ロンドンを拠点に活動するプロデューサー、Anchorsongこと吉田雅昭が、サード・アルバム『Cohesion』をトゥルー・ソーツからリリースする。前作『Ceremonial』(2016年)では、彼のシグネチャーと言えるミニマルでありながらメロディアスな作風に、アフリカン・パーカッションのグルーヴを大胆に取り入れて高く評価された。そこから一転、今作で彼がフィーチャーしたのはインド音楽だ。
タブラやドーラクといったインド伝統楽器の、パーカッションでありながらメロディーを感じさせる独特の響きに魅せられて足を踏み入れたインド音楽の世界。なかでも70~80年代のボリウッドのサウンドトラックを渉猟するうちに彼が見出したのは、〈リズムとメロディーの境界線が曖昧な音楽〉というコンセプトだ。このように、インド音楽のエッセンスを独自に解釈し、みずからのヴォキャブラリーに血肉化することで今作は生まれた。その成果は、ダンサブルなエレクトロニック・ミュージックでありながら、パーカッションからメロディーまでさまざまなサウンドが有機的に絡み合うユニークな手触りが心地よい、サイケデリックでヒプノティックな一作として結実した。
今回のインタヴューでは、インド音楽への傾倒から、今作を生み出した制作の具体的なプロセス、そして異文化に対するアティテュードまでを聞くことができた。吉田を惹きつけたインド音楽の魅力とは何か。MPC2500とキーボードのみを駆使する特異なライヴ・パフォーマンスでも知られる彼の創作の〈芯〉はどこにあるのか。ロンドンに暮らす日本人として、どのように異文化を自身のなかに取り入れていくのか。『Cohesion』の軽やかでポップなサイケデリアの向こうにひそむ彼の美学を辿ってみよう。
ボリウッドのサウンドトラックは、さまざまな要素が渾然一体とした音楽
――本作『Cohesion』は、アフリカ音楽を参照していた前作から一転、インド音楽をフィーチャーした作品になっています。前作リリース時のインタヴューでは、オーケストラ・ポリリズモ・デ・コトノーのレコードとの出会いがアフリカ音楽に興味を抱くきっかけになったとおっしゃっていましたが、今作でインド音楽を取り上げるに至ったきっかけを教えてください。
「前のアルバムを作ってから、パーカッションに対する興味がより深まって、いろんな非西洋の音楽を掘り出し、その過程でインドの音楽を聴くようになりました。最初はもうちょっと古典寄りの、ラヴィ・シャンカールなどの音楽から入って、掘り下げていくうちにいちばんピンときたのがボリウッドの音楽でした。
具体的な一枚があるわけではないのですが、例えばファインダーズ・キーパーズっていう主にリイシューをやっているレーベルがあって、そこが出しているボリウッド映画のコンピレーションのなかに『Bollywood Bloodbath』(2011年)っていうボリウッドのホラー映画の曲を集めたものがあるんです。このコンピレーションは、特に自分好みの曲がたくさん入っているという意味で、今作の影響源を紐解くうえで参考になる一枚かもしれないですね」
――インド音楽のなかでも、伝統音楽よりもそうした現代のインド音楽に魅力を感じた理由は何でしょうか?
「インドの古典音楽も僕にとっては新鮮なものだったし、聴いていておもしろいんですけれど、必ずしも自分がやっている音楽と直接結び付くものではなかったんです。〈自分が音楽を作るうえで使えるかどうか〉みたいな視点で音楽を聴いているわけではないものの、ラヴィ・シャンカールとかを聴いている時点では、今作のような作品を作ろうとは考えなかったんです。ボリウッドの音楽に行き当たって、〈これならもしかしたら自分の作品に反映できるかもしれない〉と思いました。
ボリウッドの音楽は、インドのタブラとかシタールとかそういう楽器を使ってはいるんですけれど、西洋の音楽を大胆に取り入れていて、サイケデリックなギターが入っていたりする。ダンサブルだけどサイケデリックな、ひねくれたポップスの曲が多いんです。僕自身、やっぱりポップスやロックを聴いて育った身なので、ガチガチの古典音楽というよりは、そういう音楽のほうが馴染みがあったということはあったと思います。
ボリウッドのサウンドトラックは、ある意味では似た曲ばかりということもできるんですけれど、とにかく唯一無二だと思っていて、ポップなんだけどダンサブルでパーカッシヴ、さまざまな要素が渾然一体とした音楽という印象があるんですね。ただ、時代を追って聴いていくと、80年代の末から個人的に興味が持てない曲が増えてきました。自分の好みが70年代の後半から80年代の前半だとわかったので、以降はその年代を中心的に掘りましたね」