〈下ネタのナポレオン〉を名乗り、パンイチ姿のパフォーマンスでライヴ・シーンを中心にカルトな支持を集めてきたスギムのソロ・ユニット、クリトリック・リスが活動10周年目のファースト・アルバム『あなたのあな』をリリースした。昨年には〈AOMORI ROCK FESTIVAL ’15〜夏の魔物〜〉や〈りんご音楽祭〉など人気野外フェスにも出演し、12月に行われた東京・渋谷WWWでのワンマン・ライヴはソールドアウト。ウルフルズやナンバーガール、相対性理論など数多の才能を発掘してきた名物プロデューサーの加茂啓太郎による大プッシュもあり、シュールでマッドな46歳はここにきてブレイクの兆しを見せている。
そこで今回は、プロインタヴュアーの吉田豪氏がクリトリック・リスに直撃! 前後編に分けて、クリトリック・リスの原体験を振り返りながら、社会人時代からアルバム・デビューに至るまでの半生に迫る。この前編では、不安定だった少年時代の音楽遍歴や、予期せぬ形で自身のスタイルを完成させてしまったライヴ・デビューにまつわるエピソードなどを訊いた。
机にボーイ・ジョージの似顔絵ばっかり描いてました
――ちょっと前から加茂啓太郎さんが〈クリトリック・リスがヤバい〉と、すごい勢いで推してますよね。加茂さんはここ数年、〈伝説のプロデューサーがアイドルに行っておかしくなった〉って噂にはなってたんですけど、ついにここまでおかしくなったかと言ってたんですよ(笑)。
「はいはい(笑)。ボク自身も、なんで加茂さんが急にクリトリック・リスと言い出してくれたのか、いまだに不思議で。ただ、加茂さんもロック・シーンで新しい才能をずっと発掘してきた方で、いまのこういうアイドルの時代に、もう一回世に出てないようなスタイルを切り口にしたいといった話をされてたんですよ。それがボクであれば光栄やなと(笑)。またよりによって、こんな40半ばの中年のオッサンをなんで選んだのか(笑)」
――クリトリック・リスが世に出てないのには理由があるはずなのに(笑)。
「ハハハハハ! ほんとにそうですよね、しかもデビューしてから10年なのに(笑)。加茂さんの〈Great Hunting〉ってイヴェントに出させてもらって2~3年になるんですかね。何回かライヴを観てくれたことで、加茂さんのテンションも上がってきたようで。それで、去年の頭ぐらいから本腰を入れてくださるようになって、まずは最初に野外の、それこそ〈フジロック〉みたいなフェスに出演させようと動いてくれたみたいなんですけども……」
――その結果が〈夏の魔物〉出演ってことですか(笑)。
「そうなんです(笑)。加茂さんのおかげで主催者の成田大致と知り合うことができて。あとは昨年末の渋谷WWWのワンマンも加茂さんが押さえてくれたんですけど、普通にやったら会場は埋まらんやろなってことで、今回のCDリリースが後からついてきたような流れなんですね。ボク自身もホンマに出せるのか半信半疑のなか、リリース日を決められたらやらなあかんってことで、縁があってタワレコのレーベルからこういう形で出せたんですけども」
――何が味わい深いって、クリトリック・リスを全面的に押すぞとなった瞬間に加茂さんがユニバーサルから離れちゃった(※昨年付けで退社)ことで(笑)。
「ハハハハハ、ボクもビックリですわ! ユニバーサルのアーティストと共演NGとかになったらどうしようかと(笑)」
――おもしろい運命ですよね(笑)。それでアルバムもリリースされたので、今日は原点から振り返ってみたいんですけど。そもそもボクと同世代で、スギムさんが1学年上だから、どういう音楽遍歴を辿ってきたのか単純に興味あって。
「あ~、そうですね。音楽の原点ですか。ボクはやっぱり、あの……。ミュージシャン同士でも、〈初めて買うたレコードなんやねん〉って訊かれるじゃないですか。ボクの場合は中学入りたてのときで、アラン・パーソンズ・プロジェクトの『Eye In The Sky』なんですよ」
――ちょっと渋いじゃないですか。
「たまたま試験勉強しながらラジオでかかってた曲がすごく良くて、レコード屋で調べて自分で買ったんですけども。ただ、そっから別に洋楽にのめり込むわけでもないんですよ。〈ガンダム〉には乗り遅れたんですけど、その後の〈ダグラム〉や〈ザブングル〉とか、あのへんのアニメにハマってしまって」
――日本サンライズ系の。
「そうなんですよ。だからその後は、〈ダンバイン〉とか〈ザブングル〉のBGM集を買い漁るようになって」
――MIO※1とかTAO※2のほうに行っちゃうんですね。
※1 「戦闘メカ ザブングル」「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」などのアニメソングで知られるヴォーカリスト。2001年にMIQに改名
※2 「銀河漂流バイファム」の主題歌を手掛けた日本のロック・バンド
「そうっす! メッチャ聴いてました(笑)。その時期があってから、中学の後半にはボーイ・ジョージに夢中になって」
――ボーイ・ジョージですか(笑)。まぁ世代ですよね。
「やはり最初はラジオから流れてきて、すごい美少年だっていう。でも、ボーイ・ジョージのヴィジュアルは全然知らんくて。そしたら、MTVに出るっていうんですよ。当時は夜中の2時くらいに(地上波で)MTVをやってたので、ボーイ・ジョージのために目覚ましかけて。夜中に眠い目を擦って観たんですけど、そのときのショックたるやなかったですね(笑)」
――これはそんなに美少年でもないぞと(笑)。
「そうそう、美少年じゃないよなって」
――もっと異形の存在ですよね。
「もう触れたらアカンものに触れてもうたという感覚で。そこからボーイ・ジョージのオタクになりましたね。ボーイ・ジョージでシ●ったこともありますよ!」
――ダハハハハ! そんなに好きだったんですか!
「中学の頃は、自分の机にボーイ・ジョージの似顔絵ばっかり描いてましたね。描いては消して、描いては消して」
――自分がなりたいとかいうわけじゃないんですよね?
「もう単なる憧れですよね、ああいうふうになりたいっていう」
――なりたい願望もあったんですか(笑)。この前、杉作J太郎先生が〈梅沢富美男で●イたことがある〉と言ってたのに近い衝撃ですよ。
「いや、いまは完全にノーマルなんやけど、当時はホンマに思春期で不安定だったので。ちょっと自分でも信じられないですね」
――そのハードルを超えられる不安定な時期だったという(笑)。
「そうそう。その後は普通にハード・ロックやヘヴィー・メタルにハマって、それが大学ぐらいまで続いて。そっから、オルタナやパンクにガーッとなりだしたのはボクが社会に出てから。めっちゃ最近の話ですね」
――つまり、バンド・ブームとかもそんなには通ってない。
「もう日本の邦楽やバンド・ブームっていうのは一切通ってないですね。中学時代に周りはBOφWYに熱くなってたけど、ボクはまったく聴いてなくて。もっぱらボーイ・ジョージでした」
――BOφWYよりはボーイ・ジョージだったと(笑)。そこからサラリーマン経験のなかでいろいろ目覚めていくんですね。
「そうですね。まぁ基本はやっぱりモテたいってところから」
――それも遅いですよ(笑)。普通そういうのは学生のときに経験しますよね。
「でも、きっかけがあるんですよ。サラリーマンになってからある程度は収入が得られるようになって。ボクの会社がアメ村に歩いて行けるような距離で。しかも営業だったから、待ち合わせや商談の時間までにわりと自由な時間があったんですよ。だからその都度アメ村に行って、いろんな古着屋を回ってたんです。当時はちょうど、武田真治やいしだ壱成とかのフェミニン・ブームですよ」

――ボーイ・ジョージの次はフェミニン・ブームに(笑)。
「その頃はボクまだ痩せてて、しかも髪の毛がまだあったんですよ。ちょっとハゲかけとって、ブライアン・イーノの変わりかけぐらいのめっちゃフェミニンな感じで。それで会社も広告系やったんで、サラリーマンの営業やのに髪も赤く染めて」
――かなりフェミニンじゃないですか!
「それを引き立たすために、パンク・ファッションを売っている古着屋にもよく行ってたんですよ。そこで、ヴィヴィアン・ウエストウッドの〈SEX〉のパラシュート・ジャケットがオリジナルで売ってまして。15万円くらいしたんですけども、その頃は趣味もなくて服とオシャレにしか注ぎ込んでなかったし、馴染みの店やったんで〈これ欲しい〉って言ったら〈いや、お前には売られへん〉と店長に断られて。〈中身が伴ってないから〉と」
――お前はまだパンクじゃないからダメだ、と(笑)。
「〈お前には全然着こなせないし、お互いにとってプラスではない〉とまで言われたんですよ。物凄いショックでしたね。じゃあ、どうしたら売ってくれるのかと店長に訊いたら、〈中身が伴わないとアカンから、これを15万で買うんやったら、そこにタワレコあるから1万円で3枚か4枚CD買うて来たら?〉と。でも、何を買うていいかわからんと言ったら、bloodthirsty butchersの『LUKEWARM WIND』(94年)と、フガジの煙突が載ってるアレ(93年作『In On The Kill Taker』)と、フレーミング・リップスの『Transmissions From The Satellite Heart』(93年)の3枚を勧められて。悔しいから、そのままタワレコに行って買うたんですよ。そしたら、フレーミング・リップスのあそこに入ってる“Slow Nerve Action”って曲が、ドカドカ鳴ってるんだけどちょっと物悲しくて、いままで聴いたことないような曲で。もっと知りたいなと思って、そこからいろいろ聴くようになったんです」
――フレーミング・リップスがきっかけだったんですか(笑)。ボクもそのぐらいの頃は大好きでしたよ。
「あ~、『Clouds Taste Metallic』(95年)とかですよね。ボクもやっぱり、いまだにあの時期の(作品)は特別な思い入れがありますね。(オルタナやパンクに)目覚めたのがそういうきっかけで。ブッチャーズもハマりましたね。『kocorono』(96年)が出たあとは東京とか地方も追っかけたりしましたし。ファッションが否定されたんで、月10万使っとったお金を全部音楽に回したんですよ。その頃は海外のインディーズ・レーベル・ブームも来とったし」

〈ハプニングありき〉はしんどかった
――あの頃は音楽的におもしろい時代でしたよね。ちなみに、パラシュート・ジャケットは結局買えたんですか?
「いや、買えなかったです。全否定されたんで、恥ずかしくなって(お店に)行けなくなったんです。その代わり、〈音楽って素晴らしいんや〉と教えてくれたんで。グランジ・ブームも多少引きずっとったし、パラシュート・ジャケットを着んでも、髪の毛赤く染めんでも、汚い格好でもええんかなって思えるようになりました。それで、いろんなCDやレコードを買い漁るうちに、〈これをあの店長に聴いてもらいたいな〉っていうのが出てきたんで、その店に行ってみたらもう閉店しとったんですよ」
――あ~。きっかけだけ作ってくれて。
「でも、そっからまたエエ話があって。僕はずーっとその店長を探してたんですよ、人生を変えられたんで」
――あからさまに変えられてますもんね(笑)。
「そうそう。そんで10年くらい経って、クリトリック・リスを始めてから2008年に服部緑地の野外音楽堂で、銀杏BOYZとかも出演したイヴェントにチョイ役で出させてもらったんですよ。転換の合間に1~2曲やって、終わったら引っ込んで、また転換になったら出てくるみたいな」
――転換DJ代わりの、転換ライヴ(笑)。
「そんで人のライヴは客席で観とったんですけど、誰かがガーッと近寄ってきて、〈お前何やってんねん〉って。それがそのときの店長やったんですよね。〈あれから店を畳んでマッサージ師をやろうと思ってんねんけど、お前がやってるのを観て、もうバンドやるわ!〉と言っていて。そっからいまも、マッサージ師をやる傍らちょこちょこバンドやってはるんですよ」
――いい話ですね。そのとき買えなかったパラシュート・ジャケットも、いまとなっては額装されるぐらいの代物なんでしょうけど。
「そうなんですよね。でも僕はカジュアルで着ようとしてましたからね(笑)」
――普通に着倒そうとして(笑)。当時はそんなにオシャレしてモテてたんですか?
「自分で言うのもなんやけど、まぁまぁモテてましたね(笑)。髪の毛があった時代はコンパに行ってもモテるグループに入ってたと思いますし。ヤリまくってはないですけど」
――バンドを始めるきっかけもモテたかったから?
「いや、これはまた全然違った話があって。僕がいた広告会社は業界的にも残業が付き物だったんですよ。で、年齢を重ねるごとに年功序列で出世していって、部下の面倒も見なアカン、自分の仕事もやらなアカンと、終電で帰れないような日々が続くようになって。朝までやることもないんで、時間潰しでアメ村のバーに通ってるうちに常連になったんですよ。オシリペンペンズのモタコがバーテンやってたお店なんですけど」
――あ、そこでそっちのシーンと繋がるんですね。
「ある日、たまたま個別で呑みに来とったお客さんが3人いたんですけど、夜中にひとりも寂しいから喋り出して。そしたら、それぞれが元ベース、元ドラム、元ギターだったんで、〈これも何かのきっかけやから、バンドやってみいひん?〉と盛り上がりだしたんです。そのとき横で呑んどったから、僕も誘われて。楽器経験がないから〈じゃあヴォーカルで〉と言われて、〈いや~、とんでもない〉って返したんですけど。でも、その前にペンペンズのライヴに行って、かなりの衝撃を受けたんですよ。〈関西のインディーズってこんなにおもしろいんや!〉みたいな。そっからステージに対する憧れも出てきて、いずれはダンサーでもいいからライヴハウスに出てみたいって気持ちもあったから、〈じゃあ入れて!〉となりまして」
――基本的に巻き込まれてばっかりですよね?
「ホントそうなんですよ(笑)。それから音楽の方向性を決めるわけでもなく、バンド名を決めようとなって。みんな酔っ払ってるから〈アナル・ナルシスト〉とか下品なのを言い合っているうちに〈クリトリック・リス〉って案が出てきて。ジミ・ヘンドリックスでエレクトリック、サイケデリックみたいな感じでカッコイイから、これでいこうと。その後に3人は初ライヴに向けて打ち合わせしてはったみたいなんですけど、僕は会社の仕事が忙しいから参加できなくて。しばらくしたら初ライヴが決まって、僕も練習してないけど一生懸命踊りますってことで、当日になったら残りのメンバーが仕事とかで全員来なかったんですよ(笑)」
――いきなりピンチですね(笑)。
「〈1人じゃ何もできないんで、ホンマにキャンセルさせてください〉ってライヴハウスの人に頼み込んだんですけど、お客さんも来ているし、タイムテーブルも組んであるから3分でいいので出てくださいと言われて。なんとかせなアカンと焦ってたら、対バンの人が〈リズム・マシーンがあるから、これに合わせて何かやったら?〉と貸してくれて。配線を繋いでもらい、パンイチになって、煽るように酒を呑んでベロベロになり、会社の愚痴や幼い頃のトラウマをラップするでもなく叫んで……いまのスタイルとあんま変わらないんですけど、そういうことをステージでやったら、めっちゃウケて(笑)。観てくれたバンドマンにも好評で、そこからミドリの後藤まりこちゃんや劔(樹人)くんのイヴェントに呼ばれるようになったり、いろいろ繋がっていったんですよね」
――流されるままに(笑)。
「そうなんです。それが最初のライヴで、2回目は〈プロレス・シンポジウム〉っていうプロレス好きなバンドマンが集まったイヴェントで」
――プロレス好きなんですか?
「いや、好きじゃないです(キッパリ)」
――また巻き込まれたんですか?
「そう、〈なんかワーワーやってる奴が出てきた〉ってことで呼ばれて」
――まあ、見てくれはレスラーっぽいですからね(笑)。
「僕の出番が最初やったんですけども、〈やっぱり順番を変えてくれ〉と言われて。僕、自分が出るタイミングに合わせてベロベロに酔っぱらってたんですよ。2時間前に会場入りして」
――シラフではできないですもんね。
「せやのに、出番が後ろのほうになったんですよ。それでもワーって呑み続けて、気付いたら楽屋で寝てもうとったんですね。で、ライヴハウスの人が〈出番ですよ〉って起こしに来てくれて。そしたら、自分で持ってきたパンツがどこにあるかわからんくて、もう全裸でおちんちんを隠しながらステージに行ったんです。このときには自分でサンプラーを買ってたので、そこにいろんなアニメの名台詞を仕込んでおいたんですけど、パンツも見当たらんし、とにかく出なアカンってことで、もう何もかも飛んでしまって」
――寝起きだし、泥酔してるしで(笑)。
「SEもなくてシーンとしてるなか、おちんちんを抑えながら出て行って、サンプラーのボタンを押そうとしたら、足がもつれてサンプラーの台に頭をぶつけてしまったんですよ。その台と一緒に倒れ込んでしまって、お客さんも〈なんやなんや〉とザワついてるけど、起き上がろうにも寝起きやし、お酒も呑んでて血も止まらへんし。なんとかせなアカンともがいてたら、サンプラーのボタンが肘に当たって、なんか知らんけど音量もマックスになってたみたいで、一休さんのエンディング前に流れる〈おもしろかった~? じゃ~ね~〉ってのが爆音でかかったんですよ。その後にブワーッとゲロ吐いて」
――ダハハハハ!
「それで〈これはマゾンナの再来や~!〉ってみんな言い出して。その2回目のライヴで、クリトリック・リスの名前が関西のライヴ・シーンに広まったんです。〈すっげえヤバイのが出てきた、あいつなんやねん〉って」
――よくわからないけど、とんでもないやつが出てきたっていう(笑)。
「なんか妙な中年のオッサンが全裸で出てきて、モジモジしてると思ったらサンプラーに頭ぶつけて、爆音で〈おもしろかった~? じゃ~ね~〉ですよ。でも、とにかく辛かったですよ、僕、そんなライヴを狙ってできないから」
――完全に偶然性に依るものですからね。
「そうそう。でも、いろいろ呼ばれるようになったから、ちゃんとせなアカンということで、何年かかけて徐々にいまのスタイルに辿り着きましたね」
――繰り返しできるスタイルを作っていかなきゃいけないから。
「そうなんですよね。初めの頃は何もできることないんで、客に靴を投げてケンカしたりとか、そういうライヴでしたね。ハプニングありきのクリトリック・リスやったんで。とにかく自分で作るしかなかったし、しんどかったですね」
――どうやってライブを事故や事件にしていくかっていう(笑)。ちなみに、さっきの〈トラウマを語った〉というのは何を語ったんですか?
「“ノンちゃん”って僕の持ち曲があるんですけど、僕の幼馴染みにノンちゃんという子がいて、お父さんがタイガー・ジェット・シンに似とるんですよ。で、父親参観にそのお父さんが来たらクラス中が騒然となって、地味やったノンちゃんが一躍人気者になった。ノンちゃんは家が近いからいつも一緒に帰っとって、たまに家に寄ったりもしてたんです。そしたらある日突然、ノンちゃんが〈僕のお父さん、みんなタイガー・ジェット・シンに似てるって言うけど、ホンマは身体が弱くて、1年以内に死ぬねん〉って聞かされて。まだ小学校2年生だったし、すごくショックだったんですね。それから学年も上がって、僕も新しい友達が出来たからノンちゃんとも話せえへんなって。そんで中2になったときに、ノンちゃんが亡くなったんですよ。葬式に行ったら、タイガー・ジェット・シン似のお父さんは生きとって。〈なんや、生きとるやないか!〉って(笑)」
――そっちかよ!っていう(笑)。そういう基本的なモチーフも変わってないんですね。
「そうですね。そういう過去の出来事を、まぁラップでもなく語って、それにドラムがトントントンと乗ってるような感じで。だから始めた頃にやってたネタに、いまもAメロ・Bメロ・Cメロぐらい付けて、もう1回焼き直したりとか。初めの何年かで36年ぐらいの人生における強烈な出来事はもう出し切っちゃって。そこまでは実話ネタで全部やっていたんですけど、最近は些細な話を広げたり、ないことを曲にしたりもしてますね」
――その観客に靴を投げたりしてた時代って、トラブルは多々あったんですか?
「う~ん、その頃はホンマに〈関西ゼロ世代〉ブームで、オシリペンペンペンズやミドリが過激なことをしていて。マイクに頭をぶつけて血が出とったり、鋭利な刃物で身体を切ったりとか。あとは客にケンカを売ったり、あえて人種差別的なことを自分らの曲にして客を怒らしたり、その時代はもうそんな人ばっかりでしたよ。関西中がそういうのを求めていた感じで、僕も多少なりとも年は取ってるけれども、それのフォロワーみたいな感じでしたから」
――しかし、何も考えずにやったデビュー・ライヴの時点で方向性がほぼ決まっていたことに驚きましたよ!
「それでもう10年目なんで。普通は10年もギターとかに没頭しとったら、めっちゃ上手くなってると思うんです。真剣にトラック作りを10年やっとったら、才能がなくともそこそこのものが出来とると思うんですけどね。いまもトラックの本を読んで勉強したりしてないし、打ち上げに行ってバンドマンと交流して、そこで受けた刺激をライヴにぶつけて。そのライヴをするためにも曲を作らなアカンという感じで。それに、若手のハタチそこらのバンドに、〈スギム〉とか〈ハゲ〉呼ばわりされてケンカを売られるような、そういうライヴハウスでの環境も居心地がいいと思ってるんで」
〈クリトリック・リス × CQ 2マン〉
日時/会場:2月11日(木・祝) 大阪・北堀江club vijon
開場/開演:19:00/19:30
チケット:2,500円/3,000円(1D別)
〈恋をしようよVol.11〉
日時/会場:2月14日(日) 東京・新宿レッドクロス
開場/開演:18:00/18:30
出演:クリトリック・リス/恋をしようよジェニーズ/THE TON-UP MOTORS
チケット:2,800円/3,300円(1D別)
〈クリトリック・リス「あなたのあな」リリース記念インストアライブIN 渋谷店〉
日時/開演:2016年2月22日(月) 20:00~
場所:タワーレコード渋谷店4Fイヴェントスペース
イヴェント内容:ミニ・ライブ&〈?会〉
参加方法:観覧フリー
問合わせ先:タワーレコード渋谷店 03-3496-3661
当日タワーレコード渋谷店にて、クリトリック・リス『あなたのあな』をご購入いただいたお客様に、先着でイヴェント参加券を1枚配布いたします。イヴェント参加券をお持ちのお客様はミニ・ライブ終了後の〈?会〉にご参加頂けます。
★詳細/注意事項はこちら
