Page 2 / 3 1ページ目から読む

自由な振る舞い

 これまで“Orphans”に代表されるceroのオーソドックスなポップ・サイドを担ってきた橋本がアプローチを変え、“溯行”でブラジル音楽、“夜になると鮭は”でオーガニックかつアブストラクトなビート・ミュージックにそれぞれ触発された楽曲を持ち寄ったかと思えば、髙城と共に複雑な楽曲構造の構築を担った荒内が作曲を手掛け、12インチ・シングルが先行リリースされた“Waters”は、ダンス・ミュージックとの化学反応から急速に活性化しているUKジャズの流れに呼応するかのような出色の折衷的ダンス・チューンだ。

 「ポリリズムといっても、僕らは難しいことがやりたいわけではなく、〈ダンス・ミュージックを拡張する〉という意識ですよね。クラブの空間ってすごく完成されているし、ユートピア的だし、民度も高くて大好きなんですけど、クラブで遊んでいる時に、この完成された空間にちょっと揺さぶりをかけて、新しいことをやってみたいなと思ったんです」(荒内)。

 「例えば、“Waters”は3拍子をそのまま受け取ったらトラップ的でもあるし、4拍子で取ればステッパー・ダブにもなるんですよね。でも、ある人にとってはハウスとも捉えられるだろうし、ファンクやジャズと捉える人もいるかもしれないし、そういう多面的で視点によってジャンルが変わる音楽をして、荒内くんが〈MULTI SOUL〉と銘打ったんです。現行のシーンは、トラップとかダブステップとか名の付く潮流もあるにはありますけど、細分化されすぎて、大きい潮流になることはなくて。これまで出てきたジャンルのなかからビュッフェ形式であれこれチョイスして、それをいかにして現代の音楽にするか、そのセンスが問われていると思うんですけど、今回のceroの場合は、そのおかずを取る皿にあたるものが、ポリリズムだったり、ポリリズムの概念を感じさせる曲ということになるんだと思います」(髙城)。

 ソウルやジャズはもちろんのこと、ポスト・ロック~マス・ロック、アヴァン・ファンクやアフロ、ブラジリアン、ビート・ミュージックなど、ありとあらゆる音楽要素を重層的に散りばめたサウンドに対して、アルバム表題曲を除いた全曲を髙城が担った詞に関しても、トラップの三連符のフロウをも内包したアプローチなど、その作風の変化には特筆すべきものがある。

 「変拍子やポリリズムには、普通のメロディー、普通の言葉が乗りにくいんですよ。だから、先に書いた歌詞をメロディーにハメていくやり方を取った前作と違って、メロディーと言葉を同時に考える必要があって、自分の頭の中を混濁させながらの作業だったんですけど、今回の楽曲から自然と導かれた言葉は、身の回りの人間関係や日常の悲喜こもごもを表現するものではなく、倒錯的で、多重露光的な、ある意味でサイケデリックな言葉を選ぶことが多くて、そうした作詞作業のなかで、〈川〉というキーワードが浮かび上がってきたんです。そして、書いた歌詞を読んで思ったのは、制作期間中に僕の母が亡くなったこともあって、生きている世界から死んでいく世界に没入していくベクトルの『Obscure Ride』に対して、自分の子どもが生まれて以降の3年間で制作した今回のアルバムは、死にいちばん近い赤ん坊が人間に育っていくところを間近に見ていたこともあって、今度は死んでいる世界から生きている世界へとベクトルが向かっているなって」(髙城)。

 すでにライヴで披露している本作の楽曲は、そこで渦巻くグルーヴや生命力の強さに演奏者である彼ら自身でさえ圧倒される瞬間があるというが、このアルバムにおいてはグルーヴこそが彼らのメッセージと言えるのかもしれない。聴き手それぞれが自由な解釈で作品を楽しみ、それぞれのリズム、踊り方をライヴに持ち寄った時にこのアルバムは作品を超えた先で真価を発揮するはずだ。

 「中心がないバンドとしてのceroが極まった今回のアルバムはサポート・メンバーが主役の作品でもあるし、それを受け取るお客さんのアクションが重要な作品でもあって。ただ、ポリリズムや変拍子を用いた音楽をライヴでいきなり提示しても、戸惑って、なかなか身体が動かなかったりもする。だから、そこで僕に求められているのは、いまのceroの音楽におけるひとつの振る舞いを提示することなのかなって思うんですよ。〈みんな、こうやって踊れ!〉っていうことじゃなく、もっとふらふらした漂い方の一例を見せることで、自由な振る舞いがみんなに伝播していったらいいなと思います」(髙城)。

ceroの作品を一部紹介。