通勤電車の中で1曲目の“プレリュード”を聴きはじめたところで、涙が止まらなかった……。

スクウェア・エニックスの超人気RPGシリーズ――という説明も不要かと思われるが――「ファイナルファンタジー」のサウンドトラック作品の数々が、一挙SpotifyやApple Musicなどのストリーミング・サーヴィスで聴けるようになった。その数、なんとアルバム46作分。このニュースはアメリカの大手メディア〈The A.V. Club〉や〈Pitchfork〉も取り上げており、海外での注目度の高さが強く伝わってくる。

〈Pitchfork〉は短いニュース記事のなかで、特に「ファイナルファンタジーVII」(97年)のサウンドトラックをシリーズの代表作であるかのように扱っている。それを見て、彼らが2015年に発表した〈ゲーム音楽のベスト・アンビエント・トラック〉という特集を思い出した。その記事では“雪に閉ざされて”という楽曲が選ばれている。植松伸夫が書く、美しく力強いメロディーに彩られた名曲の数々が詰め込まれた「FFVII」のサウンドトラックのなかで、これはかなり地味な曲だ。が、〈アンビエント〉というフィルターを通して聴くと、このミニマルでささやかな楽曲は確かに素晴らしい。見方を変えると、聴こえ方も変わってくることにハッとした。

いまでは熱心にゲームをやることはなくなってしまったが、「FFVII」は自分の生涯におけるベスト・ゲームだと言い切れる。もっと言ってしまえば、僕は「FFVII」から人生における大事なことをたくさん学んだ。そのダークでディストピア的な世界観、胸を打つ壮大で悲痛な物語、原発問題や地球環境問題を先取りした設定などは本当に斬新で、いまの10代、20代の若者たちがプレイしてもきっとおもしろいものになっていると思う。だからこそ、その作品としての強度ゆえに、リリースから20年超が経ったいままた大掛かりなリメイクの計画が進行しているのだろう(そしてそのリメイクにも海外から注目が集まっている)。

そんな「FFVII」のサウンドトラックは、いち音楽ファンである自分にとって忘れがたい一作だ。元はCD 4枚組、全85曲の超大作。それでも一曲一曲、どの場面でかかっていたかをすぐさま思い出すことができる。植松の音楽は物語や世界観と分かちがたく一体になっているのだ。優美な曲、コミカルな曲、シンフォニックな曲、勇壮な曲、不穏な曲、痛切な曲……全曲が名曲。あまりにも、あまりにも素晴らしいマスターピースだと思う。

なかでも僕が好きで何度も繰り返し聴いているのは、“不安な心”と“エアリスのテーマ”の2曲。“不安な心”は、ダークな響きを聴かせる厚いストリングスの導入から一転、突然透き通った音色のエレピが切なく美しいメロディーを奏でるところがたまらなく好きだ。一曲のなかで複数のシーンや感情を表現している、植松らしい楽曲だと思う。他方、“エアリスのテーマ”は「FFVII」ファンの多くが名曲だと言うであろうもので、ピアノが繊細でフラジャイルなメロディーを単音で奏でるイントロダクションから、もう本当に泣けて泣けて仕方がない。痛ましくトラウマ的な、「FFVII」を決定づける〈あのシーン〉の記憶と切っても切れない曲だ。

上で“雪に閉ざされて”がミニマルなアンビエント・トラックとして聴けることは書いたが、ミニマルという観点から考えるなら、“クレイジーモーターサイクル”や“J-E-N-O-V-A”といった楽曲は、いままた聴き返す価値があるだろう。“雪に閉ざされて”ほどのミニマルさではなく、展開もあるものの、短いフレーズのシーケンスが反復されるソリッドさには目を見張るものがある。

ミニマルやアンビエントだけではない。『FINAL FANTASY VII ORIGINAL SOUNDTRACK』に収めれている楽曲の数々は実にその音楽性が幅広く、豊かだ。ヘヴィメタル、プログレッシヴ・ロック、カントリー、サーフ・ロック、ボサノヴァ、ジャズ、クラシック、インダストリアル、エレクトロニック、現代音楽……。植松の持ちうる限りの音楽的語彙のほとんどすべてが、惜しげもなく開陳されているかのように感じられる。一人の音楽家がこれほどまでのものを作り上げられるのだろうか? まさにエンサイクロペディア的というか、植松の音楽家としての巨大さ、偉大さに改めて身震いがする。

ストリーミング全盛時代、聴かなければいけない音楽、聴きたい音楽はたくさんある。日々新曲はリリースされるし、毎週金曜日にはアルバムが山のように発表される。それでも僕はあと少し、このあまりにも90年代的な、ノスタルジックなデジタル・サウンドに彩られた美しくも物悲しいメロディーたちに身を委ねていたい。