(左から)Yasei Collective・別所和洋、SPECIAL OTHERS・芹澤優真

 

Mikikiブログ〈ヤセイの洋楽ハンティング〉でお馴染みのYasei Collectiveが、自身のレーベル=Thursday Clubからの初作品となるニュー・シングル“radiotooth”を11月25日にリリース! Mikikiではこれを記念し、ヤセイブログのスピンオフ企画として各メンバーをフィーチャーした短期集中対談連載〈ヤセイの同業ハンティング〉をスタートします。メンバーそれぞれがいまバンドマンとして&同じ楽器を演奏するミュージシャン(同業者)として尊敬する人たちを招き、あんなことやこんなことをディープに掘り下げていく全4回!

その第1弾として今回登場するのは、キーボードの別所和洋。まったく異なるパーソナリティーと得意分野を持ち、お互いが師匠であり弟子であるというユニークかつ合理的な関係を築いているSPECIAL OTHERS芹澤優真を招いて、鍵盤奏者にまつわる話を軸に、両者がいまカッコイイと思うミュージシャンやバンドマンとしてあるべき理想の姿、今後の展望についてなど、かなりじっくり語り合ってもらいました!

Yasei Collective radiotooth Thursday Club(2015)

 

見えている景色が全然違う

――お2人は知り合ってからもう長いんですか?

芹澤優真(SPECIAL OTEHRS)「長くもないよね」

別所和洋(Yasei Collective)「3、4年くらいですかね?」

芹澤「もともとうちのギターの柳下(武史)がヤセイと仲が良くて、ライヴに参加したりしていたのがきっかけで俺はヤセイを知った。それで俺らがツアーで沖縄に行った時、なぜか別所が遊びに来ていて」

別所「(その前に)東京でスペアザのライヴを観に行って、ヤギさん(柳下)から〈沖縄に観に来たら打ち上げも来ていいから来いよ〉って冗談で言われて、でも楽しそうだし本当に行こうかなと(笑)。それで沖縄へ行ったら超楽しくて。ケータイなくすし(笑)」

芹澤「楽しかったね、あの時は」

別所「それで芹澤さんとも仲良くなって、一緒にスタジオへ入るようになって」

芹澤「家に来たりもしてたよね」

別所「そうそう、芹澤さんも一度僕の家に来てくれたりして」

芹澤「それからはかなり密な関係だよね。ちょうど別所と仲良くなった頃、このままの鍵盤のスキルだとアレだから先生に習うのもひとつの手段だなと思っていた時で。クリエイティヴなことはできるけど、基礎的なところをもうちょっとビルドアップしたくて、ネットで検索してたらぴったりの先生がいたんです。しかもフレキシブルにいろいろなことを教えてくれそうだと思って申し込もうとしたら、その先生が別所だった」

――えー!

芹澤「〈Yasei Collective〉って(プロフィールに)書いてあるからそこで一旦思い留まって、これは正規のルートで行かないほうが上手くいくんじゃないかと(笑)。で、それから別所に(鍵盤の)テクニックを教えてもらうようになった。逆に俺は別所に音の作り方とか機材の選び方を教えるようになって。お互いに師匠であり弟子であるみたいな」

別所「お互いに得意分野が全然違うから、それを補完し合う関係というか。僕もすごい勉強になる」

芹澤「別所はジャズ的なアプローチの引き出しをすごくいっぱい持ってて、それをすごい教えてもらえる。俺はリズムの部分で言うと別所よりもちょっと引き出しが多いから、別所にこういうリズムとか採り入れたらいいよという話をしたりとか。全体的なスキルで言ったら別所のほうが全然上手いんだけど」

別所「いやいやそんなことないです。(芹澤とのやりとりで)僕にとって大きかったのはエフェクターですね。もともとピアノから始めて、しかもキーボードはヤセイに入ってから始めたくらいだからよくわかってないことが多くて」

芹澤「なんにもわかってなかったよね、むしろ」

別所「〈芹澤さん、これ電源つかないです〉って言ったりとか、それにアダプターが必要なことも知らなかったくらい(笑)」

芹澤「きっと脇目も振らずにジャズに取り組んできた人はそうなるんだろうな、というか。職人って服がダサかったりするでしょ、そういうことだと思うんですよね。だから別所は職人なんだなーと。ダメなものは全然ダメっていう(笑)」

別所「ほんとそうっすね」

――せっかくなので、それぞれのルーツというか、どういう道を通ってきていまのバンドに行き着いているのかを訊きたいのですが。

別所「僕は小っちゃい頃からピアノをやっていたんですけど、中2の頃にバスケもやっていたし受験もあったから忙しくなっちゃって、中高の頃はピアノに触ってないことが多かったんです。でも高3で部活を引退したら暇になって、その頃ジャズに興味が出てきたのでまたピアノをやりはじめました。それで大学でジャズ研に入って、そこから音楽にのめり込んでいったんです。そういう流れなので、いわゆるロックの人が歩んできた道とまったく違うんですよ。例えばレッチリなんかも聴いたことなくて、〈フリーって誰?〉みたいな。他のメンバーとも聴いてきた音楽が違うから、そういうところがおもしろいっちゃおもしろいなと」

――松下(マサナオ、Yasei Collectiveドラムス)さんは〈AIR JAM〉周辺を通ってきているんですもんね。

別所「マサナオも、拓郎(斎藤拓郎、ヴォーカル/ギター/シンセ)もミッチー(中西道彦、ベース/シンセ)もみんなそういうところは通ってきてる」

――ヤセイのなかではちょっと違う道を歩んできてると。

別所「そうですね、ヘンな出自というか。ヤセイに加入するにあたってキーボードを買わされて、それからどんどん機材が増えて行った」

――ヤセイに入って鍛えられた面はありますか?

別所「それはやっぱりありますね。バンドもやったことがなかったので。ジャズのセッションはもちろんやったことはありましたけど、バンドとはまったく違うものですし。そういう意味では芹澤さんはずっとバンドをやってきた人だから、バンドのなかで自分がどう存在すればいいかをすごくわかっている。それは一緒にセッションしていてもわかるし。ただコードを追うだけのセッションではなく、全体のサウンドを理解して、自分が行くところは行く、みたいな。そういうところが勉強になります」

芹澤「俺がコードを追えないっていうのもあるけどね(笑)」

――では芹澤さんは?

芹澤「15歳の時にバンドを始めたんですが、鍵盤はまだやっていなくて、ギターや歌をやっていました。とにかくモテればいいやっていうスタイルで、モテるならギターか歌でしょう、とやっていたんです。それでミクスチャーメロコアがブームになった頃に洋楽も聴きはじめて、レイジ(・アゲインスト・ザ・マシーン)ビースティ・ボーイズを聴くようになったりとか、だんだん音楽自体に興味を持つようになった。それから99年の〈フジロック〉でフィッシュを観たり、〈Organic Groove〉というジャム・バンド中心のイヴェントが始まって、その周辺に俺らはガンガン影響を受けたんです。それでジャム・バンドには鍵盤がいるということで、バンドのなかで歌だけやっているのも手持ち無沙汰だろうと、俺に圧力がかかったんですよね。手の空いてる人間で鍵盤やれる奴いねぇかっていう」

フィッシュの96年のライヴ映像

 

――ハハハハ(笑)。

芹澤「その圧力に負けて、まずはローンを組んでオルガンを買ったんです。俺はまったくピアノが弾けないからオルガンから始めて、そこでヴィンテージの楽器に出会って。いちばん最初にヴィンテージを触るところから鍵盤人生が始まった感じです」

――それはいくつの頃ですか?

芹澤「ハタチでした」

――それまでは全然鍵盤に触ったこともなかったと。

芹澤「そうなんです。だからドレミファソラシドを近所のピアノ教室のおばちゃんに教えてもらうところから始めました。どこがドかもわからないし」

別所「すごいっすよね、それでここまでに至るっていうのは」

芹澤「だからできないことは何もできない。基礎をすっ飛ばして、いちばん最初にその先生に教わったのがエリック・サティの曲だったりしたから。そのサティが大きかったんじゃないかなと思って。その頃はスティーヴ・ライヒストラヴィンスキーのようなミニマルかつ現代音楽的なアプローチが好きで、ああいうのを模倣するところから鍵盤を始めたから、それがいまの音楽スタイルに通じるところがあるのかなと」

エリック・サティ作曲〈Gnossienne〉No. 1, 2, 3

 

――なるほど。

芹澤「なんでミニマルなのかというと、もちろんそういう音楽が大好きだったというのもあるんだけど、コードを追うようなメロディアスなものができなかったからだと思うんですよね。いまでも苦手なんですけど。だからミニマルなものをやらざるを得なかったというか。圧倒的に他のバンドマンより遅れて始めたから、(スキルではなく)自分のなかの音楽性の部分で勝負するしかなかった」

別所「芹澤さんはポリリズムにも強いですよね」

芹澤「それがその時の恩恵だろうね、きっと。あと、鍵盤を触るようになる前にお金を貯めて最初に買ったのがサンプラーで、ひたすらサンプリングしていたというのもある。その頃はテクノ全盛期だったり、ビッグ・ビートも流行っていて、サンプリング音楽が多くあった時代だから、鍵盤をピアノというよりはシンセサイザー、キーボードとして見てた」

――そう考えるとお互い全然違いますね。

別所「全然違いますね、見えてる景色も全然違うんだろうな」

――別所さんはプレイヤーとして影響が大きい鍵盤奏者は誰ですか?

別所「やっぱりビル・エヴァンスハービー・ハンコックチック・コリアバド・パウエル、最近だとブラッド・メルドー。ジャズの影響がすごく大きいですね」

――Mikikiでやっているヤセイのブログでは、ビル・エヴァンスとブラッド・メルドーを取り上げていましたもんね。ビル・エヴァンスからは具体的にどういう影響を?

別所「やっぱり和声ですね。〈Gm7(Gマイナー7)〉と言っても、その弾き方ひとつで全然サウンドが違うので、エヴァンスの演奏が全部楽譜になっている本を買って彼のアプローチを分析して、この場面でこういうふうにすると、こういうサウンドになる、というのをすごく研究しました。だから僕は音楽の捉え方が和声に寄っているのかもしれません。リズムという概念は後から付いてきた部分が大きくて。リズムに関しては芹澤さんが突出して持ってるところだと思います」

ビル・エヴァンス・トリオ“Waltz For Debby” パフォーマンス映像

 

――まさにバンド育ちだからこその感覚というか。

別所「そうですね。ただヤセイにおいてはリズム的なアプローチは足りすぎてるほど足りているので、リズムのアイデアから曲作りが始まった場合は、和声をこういうふうにしたらいいんじゃないかと提案する役を僕が担っています」

――ヤセイはリズムだけでなく、あらゆる面で飛び抜けたバンドだと思うんですが、芹澤さんはYasei Collectiveというバンドをどう見ていますか?

芹澤「音楽的にもちろん素晴らしいのは間違いないけど、茨の道を進むバンドだなと思いますね。ヤセイの音楽を理解してもらうのは相当難しいというか、ポップなアプローチのメロディーの曲もあるけど、絶対そのまま行かせなかったりする感じは、楽器好きが喜ぶポイントだったりするんですよね。目線が〈本当に音楽好き〉という方向に向いている。でもそういうものを日本の音楽シーンにドーンと出そうとしている心意気は素晴らしいと思いますね。それこそ近年のEDMブームのように、簡単にフィジカルに訴えかける音楽が流行ったりするなかで、それに逆行するような、フィジカルだけでなく脳味噌でも理解しなくちゃ楽しめない音楽は、TVで流れている音楽がトレンドになるわけじゃなくなるであろうこれからの時代に必要とされてくるんじゃないかな。こういうカッコイイ遊び場にある音楽がどんどん市民権を得てくると思う」

Yasei Collectiveの2013年のミニ・アルバム『Conditioner』収録曲“Goto”

 

――そうだといいですよね。

芹澤「細かいことを言えば別所の役割は重要で、ヤセイの音楽の散らかり具合ってすごいんですよ。それは悪い意味じゃなくて。良い意味でとっ散らかってるところを、別所がひとつコードを出すことで手引きするというか、説得力のある和声を出すことができるんです。単純ではないけどキャッチできる音楽にする。それはジャズをちゃんと研究している人のいいところだなと思って。別所はジャズについて、和声については職人的なんです、研究がハンパない。それで、俺もよく〈この曲のこのコードどうなってるの?〉って動画を送って解析してもらったりして。そういう面で学ぶことが多い」

――もともと別所さんは研究家肌なんですかね、音楽の聴き方が。

別所「やっぱりジャズを始める際に、何もわからないのでいろいろ考えてやるしかなかったのが始まりだと思います」

芹澤「すごいね。俺、まだわかんないよ(笑)」

別所「ハハハ(笑)。大学でジャズ研に入ると、全然何もわかってないのにいきなりセッションに参加させられるんです。何もわからないから何もできないのに、とりあえず音を出せと言われるんですけど、僕はとりあえずの音を出し続けるのが嫌で。自分で考えたことができていないと意味がないじゃないですか」

芹澤「そこに大きな性格の違いが出てると思うんですよね(笑)。俺がそこにいたとしたら、何も準備ができていなければ何もできないという考えすらまずなくて、とりあえず参加してみて、何もわからないけど堂々としていればいけるんだ、という楽観的な感じでいる。〈だって音楽でしょ?〉って」

別所「それでできる人とできない人がいて、僕はできない人間なので……。だからもういろいろこねくり回して考えるしかないんですよ」

芹澤「そのほうがいいだろ本当は(笑)。準備したほうがいいに決まってんだもん。でも、俺はそこで準備していなくてもみんなに後ろ指さされない術を学んできたんですよ、人生で。アプローチとか音の出し方とかで」

――ある意味で研究かもしれません(笑)。

別所「〈BASEMENT SESSION〉という芹澤さんやひなっち(日向秀和ストレイテナー)さん、田中邦和(サックス奏者)さんなどとやっているイヴェントがあって、そこでセッションしていると、芹澤さんが弾くとスペアザ感が出るんですよ」

SPECIAL OTHERSの2015年作『WINDOW』収録曲“Good Luck”

 

芹澤「それは引き出しが少ないから」

別所「でもそれはすごいことなんです。どこへ行っても自分の色が出せる。それはマサナオがよく言ってるんですけど、Yasei Collectiveという名前の由来は、どこへ行っても一人立ちできるという意味があるんです。そうやってどこでもヤセイの感じが出せるようにしたいよねという話をしているんですが、まさにそれを芹澤さんは体現してる」

芹澤「それも一長一短があると思うんだけど、どこにいても俺っぽさ、バンドっぽさが出るというのは、逆に言うとプレイヤー然としてやることができないからそうならざるを得ないっていうことで。別所はプレイヤーとしての生き方もできるタイプの鍵盤だから、逆に羨ましい。俺はバンドありきでプレイが構築されているから」

別所「でも僕らはバンドのシーンにいるので、いまはバンドとしてどうなるかということが重要なんです」

――ヤセイは最近ACIDMANの事務所に所属したり、自身のレーベルを立ち上げたり、新たな旅立ちと言えるタイミングかと思いますが、今後バンドとしてどういう方向に行きたいと考えていますか?

別所「そうですね、僕らの音楽の基本的な部分は曲げずに、ポップな要素も織り込んで、多くのリスナーに受け入れられるような音楽を作っていきたいなと」

芹澤「ヤセイってさ、もうわかんなくなっちゃってるというか、あまりに音楽に造詣が深くて、その〈曲げない〉という部分は相当だから、そこが強みだよね。浮世離れしてるところが」

別所「確かに自分たちでもあんまりわからないですけど(笑)、これまででいちばん、何も考えずにポップな曲作ろうとして作ったのが前作(『so far so good』)の“Tonight”だったんですよね。僕らとしてはすごいポップだと思ってる」

芹澤「ポップだけど、キャッチーではないというか。ポップとキャッチーって混同して使われがちだけど、全然違う。でも俺はポップなものは好きだけど、キャッチーなものが好きかというと必ずしもそうではないしね」