もう世界標準もトレンドも関係ない? 希代の才人がすべての楽器演奏と日本語詞の歌唱によって作り上げた自分だけの音世界、その曖昧な風景に浮かぶ美しさとは……

自分の中からしか出てこないもの

 「ジャズっぽいバンドの人って思われてたり、ヒップホップの人だと思われてたり、プロデュース仕事だけで知ってくれてるって人もいたと思うんですけど、そういう僕の活動の幅をみんなが認識しはじめてくれたのは、この5~6年で感じたことですね。だからこそホントは、その間に1、2枚はソロ・アルバムを出していたかったなって……思ったより空いちゃいましたね(笑)」。

 ドラマーとして、プロデューサーやソングライターとしての支持は言わずもがな。さまざまなユニット活動と並行し、Gotchをはじめとするライヴ・サポート、CM音楽や劇伴に至るまでマルチな活躍を繰り広げるmabanuaが、ソロ2作目『only the facts』(2012年)の評判とOvallの躍進をひとつの分岐点として、ここ数年で一気に認知の幅を広げたのは確かだろう。それゆえに6年ぶりのソロ作となるサード・アルバム『Blurred』は、リスナー各々が組み立ててきた多面的なmabanua観を立体的に結び付ける作品となるかもしれない。多様な露出による不在感のなさやOvallの復活もあり、近年はソロに向かう気分ではなかったのかと思いきや、やはり多忙とそれに伴う影響が6年というブランクの要因になっていたようだ。

 「僕自身は常にソロ・モードではあったんですけど、そう思われてたってことは、たぶん〈やっちまったな〉ってことですね(笑)。例えば何かのツアーとツアーの間に〈あ、いまソロ作ろう〉ってなるんですけど、そうすると別の依頼をもらったりして、自分はソロのモードになってるんだけど取り掛かれないっていう状態がずっと続いてたんです。だから〈これはちょっと周りの仕事を一回オフにしないとダメだな〉って思って、わりと仕事量を減らせたのが、ここ2年ぐらいのことで」。

 そうして外部での仕事も抑えつつ、デモ作りのスタートからミックスを終えるまで約2年を費やした今回の『Blurred』だが、実は2年半ほど前にアルバム1枚を作っていたのだという。

 「その音源はもう全部消したんですけど、トレンドを意識しすぎたというか、プロデュースやサポートの仕事を多く経験するなかで培われてしまった、ちょっと流行を意識する部分が自然と出ちゃうようになってしまって、聴いてみたら自分の中で〈これ賞味期限が長くないな〉っていうのが明らかにわかったんですね。ここ何年かだと、例えばトラップが凄いじゃないですか。あとはクリス・デイヴのドラム云々とか、個人的にはもう飽き飽きしてるというか……最近の流行りのモノって、〈流行ってることをやってます!〉って感じで、昔より〈やってる感〉が強いな~と思ってて。自分がハタチぐらいならいいんですけど、30ちょいのオジサンがやってたら寒いだけだし、それなら自分が培ってきたものだけで作りたいと思って。昔から個人的に好きで聴いてたものとか、ファーストの『done already』出してからの10年ぐらいの仕事で養ってきた自分の手癖とか、そういうものだけで自由にふわって作ったのが今回のアルバムなんです。言い方を変えると、外との壁を作って、完全に自分の中からしか出てこないものだけに頼ったっていう感じですね。パッと聴きは〈これ、どういう作品なの?〉みたいな感じでも、長く聴くと何か良くなってきたみたいな、そういう作品を自分は作るべきなんじゃないかって思って」。

 浮遊感を帯びたメロウな聴き心地は前作同様ながら、今回は全編が日本語詞で、さらにはほぼ全曲を彼自身が歌うという大きな挑戦もあり。そんな変化も、邪念を排して素直に創作に向き合った結果なのだろう。

 「そうですね。奇を衒うこともないし、日本語で歌ったのも、いままでさんざん英語で歌ってきたんで、単純に今回は日本語でチャレンジしてみたいなっていう好奇心でした。あと、いまの自分にはメロディーとコードがいちばん重要な要素だなって思ってて、2年半前に捨てた音源まではオケを完成させてからメロを付ける順番だったんですけど、今回はまず最初にそのギターとか鍵盤でメロディーとコードを付けて、鼻歌で全部完成させた後で初めてビートを組むっていう作り方に変えたんです。Charaさんとか最近プロデュースした藤原さくらちゃんも、最初のデモはピアノやギターと歌だけとかなんですよ。その時点でもう良いか悪いかわかるし、メロディーとコード進行で何も感じられない曲をアレンジで何とかしようとしても無理が出てくるというか。だから、自分もその手法でやってみたいと思ってて、今回はメロディーとコードが仕上がるまでオケに手を付けないっていうのをルールとして決めてたんです」。