INTERVIEW

〈ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2018〉 今年のテーマは〈モンド・ヌーヴォー 新しい世界へ〉。刺激に満ちた異文化との接触から生まれた音楽を!

今年のテーマは〈モンド・ヌーヴォー 新しい世界へ〉。
刺激に満ちた異文化との接触から生まれた音楽を!

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2018
○5月3日(木・祝)、4日(金・祝)、5日(土)
会場:丸の内エリア(東京国際フォーラムほか)/池袋エリア(東京芸術劇場ほか)

ルネ・マルタン(René Martin / LFJ ART DIRECTOR)(c)Marc Roger

2018年の〈ラ・フォル・ジュルネ〉は亡命をテーマに掲げる。19世紀後半から現在までこのテーマは地球上に何らかのかたちで存在しつづけてきたものだが、この数年来、あらためて大きく浮上してきている。しかし、はたして、ほかの土地、ヨーロッパやアフリカ、アラブといった地域に較べ、この列島ではどうだろう。アクチュアルなこととしてとらえられているだろうか。そんなことを考えながら、ルネ・マルタンとことばを交わした。

テーマとしての〈亡命〉

 ショパンを思いおこしてみましょう。20歳でポーランドを出て、祖国はロシアに鎮圧されてしまいその後戻ることはない。そしてフランスが受け入れ国になった。ただ彼はそのパリでもポーランドの知識人たちと交流し、ショパンの作品にもそういった政治的なリアクションというのが見られます。そう、わたしにとっての〈exile〉は、まずは〈強いられた亡命〉です。多くの場合は政治的理由で、祖国を出た作曲家たち、そして他の国に行って受け入れられるか、拒まれるか。ショパンは19世紀の象徴でしょう。20世紀だとラフマニノフ、ロシア革命があり、また第二次世界大戦中にヒトラーから追いだされた作曲家たちがいます。自主的でない、選ばなかった亡命です。そのあたりを中心に多様なexileをみることになるでしょう。じつは来年のテーマは、このexileから発展させたいと思っているんです。〈旅のアルバム〉とでも言いますか、ウィーンのハイドン、プラハのモーツアルト、というようなね。ですから今年は〈強いられた亡命〉になるのです。

 

亡命のアクチュアリティ

 日本は島国ですし、作曲家が強制的に亡命したり移住したりした作曲家は少ないでしょうけれど、「政治的な亡命」を中心に据えると、亡命から生まれた作品はすごく強烈なものを持っていることがわかります。ルーツを探すとか、作曲家が自分のルーツと向き合うとか、失われた祖国や失われた文化について模索する――。わたしにとってその例はアメリカに渡ったバルトークですね。アメリカ人は彼の音楽をあまり好きでなく、バルトーク自身もアメリカの文化が合わず苦悩した。《ピアノ協奏曲3番》は音楽的な遺言のようです。でも、やはりバルトークにとって祖国から離れたことが、この傑作を生む鍵だったのです。デラシネですね、故郷喪失。友人と離れたり、家族との、ルーツとの別れ。それは喜びとは対極にあるものです。そこがテーマの方向性のひとつにもなっています。あとはマルティヌー、コルンゴルトの例を挙げておきましょうか。

 

あらたな、21世紀の亡命、難民

 じつは4年前に今回のテーマを決めてしまっていて、その時点ではいまのように難民問題が切迫していなかった。何千人も難民がヨーロッパに入ってきて、紛争の中、暴力の中、あんなボートに乗って溺れながらヨーロッパにたどり着いて……。それはすごく悲劇だったし、わたし自身とてもショックでした。ですから、わたし自身もこのテーマで迫めていいのかとても不安でした。この社会問題にインスパイアされてこのテーマを掲げたと思われると嫌でしたし。そもそもexileという問題はずっとあったものです。だから、人々は紛争などの理由で祖国を離れていたことを示したいと考えたので、テーマをキープしたのです。もちろん世界情勢ともリンクしてしまっていますが。ナントでは今年、難民の人たちを招いてコンサートをやりました。アフリカやアラブからの人たちがナントの住民とともに音楽に聴きいった。今年東京に来るアンサンブルで、地中海周辺の音楽をいろんなことばで歌うカンティクム・ノーヴムの演奏を聴いてもらいました。

 

ひとつひとつの音楽とそれをとおしてみる作曲家、そして、社会

 政治的な、社会的なコンテクストを語ることによって、それがLFJというイヴェントをもっと強い意味のあるものにしていけると考えています。ただ楽しむための音楽ではなくて、デコレーションでもBGMでもない。ブロッホのチェロの作品というのは叫びのような音楽ですし、なにか違ったものを経験したと思ってくださるんじゃないか。ベートーヴェン、シューマン、シューベルトも取り上げますが、それは〈精神的な亡命〉にあたります。27歳で聴覚を失ったベートーヴェンはハイリゲンシュタットの遺言に自殺を考えていると書き、自分の内部の別の世界で傑作を生みだしました。シューマンも似ていて、彼も自殺してしまう。シューベルトの《冬の旅》も死への誘いといいますかこの作品はアイスラーの《ハリウッド・ソングブック》とリンクしていると思います。このような作品同士をつなぐ橋、という観点も今回はあるのです。

 

ミクロとマクロの視点

 心地よい音楽の後ろにも必ずストーリーはあるはずですし、わたしにとって作曲家はひとつの媒体でもあります。たとえば国が平和であるということや、愛情、日々のしあわせなども、もしかしたら作品に表れるかもしれない。国がいま暴力にさいなまれていることが、作品の暴力性として現れることもある。作曲家/音楽家も政治的なこととリンクしてきます。彼らはすごくセンシティヴに物事を見るので、その政治的意見というのもとても貴重だと思います。人生や生きること全般についてセンシティヴですし、すべての音楽はそういう意味でも自分にとっては情熱的におもえます。

 

クロースアップしたい演奏家

 マリー=アンジュ・グッチがいちばんの目玉ですね。20歳ですが驚異です。5カ国語を流暢に話しますが、とにかく演奏の円熟味というのがすばらしい。今回コルンゴルトの協奏曲を演奏するヴァイオリニストのアレーナ・バーエワ。あと、やはりヴァイオリンのアレクサンドラ・コヌノヴァ、新世代です。彼女たちを紹介するのがLFJの意味の1つで、もちろん大演奏家もいますが、新しい才能を発見してもらうということが大切だとおもっています。聴衆の方々に信頼してもらって、演奏家は音楽に奉仕する。アーティストが有名であるかどうかは問題ではない。それがLFJの豊かさです。アンサンブル・メシアンという若手音楽家たちのグループもお勧めですよ。

 

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