2009年、多くのファンに惜しまれながらも10年間の活動を終えたスカ・バンド、THE MICETEETH。その5年後の2014年、再結成を発表するとともに自身のレーベルMASTER THRONEを立ち上げたことは記憶に新しい。『GREETING CD』(2015年)、『COSMOS EP』(2016年)と作品をコンスタントにリリースしつつ、ブランクなどなかったかのような精力的なライヴ活動を行っている。

そんなTHE MICETEETHのヴォーカリスト、次松大助が実に5年4か月ぶりとなるソロ・アルバム『喜劇“鴉片”』(〈シーヂィー・ヤーピィエン〉と読む)をリリースした。次松が本格的にソロ・キャリアを歩み始めたのは、THE MICETEETHが解散した2009年にまでさかのぼる。同年にリリースされたのが、ファースト・ソロ・アルバムである『Animation for oink,oink!』。そこには、バンド時代のスカという音楽スタイルから自由になった音楽家・次松大助の姿があった。

次松大助 『喜劇“鴉片”』 Pヴァイン(2018)

そもそも、THE MICETEETHの(当時の)ラスト・アルバムであり、32曲入りの大作であった『07』(2007年)からして、スカやレゲエに留まらない様々な音楽的要素が渦巻く混沌としたものだった。『Animation for oink,oink!』とその4年後のミニ・アルバム『Ballade for Night Zoo』(2013年)は、THE MICETEETHの混沌と力強いポップネスとを受け継ぎつつも、シンガー・ソングライターとしての、そしてピアニストとしての次松の姿を見事に提示してみせている。しかし、この9年でリリースした作品が3作というのは、いささかスロー・ペースではあるが……?

「僕もそう感じています(笑)。前作のミニ・アルバムから5年ぶりの作品なのですが、ちょっと空いちゃっているって思って、焦ったというか(笑)。さすがに(新作を)出したほうがいいんじゃないかと思いました。今回、作ろうと思ったきっかけは、そういったことですね。出そうと思ったのが一年前ぐらいでしょうか。その前に作った曲も2曲入っているんですけど、それ以外は今回のアルバムに入れようと思って作曲しだしましたね」

本作も含め、自然体の、ピアノの弾き語りの楽曲も重要な位置を占める次松の作品からは、どこか生活と地続きとなった創作が感じられる。日常的な作曲、その集積が作品を成している――そんなイメージは、どうも実情とは違うようだ。「アルバムのために作ろうとか、用があって作曲をするのがほとんどですね」と次松は語る。

「ダダッと作った感じです。6曲目の“枇杷に捧ぐ”はNabowaっていうバンドにゲスト・ヴォーカルで呼んでもらったときにNabowaが作曲、僕が作詞で作った曲なんです。なので、セルフ・カヴァーみたいなものですね。それを入れたら3曲は、〈アルバム〉っていう目標を設定する前に作られた曲ですね」

『喜劇“鴉片”』収録曲“真夏の雪”

本作『喜劇“鴉片”』もそうだが、次松の作品には弾き語りの楽曲と緻密に編曲された楽曲とが混在している。先に〈シンガー・ソングライター〉と書いたが、後者の楽曲からはトッド・ラングレンのような、楽曲全体をトータルでコントロールする職人性が感じられる。ある意味、バンド編成で録音された楽曲にも、どことなく〈ベッドルーム感〉を覚えるのだ。例えば、幕開けを飾るタイトル・ソング“喜劇“鴉片””や4曲目の“伽藍”では、奇妙なノイズや不協和な打音が聴き取れる。リリースの1か月前まで自身で録音を行っていたと、次松はTwitterでつぶやいているが……?

「あのノイジーなパーカッションみたいなものは、デモの段階から入れていたんです。スタジオで録りこぼしたトライアングルとか、小さいパーカッションを自宅で録ったりしていましたね。レコーディング自体はベーシックに3日、管楽器1日とストリングスに1日かけています」

本作のチャームのひとつである息の合った演奏からは、とても短期間で録られたとは思えない一体感が聴き取れる。何より、“喜劇“鴉片””などの楽曲で聴ける、綴れ織りのように複雑で見事な編曲はどうだろう。先の発言から察するに、どうやら次松が制作するデモが創作の鍵となっているようである。

「デモにわりと全部の楽器が入っていて、それを(バンド・メンバーに)送ったうえで、〈(デモを)気にするか気にしないかは任せますので〉っていう感じですね。僕はアレンジ込みで作曲しだしてしまうことが多いんです。もしスタジオにみんなで入れる十分な時間があって、コードとメロディーだけ伝えてやったら楽しそうっていうのはすごく思っているんですけど。でも、なかなかそういう時間が取れないので、一旦アレンジを完成させて、それを聴いてもらったうえで〈好きにやってください〉っていうふうにしていますね」

では、デモからアレンジが大きく変わった楽曲はあるのだろうか。

「10曲目(“これくらいの”)ですかね。元々はけっこうガチャガチャしていたんですけど、音がずーっと鳴っているなあって思っていたんです。で、思い切って、デモのことは一旦忘れてもらいました。スティーヴィー・ワンダーの“Angie Girl”を聴いてもらって、こういう方向に持っていきたいなっていう話をしたんです。それでみんなでやってみましたね」

スティーヴィー・ワンダーの69年作『My Cherie Amour』収録曲“Angie Girl”

“これくらいの”のようなソウルフルな楽曲もありつつ、“Dad,why am I ugly?”と“世は春の日”は、これまで次松のソロではあまり聴くことができなかった、THE MICETEETHを彷彿とさせるスカ/レゲエのビートの楽曲だ。

「その2曲に関しては、サックスの武井(努)さんがやっているE.D.F.っていうジャズ・バンドからの影響ですね。E.D.F.がスカをやっていたんですけど、元々スカじゃない人たちがスカやジャマイカン・ミュージックをやるっていうのがすごくうらやましくて(笑)。それが楽しそうだと思って、インストで2曲、そういうのを入れてみました」

その武井も含め、様々な音楽的バックグラウンドを持つ、本作の参加ミュージシャンたちはどのようにして集められたのだろうか。

「以前から知っていて、好きな人たちですかね(笑)。主に別の現場で僕がサポートで入った時に一緒だった人たちです。ドラムの藤井さんがたぶん、いちばん付き合いが長くて、大阪時代からなんです。藤井さんがいたANATAKIKOUっていうバンドとTHE MICETEETHが仲良くて、僕のファースト・アルバムのときも藤井さんにお願いしたんですよね。波多野(敦子)さんは、THE MICETEETHの『BABY』(2004年)っていう、けっこう初期の作品のストリングスでお世話になったことがありました。

ベースの服部(将典)さんは5、6年前、轟渚さんのベースをやっていて、僕が対バンだったんです。そこで、〈ああ、すごく良いベーシストだなあ〉〈いつか一緒にやりたいなあ〉って思ったんですよ。それで、一年前ぐらいにかみぬまゆうたろうくんのサポートで一緒になって、改めて〈やっぱり良いなあ〉って思って。で、今回、お願いしました。フレットレス・ベースの織原(良次)さんも、また違うシンガー・ソングライターのサポートで一緒になったんです。ギターのEG(菅原達哉)くんもそうですね。出会ったのは二年前ぐらい前かな。EGくんも仙台出身の人で、仙台のミュージシャンのサポートがきっかけですね」

『喜劇“鴉片”』のもうひとつの鍵は、ギタリスト・菅原の参加かもしれない。

「今回、ちゃんとギターの入るアルバムって初めてだったんです。僕の曲のコードが若干ややこしかったり、ギターだと押さえにくそうだったりするので。でも、EGくんはそういうところに強くて。1曲目のギターは好きに弾いてもらったんですけど、それがすごく良いハマり方で、良かったんですよね。今回は、けっこうEGくんっていう人ありきなんです。

ギターが入って、ピアノがコードを鳴らさんでよくなったら、もっとウワモノになれるなあとか、そういう楽しみがありましたね。“まぼろしの日”はギターにコードを弾いてもらって、僕がちょっとコードから外れたことをやったりとか……EGくんは退屈かもしらんけどね(笑)」

本作は『喜劇“鴉片”』というタイトルからもわかる通り、コンセプト・アルバムでもある。次松本人の解説を引けば、「〈これはなんでしょうクイズ〉(中略)で、答えの部分を〈阿片〉にしていくつかヒントを出していったときに、ひょっとするとどこかの段階までは〈それは音楽です〉と誤答できるんじゃないかと思ったことが始まり」なのだとか。その後には「何かが違っていれば、音楽は阿片になれたのか、音楽にも恍惚や白濁を、あるいは戦争を催すことができたのか」と不穏な言葉が続いている。

「2曲目(“まぼろしの日”)と8曲目(“木蓮の花庭”)がアルバムに取り掛かる前に作ったんですけど、そのあたりからなんとなくアルバムのコンセプト的なものはあったんです」

〈阿片〉と〈音楽〉。まるで不釣り合いな二つのものが本作のコンセプトでは並列に捉えられている。これは、ケシの実から取れる麻薬のように、音楽とはドラッギーで陶酔的な感覚を聴き手に覚えさせるもの、という意味なのだろうか。

「っていうほどでもなくですね。もし〈阿片〉と〈音楽〉をそれぞれ擬人化したら、〈阿片さん〉は戦争までできたけど、〈音楽さん〉にはそれができないの?って思ったんですよ(笑)。音楽に戦争を起こすぐらいの影響力があったら、ちょっとおもしろいなって。戦争が起こるぐらい、みんなが音楽に依存している世界があればなあって(笑)。でも、それはちょっと現実的ではないので、じゃあ、それをお芝居のかたちでシナリオを書く人がいたら、おもしろいだろうなって」

『喜劇“鴉片”』の筋立ては、そういったフィクショナルな世界観を舞台としている。いわば、並行世界を夢想するような作品だ。これまでの2つの作品からも物語性は感じられるが、それは次松という音楽家の作家性のひとつなのだろう。だが一方で、まるで自身が書き上げたプロットから音楽が意思を持って逸脱していくかのように、楽曲ごとに毛色がまったく異なっているのはなぜだろうか。ジャズ、リズム・アンド・ブルース、フォーク、クラシック、スカ――あらゆる音楽が同居しているその〈混沌〉は、いったいどこから来るのか。

「どうしてですかね。元々、性格上、雑多だったりとか……。コンセプトはあるんですけど、何かを伝えたいとかっていうのはなくて。なので、制作中に好きなものをなんとなく並べたりしている感じじゃないですかね(笑)。制作を始めたらほとんど何も聴かないようにしているんです。

でも、制作前の1、2年ずっと好きで、ことあるごとに聴いていたのはマリオ・アヂネーっていうブラジルのギタリストでした。管楽器のアレンジとかがおもしろくて。その人がすごすぎて、影響が出るほど僕は達者ではないんですけどね(笑)。

自分の趣味嗜好だったりとかが、THE MICETEETHよりは強く、わりと全面的に出ていますね。ソロは鍵盤を弾きたいっていうのがけっこう大きくあって。だから、ヴォーカルよりも、もしかしたら鍵盤を弾きたいって思ってやっている部分が大きいかもしれませんね」

マリオ・アヂネーの2000年作『Para Gershwin E Jobim』収録曲“Pedra Bonita”

次松の音楽的嗜好性や鍵盤奏者としての側面が打ち出されたのが本作だと。では、歌詞に関してはどうだろうか。歌詞カードに目を落としてみれば、表題曲の歌詞がすべて平仮名で綴られていることに驚かされる。

「出だしの〈あれはあわれ〉は、口に出すとたった三音だけじゃないですか。でも、それを平仮名にすると〈あれは〉になりますよね。そんなにコンセプトはなくて、あんまり意味を追わないで欲しいというか、そういう思いもあって平仮名にしてしまおうと思ったんです。

歌詞に関しては、夢と現実とが曖昧になる感じっていうのを今回、多くテーマにしている感じですかね。“まぼろしの日”なんかは特にそうです。いま日常において阿片による幻覚に近いのって夢だと思っていて。歌詞は伝わらなくてもいい、ちょっと不親切でもいいんじゃないかと思っているんです(笑)。

以前は自分が思っていることを伝えるようにしたいなと思っていたんですけど、いまはそれがどう伝わっても別にいいかなと。例えば、楽しい曲のつもりで書いているけど、それが悲しい曲として伝わってもいいんです」

音楽や映画に限らず、あらゆるものにおいて、いまの世の中には〈親切すぎる〉〈わかりやすい〉ものが溢れすぎていると次松は語る。

「このアルバムは、聴き終わった後に何かはっきりとしたひとつのことを持って帰るアトラクションではないですね。聴き手によりけりで全然いいんです。最近、よくわからない映画とかあんまり見なくなってきてるじゃないですか、きっと。そういう〈よくわからない映画〉みたいなものが、どこかにはまだあってもいいかなと思ったりしています」

そういった聴き手に解釈を委ねる、どのように受け取られてもいいという、ある意味ではリスナーを突き放してみせる次松は、孤独感を感じないのだろうか。共感を表現の動機や源泉としないその姿勢において、それでも共感できる作家や作品とは? そんな問いを投げかけると、意外な名前を挙げた。

「小説家で山下澄人っていう人がいて、その人の『ギッちょん』(2012年)っていう小説はすごいんですよ。いまここにいた人が次の瞬間、老人になっていて、でも何も気にせずに話が進んでいくからクラクラするんです。クラクラしつつも、ひとつの作品としてまとまっているのがすごい。生真面目に文字を追っているだけだったら、全然わからないと思うんです。山下澄人は、小説も音楽みたいにもっとわかりにくくて不親切でもいいのに、と言っていたりもするんですね。その感じはすごく良かったですね」

最後に、THE MICETEETHの結成から数えて約20年ものキャリアを持つ音楽家に、どうしても訊きたかった質問を投げかけてみた。それは〈どうして音楽をやらざるをえないのか?〉という、至極ファンダメンタルな問いだ。

「それは、結局よくわかっていないんですよね。たまたま音楽が作れる、ピアノが弾けるということであって。音楽が好きで、なるべく他のことで働きたくない(笑)。そこで騙し騙しやっているんでしょうね(笑)。何かを表現したいとか、そういう大きなものは特にないんです。でも、他人(ひと)が作ったもので純粋に自分が全部満たされるかっていうと、そうでもなかったりするので。どこかでバランスを取りたくて、自分のものを作っているっていうことですかね」

では、もしインプットがゼロだとしたら?

「インプットがゼロなら、10年に一枚ぐらいは出すんじゃないかなと(笑)」

そんな次松の次回作は、今回のように5年と待たず、近いうちに聴くことができそうだ。

「次回作こそピアノをメインにした、シンプルなインスト・アルバムを作りたいなと思っているんです。いまのところは早めに出そうと思っているんですけど(笑)」

 


LIVE INFORMATION
次松大助ニューアルバム 喜劇“鴉片”(シーヂィー ヤーピィエン) リリース記念ライブ
2018年5月25日(金) 東京・吉祥寺 スターパインズカフェ
出演:次松大助(バンド・セット)
開場/開演:18:30/19:30
前売/当日:3,300円/3,800円(いずれもドリンク代別)

2018年5月26日(土) 東京・渋谷 Forsta
出演:次松大助(バンド・セット)
開場/開演:17:00/18:00
前売/当日:3,300円/3,800円(いずれもドリンク代別)

阿佐ヶ谷ロマンティクス 2ndアルバム 『灯がともる頃には』リリースツアー
2018年6月2日(土) 愛知・名古屋 KDハポン
出演:阿佐ヶ谷ロマンティクス/次松大助
開演/開演:18:00/19:00
前売/当日: 2,500円/3,000円(ドリンク代別)