©Naoki hashimoto

1984年『たまらなく、アーベイン』で取り上げられた『As The Time Flies』。35年の時を経て実現したAORスペシャル対談

 70年代中盤から80年代前半にかけて、一大ブームを巻き起こした「AOR」。一般的には「アダルト・オリエンテッド・ロック」の略称で、「都会的で洗練された大人のロック」「ジャズやフュージョンの要素も盛り込んだ、おしゃれでロマンチックなロック」を指すと言われます。ただ、本国U.Sの「AOR」はちょっと意味が違うらしく、アルバム全体を通して曲の流れを楽しむ「アルバム・オリエンテッド・ロック」だったり、日本のAORはむしろ、AC(アダルト・コンテンポラリー)に近かったりするらしい、とも言われています。

 そんな「AOR」がここへ来て再評価され、名盤と言われた作品が次々と復刻リリースされたり、CDショップでも大々的に「AORコーナー」が設けられているのを目にすることが多くなってきました。

 なぜ今「AOR」なのか。名著『たまらなく、アーベイン』やラジオ番組『たまらなく、AOR』で、日本のAOR人気を牽引してこられた田中康夫さんと、ブーム全盛の78年にリリースした『As The Time Flies』が今なお根強い人気を誇る、来日中のフランク・ウェバーさんをお迎えして、再隆盛を迎えたAORについて、語っていただきました。

 

——5000枚ものレコードを持っておられるという田中さんですが、『たまらなく、アーベイン』では、取り上げられた100作品のひとつにフランクさんのレコードを選ばれていますね。

田中 レコード自体は実際7000枚ぐらいあるんじゃないですかね。その分CDとなると150枚ぐらいしか持ってないですけど。フランクさんを取り上げた理由は、とても明確でシンプル。心が安まる、心地よい音楽だったからです。渋谷にタワーレコードが出来る前は、何軒かの小さな輸入レコード屋に足を運んでいたので、そこで見つけたんだと思う。音楽っていうのは、「イデオロギー」という主義主張ではないんですよ。批評家の多くは、「このアーチストはこんなメッセージを伝えている」という言い方をする。でも我々はメロディも聴いているし、どんなに英語が堪能なバイリンガルでも、微妙な言い回しまではわからないはず。音楽こそ、すべての五感で、取り分け「勘性」と僕が呼ぶ肌触りで味わうもの。「AIの時代」というけど、AIに出来なくて人間に出来ること、それは「悟る」ということなんですね。単に「感じる」ではなく「悟る」ということ。こんな時に、こんな音楽が流れてきたら、自分がより研ぎ澄まされて、心が落ち着くんじゃないか。その時々のいろんなシチュエーションの中で、自分の気持ちをほんの少しだけ広げてくれる。それが音楽だと思います。

——音楽というのは、聴き手がそれぞれの思いや、その時々の場面に合わせて寄り添ってくれるもので、メッセージを押し付けるものではない、ということですね。

田中 僕が自伝『ムーンウォーク』の翻訳を担当したマイケル・ジャクソンのように、創造的なアーティストは、世の中に対する鋭い捉え方や考え方を作品の中に含ませています。けれども、それをどのように受け取るかは私たち一人ひとりの問題です。この曲にはこういうメッセージがあるんだ、こういうプロテスト力があるんだ、とライナーノーツで批評家が押し付ける筋合いのものではないでしょ。メロディを聴いて、そこから我々なりにいろいろと想像していくわけです。だから「AORとはこうである」なんて簡単に定義づけられるものじゃないよね。それぞれのアーティストが感じていたこと、そこには世間に対しての気持ちもあれば、恋人に対しての気持ちもある。しかも、それを声高に語るのではなく、極めて自分の等身大として語っている音楽。70年代後半ぐらいから出てきたこうした音楽が「AOR」、アダルト・オリエンテッド・ロックと言う名前でくくられるようになっていったのだと思います。そうしてAORとロックやジャズの間には明確な壁があるわけじゃない。一言でいえばディーセント(慎み深い誇りをもった)な、そしてマチュアード(成熟した、落ち着きのある)な音楽ならば立ち位置を超えて理解し合える。その代表的な一人がフランク・ウェバーさんというわけです。

フランク それはどうもありがとうございます。AORという呼び方自体、日本ではなにか勘違いされているのかな、とも思います。たぶん、アメリカのソフト・ロックのことかなとも思うんですが、ちょっとセンチメンタル過ぎる気がするし、表面的な音楽だと思われている気もします。音楽を聴くということは、人間と人間の出逢いだったり、人それぞれの経験値から、感情的につながっていく、という経験だと思うんです。

田中 確かにね。1日の終わりに気持をクールダウンさせてくれる「クワイエット・ストーム」な音楽は、ジャズやR&Bに留まらず、むしろAORにこそお似合いなネーミングです。それにAORって、ロックやジャズの批評家からすれば、人間性が希薄な人の音楽である、なんて思われてる気がする。実はAORこそが最も人間性豊かなものなのにね。しかも日本では「アダルト」って単語を使うとセクシャルなビデオを連想されてしまうし(爆笑)。

フランク もともとフォークからスタートして、70年代はそこから突出したソングライターたちが、自由にいろいろな曲を書くようになってきて、花咲いた時代といえるでしょうね。今の社会はアメリカでも情報過多で、自分の直感を信じる機会が凄く減っているのを感じます。人間の心と心の接点が、そこにスマートフォンをはさまないと出来ない。それは社会にとっての大きな損失だと思います。人間には本来、本能というものが備わっているはずですが、社会の影響を受けすぎてしまうと、それが出てこなくなる。僕たちミュージシャンも、自分の本能から出てくるものを相手に伝えることができていれば、自分の進化を楽しみながらやっていけたとは思うんです。残念なことに80年代に入ると、そこにビジネスとして音楽業界が入ってきてしまって、結局はアーティストの自由な進化を阻害する存在になってしまった。

——フランクさんご自身も、リアルタイムでその流れを経験されたんですね。

フランク 僕の場合は、80年の2ndアルバム『Frank Weber』を出して以降が当てはまるかな。(1stアルバム『As The Time Flies』のジャケット表面を指さして)ほら、ここに描かれてる僕は笑顔が見えるでしょう? こっち(2ndアルバムのジャケット裏面、ピアノを弾いているモノクロ写真を指さして)では後ろを向いてしまってる(苦笑)。この2ndアルバムが出た80年というのは、シンガーソングライターのジェネレーションが終わった年だと言われているんです。80年代というのは、レコードカンパニーから大きなプレッシャーを受けた時代で、音楽も変わっていってしまった。

田中 その頃、高度経済成長が一段落した日本は高度消費社会の時代へと移っていく。大学生の僕が「なんとなく、クリスタル」を書いたのもちょうど80年ですが、それは、「モノ」という目に見えるvisibleな数字や物質だけを見ていた日本人が、インビジブルinvisibleな我々の深層心理に思いを馳せるようになった転換期でもあるんですね。

——大事なのは、想像力を働かせる、ということでしょうか。

田中 僕の学生時代、輸入盤はビニールでシールドされていて、店主が封を切って掛けてくれる売れ筋のアルバム以外は、今と違って試聴ができなかった。知らないアーティストのジャケットに出会うと、想像力を駆使するわけです。このジャケ写の雰囲気は凄くいいぞ。裏面に記されている楽曲の作詞作曲はすべてフランク・ウェバー、知らないぞ! でも、リチャード・ティーやウィル・リーの名前があるからフュージョン寄りかな? ムムッ、スティーヴ・ガッドやジョン・トロペイまで参加してる! これは相当に期待な新人! 明日の昼飯を抜いてでも買わなくちゃとなるわけですよ(笑)。ネットでも試聴できる今は中身が見えているビン詰め。でも中身を聴けないカン詰めだった時代の方が出会う喜びは大きかったりして。

——ジャケットカバーを見たときから、アルバムとのお付き合いは始まっている、と。

田中 人間関係と同じで、コミュニケーションをとってみて、失敗を重ねて、合う合わないも含めていろんなことがわかっていく、そんな感覚ですね。フランクさんの音楽の印象はと言えば、それはとても知的だということ。とても慎み深いディーセントな知性なんです。日本では2ndアルバムに『ニューヨークのストレンジャー』ってタイトルが付けられた。ビリー・ジョエルを連想させるつもりだったんだね。これっていかに音楽業界の人はセンスがないかという話(涙)。フランクさんの音色は、お金が全てなウォールストリートのニューヨークじゃない。摩天楼の街の豊かさと哀しみ、そうした心の機微がわかる人たちのニューヨークなんです。

フランク (ビリー・ジョエルとは)そもそも全然関係ありませんしね(笑)。僕はアルバムの曲を書いたときは、それが後々に売り出されるなんて考えてもいなかったんです。ジョニ・ミッチェルの曲にあるんですが、彼女の恋人がミュージシャンで、売れて世にどんどん出ていく人生をチョイスしていって、そんな彼の姿を見ながら彼女は昔を振り返るんです。こういう時代があったわよね、自分で一生懸命ギターを練習して、足の指先まで思いが伝わっていた頃が、確かにあったわよね、と。自分自身もまさにそうで、コマーシャルの流れに乗ろうと思って作ったわけじゃない、ただひたすらにピアノに向き合った中で、結果として生まれたものばかりなんですよ。

田中 だからこそ、社会の「表層」だけではない人間の「真実」があるんです。歴史を振り返ってみれば、下一桁が「9」の年には必ず大きな動き、出来事がありました。79年には米中が国交を結び、89年にはベルリンの壁が壊れ、99年にはユーロの導入、10年前にはアイスランドでLGBTの首相が誕生し、日本では30年前に平成が始まり、今年は譲位が行われた。そして何よりもフランクさんと僕が語り合えた! 今まさに再隆盛を迎えているAOR! ネットからダウンロードで済ませずに、ぜひCDやレコードという「リアル」を手に取って、想像力を 働かせながら聴いてみてほしいですね。それぞれの人にピッタリなディーセントな音楽に、きっと辿り着けるはずですから。

 


フランク・ウェバー(Frank Weber)
1951年生まれ。アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のピアニスト、シンガーソングライター、コンポーザー。モントクレア州立大学にてピアノ/作曲を専攻。その後ニューヨーク大学にて作曲のプライベートレッスンを受けるのと同時に、レニー・トリスターノから個人レッスンを受ける。現在NY北部ハドソンヴァレー地区に在住。
http://frankwebermusic.jp/

 


田中康夫(Yasuo Tanaka)
1956年、東京生まれ。一橋大学法学部在学中に処女作 『なんとなく、クリスタル』で文藝賞。長野県知事、国会議員を歴任。主著に『33年後のなんとなく、クリスタル』、訳書にマイケルジャクソン自伝『ムーンウォーク』(いずれも河出書房新社刊)FMヨコハマで自身が選曲 &お喋りを務める『たまらなく、AOR』(火曜深夜24時)は4年目に。
http://tanakayasuo.me