17年前のデビューからコンスタントにヒット・アルバムを発表し、着実にキャリアを積んできたアヴリル・ラヴィーン。ここにきて病気で活動休止を余儀なくされたお馴染みのカナダ人シンガー・ソングライターは、5年ぶりの新作『ヘッド・アバーヴ・ウォーター』でリセットボタンを押し、説得力と情熱と解放感を漲らせてカムバックを果たした。

アヴリル・ラヴィーンの6枚目のアルバム『ヘッド・アバーヴ・ウォーター』がこれまでの彼女の作品とは趣を異にしていることは、ジャケットを一瞥すれば予測できるだろう。元からやたら微笑んだり、こちらに媚びを売るような表情を見せる人ではなかったが、それにしても今回は初のモノクロ写真。毅然とこちらを見つめる、セクシーというより凄みのあるポートレイトを用いて、ファンを驚かせた。

AVRIL LAVIGNE Head Above Water BMG Rights/ソニー(2019)

では、これをどう解釈するべきなのか? ここに収められた12の曲を聴き、かつてない迫力を湛えた歌声と無防備な言葉、それらのインパクトを強調するシンプルでオーガニックなプロダクションを耳にした上での結論はこうだ。17歳の若さでデビューした時に印象付けた、小生意気だけど可愛いティーンエイジャーのイメージがいつまでも消えないアヴリルも、現在34歳。2度の離婚を経て恋愛のアップダウンを体験し、業界の荒波にもまれ、さらに、難病に罹って生死の境を彷徨った末に音楽活動を再開したいま、もはや何も隠したり取り繕ったりしたくない、歌いたいことを好きなように歌いたいという意思を示しているのではないかと思う。

そう、前作『アヴリル・ラヴィーン』を13年に発表してツアーを始めた彼女は、その道中で体調を崩して一切の活動を休止。ライム病と診断されて2年をベッドの中で過ごし、闘病生活の最中で綴った表題曲が、本作の出発点になったという。アルバムの冒頭に配置された“ヘッド・アバーヴ・ウォーター”は、恐らく一番辛かった時の気持ちを吐露した、荘厳でスピリチャルなバラードだ。が、この曲は全編のトーンを象徴するものでは決してなく、体調が回復してから本格的に曲作りに取り組んだアヴリルは、幅広い題材を多様なスタイルのサウンドに乗せて、本作を形作っている。

気になるプロデューサーや共作者は、大半が初顔合わせ。同じカナダ出身のジョン・レヴィーンやヨハン・カールソンといったポップ畑の売れっ子に加え、クラシック出身のステファン・モッキオに表題曲を委ねたり、同様に重量感のある“アイ・フェル・イン・ラヴ・ウィズ・ザ・デヴィル”をヘヴィ・ロック畑のクリス・ベイスフォードと録音するなど、曲ごとに具体的な方向性を踏まえて人選を行なったことが窺える。また、デビュー作『レット・ゴー』(02年)で多数の曲を共作したローレン・クリスティの名前があることも、特筆するべき点だ。キャリアで初めて一旦立ち止まる機会を得たアヴリルは、新人の時の自分を知るローレンと組むことで、初心に回帰しようと試みたのだろうか? 実際“イット・ワズ・イン・ミー”などは、02年に大ヒットさせたシングル“アイム・ウィズ・ユー”を想起させるポップ・ロックに仕上げられ、〈ずっと探していたものは最初から自分の中にあった〉という歌詞にも納得が行く。

ほかにも、アップビートでファンキーな“ダム・ブロンド”では音楽業界で経験した性差別を取り上げ、子供時代に親しんだカントリーの匂いを含む“スーヴェニア”では別れの風景を繊細に描き、アコギの弾き語りで披露する“ゴッデス”では自分を輝かせてくれる恋愛を讃え、ソウルやドゥーワップの影響を含むレトロ志向で新境地を拓いた“テル・ミー・イッツ・オーヴァー”では、逆に、自分にとってマイナスな関係を断ち切ろうとしている彼女。病気に限らず、〈自分を束縛し成長を阻む全てのもの〉からの解放が、メイン・テーマとして浮上する。

それゆえにラストを飾る“ウォリアー”は、表題曲と同じく闘病生活中に生まれた、不屈の闘士に自分を準える曲でありながら、ここではより広い意味を帯びている。ジャケットのアヴリルも、〈私は屈しない〉と訴えかけているように感じられてならない。