北欧へ帰国するバニラビーンズ、最後のインタヴュー

 バニラビーンズ――〈北欧の風にのってやってきた、清楚でイノセンスな雰囲気を持つオシャレ系ガールズ・ユニット〉をキャッチフレーズに、〈戦国時代〉が叫ばれる以前からサヴァイヴしてきた2人組アイドルが、その活動にピリオドを打つ。90年代の渋谷系サウンドを彷彿とさせるレトロ・モダンなポップ・フィーリングを出発点に、ユーモラスなキャラクターも光らせながら、変わりゆくシーンのなかで終始ピースフルな佇まいを貫いてきたレナとリサ。チャートを賑わせるようなヒットこそなかったものの名曲多し、アイドル・フェスに行けばいつも会えたりと、その存在は〈数字〉以上に認知されていたはず。他アイドルのファンからも親しまれ、あたりまえのようにそこにいた彼女たちだけに、お別れは寂しいところ……と切なさ募るところで、古巣のT-Paletteからラスト・シングル“going my way”をリリースした2人のラスト・インタヴューをお届けしましょう!

バニラビーンズ going my way T-Palette(2018)

 

――解散を前に、これまでの足跡を振り返る機会も多いかと思うんですが、T-Paletteの第1弾アイドルということで、やはりタワレコに絡んだ想い出も非常に多いんじゃないですか?

リサ「そう、〈レンタル移籍〉でやってきて、そのまま返されてないという(笑)」

レナ「T-Paletteの第1弾としてリリ−スしたシングル“天国への階段”がいきなり他人の曲(カヴァー)っていう(笑)。その後に出したアルバム『バニラビーンズII』の時には、bounceの表紙にしていただいて」

――そうでしたね。その後には東京女子流との対談があったり。

リサ「さらに思い返すと、“LOVE&HATE”(2009年)を出した時、渋谷店で衣装の展示をしたんですけど、私たちもショウケースに入って生のマネキンをやるっていう不思議なことをさせてもらったり(笑)」

レナ「私たちが初めて〈対バン〉をやったのも渋谷店のB1ステージで、サイプレス上野とロベルト吉野さんを呼んだんですけど、上野さんがパフォーマンスで楽屋にあったリサの水をステージで飲んだら、そのあと〈上野を刺す〉って予告がきて。私たちもまだアイドルとして認識されていました(笑)」

リサ「いまそんなことをやっても、誰も脅迫してこないですよ(笑)」

――結果的にはT-Paletteでのキャリアがいちばん長くなりましたね。アルバム3枚にシングルもたくさん。

レナ「バニビの黄金期だったと思います。担当のY野さんは、私たちにやってほしい曲のアイデアをたくさん出してくれて、でもけっこうスパルタで(笑)。“Night on the Earth”という曲の振付をステージで見て、〈オマエら全然揃ってないから練習しろ!〉って、すごく怒られたのを憶えてます」

――事務所のマネージャーさんが怒るっていうのはよくあることですけど。

リサ「でも、そういうことを言ってもらえてすごく助かった気がします。お尻を叩いてくれる人がそれまでいなかったから」

レナ「うん、良くも悪くもね」

――そもそもの話なんですが、ずっと〈アイドルになりたい!〉って思ってたレナさんからして、バニラビーンズは、それまでイメージしていたものとはかなり違うアイドルだったと思いますが。

レナ「そうですね、王道のアイドルはビンタ会(インストア・イヴェントでの特典会)とかしないですし、以前はアイドルとファンとの距離ってすごく遠かったと思うんですよね。TVの中の人=アイドルっていう。だから、自分もTVの中の人になるんだ!……って思ってたら、TVの中になんか全然いなくて(笑)」

――そんなバニビに〈しっくり〉ときたのはいつ頃ですか?

レナ「えー、〈しっくり〉っていうことではいまもしてないです。〈割り切った〉とは言えますけど(笑)」

――リサさんは、当初アイドルにはまったく興味がなくて、モデル志望。半ば騙された形でバニビに呼ばれたんですよね。

リサ「そう、私のメインはまだモデルだと思ってますから(笑)……って、11年騙され続けてるっていう。私もまだ世間慣れしてなかったので、〈はあ……〉みたいな感じで言われたことをやってたんですけど」

――〈しっくり〉きた時機はありました?

リサ「ここが、っていうタイミングは思い返せなくて、ただ、基本的には何でも楽しんでやるタイプなので、その積み重ねでここまでやってきたのかなって思います」

――まあ、結果的にはいいアイドル人生だったと(笑)。

リサ「そうですね、バニラビーンズで良かったです。そう、このあいだ、おぎやはぎさんのラジオに出た時に、〈夏〉ということで“Summer vacation”(『バニラビーンズII』収録)をかけたんですけど、〈すごくイイ曲だから漁りました〉っていうツイートがあったりとか、その他にもけっこう反響があったんですよ。『JUNK』(TBSラジオ)っていっぱい聴いてる人がいてパワーがすごいなと思ったし、このタイミングでバニビを知ってくれた人もいるんですよね」

――この際、解散を撤回しませんか(笑)?

一同「(笑)」

――さて、そろそろラスト・シングル“going my way”の話に行きたいのですが、このジャケットは、リサさんが入って最初のシングルとなった“ニコラ”のジャケットのオマージュですよね。“ニコラ”ではいまから降り立つところだったのが、今度はどこかに旅立っていくという。

レナ「帰国します」

リサ「北欧に……ってことになってます」

――これまでの想い出を抱きしめながら晴れやかに旅立っていくという歌詞……最後の最後に王道のアイドル路線を行くものになってます。

レナ「作詞は、いつもお世話になってる関谷謙太郎さんなんですけど、もともとUNDER THE COUNTERというバンドの方なんですね。バンドは5年ぐらい前に解散しちゃってるんですけど、そういう経験をしている関谷さんなら、バンドの時に書けなかった〈最後の思い〉を私たちの歌詞で表現できるんじゃないかって、お願いして。関谷さんからしたらすごく重責だったと思うんですけど、渾身の歌詞を書き上げてくださいました」

――一方のカップリング“ラストソング”ですけど、ここまで王道のバラードはバニビ史上初なんじゃないかと。

レナ「バニラビーンズのために書かれていたデモのストックを、誰が書いたとかも見ずに片っ端から聴いて、それで決めたのがこの曲です。こちらも、“going my way”と同じく大隅知宇さんの曲ですね。作詞をしてくださった田形美喜子さんはデビュー当時からお世話になっていて、2人のソロ曲なんかも書いてもらってます。田形さんは北海道に住んでるんですけど、〈こういう歌詞を歌いたいです〉っていうのを長文で送りました。ファンのみなさんへの感謝の気持ちを含めつつ、10月7日以降は私たちのステージを観ることはできないよ、サヨナラだよっていう現実をみんなに伝えたい。解散してもバニラビーンズの音楽はずっと生き続けるので、いつでも思い出してねって。〈解散〉っていう言葉もどうしようかって思ったんですよ。でも、潔く言ったほうが私たちらしい、だからこの曲もストレートに“ラストソング”。最後のワンマンのタイトルも〈adieu〉――ライヴの最後ではいつも言ってたけど、今度はホントのホントのお別れだよって」

――泣けてきますね、もう。

リサ「うーん、泣いてくれるかなあ、みんな」

バニラビーンズの参加作。