INTERVIEW

mabanua『Blurred』 表層的なトレンドに背を向けた才人が、自分だけの曖昧な美しさを描いたニュー・アルバム

mabanua『Blurred』 表層的なトレンドに背を向けた才人が、自分だけの曖昧な美しさを描いたニュー・アルバム

もう世界標準もトレンドも関係ない? 希代の才人がすべての楽器演奏と日本語詞の歌唱によって作り上げた自分だけの音世界、その曖昧な風景に浮かぶ美しさとは……

自分の中からしか出てこないもの

 「ジャズっぽいバンドの人って思われてたり、ヒップホップの人だと思われてたり、プロデュース仕事だけで知ってくれてるって人もいたと思うんですけど、そういう僕の活動の幅をみんなが認識しはじめてくれたのは、この5~6年で感じたことですね。だからこそホントは、その間に1、2枚はソロ・アルバムを出していたかったなって……思ったより空いちゃいましたね(笑)」。

 ドラマーとして、プロデューサーやソングライターとしての支持は言わずもがな。さまざまなユニット活動と並行し、Gotchをはじめとするライヴ・サポート、CM音楽や劇伴に至るまでマルチな活躍を繰り広げるmabanuaが、ソロ2作目『only the facts』(2012年)の評判とOvallの躍進をひとつの分岐点として、ここ数年で一気に認知の幅を広げたのは確かだろう。それゆえに6年ぶりのソロ作となるサード・アルバム『Blurred』は、リスナー各々が組み立ててきた多面的なmabanua観を立体的に結び付ける作品となるかもしれない。多様な露出による不在感のなさやOvallの復活もあり、近年はソロに向かう気分ではなかったのかと思いきや、やはり多忙とそれに伴う影響が6年というブランクの要因になっていたようだ。

mabanua Blurred origami(2018)

 「僕自身は常にソロ・モードではあったんですけど、そう思われてたってことは、たぶん〈やっちまったな〉ってことですね(笑)。例えば何かのツアーとツアーの間に〈あ、いまソロ作ろう〉ってなるんですけど、そうすると別の依頼をもらったりして、自分はソロのモードになってるんだけど取り掛かれないっていう状態がずっと続いてたんです。だから〈これはちょっと周りの仕事を一回オフにしないとダメだな〉って思って、わりと仕事量を減らせたのが、ここ2年ぐらいのことで」。

 そうして外部での仕事も抑えつつ、デモ作りのスタートからミックスを終えるまで約2年を費やした今回の『Blurred』だが、実は2年半ほど前にアルバム1枚を作っていたのだという。

 「その音源はもう全部消したんですけど、トレンドを意識しすぎたというか、プロデュースやサポートの仕事を多く経験するなかで培われてしまった、ちょっと流行を意識する部分が自然と出ちゃうようになってしまって、聴いてみたら自分の中で〈これ賞味期限が長くないな〉っていうのが明らかにわかったんですね。ここ何年かだと、例えばトラップが凄いじゃないですか。あとはクリス・デイヴのドラム云々とか、個人的にはもう飽き飽きしてるというか……最近の流行りのモノって、〈流行ってることをやってます!〉って感じで、昔より〈やってる感〉が強いな~と思ってて。自分がハタチぐらいならいいんですけど、30ちょいのオジサンがやってたら寒いだけだし、それなら自分が培ってきたものだけで作りたいと思って。昔から個人的に好きで聴いてたものとか、ファーストの『done already』出してからの10年ぐらいの仕事で養ってきた自分の手癖とか、そういうものだけで自由にふわって作ったのが今回のアルバムなんです。言い方を変えると、外との壁を作って、完全に自分の中からしか出てこないものだけに頼ったっていう感じですね。パッと聴きは〈これ、どういう作品なの?〉みたいな感じでも、長く聴くと何か良くなってきたみたいな、そういう作品を自分は作るべきなんじゃないかって思って」。

 浮遊感を帯びたメロウな聴き心地は前作同様ながら、今回は全編が日本語詞で、さらにはほぼ全曲を彼自身が歌うという大きな挑戦もあり。そんな変化も、邪念を排して素直に創作に向き合った結果なのだろう。

 「そうですね。奇を衒うこともないし、日本語で歌ったのも、いままでさんざん英語で歌ってきたんで、単純に今回は日本語でチャレンジしてみたいなっていう好奇心でした。あと、いまの自分にはメロディーとコードがいちばん重要な要素だなって思ってて、2年半前に捨てた音源まではオケを完成させてからメロを付ける順番だったんですけど、今回はまず最初にそのギターとか鍵盤でメロディーとコードを付けて、鼻歌で全部完成させた後で初めてビートを組むっていう作り方に変えたんです。Charaさんとか最近プロデュースした藤原さくらちゃんも、最初のデモはピアノやギターと歌だけとかなんですよ。その時点でもう良いか悪いかわかるし、メロディーとコード進行で何も感じられない曲をアレンジで何とかしようとしても無理が出てくるというか。だから、自分もその手法でやってみたいと思ってて、今回はメロディーとコードが仕上がるまでオケに手を付けないっていうのをルールとして決めてたんです」。

 

感情が伝わってくる瞬間

 フューチャー・ソウル、AOR、ディスコ、どう形容しても構わない楽曲ごとの起伏もなだらかに備えつつ、ヴォーカル優先という成り立ちもあってか、アルバム全体のチルなサウンド・デザインは幻想的な表題曲から一様な温度感で快く迫ってくる。

 「外仕事ではAメロ~Bメロ~サビみたいな構成で全部コード進行違うみたいな曲も作ったりするので、自分のソロでは逆にずっと循環で同じコードがループしてるものの素晴らしさを表現したくて。で、極力ビートの抜き差しとか、サビ前でちょっとフッて抜くような、一瞬だけコードが変わるみたいな、そういった部分でちょっとハッとさせるくらいにして、基本的に同じものが続いていくループ感のある作りっていうのは、もう昔っから同じですね」。

 小気味良いディスコ・ベースの“Fade Away”や“Tangled Up”、ロマンティックなAOR調の“Cold Breath”、明け方を駆けるシンセ・ウェイヴ“Scent”、闇を振り払って抜け出していくタイトな終曲“Imprint”に至るまで曲調はさまざま。なかでも異色なのは、Gotchに作詞を依頼した“Heartbreak at Dawn”で、これは大沢誉志幸“そして僕は途方に暮れる”あたりを連想させる80年代の薫りが興味深い。なお、アルバム制作に入る前から雛形があったのはその“Heartbreak at Dawn”と“Call on Me”の2曲だそう。もともとCharaに提供するつもりで書いていたという後者は、結果的にCharaが一人でリードを担うポップな佳曲に仕上がっている。

 「自分で歌う曲でもないなと思って、結局Charaさんしかいないってことになりました(笑)。Charaさんにも〈歌わないの?〉って言われたんですけど、自分が歌うとこの曲の世界が崩れてしまう感じがして。ゲスト・ヴォーカルはもう1曲、“Night Fog”でAchico(Ropes)さんに参加してもらいました。個人的にRopesが好きで、〈参加してほしいです〉ってずっと前から言ってたんです。そしたらGotch Bandで一緒になって、より仲が深まったので正式にお願いしました。Achicoさんがこういうジャジーなコード進行の曲で歌ったらどうなるんだろう?って」。

 詞のモチーフとしてどこか共通するのは、叶わなさや儚さ、人との距離や空白から生じるビターな味わいだ。

 「けっこう映画を観るのもあって、基本的に自分は主人公ではなくて第三者なんです。一人の男がいて、もしくは男と女の二人がいてっていう物語が多いかもしれない。結ばれないんですよ。それか、結ばれたんだけど、何かの理由で離れちゃったみたいな。そういうものが僕は好きなんでしょうね、たぶん(笑)。その曖昧な感じ、どっちつかずな感じが好きで。映画とかもハッピーで明るく元気みたいなものより、ネガティヴだか何だかわからないもののなかに、ちょっとした希望とか明るいものを自分で見つけられた時のほうが、喜びが大きいんですよね。そういうものをたぶん書きたいんだろうなと思います。あと、ハナレグミの(永積)タカシさんが〈mabanua君の曲を聴いてると何か風景が思い浮かぶんだよね〉って言ってくれたことがあって。いま住んでる群馬と東京を行き来してると、やっぱり景色を見ている時間が圧倒的に多いんですよ。実際に曲を作る時にイメージをしてたりもするので、そういう風景が先にあるのも自分のスタイルかもしれないです」。

 その意味では、〈ぼやけた〉〈曖昧な〉を意味する表題の〈Blurred〉こそが、今作の音と言葉が描く情景や心象に共通する象徴的なワードと言えるだろう。

 「歌詞で明確なストーリーを伝えたいわけではないので、映像的というか、連想するワードをストーリーがあるようなないような感じで並べたいっていうのが当初からあって。その表現手法自体が〈Blurred〉だとも言えるし、歌の主人公の気持ちもどっちとも取れる〈Blurred〉な書き方だし、意味はそんなになくて、各々が好きに連想してくれたらっていう意味での〈Blurred〉なんですよ。Charaさんはたぶんそういう書き方の代表格みたいな人で、僕の凄い好きなアルバムが『夜明けまえ』とか『マドリガル』なんですけど、何のことを歌ってるのかわかんないんだけど、耳に入ってくる言葉尻から何かがイメージできたり、ちょっとした部分から感情が伝わってくる瞬間が好きなんですよね。自分のアルバムにもそういう瞬間があったら嬉しいですね」。

 ドリーミーな音像が描く音風景に浸ってもいいし、繊細なリリシズムに心を寄せてもいい。曲単位で切り出せば各々のアレンジが耳を掴む一方、トータルの流れの滑らかな心地良さは先にも述べた通りだ。

 「そう言ってもらえると嬉しいですね。だから、どんな聴き方をされてもいいように作ってあるっていう感じです。最近はどうしてもパキッとしたものが良しとされる風潮があって、音楽でも〈これは○○をターゲットにしたこういうジャンルの曲で~〉とか、〈○○が注目してる○○〉とか、マーケティング的に境目のくっきりしたものが良いとされるんですけど……本当にそうなのかな?って。アーティスト同士もそうかもしれないですけど、リスナー同士も隔たりがありすぎる気がしてるし、モヤッとした良さみたいなのが認められないのもちょっと残念だなと思っていて。漠然としてたり、境目がぼんやりしてても、それはそれで美しいものなんじゃないかなって思います」。

mabanuaのソロ作品。

 

関連盤を紹介。

 

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