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マイケル・ジャクソン、不世出のマスターピース『Off The Wall』が何度目かの旬を迎えている理由とは?

【特集:マイケル・ジャクソン『Off The Wall』】Pt.1

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WRITIN' ON THE WALL
【特集】マイケル・ジャクソン『Off The Wall』
時代の流れを変えた常識破りなソウル・クリエイションにして、以降のポップ・スタンダードとなった究極の傑作――その魅力をいまこそ体験しよう!!

★Pt.2 現代のMJ現象を象徴するウィークエンド/継承される『Off The Wall』フィーリング

 


WHEN THE GROOVE IS DEAD AND GONE
不世出のマスターピース『Off The Wall』が、何度目かの旬を迎えている理由

 

  この2016年に改めて聴かれるべきマイケル・ジャクソンのアルバムとして『Off The Wall』以上のものはない――あらかじめ言っておくと、その意味合いは〈コンテンポライズ〉を謳って世に出された一昨年の『Xscape』とさほど変わるものではない。bounceの2014年6月号にも〈2014年にリリースされるマイケル・ジャクソンの楽曲として、“Love Never Felt So Good”以上のものはなかっただろう〉と記している通り、物凄く大雑把に言ってしまえば、それは〈ソウル/ディスコブギーファンクの再評価と現代解釈が進む時代における、そのルーツとしてのマイケル・ジャクソン像〉を提示するという試みだ。そう考えると、ダフト・パンク『Random Access Memories』やロビン・シックの『Blurred Lines』に象徴される2013年のトレンド発火からけっこう時間が経っているようにも思わなくもないが……その過程で有象無象が安直にソウルやブギーを標榜する例も多くなっているわけで、79年に打ち立てられたこの金字塔に触れることは、そうしたサウンドの本質がどこにあるのか、それを世界に広めたのが誰なのか、そんな諸々を改めて顧みる機会となるのかもしれない。

2014年作『Xscape』収録曲“Love Never Felt So Good”

 

度重なる再評価の根拠

 もともと『Off The Wall』の豪華リイシューは、マイケルが存命中の2009年に〈30周年アニヴァーサリー盤〉が出るという情報もあった企画だ。その前置きとして前年にはエイコンカニエ・ウェストウィル・アイアムとのコラボ/リメイクを収めた記念盤『Thriller 25』も出されており、恐らくその時点のマイケルは来るべきファイナル・コンサート〈This Is It〉を見据えて、自身の偉業を改めて整理して区切りをつける必要性を感じていたのではないだろうか。2000年代後半といえば、MJチルドレンを自認するジャスティン・ティンバーレイクアッシャービヨンセがポップ・シーンのトップに立ち、ニーヨがMJオマージュの決定打“Because Of You”(2007年)をヒットさせ、マイケルへの愛をそこかしこで表明していたクリス・ブラウンリアーナもまだ新進の若手スターだった頃。もう少し言えば、現在も続くマイケル的な表現作法へのリスペクト表明が広く顕在化した時期である。マイケル本人も〈才能があると思うフォロワー〉としてジャスティンとクリスの名を挙げるなど、現行のアーバン~メインストリームに直結する自身の影響力の強さを快く実感していたに違いない。

 残念ながらその〈30周年記念盤〉が実現しなかったのは衆知の通りだが、この2016年という年に『Off The Wall』が出ることのジャスト・フィット感は説明する必要もないだろう。この数年の間には先述したようなブギー/ファンクの流れがあり、その延長線上にファレルの再ブレイク(?)もあり、ジャネット・ジャクソンのカムバックやタキシードの人気があり、何よりウィークエンドによる屈託のないオマージュも生まれている。2014年に“Love Never Felt So Good”が存在したことの意味は、2016年に『Off The Wall』が脚光を浴びるべき意味をさらに増幅させたのだ。

ジャネット・ジャクソンの2015年作『Unbreakable』収録曲“No Sleep”

 

 とはいえ『Off The Wall』は、そうでなくてもマイケルが後世から評価を受ける際の絶対的な拠り所であり、特にアフリカン・アメリカンのコミュニティーや黒人音楽のファンの間では不動のマスターピースであり続けてきたのも確かだ。90年代以降のヒップホップ世代による評価においても、AORブラコン的な視点においても、その最高峰に位置づけられてきたのは常に『Off The Wall』だった。もちろん『Thriller』以降の偉業がマイケルをイモータルな存在にしたのは言わずもがな、である。が、仮に『Off The Wall』がスッポリ存在しなかったとしたら、マイケルの愛され方も現在とは少し違ったのではないかと思えてくる……それほどのものなのだ。

MICHAEL JACKSON Off The Wall: Deluxe Edition Epic/ソニー(2016)

 惜しむらくは、今回の『Off The Wall: Deluxe Edition』に音源の蔵出しや新規コラボといったトピックがないということ。DVD/BDで同梱されるスパイク・リー監督の最新ドキュメンタリー「マイケル・ジャクソンの旅:from モータウン to オフ・ザ・ウォール」はそれだけで価値のある観応え十分な映像作品だが、未発表曲を元にした『Michael』(2010年)や『Xscape』が続いた後だけに、コアなファンにとっては残念な部分もあるだろう。ただ、『Xscape』が“Love Never Felt So Good”に『Off The Wall』寄りのフィーリングを負わせつつ、実質的には『Bad』(87年)以降の音源を核にしていたことを思えば、完成品をモダンに膨らませられるアウトテイクが見つからなかったのかもしれない(あるいは40周年記念を待つべき……なのか?)し、今回はそうやって選り抜かれた10曲の傑作を味わうべき、ということなのだろう。

ドキュメンタリー「マイケル・ジャクソンの旅:from モータウン to オフ・ザ・ウォール」より“Don't Stop”のライヴ映像

 

負けん気と緊張感

 そんな『Off The Wall』は、79年8月10日にリリースされた、マイケル・ジャクソンにとって通算5枚目、 エピック移籍後は初のソロ・アルバムである。もっともモータウン時代はレーベル主導で制作が進められていたため、当人の意識においては最初のアルバムに取り組むぐらいの強い意気込みがあったに違いない。ジャクソンズ『Destiny』(78年)を仕上げた達成感と商業的な成功もそんなガッツに拍車を掛けていたはずだ。初めてセルフ・プロデュースを許された同作でマイケルは兄弟たちを率先して創作欲と才気を爆発させ、弟ランディと共作した“Shake Your Body(Down To The Ground)”という大ヒットも生んで、結果的にグループ初のプラチナム・ディスクを獲得。マイケルが自身のヴィジョンの正しさに自信を深めたのは当然だろう。

 また、それに先んじて姉のラトーヤとNYでの生活を始めたことも大きかった。NY滞在は「オズの魔法使い」を古巣のモータウンが映画化した「ウィズ」(78年)の撮影に伴うものだったが、セレブが集うスタジオ54をはじめ、アーバンなナイトクラブ~ディスコで流行の最先端に触れたことは、まだ20歳前だった若きマイケルをいたく刺激したに違いない。そして、因縁のベリー・ゴーディJrが製作し、憧れのダイアナ・ロスが主演した「ウィズ」は、何より、そこで音楽監督を務めたクインシー・ジョーンズとの縁をもたらした。モーリス・ホワイトギャンブル&ハフらを含むレーベル側の提案を蹴ってクインシーをプロデューサーに起用したエピソードは有名だが、エピック側が指摘したように(その時点では)50年代からジャズ畑で実績を残すヴェテランの起用がコンテンポラリーに感じられなかったのは確かだろう。いまでこそマイケルの読みが正しかったことは明白ながら、ヒットメイカーという意味でクインシーがメインストリームに確固たる地位を築いたのは、それこそ『Off The Wall』以降のことだ。いずれにせよ、先が見えないながらも手を結んだマイケルとクインシーの負けん気のチーム感と緊張感が、この稀有な大作を完成させたことだけは確かである。

 レコーディングが始まったのは、まさに件の『Destiny』が世に出た78年の12月。必然的にジャクソンズとしてのワールド・ツアーも並行されていたわけだから、20歳になったマイケルの常人ならざるヴァイタリティーと一本気な信念が窺われる。そんな気合いに応え、40も半ばを過ぎたヴェテラン・プロデューサーも最良の結果を導き出すべく奮闘した。クインシーいわく〈良い楽曲と良いアレンジャーと良いミュージシャンを見つけてきて、良いシンガーに歌わせる〉のがプロデューサーの仕事だからして、お抱えのルイス・ジョンソン(ベース)やパウリーニョ・ダ・コスタ(パーカッション)、ルーファス組のジョン・ロビンソン(ドラムス)や『Destiny』でも活躍したグレッグ・フィリンゲインズ(キーボード)、そしてジェリー・ヘイ率いるシーウィンドのホーンズを軸に、ボビー・ワトソンデヴィッド・フォスターフィル・アップチャーチラリー・カールトンジョージ・デュークら西海岸の腕利きを中心とする物凄い名前が招集されている。

 楽曲選びに際しては、マイケル自身の書いたナンバーも(ルイスとの共作を含む)3曲が選ばれる一方、ポール・マッカートニーのナンバーも用意され、スティーヴィー・ワンダースザイー・グリーンの共作したメロウ・チューン“I Can't Help It”、キャロル・ベイヤー・セイガーデヴィッド・フォスターの共作したAORタッチの“It's The Falling In Love”、温存されていたというトム・バーラー(「ウィズ」にも関与)作の“She's Out Of My Life”も投入。さらにクインシーの慧眼は西ドイツのヒートウェイヴで活躍した英国人、ロッド・テンパートンの起用へと及んだ。ロッドがオファーを受けたのはバンドの『Hot Property』(79年)の制作中だったそうで、多忙な状況で書き下ろした3曲がすべて採用されている。

 

壁の向こうにあったもの

 アルバムが完成したのは79年6月のことで、翌月には先行シングルとしてマイケル自作の“Don't Stop 'Til You Get Enough”がリリース。パーカッシヴな野性味と洗練を兼ね備えたこの曲は世界中のチャートを上昇し、最終的には全米No.1を獲得している。マイケルにとっては72年の“Ben”以来の全米1位で、しかもR&Bチャートでは首位を5週独走する爆発的なヒットとなったのだ。この時期の全米チャートをざっと眺めてみれば、コマーシャルな領域におけるディスコ・ソングの流行は、ビージーズドナ・サマーシックらが覇を競った78年がピークだったことがわかる(ローリング・ストーンズ“Miss You”もこの年の全米No.1)。79年もドナの“Bad Girls”やグロリア・ゲイナー“I Will Survive”、ロッド・スチュワート“Da Ya Think I'm Sexy?”などの大玉によって現象は長い尾を引いたが、スタジオで『Off The Wall』が構築されている間に〈ディスコ〉は平板な4つ打ちが主流となり、ヒップなワードではなくなっていった。そんななか、〈ディスコ〉のムードを援用しつつ、いわゆる4つ打ちとは違うファンキーなグルーヴを纏ったマイケルの歌世界は恐ろしく斬新に響いたことだろう。

 80年代に入り、ブラック・コンテンポラリーやジャズ/フュージョン、AOR/ロックも跨ぐポップ新時代を演出していくことになったのは、『Off The Wall』に参加した先述の立役者たちだった。つまり、『Off The Wall』は70年代の締め括りと同時に、一足先に80年代のグルーヴをデザインした作品ということもできる。蛇足ながらも“Don't Stop 'Til You Get Enough”以降のR&Bチャート首位を追ってみると、2か月後にはマイケルと同年齢の天才プリンスが“I Wanna Be Your Lover”で初めてチャートを制し、その翌週からは3週連続でクインシーの手掛けるルーファス&チャカの“Do You Love What You Feel”、その翌週=80年のド頭から6週連続でNo.1を記録した楽曲こそ、『Off The Wall』からのセカンド・シングル“Rock With You”であった。同年のQさま仕事ではブラザーズ・ジョンソン“Stomp!”にジョージ・ベンソン“Give Me The Night”もNo.1に輝いており、このチームの権勢は80年代初頭の音楽シーンを賑わせていくことになる。

 その“Rock With You”はポップ・チャートでも4週連続で首位をキープし、以降も表題曲と“She's Out of My Life”が10位まで上昇し、アルバムから4枚連続で全米TOP10入りというソロ・アクトの新記録を達成している(それを破るのが『Thriller』だ)。勢いに乗ったマイケルは、ジャクソンズの次作『Triumph』(80年)でクインシーに学んだプロデュース作法を持ち込み、姉ラトーヤのデビュー・シングル“Night Time Lover”をヒットさせてもいる。もう自由な創作活動を咎める者はいない。それでもなお、マイケルには満たされない思いが残ったのだ。今回の〈Deluxe Edition〉発表に合わせて公開されたマイケルの直筆メモにはこう記されている――。

 〈今後はMJと名乗ることにする/新たな人格が欲しい/別人になりたい/“ABC”のマイケルとは別の人間に/世界を驚かせる一流の俳優・歌手・ダンサーになる/魔法になりたいんだ(略)偉大な先人たちを超えてみせる〉。

 このメモが書かれたのは『Off The Wall』発表から3か月後、11月のこと。しかしながら、翌80年のグラミー賞でマイケルが主要部門にノミネートされることはなかった。いわゆるR&B方面からのノミニーは、EW&Fの“After the Love Has Gone”やドナ・サマーの『Bad Girls』という安定の顔ぶれのみ……とは流石のグラミー流儀だが(なお、同時期のアメリカン・ミュージック・アウォードでは3部門を受賞)、それでも彼が権威に背を向けなかったのは偉大な先人たちを超えるためだったのか。

 以降の作品がまた別のプレッシャー下で創作せざるを得なくなったことを思うと、尚更『Off The Wall』のフィーリングにはやはり後にも先にもない格別の瑞々しさが感じられる。(誤解を恐れず言うなら)ここからイキイキと伝わってくるのは、経験豊富な大人の巧みな誘導も受けつつ、己の才気をバネにしてそれを跳ね返さんと躍動するマイケルの、何とも言えない〈楽しそう〉な姿じゃないだろうか。多くの後進が究極の目標としながらも、後のマイケルも含めて誰も超えることのできないサムシングに溢れた、これぞ金字塔である。

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〈マイケルの歌〉を確立したロッド・テンパートンの功績

 『Off The Wall』でそもそも特筆すべきは楽曲の良さでもあって、なかでも魔法のような旋律を備えた“Rock With You”を書いたのは、西ドイツで結成されたファンク・バンドのヒートウェイヴ(77年の脱退後はソングライターとして関与)で活躍した英国人のロッド・テンパートンだ。バンドは彼の書いたディスコ曲“Boogie Nights”でブレイクしているが、“Off The Wall”は同曲のノリをそのまま転用したものでもある。ただ、そこでマイケルの特徴に応じてロッドが仕掛けたのは、その声質や歌い口を鑑みてホーンズのように跳ねるメロディーを提供したことだ。その“Off The Wall”が後の“Thriller”に発展することを思うと、マイケル感全開のあの唱法の確立にはロッドの存在が不可欠だったということになるだろう。

 御大に気に入られた彼は、ブラザーズ・ジョンソン“Stomp!”やパティ・オースティン&ジェイムズ・イングラムの全米No.1曲“Baby, Come To Me”、ジョージ・ベンソン“Give Me The Night”、ドナ・サマー“Love Is In Control(Finger On The Trigger)”などクインシー制作のヒットを軒並み提供。マイケルの『Thriller』でも名曲“Baby Be Mine”や“The Lady In My Life”を書いている。

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