〈ハプニングありき〉はしんどかった

――あの頃は音楽的におもしろい時代でしたよね。ちなみに、パラシュート・ジャケットは結局買えたんですか?

「いや、買えなかったです。全否定されたんで、恥ずかしくなって(お店に)行けなくなったんです。その代わり、〈音楽って素晴らしいんや〉と教えてくれたんで。グランジ・ブームも多少引きずっとったし、パラシュート・ジャケットを着んでも、髪の毛赤く染めんでも、汚い格好でもええんかなって思えるようになりました。それで、いろんなCDやレコードを買い漁るうちに、〈これをあの店長に聴いてもらいたいな〉っていうのが出てきたんで、その店に行ってみたらもう閉店しとったんですよ」

――あ~。きっかけだけ作ってくれて。

「でも、そっからまたエエ話があって。僕はずーっとその店長を探してたんですよ、人生を変えられたんで」

――あからさまに変えられてますもんね(笑)。

「そうそう。そんで10年くらい経って、クリトリック・リスを始めてから2008年に服部緑地の野外音楽堂で、銀杏BOYZとかも出演したイヴェントにチョイ役で出させてもらったんですよ。転換の合間に1~2曲やって、終わったら引っ込んで、また転換になったら出てくるみたいな」

――転換DJ代わりの、転換ライヴ(笑)。

「そんで人のライヴは客席で観とったんですけど、誰かがガーッと近寄ってきて、〈お前何やってんねん〉って。それがそのときの店長やったんですよね。〈あれから店を畳んでマッサージ師をやろうと思ってんねんけど、お前がやってるのを観て、もうバンドやるわ!〉と言っていて。そっからいまも、マッサージ師をやる傍らちょこちょこバンドやってはるんですよ」

2008年のライヴ映像

 

――いい話ですね。そのとき買えなかったパラシュート・ジャケットも、いまとなっては額装されるぐらいの代物なんでしょうけど。

「そうなんですよね。でも僕はカジュアルで着ようとしてましたからね(笑)」

――普通に着倒そうとして(笑)。当時はそんなにオシャレしてモテてたんですか?

「自分で言うのもなんやけど、まぁまぁモテてましたね(笑)。髪の毛があった時代はコンパに行ってもモテるグループに入ってたと思いますし。ヤリまくってはないですけど」

――バンドを始めるきっかけもモテたかったから?

「いや、これはまた全然違った話があって。僕がいた広告会社は業界的にも残業が付き物だったんですよ。で、年齢を重ねるごとに年功序列で出世していって、部下の面倒も見なアカン、自分の仕事もやらなアカンと、終電で帰れないような日々が続くようになって。朝までやることもないんで、時間潰しでアメ村のバーに通ってるうちに常連になったんですよ。オシリペンペンズモタコがバーテンやってたお店なんですけど」

オシリペンペンズのライヴ映像

 

――あ、そこでそっちのシーンと繋がるんですね。

「ある日、たまたま個別で呑みに来とったお客さんが3人いたんですけど、夜中にひとりも寂しいから喋り出して。そしたら、それぞれが元ベース、元ドラム、元ギターだったんで、〈これも何かのきっかけやから、バンドやってみいひん?〉と盛り上がりだしたんです。そのとき横で呑んどったから、僕も誘われて。楽器経験がないから〈じゃあヴォーカルで〉と言われて、〈いや~、とんでもない〉って返したんですけど。でも、その前にペンペンズのライヴに行って、かなりの衝撃を受けたんですよ。〈関西のインディーズってこんなにおもしろいんや!〉みたいな。そっからステージに対する憧れも出てきて、いずれはダンサーでもいいからライヴハウスに出てみたいって気持ちもあったから、〈じゃあ入れて!〉となりまして」

――基本的に巻き込まれてばっかりですよね?

「ホントそうなんですよ(笑)。それから音楽の方向性を決めるわけでもなく、バンド名を決めようとなって。みんな酔っ払ってるから〈アナル・ナルシスト〉とか下品なのを言い合っているうちに〈クリトリック・リス〉って案が出てきて。ジミ・ヘンドリックスでエレクトリック、サイケデリックみたいな感じでカッコイイから、これでいこうと。その後に3人は初ライヴに向けて打ち合わせしてはったみたいなんですけど、僕は会社の仕事が忙しいから参加できなくて。しばらくしたら初ライヴが決まって、僕も練習してないけど一生懸命踊りますってことで、当日になったら残りのメンバーが仕事とかで全員来なかったんですよ(笑)」

――いきなりピンチですね(笑)。

「〈1人じゃ何もできないんで、ホンマにキャンセルさせてください〉ってライヴハウスの人に頼み込んだんですけど、お客さんも来ているし、タイムテーブルも組んであるから3分でいいので出てくださいと言われて。なんとかせなアカンと焦ってたら、対バンの人が〈リズム・マシーンがあるから、これに合わせて何かやったら?〉と貸してくれて。配線を繋いでもらい、パンイチになって、煽るように酒を呑んでベロベロになり、会社の愚痴や幼い頃のトラウマをラップするでもなく叫んで……いまのスタイルとあんま変わらないんですけど、そういうことをステージでやったら、めっちゃウケて(笑)。観てくれたバンドマンにも好評で、そこからミドリ後藤まりこちゃんや劔(樹人)くんのイヴェントに呼ばれるようになったり、いろいろ繋がっていったんですよね」

――流されるままに(笑)。

「そうなんです。それが最初のライヴで、2回目は〈プロレス・シンポジウム〉っていうプロレス好きなバンドマンが集まったイヴェントで」

――プロレス好きなんですか?

「いや、好きじゃないです(キッパリ)」

――また巻き込まれたんですか?

「そう、〈なんかワーワーやってる奴が出てきた〉ってことで呼ばれて」

――まあ、見てくれはレスラーっぽいですからね(笑)。

「僕の出番が最初やったんですけども、〈やっぱり順番を変えてくれ〉と言われて。僕、自分が出るタイミングに合わせてベロベロに酔っぱらってたんですよ。2時間前に会場入りして」

――シラフではできないですもんね。

「せやのに、出番が後ろのほうになったんですよ。それでもワーって呑み続けて、気付いたら楽屋で寝てもうとったんですね。で、ライヴハウスの人が〈出番ですよ〉って起こしに来てくれて。そしたら、自分で持ってきたパンツがどこにあるかわからんくて、もう全裸でおちんちんを隠しながらステージに行ったんです。このときには自分でサンプラーを買ってたので、そこにいろんなアニメの名台詞を仕込んでおいたんですけど、パンツも見当たらんし、とにかく出なアカンってことで、もう何もかも飛んでしまって」

――寝起きだし、泥酔してるしで(笑)。

「SEもなくてシーンとしてるなか、おちんちんを抑えながら出て行って、サンプラーのボタンを押そうとしたら、足がもつれてサンプラーの台に頭をぶつけてしまったんですよ。その台と一緒に倒れ込んでしまって、お客さんも〈なんやなんや〉とザワついてるけど、起き上がろうにも寝起きやし、お酒も呑んでて血も止まらへんし。なんとかせなアカンともがいてたら、サンプラーのボタンが肘に当たって、なんか知らんけど音量もマックスになってたみたいで、一休さんのエンディング前に流れる〈おもしろかった~? じゃ~ね~〉ってのが爆音でかかったんですよ。その後にブワーッとゲロ吐いて」

――ダハハハハ!

「それで〈これはマゾンナの再来や~!〉ってみんな言い出して。その2回目のライヴで、クリトリック・リスの名前が関西のライヴ・シーンに広まったんです。〈すっげえヤバイのが出てきた、あいつなんやねん〉って」

マゾンナの2004年のライヴ映像

 

――よくわからないけど、とんでもないやつが出てきたっていう(笑)。

「なんか妙な中年のオッサンが全裸で出てきて、モジモジしてると思ったらサンプラーに頭ぶつけて、爆音で〈おもしろかった~? じゃ~ね~〉ですよ。でも、とにかく辛かったですよ、僕、そんなライヴを狙ってできないから」

――完全に偶然性に依るものですからね。

「そうそう。でも、いろいろ呼ばれるようになったから、ちゃんとせなアカンということで、何年かかけて徐々にいまのスタイルに辿り着きましたね」

――繰り返しできるスタイルを作っていかなきゃいけないから。

「そうなんですよね。初めの頃は何もできることないんで、客に靴を投げてケンカしたりとか、そういうライヴでしたね。ハプニングありきのクリトリック・リスやったんで。とにかく自分で作るしかなかったし、しんどかったですね」

――どうやってライブを事故や事件にしていくかっていう(笑)。ちなみに、さっきの〈トラウマを語った〉というのは何を語ったんですか?

「“ノンちゃん”って僕の持ち曲があるんですけど、僕の幼馴染みにノンちゃんという子がいて、お父さんがタイガー・ジェット・シンに似とるんですよ。で、父親参観にそのお父さんが来たらクラス中が騒然となって、地味やったノンちゃんが一躍人気者になった。ノンちゃんは家が近いからいつも一緒に帰っとって、たまに家に寄ったりもしてたんです。そしたらある日突然、ノンちゃんが〈僕のお父さん、みんなタイガー・ジェット・シンに似てるって言うけど、ホンマは身体が弱くて、1年以内に死ぬねん〉って聞かされて。まだ小学校2年生だったし、すごくショックだったんですね。それから学年も上がって、僕も新しい友達が出来たからノンちゃんとも話せえへんなって。そんで中2になったときに、ノンちゃんが亡くなったんですよ。葬式に行ったら、タイガー・ジェット・シン似のお父さんは生きとって。〈なんや、生きとるやないか!〉って(笑)」

――そっちかよ!っていう(笑)。そういう基本的なモチーフも変わってないんですね。

「そうですね。そういう過去の出来事を、まぁラップでもなく語って、それにドラムがトントントンと乗ってるような感じで。だから始めた頃にやってたネタに、いまもAメロ・Bメロ・Cメロぐらい付けて、もう1回焼き直したりとか。初めの何年かで36年ぐらいの人生における強烈な出来事はもう出し切っちゃって。そこまでは実話ネタで全部やっていたんですけど、最近は些細な話を広げたり、ないことを曲にしたりもしてますね」

――その観客に靴を投げたりしてた時代って、トラブルは多々あったんですか?

「う~ん、その頃はホンマに〈関西ゼロ世代〉ブームで、オシリペンペンペンズやミドリが過激なことをしていて。マイクに頭をぶつけて血が出とったり、鋭利な刃物で身体を切ったりとか。あとは客にケンカを売ったり、あえて人種差別的なことを自分らの曲にして客を怒らしたり、その時代はもうそんな人ばっかりでしたよ。関西中がそういうのを求めていた感じで、僕も多少なりとも年は取ってるけれども、それのフォロワーみたいな感じでしたから」

――しかし、何も考えずにやったデビュー・ライヴの時点で方向性がほぼ決まっていたことに驚きましたよ!

「それでもう10年目なんで。普通は10年もギターとかに没頭しとったら、めっちゃ上手くなってると思うんです。真剣にトラック作りを10年やっとったら、才能がなくともそこそこのものが出来とると思うんですけどね。いまもトラックの本を読んで勉強したりしてないし、打ち上げに行ってバンドマンと交流して、そこで受けた刺激をライヴにぶつけて。そのライヴをするためにも曲を作らなアカンという感じで。それに、若手のハタチそこらのバンドに、〈スギム〉とか〈ハゲ〉呼ばわりされてケンカを売られるような、そういうライヴハウスでの環境も居心地がいいと思ってるんで」

2009年6月に東京・日比谷野外音楽堂で開催されたミドリのワンマン・ライヴ終了後、クリトリック・リスが登場した際の映像

 

★後編はこちら

 


 

〈クリトリック・リス × CQ 2マン〉
日時/会場:2月11日(木・祝) 大阪・北堀江club vijon
開場/開演:19:00/19:30
チケット:2,500円/3,000円(1D別)

〈恋をしようよVol.11〉
日時/会場:2月14日(日) 東京・新宿レッドクロス
開場/開演:18:00/18:30
出演:クリトリック・リス/恋をしようよジェニーズTHE TON-UP MOTORS
チケット:2,800円/3,300円(1D別)

〈クリトリック・リス「あなたのあな」リリース記念インストアライブIN 渋谷店〉
日時/開演:2016年2月22日(月) 20:00~
場所:タワーレコード渋谷店4Fイヴェントスペース
イヴェント内容:ミニ・ライブ&〈?会〉
参加方法:観覧フリー
問合わせ先:タワーレコード渋谷店 03-3496-3661

当日タワーレコード渋谷店にて、クリトリック・リス『あなたのあな』をご購入いただいたお客様に、先着でイヴェント参加券を1枚配布いたします。イヴェント参加券をお持ちのお客様はミニ・ライブ終了後の〈?会〉にご参加頂けます。
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