロチョロだったり、ちょうど良い水量だったり……。
それでも旅館で浴びたお湯の気持ち良さを思い出せなくなるほど、海を眺めながらの滝シャワーは良いものでした。

食事の残飯(バナナの皮やお魚ソーセージのビニール)は班ごとにビニール袋にまとめ、持って帰る時までテントの下に隠しておきます(野生動物が食べたりしないよう、自分たちのゴミは浜に一つも残さないようにしました)。
飯ごうで炊いたご飯は、こびりついた米も綺麗に食べるので、おコゲがつかないように炊けると最高な気分。
東京に帰ってからもご飯を残さず食べる習慣がつきました。
お魚ソーセージをもう見たくなくなるくらい食べ飽きた頃には、それを餌にして、誰かが持ってきた釣り竿で魚釣りをしてみたり。

川で洗った洗濯物とテント村。

女の子は水着にTシャツ&ズボン、男の子たちはほぼ全裸で過ごしながら、気が向けば海に入り、なんとなく昼寝をして、小腹が空いたら食事をとり、ぼーっと浜に座る。

浜には、見たことのない大きな貝殻や、手の平サイズのシャコ貝の殻が完璧な二枚貝の状態で沢山落ちていました。

さらに台風上陸直後だったからか、台湾から流れ着いたのであろうお菓子や飲み物のプラスチックゴミ、謎の黒い油の塊が砂を纏ってボールのように点々と転がっていました。
このボールはどこかの船から流れ出した重油だということで、私たちはそれに〈重油ボール〉と名前をつけました。

重油ボールはかなり厄介で、うっかり踏んでしまうとベッタリ足の裏に残ってしまい、中々取れませんでした。
私もうっかりザックに結構沢山つけてしまい、今でも黒くシミになっていますが、それを見るたびに〈重油〉というシリアスな存在が旅の懐かしい記憶を呼び起こすパラドックスを感じます。
後にも先にも、あんなに生活と重油がダイレクトに隣り合わせだったのはあの時だけだったので、貴重な経験でした。

このように、それぞれが気ままに過ごして、ガイドの人や引率の教員、友達と話し込み、夜は眠くなったらテントに入る。
なんだか、小さな村のようでしたね

※鹿川湾の山にはかつて村があったが、今は廃村になっている。近年ではそこに惚れ込んで洞窟に住みでしまう仙人のような人もいたらしい

 

私達が生きるこの自然の中に当たり前のことなんてひとつもない

そんな2日間を完了して、テントやトイレも片付け終わり、私たちの生活の痕跡が跡形もない浜を見たときでした。
私のなかに、何かがこみ上げてきたのは。

鹿川湾を背に、川の水をペットボトルに詰めながら数時間かけて歩いて帰る……。
〈あの浜で生活した風景が、綺麗になくなる〉。
それを想像したら、なんともいえない気持ちになったのです。

そんな気持ちを携えながら、行きとは少し違うルートを通ってジャングルや海の中を進み、船浮港を目指す。

行きではヒヤヒヤしていたヒルへの対応も、水の中を歩くことも、みんな手馴れたもの。

そうして到着した船浮港からは小さなチャーター・ボートで白浜港に戻る手筈でしたが、ボートの船長さんからの提案で、鹿川湾の前を船で通ってくれることになりました。

粋な計らいに嬉しくなり、遠くからドキドキしながら眺めた鹿川湾には
相変わらず滝が流れ、小川があり……。

ただ違うのは、私達がいないだけ。
以前と変わらなかったであろう自然の日常、静かな風景。

湾の背後にそびえる山は、さっきまで私達が歩いていた場所。
その山や森に、今この瞬間にも私達が行きで見かけたヤエヤマセマルハコガメやイリオモテヤマネコが歩いている。
さっきまで私達が飲んでいた小川の水を、彼らも上流で飲んでいる。
そして、その川は相変わらず海に注がれ続けている……。

その瞬間、私は身体が感電したようになりました。

私達がそこにいたのは2日間。
そこで〈何もしない〉ことによって得たのは、旅の特別感ではなく、特別な場所で過ごした短い生活、日常でした。

対して、森や山にとっての私達は非日常。
私達に生活をさせてくれた場所で流れ続ける川は、都会で流れ続ける蛇口の水道とは違う。ネコ、カメ、魚、植物、あらゆる命がそれを必要としている。

〈生きる〉という共通点のもと、それぞれの日常が重なりあう。
なんて美しい現実なんだろう、と、私はその瞬間に感じざるを得なかったのです。

生活において、食べて生きるということにおいて、今までの日常がどれだけ当然のことになっていたのか。
いつも歩いている道路も、自分で作ったものではなく誰かが作ってくれたもので、それがあるから歩きやすい。
木々が生え、木陰が涼しいことが、どれだけ日常的なことだったのか。

私達が生きているこの世の中が存在する自然において、当たり前のことなどひとつもないんだと、その瞬間に私は強く感じてしまったのです。

小さな船の上で島を見つめながら、17歳の私は、新しい感覚にビリビリと感電してしまいました。

船浮湾に到着。

10代の経験によって刻みこまれた体験と感覚はとても威力を持つことがあると、私は思います。

その日から今日までで約10年以上が経ちますが、東京で暮らしていても、その瞬間の気持ちと経験は全てに結びつき、私の日々を支えてくれています。