ビートルズ

チャールズ・マンソンは、ビートルズに強く執着していた。彼は、ビートルズが68年12月にリリースした、通称『ホワイト・アルバム』を通じて自分にメッセージを送っていると信じていて、このアルバムの収録曲を彼が作り上げた世紀末のシナリオに組み込んでいった。“Revolution”、“Helter Skelter”、“Blackbird”、“Rocky Raccoon”(黒人のことを古いスラングでraccoonの短縮版、coonと呼んでいた)、“Piggies”(この曲の中でナイフとフォークについて歌っているが、ラビアンカ夫妻はナイフとフォークで60回も刺されていた。また、犯行現場の壁には血で〈Piggies〉と書かれていた)や“Sexy Sadie”(元トップレス・ダンサーだったカルト一味のスーザン・アトキンスのあだ名。彼女は8人を殺害したとして有罪判決を受けた)など。

マンソンは、このアルバムはビートルズがマンソンのために作り、マンソンについて語ったものだと信じていた。彼は、黒人達はこの地上を奪うためにいずれ暴動を起こす、それが起こった時には彼とカルト信者達は砂上バギーにマシンガンを積み込んで砂漠の〈底なしの穴〉に入り、魔法の金縄で戻ってくれば、世界を支配する方法を知らない黒人達(マンソンは彼らを愚かで劣った人種と考えていた)はマンソンをイエス・キリストのように思い、彼らの代わりにこの世界を支配してほしいと頼んでくると思っていた。この暴力的な革命を起こすきっかけを作る為に、マンソンの信者達は殺人の後、壁に血で動物の足跡を描き、黒人による急進的解放組織ブラック・パンサー党がやったように見せかけ、革命を始めさせようと画策した。マンソンのカルトはビートルズにコンタクトを取ろうと多くの手紙、電報や電話での連絡を試みたがすべて失敗している。

Dune Buggy。海辺の砂丘を走るための自動車

ビートルズの68年作『The Beatles』収録曲“Sexy Sadie”

 

ビーチ・ボーイズ

メンバーのデニス・ウィルソンが、ヒッチハイクをしていたカルト信者のパトリシア・クレンウィンケルとエラ・ジョー・ベイリーを車に乗せたことからチャールズ・マンソンと知り合う。ウィルソンはフリー・ラヴを提唱するこのグループに興味を持ち、彼らと過ごすようになった。その内、彼(デニス)の家にはカルトの信者達がたむろするようになり、彼の食料を食べ、彼の服を着て、彼の車や金を使い、性感染症を広めた。(ビーチ・ボーイズの)ブライアン・ウィルソンとカール・ウィルソンはブライアンの家のスタジオでマンソンと作曲もしている。ビーチ・ボーイズはマンソンの“Cease To Exist”という曲を、歌詞や曲も大幅に変えて“Never Learn Not to Love”とタイトルを変更しレコーディングもしたが、曲のクレジットは100パーセント、デニス・ウィルソンとした。マンソンはこれに腹を立て、デニスを殺すと脅迫。デニスはこれに対して皆の前でマンソンを泣き出すまで殴るという形で報復し、マンソンと信者から距離を置くために自分の家から出て行く羽目になった。

70年作『Lie: The Love and Terror Cult』収録曲“Cease to Exist”

ビーチ・ボーイズの69年作『20/20』収録曲“Never Learn Not to Love”

 

テリー・メルチャー

アメリカの当時もっとも有名な歌手のひとり、ドリス・デイの息子。エンターテイメント業界に育ち、コロムビア・レコードのプロデューサーとして活動した。バーズ、ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ、ビーチ・ボーイズなど、大成功を納めた歌手を手がけている。デニス・ウィルソンがマンソンをメルチャーに紹介し、一時期はメルチャーもマンソンの曲をレコーディングすることや、カルトについてのドキュメンタリーを作ることについて前向きだったが、マンソン・ファミリーが当時住んでいたスパーン牧場で酔っ払って喧嘩をしているところを目撃後、マンソンへの興味を失った。

テリー・メルチャーはシエロ・ドライヴ10050番地にガールフレンドと、歌手のマーク・リンジーと住んでいた。69年8月9日、マンソンの4人の信者達(テックス・ワトソン、スーザン・アトキンス、リンダ・カサビアンとパトリシア・クレンウィンケル)がこの住所に行き、そこにいた6人全員を殺害したが、この家は事件の少し前から映画プロデューサーのロマン・ポランスキーが借りていて、ポランスキーの妻で女優、そして当時妊娠8か月だったシャロン・テートが16回も刺され殺されている。マンソンがこの家にメルチャーが既に住んでいないことを知っていたという証拠があるため、なぜ彼がこの襲撃を指示したのかは未だ議論を呼んでいる。メルチャーはこの殺人事件の後、身を隠した。

ママス&パパスのリーダーだったジョン・フィリップスは自伝で、この日は彼もテートのパーティーに呼ばれていたが行けなかったと書いている。ロマン・ポランスキーは、フィリップスが、ポランスキーとフィリップスの妻ミシェルが短い不倫関係にあった事に対する復讐のためこの殺人事件に関与したのではないかと疑い、ジョンの喉元にナイフを突きつけて事実関係を白状するよう迫ったという話もある。

バーズの69年作『Mr. Tambourine Man』収録曲“Mr. Tambourine Man”