2014年7月、黒人青年のエリック・ガーナーがニューヨーク市警の白人警官に身柄を拘束される際に羽交い締めにされ、地面に押さえつけられたことが原因で死亡した事件。このことに端を発する抗議デモが全米に拡大しつつあった日本時間12月14日の深夜、突如飛び込んできたのが、ディアンジェロの14年ぶりの新作が緊急リリースされるという知らせだった。このタイミングで、しかも『ブラック・メサイア』という表題の、ジャケットからしてブラック・パワーが渦巻いているアルバムがリリースされる。現地のNYと同時刻にツイッターでこの第一報を知ったときは、身震いした。そして限定のフリー・ダウンロードで入手した新曲《Sugah Daddy》を聴き、さらに身震いした。本当に。
『ブラック・メサイア』を“ヤバい”と讃える若い人はたくさんいるだろう。対して、僕は“怖い”と讃えたい。僕は、ジェイムズ・ブラウンやマイルス・デイヴィスの音楽を初めて聴いたとき、そのパワーと緊張感に圧倒され、“怖い”と感じた。まだ黒人音楽をほとんど聴いていなかった中学生の頃だ。僕は『ブラック・メサイア』を聴いて、そんな全身が粟立つような感覚を久々に味わった。
この濃密な“ブラック・アルバム(もちろん、プリンスの同名アルバムに引っかけてある)”は、いわば米国の黒人音楽や黒人社会の歴史がぐつぐつに煮詰められた闇鍋だ。前半のどろりとしていて随所が歪んでいる音像は、黒色と三原色の油絵具だけで気の遠くなるくらい何度も塗り重ねられた絵画を連想させる。肉眼で確認できる絵は、ほぼファンク。だが、分厚く塗られた絵の具の下には、ゴスペルや“モダン”以前のジャズなどの絵が隠れている。《Sugah Daddy》には、ニューオーリンズとジャマイカの音楽地図も塗り込められている。黒人音楽の歴史が凝縮されているという点では、プリンスの『サイン・オブ・ザ・タイムス』にも匹敵する傑作。だから凄すぎて、“怖い”アルバムなのだ。