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PIZZICATO FIVE『THE BAND OF 20TH CENTURY』 2020年を目前に届いた20世紀の東京の名曲たち

PIZZICATO FIVE THE BAND OF 20TH CENTURY: Nippon Columbia Years 1991-2001 TRIAD/コロムビア(2019)

小西康陽による待望のベスト・セレクションがついに登場!

スタイリッシュな変化

 90年、PIZZICATO FIVEは日本コロムビア系列のSEVEN GODS(後のTRIAD)へ移籍を果たし、そこで田島貴男に代わる3代目ヴォーカリストに迎えられたのが野宮真貴である。そもそもプラスチックスの佐藤チカに憧れてヴォーカルを志したという彼女は、ハルメンズ参加を経て、PIZZICATO Vよりも早い81年にソロ・デビューしていたキャリアの持ち主だ。デビューの翌年にはライヴでバックを務めた中原信雄、鈴木智文と共にポータブル・ロックを結成し、83~86年にかけていくつかの作品をリリースしてきており、PIZZICATO FIVEとの縁は、その中原と鈴木が『女王陛下のピチカート・ファイヴ』のスタジオ録音に参加した際、田島のデュエット相手として“衛星中継”でたまたま歌ったことだという。いずれにせよ、彼女のアイコニックなヴィジュアルと歯切れの良い歌唱がユニットのイメージを一新させ、飛躍へと導いたのは言うまでもないだろう。

 そして91年から彼らはリリース・ラッシュを仕掛けていくことになる。まず5月には高浪敬太郎(慶太郎から改名)が主導するTVドラマ「学校へ行こう!」のサントラを発表し、6月には新体制を明確に披露したミニ・アルバム『最新型のピチカート・ファイヴ』、7月にもミニ・アルバム『超音速のピチカート・ファイヴ』、8月には他のアーティストへの提供曲をカヴァーした『レディメイドのピチカート・ファイヴ』を連発し、9月にフル・アルバム『女性上位時代』を完成するに至る。翌92年にはマニア的なギミックを和らげて小西なりのメジャー感を意識したという『SWEET PIZZICATO FIVE』をリリース。“万事快調”や“キャッチー”といった代表曲を含むこのアルバムからはプロデュース・クレジットがグループではなく小西の単独名義となる。

 

ポップをポピュラーに

 そうした本人なりのポップをポピュラーにする意識が時代にうまく噛み合った作品こそ、93年4月にシングル・リリースされた“スウィート・ソウル・レヴュー”だろう。化粧品のキャンペーンソングになった同曲のスマッシュ・ヒットを受け、同年にはスタイリッシュなイメージを決定付けるアルバム『BOSSA NOVA 2001』をリリース。これはCornelius始動前の小山田圭吾に共同プロデュースを仰いだ作品でもあり、後世から見た際の〈渋谷系〉カラーそのままのようにカラフルでキャッチーな楽曲が並び、“マジック・カーペット・ライド”や“我が名はグルーヴィー”“優しい木曜日”などが収録。そんな年の暮れにリリースされたのが子ども向けTV番組「ウゴウゴルーガ2号」で使用された“東京は夜の七時”であった。この時期に前後してCD市場は大きく拡大してメガ・ヒット連発の時代に突入していくわけだが、そうしたJ-Pop像に飽き足らないリスナーたちにも支持されてPIZZICATO FIVEは一目置かれる存在となっていく。

 94年にはマタドールから北米デビューを果たす一方、日本でも名曲“陽の当たる大通り”や“ハッピー・サッド”“世界中でいちばんきれいな女の子”などを収めたアルバム『OVERDOSE』をリリースするものの、そのタイミングで高浪が脱退し、以降のPIZZICATO FIVEは小西と野宮のコンビで最後まで駆け抜けていくことになった。

 海外ツアーも成功させた95年にはFANTASTIC PLASTIC MACHINEやテイ・トウワのプロデュース曲も交えた『ROMANTIQUE 96』を発表。クリエイティヴな〈容れ物〉としてユニットの在りようが進化していくなかで、同時に詞曲をほぼ一手に担う小西のパーソナルな気分が落とし込まれた楽曲も増えていき、とりわけ“悲しい歌”は非常に印象的に響く。こうした何とも言えない雰囲気が現代の気分にもフィットすると考える向きは多いはずだ。

 快進撃は続いていき、96年にはうららかな“ベイビィ・ポータブル・ロック”がCMソングとしてヒット。97年には小西の設立した新レーベルの********* records,tokyoから“イッツ・ア・ビューティフル・デイ”や“モナムール東京”を含むアルバム『HAPPY END OF THE WORLD』を発表し、98年には冒頭をGRAND-PRIXとの“不景気”が飾る『プレイボーイ プレイガール』が休みなく登場。マキシ・シングル攻勢を仕掛けた99年には意味ありげなセルフ・タイトルの『ピチカート・ファイヴ』をリリースした。かつての“連載小説”再録や“ダーリン・オブ・ディスコティック”、弘田三枝子を迎えた“パーフェクト・ワールド”などが鮮やかに居並ぶ同作のラストを飾ったのは、田島貴男がデュエットに駆けつけた“グッバイ・ベイビイ&エイメン”。つまり、この時点で何かしらの区切りは見えていたのだろう。

 

20世紀のバンド

 2000年には野宮がソロ作『Miss Maki Nomiya Sings』を発表する一方、小西はプロデュースした“慎吾ママのおはロック”がミリオン・ヒットを記録。ユニットとしては松崎しげるとYOU THE ROCK★を迎えた“東京の合唱”など、古き良き〈日本〉〈東京〉をモチーフにして明白にモードを切り替えている。そして21世紀の初日=2001年1月1日に『さ・え・ら ジャポン』を発表。ここでは野宮よりも雪村いづみやデューク・エイセス、横山剣、永積タカシ、ロケットマンら多数のゲスト陣がメインとなっており、20世紀で終わったユニットが良き日を振り返るアンコールのような意味合いもあったのかもしれない。3月に入ると解散が伝えられ、3月31日(よく考えると20世紀の年度末でもある)にはラスト・ライヴが行われ、PIZZICATO FIVEは17年の活動に終止符を打つことになった。

 なお、今回の復刻に際して、小西は〈今後も再結成、再始動などはありませんので。〉とコメントしている。

 

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