山中千尋がニュー・アルバム『ギルティ・プレジャー』をリリースした。これまではコンセプチュアルな作品が多かった印象の彼女だが、ジョン・デイヴィス(ドラムス)と脇義典(ベース)によるNYのレギュラー・トリオで作り上げた今作では、そこがはっきりと見えてこない。リズム・パターンもさまざまで、収録曲はヴァラエティーに富んでおり、そのなかにはどこか抽象的な楽曲もある。そうやって聴けば聴くほど、〈これはもしかして、ものすごく遊びのある異色作なのではないか?〉と思えてきた。現在はバークリー音楽院で講師を務めている彼女は、ジャズの歴史については言わずもがな、さまざまな音楽に広く深く精通している。以前、僕がカルチャー誌のために取材させてもらった時には、クラシックや現代音楽、ワールド・ミュージックまで話題は飛び交い、そのあとも映画やアート全般について縦横無尽に語ってくれた。『ギルティ・プレジャー』はもしかしたら、そんな彼女の本質がいよいよ表面化してきた一枚なのかもしれない。

山中千尋 ギルティ・プレジャー ユニバーサル(2016)

自由奔放な感覚から作った

――今回のアルバムは、どういったコンセプトで作りはじめたんですか?

「CDデビューから15周年ということで、自分のオリジナルをトリオでやってみたいという思いがまずありました。あとは、スタンダードの“ニアネス・オブ・ユー”では、フォームはなくて、ゆっくり緩急をつけて進むフリー(ジャズ)な感じの演奏をしています。ジェイソン・モランフレッド・ハーシュの演奏を(バークリー音楽院の所在地である)ボストンで観ることがあるんですけど、最近のムーヴメントとしてはフリーっぽいものに取り組んでいる学生もいて、そういう若いミュージシャンもこれからシーンに出てくると思うんです。といっても、昔みたいにアグレッシヴなフリーじゃなくて、それよりはピアノという楽器の柔らかい部分を強調しているところがありますね」

――山中さんとフリージャズ、という組み合わせを意外に思う人も多そうですが。

「私はもともとフリーが好きだったんですよ。自分がバークリーの学生だった頃、ボブ・モーゼスパット・メセニーとも共演している80年代の名ドラマー)とよくセッションをやっていたんですけど、ボブは〈4小節とか32小節で自分の表現ができるわけがない。ジャズのサークルにある凝り固まったフォーマットはやらない〉と言って、すごく時間をかけながら、ゆっくりとフリーを演奏していたんですよ。すごく時間が延びて、3時間くらいのセッションになっちゃうから大変だったんですけど(笑)。そういったことを思い出すうちに、このタイミングでやってみたいと思ったんです。だから今回は、私の自由奔放な感覚から作った部分がありますね。」

――リズムのフィールが全曲で違うのも印象的です。

「全然違いますね。特にジョン・デイヴィスは、ドラムンベースみたいなリズムから、マーク・ジュリアナ的なドラミングまで何でも叩けるんですよ。大きい塊で音楽を捉えて演奏できるジョンがいる一方、脇義典さんの確実で堅実なベースが真ん中に入ることで、私とジョンの引っ張ったり縮んだりする演奏を支えてくれている。ずっと一緒にバンドをやっているので、いちいち何か言わなくてもできちゃうんですよね。だから、すごくヴァラエティーが生まれたのかなと思います」

ジョン・デイヴィスのソロ・パフォーマンス映像
 

――そういうリズムは、レコーディング前に作ったものですか。

「“クルー”はスタジオの中で書いたんですけど、字余り、字が足りないとかがある曲なんですよ。4拍子の中に3とか2がランダムに入ってくるので、奇数拍子になるんですけど、そういうのが最初はきちんと決まってなかったので(メンバーに)怒られちゃって(笑)。ぐちゃぐちゃなテイクになってしまったので、そのあと譜面を書き上げてから次の日に録りました。“ギルティ・プレジャー”もスタジオで書いた曲ですね」

――例えば、“ライフ・ゴーズ・オン”のビートはどうやって作ったんですか?

「あの曲はジョンにドラムを叩いてもらって、それをカットアップしてループさせたり、いろいろ繋げて作りました。私とジョンだけが演奏しているものを録って、あとからベースを入れた形です。あとは、必要があれば〈こんなふうに叩いてほしい〉というイメージやパターンも伝えるようにしましたね。CSN&Yクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)の“Carry On”という曲が好きなので、そのパターンを叩いてもらったり。もちろん、そっくり同じようには叩かないので、最終的にはジョンらしい演奏にはなりますけどね」

――そういったジャズ的なものとは異なるリズムが多いので、逆に“ヘッジホッグ”みたいな曲だと、オーセンティックなリズムが際立っているように感じました。

「1曲くらい、そういうのも入れようかなと思って。“コート・イン・ザ・デイ”や“アット・ドーン”もECM系のストレート・グルーヴですよね。あと“ミーティング・ユー・ゼア”は、私のバークリー時代に教わった先生であるラズロ・ガードニーの曲です。前からすごく好きだった曲で、年末に東京オペラシティで一緒にコンサートするので、そのイントロデューシングみたいな意味合いも込めつつ収録しました。オリジナルではボブ・モーゼスが叩いていて、私もボブとこの曲をよく演奏していましたね」

※12月21日に開催される〈山中千尋 クリスマス・ジャズ・コンサート〉のこと。詳細はこちら

――日本でラズロ・ガードニーのことを知っているのは、バークリーに通っていてた人か、ピアノ・トリオの熱心なマニアくらいじゃないですか。

「でも、サニーサイドからもたくさんアルバムを発表していたりして、ボストンではとても有名な方ですね。この曲はメロディーもそうだし、音が抜けていく感じというか、外に開かれている感じが好きです。デヴィッド・ホックニーに、同じ場所の写真を時間を変えながら撮影して、それらを全部繋げてみると、少しずつ変わっていくという作品がありますけど、そういう要素がありますね。あと、一番重要なサビのところで、フリギアやロクリアンといった教会音楽で使われていたモード旋法を巧みに使っているのも良くて。音のカラーはすごく大事だなって」

ラズロ・ガードニーのソロ・パフォーマンス映像
 

――“サンキュー・ベイビー”は、ゴダイゴのタケカワユキヒデさんの曲ですね。

「私、タケカワさんの曲が好きなんです。ここでは私の演奏だけタイムをすごく遅くしているんですけど、歌い手がレイドバックしている感じを意識して弾きました。私が好きなシンガーは引っ張ってレイドバックしている感じの人が多くて、形は違うんですけど、私なりのブルースっぽい解釈で弾いてみました」

 

写真/山路ゆか

スピリッツはフリージャズ

――初回限定盤に付いてくるDVDには、CDに未収録の曲も入っている。

「〈赤とんぼ〉みたいな曲をフリーでやったりしてますね。オマケというよりは、DVDのほうが気合入ってるくらいなので、自然に歌えるように、なるべくロウ(生)な感じで演奏しています。今回のアルバム全体に関してもそう。最近は写真でもPhotoshopなどで加工しないロウな感じが流行ってますし、録音でもそういう感じを意識しました。ジャケットの写真は萩庭桂太さんが撮ってくださったんですけど、それもなるべく(自然の)光だけにしていただいて。ちなみに、ジャケットのイメージは灰野敬二さんですね(笑)。本当は〈無言歌〉って字を入れたかったんですけど」

『ギルティ・プレジャー』初回限定盤ジャケット

――不失者みたいな感じで(笑)。“ニアネス・オブ・ユー”みたいな曲からは、その仄暗いイメージが出ちゃってますね。

「“ニアネス・オブ・ユー”はフリーで作った曲ですけど、曲の終わりまでみんなそれぞれが違うタイム・フィールで演奏しています。最初のスタートは一緒なんですけど、違う道筋を辿って最後まで行くというのをやってみました。もともと、私はフリージャズ・ミュージシャンになりたかったので、そういう表現に向かっていきたい気持ちもあるんですけど、それだけじゃなくて、何か一つルールや方法を変えることで違う曲にできたらと思っています。自分でフリーをやると、どうしても似たような感じになってしまうので、自分の演奏を違う方向に導くようなことをやっているつもりです。でも、自分が豹変している感じって楽しいですね。基本的に、私のスピリッツはフリージャズ。プログレではなくて、パンクのスピリッツなんですよ」

――バークリー在学中にフリージャズをやったら、想定外にウケたという逸話を聞いたことがあります。

「私が最初にそういうことをやったのは、ジョージ・ラッセルのバンドで演奏した時ですね。そこにいたのは皆さんソリッドなミュージシャンで、バックグラウンドはビバップハード・バップなんだけど、もっとモダンな要素も楽々コントロールできていた。その一方で、当時の私はうわー!って弾くしかなかったんです。“African Game”という曲だったんですけど、ジョーダン・ホールのお客さんが一斉に立ち上がって、〈こんなめちゃくちゃに弾いたのになんで!?〉と驚きましたね」

※今日のジャズやポップス、現代音楽などの概念に影響を与えた音楽理論、リディアン・クロマティック・コンセプトを1950年代に提唱した作・編曲家/ジャズ・ピアニスト

――そういうハプニング的なおもしろさも、ジャズというか音楽の魅力でもありますよね。

「そういう表現には、その場にいるみんなが繋がる瞬間がありますよね。私もそういう場所に聴衆の一人として参加するのが好きなんです。ウェイン・ショーターが(フリーを)吹いている時だって、何が起こっているのかよくわからないし、もしかしたらロストしているだけなのかもしれないけど、何だかすごいじゃないですか。昔の〈ライブ・アンダー・ザ・スカイ〉の映像を観ていたら、ハービー・ハンコックが(拍子を見失って)ロン・カータートニー・ウィリアムズがどこにいるのかわからなくなって、〈完全に俺、ロストした〉ってジェスチャーをしていて。でも、その瞬間にみんなが盛り上がるんですよね。その空白にトニーが強烈なソロを始めて、さらにぐちゃぐちゃになっていくうちに、観客はますます盛り上がっていく。その映像を観ているだけでも電流が走りますし、そういうケミストリーが働くところが音楽のおもしろさだと思います」

ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズが共演した86年の〈ライブ・アンダー・ザ・スカイ〉のライヴ映像
 

――マイルスですら、そういう瞬間はありましたよね。壊したのか壊れたのかわからない瞬間のおもしろさというか。

「そうそう、予期しないことが起こる瞬間はあるわけで。そういう時に〈なーんだ、ロストしてるんだ〉みたいな聴き方だけはしたくないですね。音楽を好きな一人の人間として、そういう聴き方しかできなくなると寂しいですから、やっぱり音楽は〈バカになって聴く〉のが楽しいなって」

写真/山路ゆか
 

――なるほど。

「ミュージシャンが計算している部分じゃないところが出てきていたり、何か途轍もないものが出てくると、私はリスナーとして本当に楽しい。以前、ラッキー・トンプソンと一緒に演奏した時に、彼の音がものすごくて、これはフリージャズだと思いましたね。マイクが壊れるくらい音が大きくて、しかも、一つ一つの音がはっきりと際立っている。これはすごいことだなと。ルイ・アームストロングもすごい音量だったそうで、ミシシッピ川の向こうまで聴こえたというエピソードもありますけど、そういう途轍もない表現に出会うと、聴いている側として嬉しいんですよね。私自身は途轍もないものをコントロールすることはできないけど、一瞬でもそういう場所に立ち会いたい。もちろん、自分もそういう方向に向かおうと思っていて、リリカルな楽曲でもライヴでやると全然違うので、そこは育てていけたらと思いますね」

――さっきの灰野さんの話じゃないですけど、実は山中さんってエクスペリメンタルなものもお好きですよね。以前、芸術新潮に書いてたレヴューも盤のセレクトが攻めまくりで、ドーン・オブ・ミディなんかも取り上げていましたよね。

「あれは、流石にやりすぎちゃって(笑)。読者の皆さんが芸術リテラシーの高い方だと思ったので、あえてそんな感じでやってみたんですよ。あと、私はメアリー・ハルヴォーソンがすごく好きで、彼女のバンドを聴きながら自分でもギターを練習してるんです」

ドーン・オブ・ミディの2015年作『Dysnomia』
メアリー・ハルヴァーソンとチェス・スミス(ドラムス)によるライヴ映像
 

――すごくイイ話ですね(笑)。

「ところで、柳樂さんってどんな本を読まれるんですか?」

――どうしたんですか、急に(笑)。

「私は〈掃除は「ついで」にやりなさい!〉とか、最近は掃除の本ばっかり読んでいるんですよ」

――なんで、唐突にそんな質問を?

「〈音楽を書いて表現する〉とは、どういうことなんだろうってすごく興味があって。この前、吉増剛造さんの展示を観に行って、私はすごく感銘を受けたんです。吉増さんは詩人ですけど全体表現の人で、音楽もそれに含まれるんですね。同じように、私はミュージシャンだけが音楽を表現するわけではないと思う。柳樂さんのように、言葉で音楽を表現している方だっていらっしゃるわけですよね。私はいつもインタヴューしていただいているので、ぜひ一度、ライターの方に逆インタヴューをしてみたくて。次回は逆でよろしくお願いします」

――僕で良ければいつでもどうぞ! というか、インタヴューアーになったらいいじゃないですか。山中千尋による灰野敬二インタヴューとか、みんな絶対に読みたいはずですよ。

「灰野さん、ちゃんと答えてくれますかね。そういえば私、高校生の頃に高橋悠治さんに電話したことがあるんですよ。高橋さんしか持っていない楽譜があって、それがどうしても欲しかったので先生に訊いたら、電話番号を教えてもらえて。本当は手紙が良かったんですけど、電話番号しかわからなかったので、すごく緊張しながら電話しました」

――そのエピソードも最高ですね(笑)。あとは誰かインタヴューしてみたい人はいますか?

二階堂和美さんが大好きなので、ぜひお話を伺ってみたいです。実現できたらいいですね」