80年代、シティ・ポップとシンセ・ポップを横断する独特の音世界を作り上げ、〈シンセの歌姫〉と謳われた山口美央子。作曲家としても知られる彼女の作品は、2010年代後半にYouTubeなどを経由して国内外で再び注目を集める――。

そんな山口が2018年12月、実に36年ぶりの新作『トキサカシマ』を発表した。さらに間を置かず、セルフ・カヴァー・アルバム『FLOMA』をリリース。これを機に、〈なぜいま山口美央子の音楽に光が当たっているのか?〉を、ディレクター/ライターの柴崎祐二が現在の視点から解き明かした。 *Mikiki編集部

 

類まれなシンガー・ソングライター/作曲家、山口美央子

この一年ほどで〈山口美央子〉というアーティストの名を様々な場面で目にし耳にする機会が増えていることに、ヴェテラン音楽ファンに限らず多くの若年リスナーもお気づきだろう。

1980年、弱冠21歳にしてアルバム『夢飛行』でデビュー、以来『NIRVANA』(81年)、『月姫』(83年)とリリースを重ねていった彼女は、高度なセンス/技術が注入された自作曲と、YMOのブレイクを経て急速に人気を獲得しつつあったテクノ・ポップ・サウンドを下敷きにしつつ、自覚的に和テイストを取り入れた類まれなサウンドで、活動当時から重要かつ稀有な女性シンガー・ソングライターとして高く評価されてきた。

その後自演活動からは退くが、斉藤由貴、今井美樹、CoCo、稲垣潤一、郷ひろみ、原田知世、光GENJI、奥菜恵、ともさかりえ、渡辺満里奈、鈴木雅之、John-Hoon、田村ゆかり他、たくさんの歌い手に楽曲を提供する作曲家として充実の活動を行い、数多くの名曲を80年代後半から生み出し続けてきた。

山口美央子の提供曲を集めたオフィシャル・プレイリスト〈Composed Works by Mioko Yamaguchi〉

 

リイシューと新作発表、ライヴ活動再開で完全復活へ

ここしばらくは公の音楽活動から遠ざかっていた彼女だが、昨今再びこの伝説のSSWとその偉大な仕事への注目度がぐんぐんと高まり、ついには昨年、前述のオリジナル・アルバム3枚が再発売されるというエポックメイキングな出来事が起こったのだった。また、その余勢を駆るように、今年始めにはなんと『月姫』から36年ぶりとなる新作アルバム『トキサカシマ』をリリースし、にわかにライヴ活動も再開するなど、山口美央子完全復活を多くのファンに知らしめた。

そしていよいよこの7月には、湧き出る創作意欲の充実を物語るように、前作からわずか数か月で最新作『FLOMA』がリリースされた。過去に発表された自身の楽曲や提供曲を現在の視点/技法でリアレンジしたセルフ・カヴァー集となった本作の発表に臨んで、改めて山口美央子という稀代の才能とその作品の魅力、そして、なぜいま彼女の活動に熱い注目が集まっているのかを紐解いてみよう。

山口美央子 FLOMA pinewaves(2019)

2010年代、山口美央子の音楽はなぜ再評価された?

このところ、〈和モノ〉や〈シティ・ポップ〉、より確信的な語彙でいえば〈和レアリック〉〈ジャパニーズ・アンビエント〉といったタームで、70〜80年代の日本産音楽が世界中のリスナー(主に当時を知らない若いリスナー層)から高い支持を得ていることをご存じの方は多いだろう。

〈あの時代〉を直接に経験していない世代からのこうした再注目状況は、伝統的なレコード・マーケットではなく、YouTubeといった動画配信サーヴィスやDiscogsなどのデータベース・サイト等、インターネットを主なフィールドとして勃興してきた。広範なデジタル・アーカイヴがそれまでの地理的な情報格差を解きほぐしたというわけだ。

さらには、(現在ではすでに常識となった感さえある見取りだが)2010年代初頭から勃興したヴェイパーウェイヴ文化とかねてからの80年代リヴァイヴァルが共振する形で、それまで冷笑の対象とされていた時代特有の音像(=テクスチャー)が、むしろ積極的に発掘/肯定すべき〈クール〉なものとして前景に躍り出てきたのだ(〈失われたあの時代〉を強く想起させる極東の国の音楽が〈未経験のポップス〉としてフレッシュなリスニングの対象となったのは、現在のポピュラー音楽文化の一局面としても非常に興味深く、別個にじっくりと論じるべき話題であろう)。

 

シティ・ポップ、バレアリック、アンビエント、エスニック……

そのような状況を前提として考えるとき、山口美央子の音楽がいままさにみずみずしい感覚で広く受容されているという事実に得心がいくことだろう。彼女がデビュー以来発表してきた80年代の三部作には、〈シティ・ポップ〉ももちろんだが、〈バレアリック〉や〈アンビエント〉、さらには〈和的〉な感覚を強く喚起させる〈エスニック〉といった要素が高い完成度とともに同居しているからだ。

井上鑑(彼もまた80年代の諸作がいま再び注目されている音楽家だ)のプロデュースの元、パラシュートやマライアといったフュージョン界の手練を従えた『夢飛行』や『NIRVANA』で聴ける都会的洗練とオリエンタルな詩情の混交は、いまの聴取感覚のもとで改めて聴いてこそその溌剌とした魅力が強く感じられる。

そして、80sジャパニーズ・アンビエント・ポップの至高曲として大きな注目を集めた“白昼夢”ならびに同曲を収録した『月姫』という作品こそは、現在の世界的な再評価を用意したもっとも注目すべき存在であると言えよう。

83年作『月姫』収録曲“白昼夢”

メディテーショナルでまろやかな質感を伴ったシンセサイザー・サウンドに導かれ、中空にたゆたうような浮遊感を湛えた歌声とメロディーが印象的な“白昼夢”の美しさは、聴くものすべてに尋常ならぬアンビエント的快楽を与えるものだ。土屋昌巳のサウンド・プロデュースによるこの名盤は、復活作『トキサカシマ』が本作の続編と位置づけられるなど、山口本人にとっても並々ならぬ思い入れがある作品のようだ。

2019年作『トキサカシマ』収録曲“恋はからげし夏の宵”

 

シンセサイザーの可能性を世界に示したイノヴェイター・松武秀樹との制作

これまで論じてきた山口美央子への再評価について、大きな(というか、おそらく最大の)要素がまだ本稿において触れられずにいることに気づく方も多いだろう。それこそは、これまで彼女の全作品においてサウンド面での重要な舵取りを担ってきた松武秀樹の存在である。もともとは冨田勲の弟子として黎明期からシンセサイザー・プログラミングを学び、さまざまなジャンルのレコーディングやコンサートでその腕を奮ってきた松武。彼の仕事のなかで最も著名なものは、なにを差し置いてもYMOとのものであろう。

松武の提供した技術とサウンド、またはステージでの演奏は、その活動当時〈4人目のYMO〉 と言われたほどに重要なものだった。まだまだ存分に扱える者が限られていた各種シンセサイザーを、卓越した技術者としてオペレートしたことはもちろん、ミュージシャンとしてクリエイティヴに駆使した彼の偉業は、いま改めて称賛してもしすぎることはない。

彼はYMOという巨大な存在を通して、シンセサイザーという楽器の可能性を世界中に示した。そして、山口美央子の作品群においても、当然ながら単なる技術提供者ではなく、むしろ共同制作者と呼ぶべき音楽的なコミットメントを行ってきたのだ。

いま現在、先端の音楽シーンにあって、アナログ方式を含めたかつてのシンセサイザーとそれが生み出すサウンドが、ハード/ソフト両面で大きなリヴァイヴァルを迎えていることは、最新の音楽に親しんでいるリスナーほど深く感得している事実であろう。こうした傾向は、単なる当時のサウンドの再現という局面を超えて、さらに一般的に敷衍されているように感じられる。

だからこそいま、松武秀樹らのパイオニアが切り開いてきた〈新しいサウンド〉に再び大きな注目が集まっているのは、まったくもって自然な潮流であると言える。この状況は、当時の時点でしか生まれ得なかったイノヴェーション(=それまでに無いものを生み出すときの感動)への強いリスペクトと憧憬を抱く現在のクリエイター/リスナーたちの心性によって駆動されているものでもある。そして山口美央子の各作品こそは、そうした松武のイノヴェーションが遺憾なく発揮されたものとして聴くことができるのだ。

 

2019年の視点から自作をアップデートした『FLOMA』

さて、これまで確認してきたさまざまな視点で、今回の『FLOMA』を聴いてみよう。『夢飛行』『NIRVANA』『月姫』に収録されていた楽曲のリメイク版は、それぞれ大胆なリアレンジが施され、オリジナルの自作へのリスペクトが込められながらも、2019年の視点から大幅にアップデートされた仕上がりとなっている。

特に、満を持してのリメイクとなる“白昼夢”は、オリジナルどおりアンビエント的要素が横溢するものだが、瞑想的な色合いはより一層濃くなっている。また、山口と松武による精緻な音響は、聴く者に何やら現実世界を超え出た存在を想起させるほど深遠な世界を作り出すことに成功している。新旧〈アンビエント風ポップス〉は数あれども、ある種の歌謡的艶を保持しながらこれほどまでにリスニング作品として丁寧に作り込むことに成功した楽曲はこれまで存在しなかったのではないか。

『FLOMA』収録曲“白昼夢 new ver.”

歌詞も改変された“いつも宝物 宝島ver.”(オリジナルは『NIRVANA』収録)は、あの時代の〈シンセ・ポップ〉を強く思い起こさせるようでいて、例えばCAPSULE(中田ヤスタカ)以降のテクノ・ポップ文化をも射程に収めたようなライヴリーなアレンジを聴かせる。また、“チャンキー・ツアー NEW YORK ver.”(『NIRVANA』)は曲名どおり、当初は敬愛を捧げる細野晴臣を意識して書かれた曲だったということで、ここでは細野のいわゆるトロピカル三部作、特に『泰安洋行』(76年)を彷彿とさせるアレンジとなっている。

“いつかゆられて遠い国 new ver.”や“お祭り new ver.”(ともにオリジナルは『夢飛行』収録)では大胆に80s的ダンス・ビートが取り入れられ、クラブ・ミュージック的快楽性をも貪欲に取り込んでいく。デビュー曲“夢飛行”は、ミニマルなシーケンス・パターンに導かれるニュー・エイジ・テイスト濃厚なリメイクと、最新のMIDIオルゴールを駆使したインスト版が収録されるなど、エスプリも効いている。

『FLOMA』収録曲“いつかゆられて遠い国 new ver.”

 

鈴木雅之や斉藤由貴への提供曲を歌う

また、ボーナス・トラックに位置づけられている他シンガーへの提供曲のセルフ・カヴァーは、ファンならずともたまらない聴き物だろう。川越美和へ書かれた“ジェーン・バーキンのように泣けばいい”はオリジナルどおりのフレンチ・テイストを残しながらも、〈リズム・ボックス・ボッサ〉とでもいうべき洒脱かつ(良い意味で)キッチュなラウンジ感が醸される。

鈴木雅之への提供曲“Recede 〜遠ざかりゆく想い〜”は、いかにも〈あの時代〉のデジタル・シンセサイザーを彷彿とさせる(かえって)ネイキッドな音像が、まるでデモ・ヴァージョンのようなインティメイトさを湛えている。また、このところ過去作の再評価が急速に進む斉藤由貴による名盤『PANT』(88年)へ提供した“終りの気配”は、オリジナルに通じる抑制的なトーンが支配的で、儚げなウィスパー・ヴォイスが耳を心地よく撫でる。

こうした楽曲を聴くとき、山口のヴォーカリストとしての類まれなる魅力も強く再認識することになるだろう。先だってライヴで彼女の歌声が披露されたときにも、かつてとまったく変わらないどころか、さらに深みを増したその歌唱の素晴らしさに多くの観客が酔ったのだった。

 

リスナーとクリエイターの交歓として『FLOMA』を聴く

さまざまなヴェテラン・アーティストが新たな世代から再注目を受けるという潮流が盛んになっているいま、山口美央子と松武秀樹が過去作のリイシュー以来行っている活動と新たに作り出した作品こそは、そうした流れが導いた最良の事例であり、貴重な成果であるといえる。ここに届けられた本作『FLOMA』をじっくりと味わうにつけ、その思いは強くなっていく。リスナーとクリエイターの間で交わされる交歓の、もっとも尊い形がここには存在しているのだ。

 


LIVE INFORMATION
山口美央子『FLOMA』リリース・ツアー

FLOMA Tour in Tokyo
2019年9月19日(木)東京・南青山 MANDALA
開場/開演:18:30/19:30
出演:山口美央子/松武秀樹
チケット販売(LivePocket):https://t.livepocket.jp/e/yamaguchimioko

FLOMA Tour in Nagoya
2019年9月20日(金)愛知・名古屋 Live & Lounge Vio
開場/開演:19:00/19:30
出演:山口美央子/松武秀樹
チケット販売(LOGIC STORE):https://mttklogic-store.com/items/5d39577566d86c6acfe78fe4

FLOMA Tour in Kyoto
2019年9月21日(土)京都・木屋町 UrBANGUILD
開場/開演:18:30/19:00
出演:山口美央子/松武秀樹
チケット販売(LOGIC STORE):https://mttklogic-store.com/items/5d3963f38e69195d8ffef977

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