サニーデイ・サービスと曽我部恵一にとって、2018年は間違いなく激動の年だった。
バンドは1年の間にアルバム『the CITY』、ライヴ・アルバム『DANCE TO THE POPCORN CITY』、リミックス・アルバム『the SEA』、ベスト・アルバム『サニーデイ・サービス BEST 1995-2018』、シングル“Christmas of Love”をリリース。曽我部はソロで『「止められるか、俺たちを」オリジナル・サウンド・トラック』『ヘブン』『There is no place like Tokyo today!』の3作を矢継ぎ早に発表している。
作品の数だけではない。実験的かつ中心的なテーマを聴き取りがたい、謎めいた『the CITY』や、曽我部が初めてアルバム一作を通してラップに取り組んだ『ヘブン』が象徴するように、音楽の質的な変化と飽くなき挑戦も〈サニーデイ/曽我部の2018年〉を特別なものにしていた。
それ以上に語らなければいけないのは、ドラマー・丸山晴茂の死、という避けがたい事実だろう。95年から活動を共にする友の死はサニーデイというバンドの形を不可逆的に、永久に変えてしまった。
2018年、曽我部恵一は何を感じ、何を考えていたのか? それぞれの作品はどのようにして生まれたのか? そして、サニーデイ・サービスというバンドはこれからどこへ向かうのか? 曽我部はその逡巡すらも直截に明かす。
『the CITY』は誰もちゃんと把握できてない
――サニーデイのアルバム『the CITY』は、2018年3月14日にリリースされました。発表から1年以上経ちますが、いまだに複雑な作品だと感じます。
「そうですね。前作(2017年作『Popcorn Ballads』)からの流れもありますが、リスナーにとっては捉えにくい作品だと思いますし、それは自分たちとしてもそう。
というのも、『DANCE TO YOU』(2016年)で完成した世界観を崩したいという気持ちがあったから。『DANCE TO YOU』は曲数を絞っているけど、『Popcorn Ballads』は逆に雑多で、ゴチャゴチャしていてよくわからない。それをさらに推し進めたのが『the CITY』だったんです」
――どんな反応がありました?
「もちろんおもしろがってくれる人はいるんだけど、サニーデイ・サービスのファンにはそんなに届いてない気もする。ファンもちゃんと把握できてないと思うし、僕らもよくわかっていない。
(『the CITY』は)『DANCE TO YOU』以降の混沌のなかにいることの記録って感じなんです。去年は(4月28日に)『DANCE TO THE POPCORN CITY』というライヴ盤も出したんですけど、そこには『DANCE TO YOU』以降の3作の曲をやったライヴを収めています。
けど、もちろんそうじゃなくて、古い曲をやるライヴもあるんだよね。サニーデイには晴茂くんがいたときの形があって、それは大事なものとしてあるんです。そのバランスをどう取っていいのか……別にバランスを取らなくてもいいんだけどね。
僕らが大切にしている昔のことも、『DANCE TO YOU』以降も、全部まとめて記録したかったのが『the CITY』。だから、(ファンは)〈どっちなの?〉って感じると思う。昔ながらのサニーデイみたいな曲もあるし、オートチューンを使った曲もある……〈これはなんだろう?〉って。まあ、コンピレーションだよね。練って作り上げたアルバムではないんです」
丸山晴茂の死を経て作った未発表作の存在
――リリース・ペースの早さやインターヴァルの短さは意識されていたんですか?
「あんまり意識はしてないんですけど、ただ自分が思うように動いていたら、そういう流れになったんです」
――それはアイデアが形になるまでの時間が短いということ? それとも計画的なものがあった?
「いや、計画性はまったくないよ(笑)。いろいろなものを並行して作っているからね。実は、夏あたりはずっとサニーデイのアルバムを作ってたんです。『the CITY』の次の作品を。(5月に)晴茂くんが亡くなって……それもあったから、サニーデイとしての作品を作りたいなって思って。
でも、そこからは(11月28日にシングルとしてリリースした)“Christmas of Love”だけが残った。11、12曲出来ていて、ミックスダウンまでしたんだけど、出さなかった」
――どんな作品だったんでしょう?
「ちょっとさびしいやつかな。悲しい感じの」
――それは丸山さんが亡くなったことと関係している?
「うん。それもある。僕はすごくいいアルバムになったと思ったし、スタッフのみんなも〈いい〉って言ってくれたんだけど、さびしさや悲しさが強く出すぎていて、リリースすることに前向きになれなくて。だから、完全にお蔵入りになりました。“Christmas of Love”は、その悲しさからちょっと前に出ようとする何かがある曲なんです。
そのなかにツボイくん(illicit tsuboi)がミックスしてくれたラップの曲が2曲入っていて、それがいい出来なんだよね。それからラップの曲をいっぱい書きはじめて」
――それが12月リリースのラップ・アルバム『ヘブン』に繋がった?
「そう! ツボイくんがミックスしてくれた2曲は、次のアルバムに入ると思う。習作という感じも残っていて、たどたどしくて、いっぱいいっぱいな感じ――そういうところも含めて、いま聴き直してみると逆にいいんだけどね。それから練習して、ちゃんとラップのレコードを作りたいなと思いはじめたんです」
曽我部恵一は保守的になった?
――少し話を戻して、時系列順にお伺いします。5月7日にスタートしたのが、『the CITY』のリミックス企画〈the SEA〉。1曲目の“FUCK YOU音頭”は衝撃的でした。
「『the CITY』を作る段階で、〈雑多なアルバムだから、全曲ひとに頼んでリミックスしてもらったらいいんじゃないか?〉って思ったんです。でも、ここまで出来ているからいったんはそのまま出そうとなって。
だから、いろんな人がリミックスしたアルバムを出そうという計画はもともとあったんです。それを作っていくなかで“ラブソング 2”を音頭にして、トラップっぽいキックを入れて、さらにオートチューンを使って――爆笑しながらそんなことをやっていたんですよ。
そう考えると、2018年にやったことはもう全部できないな~。いまは超保守ですから。絶対やらない」
――(笑)。音楽家として保守的になったということですか?
「いや、人間としてね。“FUCK YOU音頭”なんて絶対なしかもね。友だちがやろうとしても止める(笑)」
――そのときはどうして発表できたんですか?
「わかんない(笑)」
――“FUCK YOU音頭”はプロテスト・ソングなので、政治や社会に対する怒りがあったのでは?
「怒ってはいないんです。でも、ちょうど籠池(泰典)さんの問題があった頃だし、日本の状況に対して問題意識があったとは思う。
僕らが生きている社会のなかで、ああいう政治のお金絡みの問題が普通に起きて、何事もなかったかのように流れていくのはすごくイヤだと思っているし、自分たちが生きたい、生きやすい、楽しい、楽な社会を目指すべきだっていうことは常に思っていますよ。自分のわがままが通る世界になったらいい。
(“FUCK YOU音頭”は)それをふざけて出してみるっていう。みんな真面目にやるからさ。テリー(・ジョンスン)さんも賛同してくれて、ああいうジャケットを描いてくれた。僕としてはあの曲は、怒りを投げてダンス・ミュージックに変えてみたってことだと思っているんだけど」
踊るときの気持ちがいちばん大事
――“FUCK YOU音頭”は小田島等さんが監督したビデオも含め、ユーモアが大きな要素としてありますよね。ノヴェルティー感もあり、大瀧詠一の“ナイアガラ音頭”(76年)を思い出しました。
「ぜったい参考にしてます。あれは大瀧さんがディスコをやった数少ない曲じゃないですか。ダンス・ミュージックをやりたかったんです。ダンス・ミュージックってただ踊れたらいいってわけではなくて、踊るときの気持ちがいちばん大事だと思う。怒りながら踊るとか、泣きながら踊るとか、そこだけだと僕は思うんですよね。
思い出野郎(Aチーム)はダンス・ミュージックとして好き。感情がある、生活のなかの歌だからさ。僕は、山下達郎さんがトロピカルな南の島のことを歌っているのもいいんだけど、明日のバイトについて歌われているほうが、気持ちがアガる。別にどっちが偉いとかじゃなくて、フロアで踊っちゃうのはそっちかも」
――〈the SEA〉に話を戻しますと、数曲ずつプレイリストに追加されていたのが、6月25日に18曲が揃い、アルバムとして完成しました。
「あの作品がどうだったかということを言うには、まだ自分のなかで対象化ができていないのかもしれない。どれも素晴らしいんですよ。みんな大好きなアーティストだし、丁寧にやってくれてありがたいなって。みんなが自分の拙い音楽をすごく丁寧に作り直してくれていて、うれしかったんです。だから、〈ありがとうございました〉って、みんなに讃岐うどんを送ったりしてね(笑)。
僕が死んだら、火葬のときに『the SEA』を入れてほしいですね。ビニールがドロドロになって遺骨にこびりついたりしてね(笑)」