80年代ブラック・コンテンポラリーの色合いを規定した才能たちの集団、ハッシュ・プロダクション。復刻シリーズ〈Throwback Soul〉の収穫にも合わせて、今回はその語られざる魅力を改めて掘り下げてみよう!

 ハッシュ・サウンドと言われて連想するのは、大都会、摩天楼、ベッドルームあたりだろうか。80年代から90年代前半にかけて、NY発信のR&Bとして時代を彩ったハッシュの音は、都会に暮らす黒人たちにとってのサウンドトラックであり、ロマンスを育むBGMであった。看板アーティストはフレディ・ジャクソンやメリッサ・モーガン。滑らかなグルーヴや美しいメロディといったソウル・ミュージックの良質なエッセンスを当時最新のテクノロジーで表現したハッシュの音楽は〈ブラコン〉とニアイコールで語られることも多い。ヒップホップやニュー・ジャック・スウィングほどの革命ではなかったが、新しい感覚を持つクリエイターによって生み出された洒脱なソウルは、FMラジオの多局化とともに支持者を増やしていった。

 ハッシュとは、レーベルやジャンルの名称ではなく、マネージメント、音楽制作、音楽出版、映画制作などの事業を行うプロダクションだ。運営者はチャールズとボーのハギンズ兄弟。ハッシュでプロダクション・コーディネーターの肩書きを持ち、ミックス、マスタリングまでをこなしたザック・ヴァズのインタヴューをもとにその歴史を辿ると、同プロダクションはメルバ・ムーアのマネージメント会社として73年にスタートしている。チャールズはメルバの夫で、当時彼はNYのブロンクスやハーレムで複数のクラブを経営していたやり手だった。主にビジネス面をチャールズ、クリエイティヴ面をボーが担当。彼らはブッシュ・バーニン・ミュージックという音楽出版社を持っていたことから、兄弟のHuggins姓と出版社名のBushを合体させてハッシュ(Hush)と命名したとされる。

 しばらくはマネージメント業が中心だったが、徐々に音楽制作にも関わり始め、80年代を迎える頃にキャピトルから制作契約の話が舞い込む。そこでハギンズ兄弟がプロデューサー/ソングライターとして迎え入れたのが、マイティ・M・プロダクションズで仕事をしていたカシーフとポール・ローレンスだった。彼らはメルバ・ムーアの『What A Woman Needs』(81年)に、すでにハッシュと連携していたマクファデン&ホワイトヘッドと並んでプロデュースなどを担当。続くメルバの『The Other Side Of The Rainbow』(82年)では主要曲を任された。ここでは当時デイトンに参加しはじめたラーニ・ハリス(ラーニ・ソング)も制作に関与し、ハッシュの仲間入りを果たしている。

 カシーフとポール・ローレンスは、プロデューサー業の傍ら、個々にソロ・プロジェクトも開始。カシーフは83年にアリスタからソロ・デビューし、ホイットニー・ヒューストンやケニー・Gを手掛けて独自の道を歩んでいく。一方のポールは85年にキャピトルからデビュー。そんなポールの友人で、ハッシュ所属のメルバ・ムーアやリロ・トーマスのバック・ヴォーカリストとして活動していたのが、フレディ・ジャクソンだった。この頃ハッシュはオルフェウス・プロダクションとして新たな体制を敷き、フレディはオルフェウスの第一号アーティストとして契約。85年にキャピトルからアルバム『Rock Me Tonight』でソロ・デビューを飾っている。

 フレディのデビュー作をメインで手掛けたのはバリー・イーストモンド。メルバ・ムーアに才能を買われ、ビリー・オーシャンにも関与した鍵盤弾きで、後にアニタ・ベイカーも手掛けてクワイエット・ストームの中核となるR&B職人だ。そのバリーを含む上記の面々が、いわゆるハッシュ・サウンドの要となる。他にも、元チェンジのティミー・アレン、クール&ザ・ギャング一派のロイヤル・ベイヤン、ウェイン・ブレスウェイト、ビリー・ニコルズ、ファリードといった才人たちがハッシュ・サウンドに貢献。TR-808に代表されるドラムマシンやDX7をはじめとするシンセサイザーなど当時最先端の機材を駆使しながら、デジタルのチープさを生楽器で補完し、ハイファイな音質で届けるのが一派のスタイルだった。その質感は、同時代の久保田利伸や、後にブルーノ・マーズが『24K Magic』のバラードで再現したサウンドを思い浮かべてもらうとわかりやすい。フィリー・ソウルのエレガンスやファンクの躍動感を受け継ぎながら、ハッシュ所属のナジーによるサックスなどを交えたクラッシーな楽曲。それはソウルとスムース・ジャズの融合とも言えた。その中で、ボー・ウィリアムスやウィリー・コリンズといった往時のディープ系ソウル・シンガーの流れを汲むシンガーたちもスタイリッシュな音を纏った。

 ハッシュ/オルフェウス所属のアーティストの大半は提携先のキャピトルから作品をリリースした。が、他社とも制作契約も結び、ジョン・ホワイトやヴァニース・トーマスはゲフィン、レイ・グッドマン&ブラウンはEMIからそれぞれアルバムを発表。このことは当時のハッシュがレーベル機能を持たず、間口を広げていたことを意味する。ゆえにハッシュとして括られるものは多岐にわたり、マネージメントのみを手掛けたアーティスト(アイザック・ヘイズやフォースMDズも含まれる)がいれば、会社とは別に関係者が音楽制作をしただけの作品(コントローラーズやジェイムス・ロビンソンなど)もあった。

 長らくレーベルを所有していなかったハッシュだが、80年代後半にはオルフェウス・レコーズを設立。従来のハッシュ所属組に加えて、エリック・ゲイブルやコンプトンズ・モスト・ウォンテッドなど多彩な顔ぶれがレーベルを賑やかす。また、92年には兄弟レーベルのTHGミュージックをポリグラム傘下で立ち上げ、96年にハッシュ・エンターテインメントをレーベル化するなどもしたが、その黄金期はレーベルを持たない時代だったと言っていい。

 90年代には近過去の音楽ゆえに時代遅れとされ、70年代的な生音が礼賛される風潮もあって低評価に甘んじていたハッシュ・サウンド。だが、現在シティ・ポップと紹介されている音楽もリアルタイムで影響を受けていた……と言わずとも、都会的で芳醇なR&Bの宝庫だったことに、いまなら気づいてもらえるだろう。 *林

タワレコ限定のコンピ『Midnight Love IV - SMOOTH R&B ESSENTIALS』(ユニバーサル)

 

現在入手困難ながらも重要なハッシュ作品。
左から、リロ・トーマスの83年作『Let Me Be Yours』(Capitol)、ナジーの92年作『Just An llusion』(Orpheus/EMI)

 

カシーフが参加した作品を一部紹介。
左から、ホイットニー・ヒューストンの85年作『Whitney Houston』(Arista)、レイ・パーカーJrの87年作『After Dark』(Geffen/ユニバーサル)