Keith's Counterpoint

グレイトフル・デッドの長く奇妙な旅 / Grateful Dead's Long, Strange Trip

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  • 2015.07.12

伝説のロック・バンド、グレイトフル・デッドが結成50周年を祝いつつグループとしてのフィナーレを飾るべく、サンフランシスコのベイ・エリアとシカゴでの〈サヨナラ〉ライヴを行った。グレイトフル・デッドは音楽史上において独特の地位を築いてきた。リード・ヴォーカルを立てることなく、メンバーは何度も変わり、そのうえヒット曲というものもほとんどないのだから、何においても型破りなバンドである。

 

Thank you for a real good time! Check out the complete set lists from all three nights of Fare Thee Well Chicago here: http://bit.ly/1dIl4pl#faretheewell #soldierfield

Posted by Grateful Dead on 2015年7月6日

1965年に結成されたデッドは、当初からメンバー同士の音楽の好みは少ししか共通する部分がなかったという。当初のオリジナル・メンバーは、熱烈なブルーグラス/カントリー愛好家で陸軍追放人のギタリスト/バンジョー奏者のジェリー・ガルシア、問題児で失読症の金持ちリズム・ギタリストのボブ・ウェア、クラシックの教育を受け電子音楽を学んだフリージャズのファンで、トランペット奏者からベーシストに転向したフィル・レッシュ、ブルース好きで酒飲みバイカー風のR&Bファン、ロン“ピッグペン”マッカーナン、そしてガルシアのジャグ・バンドのファンの円熟ドラマー、ビル・クレアッツマンビートルズ好きな面も垣間見せつつ、さまざまな〈ルーツ〉ミュージックのテイストを混ぜ合わせながら、しきたりなどをぶち壊すことに快感を覚えたような音作り。それにはLSDの存在も多少影響している。当初は1965-1966年にかけてSFのベイ・エリアで開催されていた作家のケン・キージー主催の〈アシッド・テスト〉いう一連のパーティーに出演し、もっぱらイヴェントのハウス・バンド的な扱いとなっていた。

実際、グレイトフル・デッドはSFのヘイト・アシュベリー発祥のヒッピー・ムーヴメント全体の〈ハウス・バンド〉的存在だったとも言える。アシュベリー通り710番の集合住宅で暮らしていたメンバーは、当時開催されていた数多くのチャリティー・ショウに出演していたことでも人気を集めていた。そういった慈善イヴェントを通して、ちょうどライヴ事業を推進しようとしていたビル・グラハムと親しくなった。また、ジェファーソン・エアプレインや(のちにジャニス・ジョップリンが加入する)ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーといった、ほかのSF拠点のバンドとも親交を深くしていた。時折共演をすることがあったこれらのバンドはみな、グラハムによってフィルモアやウィンターランドといった(いまは)著名な会場での公演を果たしている。また、この3バンドはいまや史上初めてのロック・フェスとして知られ、いわゆるSFサウンドのきっかけとなったとも言われる1967年の〈モントレー・ポップ・フェスティヴァル〉にも出演している。

時を同じくして1967年のSFではまた、ラルフ・J・グリーソンジャン・ウェナーが音楽マガジンのローリング・ストーンを創刊し、タワーレコードがSFのフィッシャーマンズワーフ地域に新店をオープンした。こういったいろいろな要素が重なり、SFは文化の変化、オルタナティヴなライフ・スタイル、ヒッピーなファッションの渦の中心となり、また世界でもっとも注目を浴びる音楽シーンのメッカとなっていったのである。

ライヴ・バンドとしては人気を博していたにもかかわらず、グレイトフル・デッドの最初の3枚のアルバムはそこそこしか売れなかった。トップ100には入っても、トップ40位以内にランクインすることはなかったのである。アルバムの中身のほとんどはカヴァーやゆるいジャム・セッションの音源で、なかにはエディットによって再構成されたりエフェクトを施されたりしたものもあった。スタジオ経験は浅いが活力はみなぎっている、これらアルバムの創造性はぶっとんでいた(初めてのスタジオでは、物珍しさからかそこにあった設備や機器で実験を多く繰り広げたという)が、彼らの音楽的な本質を捉えきることはできていなかった。

ところが、“St. Stephen”や“Dark Star”といったファンにも人気の高い曲を収めたライヴ録音による4枚目のアルバム『Live/Dead』では、彼ら独自のインプロありきのジャムが持つ魔法を見事に捉えることに成功。続く2作はどちらも1970年にリリースされ、傑作としても知られている『American Beauty』と『Workingman's Dead』だ。ほかのアルバムとの違いは、その歌詞にあった。歌のほとんどがガルシアと長きにわたる彼の友人で、〈ことばの匠〉ロバート・ハンターによって書かれている。叙情的でメロディーも美しい明快な歌により、それまでにない大成功を味わったのちに発表されたのは、〈Skull Fuck〉という名で広く知られている(メンバーはそういうアルバム名にしたがっていたがレコード会社によって拒否された)ダブル・アルバム『Grateful Dead』。こちらはオリジナル曲とジャム・セッションとカヴァーを組み合わせたものだった。いまでこそダブル・アルバムというものは売りにくいとされているが、デッドはこの後、今度は1972年のヨーロッパ・ツアーを録音したトリプルLPをリリースしている。

グレイトフル・デッドはそのバンド歴を通じて、ファンがライヴを録音することを許可しており、その結果これまでのライヴのうち2,000公演以上が録音され、ファンの間で熱心に交換されてきている。デッドの美学として、テープを互いに交換することはよしとされるが、売ることは許されない。なお、彼らは一度も来日を果たしていない。メンバーにドラッグがらみの逮捕歴があったし、バンドの大掛かりな音響機器を持っての海外公演はひどくお金のかかるものだったからだ。

1973年にはそれまで所属していたワーナーを離れて自分たちのレーベルを立ち上げ、『Wake Of The Flood』『Mars Hotel』『Blues For Allah』という作品をリリース。ヒット・シングルは出ていないものの、どれもトップ20位以内にはランクインしている。しかしメンバーとともにいっしょにゆるくやってきていた友人たちやスタッフとのレコード・レーベルの運営は苦しいものとなり、1977年には今度はアリスタ・レコードと契約。ヒッピーでトリッピーなデッドと、NYのイケイケ剛腕弁護士のクライヴ・デイヴィスが運営するチャート・コンシャスなアリスタは微妙な組み合わせだった。アリスタからの初リリース『Terrapin Station』は、プログレ寄りでジェネシス風の曲作りやプロデュースを強く押し出した曲を採り入れる一方、ポップにカヴァーした“Dancing In The Streets”のような曲で前者の作風とのバランスを取ろうとするかのような構成で賛否両論を受ける内容となった。名作も多数発表してはいるものの、アリスタからのリリースしたアルバムはどれもだいたい賛否両論を受けている。ガルシアとハンターの共作曲は減る一方、他人の手による凡庸作が増え、そして往々にして外部プロデューサーの手にかかって苦しむことが多かったからだ。それにもかかわらず、1987年には思いがけないことも起きている。トップ10入りを果たすシングル“Touch Of Grey”とその気の利いたミュージック・ビデオのおかげで、アルバム『In The Dark』がのちにダブル・プラチナに輝くのだ。

幻覚剤とアルコールをある程度〈讃える〉傾向はあったものの、70年代後半にはよりハードなドラッグがバンド内ではびこるようになり、破壊的な影響を与え始めた。ピッグペンの死後、メンバー入りしたキーボードのキース・ゴッドショーはヘロインの乱用癖がたたって妻のドナとともに1979年に追放されている。ガルシアはコカインとヘロインの常習者で、どうにかしてクリーンになるべく努力もしたが、徐々にその健康やパフォーマンス能力は蝕まれていった。ゴッドショーの後任のキーボード担当ブレント・ミッドランドはスピードボール(コカインとヘロインを混ぜたもの)の過剰摂取で1990年に死去。そしてガルシアは1995年に53歳という若さで他界した。長年の ヘヴィーな喫煙、貧疎な食生活、糖尿病とドラッグの乱用を起因とする心臓発作が原因とされる。

ガルシアはグレイトフル・デッドの人気曲の多くを歌ったり書いたりしていたので、バンドのリーダーとして広く知られている。神秘的な容姿や堂々としたウィットといった人となりも人を惹きつけた。多くのファンにとっては、デッドはガルシアの死とともに終わりを告げたと思われているが、実際はまだまだ彼らの音楽を聴きたいというファンがあまりに多く根強く残っており、彼らのライヴをひとつの地元コミュニティーの集会として楽しんでいた。次から次へとライヴに顔を出し、何百もの公演を見ているという追っかけ状態のファンはザラで、ほかのハードコアなファンと互いに親しくなることも多かった。また、デッドは音響の関係者(バンドはいつも高品質の機材、しかも多くがオリジナルの機材を使用しており、そこから友人でLSDを大量生産したことで知られるオーズリー・スタンリーによるギター・メーカーのアレンビックが誕生することになる)やアーティスト(リック・グリフィンスタンレー・マウスアルトンといったアートの先駆者たちの多くとも幅広くいっしょに仕事をしている)を抱え、マーチャンダイズ(頭蓋骨や薔薇、踊るクマのマークはありとあらゆる服飾品にあしらわれている)や自分たちのライヴ音源の多くをオフィシャルにリリースしたりと、巨大な家内工業的存在となった。

そして、そもそも音楽的な流行に左右されることがなかったこともあり、彼らの音楽はおおむね時代を超えた不朽のもので、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックスボブ・ディランなどのように、若い世代に発見され、魅了し続けることにつながってきた。デッドはまた、さまざまなスタイルを織り交ぜたインプロ・ベースの若いバンドたち、いわゆる〈ジャム・バンド〉と呼ばれるアーティストのインスピレーションとなっている。フィッシュストリング・チーズ・インシデントスライトリー・ステューピッドブラック・クロウズデイヴ・マシューズ、やワイドスプレッド・パニックあたりのバンドがそうだ。一方でデッドのトリビュート・アルバムには、ジェーンズ・アディクションロス・ロボスドワイト・ヨアカムブルース・ホーンズビーエルヴィス・コステロバーニング・スピアドクター・ジョンといったアーティストが名を連ねている。フィッシュのトレイ・アナスタシオやブルース・ホーンズビーは今回の〈サヨナラ〉ライヴにも出演した。

ジェリー・ガルシアの死後、バンドは解散を決め、メンバーはそれぞれのサイド・プロジェクトをあちこちかじってきた。デッドのサイド・プロジェクトや部分的なリユニオンも人を喜ばすことはあったが、当然それはデッドそのものにはなりえなかった。ファンだけでなく当人たちも、ありし日の〈ベスト・ヒット〉ばかりを演奏するオールディーズ・バンドになって欲しくもなりたいとも思ってはいなかったが、実際に新しい作品が生まれるわけでもなく、メンバーたち自身も個々の道やプロジェクトを追究していた。そういう意味では今回の〈サヨナラ〉ライヴは、この仲間たちの最後の集まりにして、優雅かつ壮大なお別れの役割を果たしているのだ。

すばらしい君たちよ、グレイトなあの世へ去っても、気持ちはいつも近くにあるよ。君たちの音楽は多くの胸の中に生き続けるのだから。

グレイトフル・デッドを聴いたことがない人たちは、以下の曲からまずお試しを。
“China Cat Sunflower”
“St. Stephen”
“Casey Jones”
“Uncle John's Band”
“Box of Rain”
“Friend of the Devil
“Truckin”
“Me and My Uncle”
“Eyes of the World”
“Scarlett Begonias”
“Alabama Getaway”
“Touch of Grey”

あと、ジェリー・ガルシアの名前をもじったベン&ジェリーズのアイスクリームである〈チェリー・ガルシア〉、オイシ~~~です。これもオススメ!

 


[English]
Grateful Dead's Long, Strange Trip

The Grateful Dead are doing 'sayonara' shows in the SF Bay Area and in Chicago (※as of July 3rd) , marking the 50 year anniversary of the band, and their finale as a band. The Grateful Dead have a unique place in music history, making and retaining legions of fans for half a century, despite an unorthodox approach to almost everything, having no set lead singer, many line-up changes and having a career nearly devoid of hit recordings,

The band formed in 1965, with each member having music tastes that only somewhat overlapped with the others. The original line-up of the band consisted of bluegrass/ country enthusiast, guitarist/ banjo player, Army outcast Jerry Garcia; troubled, dyslexic, rich kid, rhythm guitarist Bob Weir; classically trained/ electronic music student/ free jazz fan, trumpet player turned bassist Phil Lesh; blues/ heavy drinking biker-esque R&B freak Ron "Pigpen" McKernan and fan of Garcia's jug band/ journeyman drummer Bill Kreutzmann. The band mixed a variety of "roots" music styles with a common fondness for the Beatles, and relished breaking convention, inspired partly by LSD. The band in played at Ken Kesey famed Acid Tests in 1965-1966, and served as something like the house band for the event.

The Grateful Dead were in fact something of the house band for the entire hippie movement, which was born out of SF's Haight-Ashbury district. The band lived in a communal house at 710 Ashbury, and became popular in part for playing numerous benefits shows for causes of the day. Through benefits they came to know Bill Graham, who was just starting to promote shows. The Dead were also friends with other SF bands such as Jefferson Airplane and Big Brother and the Holding Company (which came to include Janis Joplin). They sometimes collaborated musically, and they were all booked at the Fillmore and Winterland by Graham. These three bands also played the Monterey Pop Festival in 1967, widely considered the first ever rock festival, and a big kicking off point for the "SF Sound".

Also in 1967 in San Francisco, Ralph J. Gleason and Jann Wenner formed the music magazine Rolling Stone, and Tower Records opened in SF's Fisherman's Wharf district. These various elements came together, and SF became a whirlpool of cultural change, alternative lifestyle, hippie fashion, and home to the most happening music scene in the world.

Despite their popularity as a live band, the Grateful Dead's first three albums sold only moderately well, cracking the top 100, but not the top 40. They consisted mostly of covers and loose jams, sometimes reconstructed via editing and treated by effects. Given their exuberance and lack of experience in the studio, these albums were wildly creative but did not fully capture their musical essence. Their fourth album "Live/Dead" was recorded live, and did a good job of bottling the magic of their original improvisation-driven jams, including fan favorites "St. Stephen" and "Dark Star". Their next two albums, both released in 1970, are widely considered their masterpieces, "American Beauty" and "Workingman's Dead." What sets these albums apart was their songwriting, mostly by Garcia and his long-time friend, wordsmith Robert Hunter. After their biggest success yet, with lyrical, melodic, concise songs, the band next delivered a double album widely known as "Skull Fuck" which mixed their original songs, jams and covers. While these days a double live album is often considered a hard sell, the Dead followed theirs with a triple LP live album, recorded while the band toured in Europe in 1972

Throughout their career the band allowed fans to record their concerts, and as a result over 2,000 concerts of theirs were recorded and are avidly traded amongst fans, the aesthetic of the Dead being that trading tapes was cool but not selling them. The band never played Japan, due to a combination of members having drug arrest histories, and it being hugely expensive to tour overseas with their vast sound system. In 1973 they left Warner to start their own label and released "Wake of the Flood," "Mars Hotel" and "Blues For Allah" all of which went top #20 despite not having hit singles. The band and their large but loose group of friends / staff however struggled running a record label, and in 1977 signed with Arista Records. They made something of an odd couple- the hippie, trippy Grateful Dead, and the hard-driving NY lawyer Clive Davis-run, chart hit-oriented Arista. Their first album for Arista "Terrapin Station" got a mixed reaction, combining prog-rock-ish piece that were more composed and more produced ala Genesis, and counter balanced by a pop-ish cover of "Dancing In the Streets". While it certainly contains gems, their entire output on Arista gets mixed reviews. It including fewer Garcia-Hunter tracks, more mediocre material written by others, and often suffered at the hands of outside producers. However in 1987 the unlikely happened, the Dead released the double platinum "In the Dark", led by the top ten hit "Touch of Grey" and a clever video.

While the band somewhat celebrated psychedelics and drinking, by the late 70's heavier drugs had crept into the band, and had a destructive impact. In 1979 keyboardist Keith Godchaux, who had been drafted after Pigpen's death, and his wife Donna were kicked out of the band largely due to Keith's heroin habit. Jerry Garcia abused cocaine and heroin, and despite efforts to clean up, eventually his health and performances began to suffer. In 1990, keyboardist Bret Mydland, who had replaced Godchaux, died from a speedball overdose. Jerry Garcia died in 1995 at the age of 53, from a heart attack brought on by years of heavy smoking, poor diet, diabetes and drug use.

Garcia was widely seen as the band's leader, as he sang and wrote many of the bands most popular songs, and his cosmic outlook and grand wit were charming. For many the Dead died with Garcia, but the reality was that many, many fans still wanted to hear the band's music, and enjoyed the communal gatherings that were their shows. It was not uncommon to meet fans that followed the band from show to show, some seeing them well over a hundred times, and they often became friends with other hardcore fans.

And the band had become something of a cottage industry, from their sound people (the band always had top line, often original gear, and led to the founding Alembic, a guitar company started by friend and acid maker Owsley Stanley), artists (the Dead had worked extensively with art pioneers Rick Griffin, Stanley Mouse, and Alton), merchandise (their skulls, roses & dancing bears adorned all types of clothing and gear), to official releases of many of their live shows.

And given that the band took little notice of music trends, much of their music has a timeless quality, which has led to new generations discovering and enjoying their music, much like the Beatles, Jimi Hendrix and Bob Dylan. The Dead also inspired a new generation of bands who played music that mixed various styles and was improvisation-oriented, so called "jam bands", amongst them Phish, String Cheese Incident, Slightly Stoopid, Black Crowes, Dave Matthews, and Widespread Panic. The Grateful Dead tribute album featured tracks from such dissimilar artists as Jane's Addiction, Los Lobos, Dwight Yoakum, Bruce Hornsby, Elvis Costello, Burning Spear and Dr. John. Phish's Trey Anastacio and Hornsby in fact played with the Grateful Dead for their 'sayonara' shows of 2015.

The band decided to disband after Garcia's death, and members dabbled in various side projects. As much as people enjoyed seeing side projects of the Dead, and partial regroupings, it was still not exactly the Dead. Neither fans or the band wanted to become an oldies band just replaying "best of" sets, but the band was not producing new material, and the members all had their own interests and projects. The 'sayonara' shows thus serve as a graceful and grand good-bye, a last gathering of the tribe. Good bye dear friends, gone to the great beyond but still near. Your music lives on in the hearts of many.

Grateful Dead sampler- tracks to check if you've never listened to the Grateful Dead-
"China Cat Sunflower"
"St. Stephen"
"Casey Jones"
"Uncle John's Band"
"Box of Rain"
"Friend of the Devil"
"Truckin"
"Me and My Uncle"
"Eyes of the World"
"Scarlett Begonias"
"Alabama Getaway"
"Touch of Grey"

Also highly recommended is the Ben & Jerry's ice cream flavor ‘Cherry Garcia', named after Jerry, oishiiiii.

【プロフィール】
キース・カフーン

キース・カフーン (KEITH CAHOON)

キース・カフーン - 家族代々カリフォルニア育ちの4代目。人生のほとんどを音楽に費やしてきたその職歴には、サクラメントでのレコードショップ店員、輸入盤/インディーズ盤の販売会社経営、ロンドンでのA&R業務、日本のタワーレコードの社長兼CEO、iTunes Japanの取締役、自身が立ち上げた音楽出版/コンサル会社のオーナー兼経営者、はたまた多種のメディアでのライターとしての数々の幅広い活躍が含まれる。昨今はアジアおよび北欧の音楽シーンにも深く携わり、造詣が深い。28年間の東京生活を経て、現在はカリフォルニア州バークレーに在住――Keith Cahoon is a fourth generation Californian, who has worked in music most of his life, including stints as a record store clerk in Sacramento, running an import and indie distribution company, doing A&R in London, CEO of Tower Records Japan, Director of iTunes Japan, owner/operator of his own music publishing/ consulting company Hotwire K.K., and as a writer for a wide range of media. He has also been extensively involved with Asian and Nordic music. After a 28 year of living in Tokyo, he now resides in Berkeley, California.

ポール・マッカートニー