PIZZICATO ONE、4年ぶりの新作に収められた〈16のとてもやさしい歌〉
小西康陽がPIZZICATO ONEを名乗ってアルバム『11のとても悲しい歌』を発表したのが、ピチカート・ファイヴ解散から10年の時を経た2011年春――あれから4年。ピチカート・ファイヴのデビューから30年目となる2015年春、また彼の新しいアルバムが届けられた。そのアルバム『わたくしの二十世紀』は、〈小西康陽の編曲でさまざまな歌手が歌うコンサート〉の企画を、とあるところから打診されたことがきっかけで動き出したという。
「ちょうどその頃、ソフト・ロックみたいなレコードを作りたいと思っていたので、これはおもしろくやれそうだな、ぜひやってみたいなって思ったんですけど、ひと晩のステージのためにスコアを書くんだったら、それをレコードにしたいとディレクターに相談したんです。で、ソフト・ロックっぽいデモを2曲作ってみたんだけど、自分がいま聴きたいレコードはこういうものじゃないなと思ったんです」。
いま聴きたいレコード――辿り着いた結論は、よりパーソナルな音楽。前作も言ってみればそうだったが、ジャズ・コンボのような小編成のバンド演奏で、静かに耳を傾けながら楽しむような、聴き手と演者が〈一対一〉で向き合う音楽。
「DJでみんなで大騒ぎするような曲もかけたり作ったりしているけど、家に帰ってひとりで聴くときはね、DJでかけるような曲ではなく、ホント静かな音で聴きたいレコードばかりで。ドラムの入ってないジャズとか、そういうのばかり聴いてるから、自分の名義で作りたいものも自然とこういったものになってしまうんですよね。思えば、ピチカート・ファイヴを始める前、20代の前半って、家でレコード聴いてる時間がすごく長くて、あとは映画を観ているみたいな……いまの自分の生活と似てるんですよ。実際に家でいっぱい聴いてるっていうわけじゃないんだけど、音楽のことを考える時間は増えたかもしれない。かつてはそんなこと考える暇もなく次から次に作っていたけど、そういう時って何も考えてなかったから。だから、いまはわりと『couples』とか『Bellissima!』を作ってた頃の気持ちと近くなっているのかもしれないね」。
前作は海外のアーティストによる海外の楽曲のカヴァーで構成されたものだったが、今作で取り上げたほとんどの曲はピチカート・ファイヴのレパートリー(それも後期)、つまりは小西康陽が〈二十世紀〉に書き上げたものがほとんどで、彼の大好きなシンガーたちを迎えて、それを再現している。
「少し前に、『アイドルばかりピチカート』っていうアイドルが歌うピチカート・ファイヴのカヴァー・アルバムが出たんですけど、なんかね、同じ人間が書いてる曲なんだけど、明らかに違うんですよ。僕の曲には、アイドルが歌うべき曲とアイドルが歌っちゃいけない曲があるっていうかね、僕にとってどっちも大切な曲ではあるんだけども、みんなで賑やかに聴いてもらいたい曲と一対一で聴いてもらいたい曲があるってことかな。今回のアルバムでピチカート・ファイヴを取り上げたのは、いまあんまりこのレヴェルの曲、当時よりもさらに突っ込んだ曲を書ける自信がなかったっていうところもあるんですよ。ずいぶん前に『きみになりたい。』(2004年)っていう女性歌手に書いた曲ばかりを集めたCDを出したんですけど、どこかの雑誌で〈もう曲を書けなくなったんじゃないか〉って書かれてさ、そのときは〈何言ってんだ!〉って思ったんだけど、でも、いまそれなんだよね(笑)。やっぱり、ピチカート・ファイヴの曲は人生いろいろあったときにできちゃったものばかりだから、いまそのクォリティーの曲が書けないってことは、ある意味落ち着いたというか、幸せになったってことだとも思う」。
静かな音で聴きたい、〈一対一〉で聴いてもらいたいレコード――ある意味現代的ではないかも知れない音楽の楽しみ方を提示している『わたくしの二十世紀』だが、そこにはさらに(まさに彼らしい)こんな思いが込められている。
「誰のために作ってるんだって話ですけど、まあ、僕のためなんですよね(笑)。そういう気分は前作もなんだけど、年々強くなっている。いよいよ尻に火が着いたじゃないけど、もう最後かもしれないっていうのはすごく思ってるんですよ。僕の才能もだけど、要するにパッケージとして音楽の新作が流通するのも次はないかもしれないって。前作から4年経っていますが、次の4年後ってあるのかどうかわからないじゃないですか。自主制作の世界であるとか、何らかの形でパッケージは残っているとは思うんだけど……だとしたらって考えて、いちばん好きな曲をいちばん好きなシンガーばっかり集めて、好きなアレンジで作って、そして自分も家で楽しみたいと。このタイトルを付けてから思ったんだけど、要するにレコードで音楽を聴くとか、活字で本を読むとか、映画館で映画を観るとか、まさに二十世紀の楽しみだったんですよね。そういえば、アルバムを作っている最中に父親に電話したら、父親としては僕が歌うアルバムがいちばん聴きたいんだと(笑)。そういえば父親ももう歳だから、そういうのも作らなきゃなって。そんなこともちょっと思った(笑)」