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“Rock With You”や“Thriller”書いた最高峰の作曲家、ロッド・テンパートン追悼―クインシーも信頼置く名裏方の仕事歴を振り返る

【IN THE SHADOW OF SOUL:ソウル・ミュージックの光と影】[第98回]永遠のロッド・テンパートン

“Rock With You”や“Thriller”書いた最高峰の作曲家、ロッド・テンパートン追悼―クインシーも信頼置く名裏方の仕事歴を振り返る

名裏方という形容は彼のためにある。量産型のヒットメイカーではなかったものの、大舞台では恐るべき高打率で結果を出し続けた、ソングライター/アレンジャー/鍵盤奏者のロッド・テンパートン。グルーヴが終わってしまっても彼の音楽でロックし続けよう

 マイケル・ジャクソンの“Rock With You”と“Thriller”を書いたソングライター――この一文だけでロッド・テンパートンという人物がいかに偉大な音楽家であったかがわかるだろう。マイケルの両曲を20世紀最高のポップソングだとするなら、ロッドは20世紀最強のポップソング・クリエイターだったと言える。ただ、クレジットこそされていたものの当時はファンク・ブラザーズのメンバーよろしく正体不明な存在でもあったとも言われ、その名前よりも関わった楽曲のほうが有名だった。マイケル以外にもクインシー・ジョーンズの下でブラザーズ・ジョンソンルーファス&チャカパティ・オースティンジョージ・ベンソンジェイムズ・イングラムらの作品を手掛けた彼は、黒い艶を放つ楽曲の印象から黒人だと思われていたこともあるそうだ。

 が、実際の彼は英国出身の白人であった。クインシー・ジョーンズが自叙伝で〈真に最高のパートナー〉〈戦場で誰もがそばにいてほしいと願う強者のような存在〉と絶賛していたロッドは、本名をロドニー・リン・テンパートンといい、1947年もしくは1949年にイングランド東部のクリーソープスで生まれている。ラジオ・ルクセンブルグでリズム&ブルースソウルを聴いて育ったことが黒人音楽への入り口となったようで、キーボードを商売道具にすると西ドイツ(当時)に向かい、72年に仲間とソウルのカヴァー・バンドをスタート。米軍基地の慰問公演をするなかで別のバンド・メンバー募集の告知に応募したところ採用されたのがジョニー・ワイルダーJr率いるヒートウェイヴだった。この多国籍ファンク・バンドはロッドの母国イギリスを拠点とし、76年にGTOからデビューを飾っているが、ファーストの『Too Hot To Handle』は全曲がロッドの作ということで、バンドの楽曲は以降の作品も含めてロッドのセンスに負うところが大きかった。

 いま振り返るとロッドの曲作りやアレンジの個性はヒートウェイヴの初期作品に集約されており、後の作品はその応用だったという印象を受ける。特にベースラインを含むグルーヴィーでメロディアスな曲の構造がマイケルの“Off The Wall”や“Thriller”の雛形になったとも言える“Boogie Nights”は、ハープ音を絡めた4ビートのイントロにおけるジャジーネス、複雑かつ洗練されたハーモニーも含めてロッドらしさが詰まった一曲。こうしたファンク系のアップを作る一方で、“Always And Forever”のようなスロウ・バラードも作ってしまえる柔軟性や懐の深さが彼の特長であり、そんな部分にクインシーも惚れ込んだのだろう。クインシーは自叙伝でロッドについて〈クラシックの作曲家の資質をもち、旋律や対位法に優れた才能を発揮するソングライターの最高峰〉と語っていたが、複数のメロディーを独立して鳴らしながら美しい旋律をキープしてめくるめくようなグルーヴを生むロッドのアレンジ技法は、アーバンで洗練された〈キラーQ軍団〉のバッキングによってさらに真価を発揮していく。その究極がマイケルの“Rock With You”だったのではないだろうか。

 クインシーに誘われたこともあり、ヒートウェイヴからは79年作『Hot Property』のリリース前に脱退したロッド。だが、独立してソロ活動を行うわけでもなく、引き続きヒートウェイヴに楽曲提供をしながらLAを拠点とするQ軍団の一員として裏方に徹したあたりも彼の殊勝なところだ。クインシーが〈常に完璧に準備し、戯言はいっさい口にしない〉と自叙伝で激賞していたように、華やかなスター相手に万人受けする曲を作りながらも私利私欲とは無縁だったロッドは、徹底して音楽職人であり続けた。また、優れた作曲家であると同時に優れた作詞家でもあったロッドは、あらゆる状況に対応したリリックを書けることでも知られ、例えばクインシーの“Slow Jams”のようなブラック・ピープル向けの濃厚なスロウ・ジャムでも単独でペンをとっている。言ってみれば〈白人離れした〉クリエイターでもあったのだ。

 仕事上のパートナーは必ずしもクインシーに限らず、ジャズの素養もあったロッドらしくハービー・ハンコックボブ・ジェイムズと組めば、ヒートウェイヴを手掛けていたフィル・ラモーン絡みでカレン・カーペンターに曲を書いたり、リチャード・ルドルフの下でマンハッタン・トランスファーサイーダ・ギャレットを手掛けることもあった。また、80年代半ばには映画のスコア/サントラにも関わり、クインシーとの『The Color Purple』、クライマックスマイケル・マクドナルドの曲を含む『Running Scared』でも手腕を発揮。が、以降はクインシーのリーダー作を除けばわずかな仕事しかしていない。ヨーロッパに複数の別荘を持つなどしていたと聞くから、悠々自適の生活だったのだろう。

 結局、長きにわたる癌との闘いの末、2016年10月にこの世を去ったロッド。最後まで過去に関わった作品についてのエピソードしか残さなかった彼は、ミュージシャン中のミュージシャンと呼ぶに相応しい男だった。

 

ロッド・テンパートンの参加曲を含む作品。

 

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