ユップ・ベヴィンのピアノは甘く優しく心地いい。ピアノ一台だけで奏でられる彼の音楽は、Spotifyなどを通して、世界中で大きな反響を呼んでいる。そのSpotifyでの6,000万近くの再生数を引っ提げ、今年、ドイツ・グラモフォンからのデビューも果たした。彼の音楽はポスト・クラシカルとかネオ・クラシカルと呼ばれる音楽で、近年このカテゴリーは日本でもかなり浸透しているが、その中でもピアノを軸にしたものは特に人気が高い。例えば、haruka nakamuraやAkira Kosemuraといった日本人アーティストから、ヘニング・シュミートやチリー・ゴンザレスなどは決して大きなムーヴメントではないが、静かな潮流として完全に定着してきている(このあたりは山本勇樹による書籍「クワイエット・コーナー」に沢山載っている)。

ユップ・ベヴィンに取材するとなった時に僕が思ったのは、その静かで優しいピアノの旋律だけで、言葉を使わずに〈心地よさ〉や〈やさしさ〉や〈癒し〉のようなものをどうやって表現し、リスナーに届けているのだろうということだった。ピアノだけで、どうやってストーリーを生み出し、感情を表現するのだろうかと。世界中で支持されているピアニストは僕の問いに静かにゆっくりと丁寧に、とても美しい言葉で答えてくれた。

JOEP BEVING Prehension ユニバーサル(2017)

 

〈美しさ〉を使ってより多くの人に響くものを作る

――もともとあなたは音楽院で専門的な音楽教育を受けているんですよね。そもそもどういう学科でしたか。

「ジャズ・ピアノ科のはずだったんですけど、入学した時に僕は全然技術的に巧くなくてね。インプロヴィゼーションはできたんだけど、テクニックはなかったんだ。たまたま一緒に入ったドイツ人の同級生は母親がクラシックのピアニストだったのもあって、テクニックはすごかった。でも、彼はインプロは得意じゃなかったんだよね。そういう生徒たちの中にあって、僕はインプロができるほうだったんだよ。ただ、テクニックを身につけなきゃいけなくて、先生からはずっとツェルニーの曲を練習させらされてね。それで嫌になってしまったんだ(笑)」

※実用的なピアノ練習曲を数多く残したことで知られる作曲家/ピアニスト。日本ではピアノ学習の必修教則本の名称としてもポピュラー

――さっきインプロの話が出ましたが、あなたの音楽って、聴きようによっては全部即興にも聴こえるし、全部作曲されたものにも聴こえる。実際は即興と作曲の割合はどのくらいですか?

「1枚目の『Solipism』でも2曲、2枚目の『Prehension』でも2曲、レコーディング中に即興で演奏した曲があるけど、それ以外は譜面に書いた曲だね」

2015年作『Solipism』収録曲“Sleeping Lotus”を演奏するパフォーマンス映像
 

――まずはあらかじめ譜面に書くんですね。ちなみに作曲ってどんなやり方でやるんですか?

「たいていはメロディーが最初にあって、そこから曲が生まれていく。例えば人が話しはじめる時にも、まずひとつの言葉が出てきて、それが次の言葉に繋がって、フレーズになって、論理的に話が繋がっていき、最終的に文章のようになるよね。それに近い感じかもしれない。まずメロディーが生まれて、そのメロディーからハーモニーが導き出されてひとつの曲になっていく。ストラクチャーの組み立て方っていう事で言うと、作曲は自分がある種の決断をしなきゃいけない行為なんだよね。ここで曲を発展させてみようとか、ちょっと方向転換してみようとか、ここでオープンになってみようとか、そういう決断が必要だよね。だから、そういう時は思考が伴う。でも、多くの場合はそんなことは考えずにピアノの前に座って、なんとなく鍵盤にタッチしていると意図しない音が聴こえたりして、そこからふっと思うことがあって即興的にアイデアが生まれたりする。そういうことを21回くらいやってれば、だいたい曲が完成するよね」

――きっかけは即興的な行為だったりするんですね。ちなみにあなたが自分の曲について説明しているインタヴューを読んだんですが、誰かのために書いた曲が多いですよね。つまり、自分のためとか、自分が演奏したい、語りたいことっていうよりも、目的が他者にあるのはおもしろいなと思いました。自分の中に浮かんだメロディーや曲をどういうふうに他者のためのものに落とし込んでいくんですか?

「まず、この質問は自分のすべてのプロセスを答えてくれっていうのと同じだってことはわかってほしい。まずピアノっていう一台の楽器で何かをやるわけだから、やれることには限りがあるし、直感に頼っていくしかない部分もある。そのためにどうするかっていうと、エネルギーとか自分の経験とかにチューンインする。その後は流れに任せるしかない部分はあるかな。でも、ひとつ大事にしているのは、なるべく多くの人の心に響くものを作りたいっていうこと。そのためにどうするかっていうと、〈ツール〉っていう言葉が適切かはわからないけど、人に何かを伝えるためには〈美しさ〉というものを使うのがいいんじゃないかと思ったんだよ。その〈美しさ〉の定義を自分なりにいくつか考えてみたんだけど、まず、肉体的に鳥肌が立つものは美しいってことなんだろうなって思った。それでインターバルであるとか、メロディー、波長、イントネーション、ヴェロシティーとか、そういうものから美しさを作るというのを自分の中の定義にしようと思ったんだ」

――なるほど。

「1枚目のアルバム『Solipism』では11曲作ったんだけど、自分が考えていたのは、自分のマインドの中だけのリアリティーについて。一人の人間の中だけのリアリティーだね。なぜかというと、今の時代ってそういう人が多い気がしたから。今って、いろんなものをシャットアウトしている時代だと思うし、デジタルな世界の中で、いろんな社会情勢の中で、テロとか脅威に満ちている時代の中で、みんなシャットアウトして生きている。そんな中で自分が感じていることを、自分以外の人間が同じように感じてくれたらいいなって思ったんだ。自分が考えていることを自分以外の人が感じてくれたら、そこにすごく正しいコネクションが生まれるなって。だから、さっき話したみたいに〈美しさ〉を定義して、それを形にすることができたら、他人にも自然に僕が感じているものを感じてもらえて、僕との間にコネクションが作れるんじゃないかと思ったんだ。どんなに世の中がシャットアウトしていようとも繋がれるんじゃないかって。僕の音楽を通して、自分以上に大きなものに守られる、安らぎや信頼のようなものを感じてもらえたらと思ったんだよ」

――なるほど。

「2枚目の『Prehension』の時はリアリティーっていうものを自分の中だけじゃなくて、もっとズームアウトして、広いところから現実を見てみたいと思ったんだ。〈プリヘンション〉っていう言葉自体はアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドという哲学者が提唱した造語なんだよね。現実は有機体によって成立している。だから現実は一つではないし、現実というものは常に変化していくんだと。人間っていうのは必ずしもその変化を意識して生きているわけじゃなくて、意識のないところで生きている。だからこそ人間には生きる責任みたいなものがあるってことを提唱しているんだけど、それを自分の音楽に採り入れようと思ったんだ。曲のタイトルに関しても、現実に対する見方をちょっと違う角度から見てみようというような言葉が多いんだけど、日本に来て思ったのは、日本の人はそのプリヘンション的な感覚をわかっている人が多いような気がしたんだ」

『Prehension』収録曲“Kawakaari”
 
『Prehension』収録曲“Hanging D”
 

――東洋思想とか、禅とかってことですか?

「そうだね。西洋人にはなかなかそういう現実の捉え方ができていない気がするんだよね。現実の捉え方が固定化されているというか。でも、日本人には自然なことかもしれない。なんとなくわかるだろ?」

 

エレクトロニック・ミュージックで作っていたものを、ピアノでどう表現するか

――そうかもしれないですね。ところで、さっき鳥肌がって話をしてましたけど、あなたの音楽って、音自体が触覚的ですよね。例えば、ピアノをかなり小さい音で弾いて、それをマイクでかなり大きく拾っていたり。顕微鏡で覗いた世界は現実なんだけど、まるで非現実みたいにファンタジックに見えるみたいな。

「そうだね。小さな音をアンプリファイしてるんだよ。普段は人間の耳から隠れて聴こえていないけど、実際は鳴っているはずのものがあらわになっているんだよね」

――なぜ、そういう録り方を?

「そもそもそういうサウンドが好きってのもある。温かいコクーン(繭)の中にいるような、守られているような安心さがあるよね。自分にとってもリラックスできるし、気持ちも穏やかになる。自分でもそういう音を、音楽を求めていたんだと思うんだよね。あとは、自分が持っているピアノのクオリティーとか、環境もあったと思う。僕は深夜に曲を書くことも多いから、その時間には家族も近所の人も寝てるからね(笑)。あまり大きな音は出せないから、ヘッドフォンから鳴っている自分の音を聴きながらピアノを弾くんだ。その時に、小さい音をヘッドフォンで聴いた時の音の効果っていいなって思った。それと同時に夜の静かな時間だから、椅子の音や周りで鳴っている音もすごくリアルに聴こえるんだ。そういうのを聴いていると、自分が透明になったような感覚があるんだよ」

――あなたはピアノを演奏するとか曲を書くっていうことだけじゃなくて広く音楽を捉えているのかなと思いました。そういう響きや奥行きってある意味でエレクトロニカとかそういうものと繋がる部分があるのかなと。過去にプログラミングの音楽を作られていたというのを聞いたんですが、その経験から来ているものもあるかもしれませんね。

〈I Are Giant〉名義で音源制作をしていた

「まさにそうだね。自分はエレクトロニック・ミュージックを作っていたし、音とかサウンドをプロデュースしていた。シンセとかラップトップで音を合成して作り上げていた。それによって、人がリレイト(関係)できる美しいものを作っていたね。エレクトロニック・ミュージックを作る時にやっていた美しいものを、今回はピアノでいかにできるだろうかってことを考えているよ」

――ちなみに好きなプロデューサーを教えてもらえますか?

「カリブー、フォー・テット、フローティング・ポインツ、エイフェックス・ツイン、このあたりがトップ・リストだね」

フローティング・ポインツの2017年作『Reflections - Mojave Desert』収録曲“Mojave Desert”
 
エイフェックス・ツインの2016年のEP『Cheetah』収録曲“Cirklon3”
 

――あと、あなたの音楽はすごく懐かしい感じもしますよね。例えば、バロック音楽だったり、バロック音楽の頃のスタイルに戻ってやってたブラームスみたいな人だったり。

「バロックは好きだよ。バッハはよく聴くしね。クラシック音楽だったらプロコフィエフとかラフマニノフが好きだ。アルヴォ・ペルト、フィリップ・グラス、ペトリス・ヴァスクスも。ブラームスはあまり好きじゃないな(笑)。ロマン派のものはそんなに好きじゃないんだ。ただ、ロマン派って人間の感情みたいなものを取り戻したいってものだったりもするから、それは今の時代にもある種通じている部分はあるのかなって思うよ。今は人間の感情が入ってないものも多いよね、情報的なものが多いというか。だから、人間の感情みたいなものを人が求めているっていうのは今と似ているのかなとは思う」

――感情って話が出ましたけど、あなたの音楽って、すごくエモーショナルな部分がありますよね。でも、ビルドアップしていくものでもないし、ドラマチックに盛り上げていくようなものでもない。でも、そんな構造の曲の中でどうやって感情的なものを表現しようと思ってますか?

「うーん、それは考えて設計しているわけじゃないんだ。自分が正しいと感じるものの中にチューンインしているという感じなんだ。自然に支配されている部分が多いのかなって。メジャー・コードをアルペジオで弾いてしまうとあまりにも甘すぎるものになるから、そういうクリシェ的なものを避けたいと思うし、あまり意味を含ませすぎるのも好きじゃないし、そのへんのバランスみたいなものを見つけることは意識的にやっていて、そのうえで、もっと先まで聴きたいなって思えるような音楽的なストーリーがあるようなものを作っていくことが重要だと思ってる。でも、それは考えて設計しているわけじゃないんだ、自然にやっているものなんだよ」

『Prehension』収録曲“Sonderling”を演奏するパフォーマンス映像

 


~ユップ・べヴィンやヨハン・ヨハンソン、ルドヴィコ・エイナウディらの楽曲を収録したコンピレーション〈NaturaRhythm~眠れない夜に〉のプレイリストはこちら~

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