COLUMN

横尾忠則とデヴィッド・リンチ―故郷は創造の源泉

Exotic Grammar Vol.55-1

 

 デヴィッド・リンチは子供の時に2つのブロックしかないほどの小さな町に住んでいた。高校に行くまでをそこで過ごした。その町に全てがあったと語っている。お父さんは冒険好きで、昆虫を捕まえて、羽や手足がどのようにできているか、一緒に解剖したりした。

 デヴィッド・リンチは高校生の時に絵描きになりたいと決めた。彼が美術学校に行き出して、一人で住んでいる時にお父さんが遊びに来た。子供の頃を思い出して、自慢げに自分の地下室を見せた。そこには解剖しかけた死んだ鳥やネズミや昆虫のコレクションがあった。デヴィッドは当時のことをこう語っている。町の死体置き場に行って、一人で死体を眺めながら、その人が生きた人生のストーリーを考えるのが好きだったこと。一人で住みはじめた最初の2週間は部屋の椅子に座り込んで、部屋にあった食べ物や植物が少しづつ腐っていくのをひたすら観察したこと。デヴィッドは地下室から階段を上がる最中にお父さんの方を振り返ると、彼がぞっとした顔をしているのに気がついた。〈やべーよ。どうしよう? トンでもない子になっちゃたよ〉と思っているような顔だった。お父さんは彼に言った〈子供だけは作るなよ!〉。しかし、当時つきあっていたガールフレンドには、二人が知らないままに、すでに子供は出来ていた。ピンチ! だが、その時に不思議なことが起きた。彼が家で作ったアニメーションが認められて、芸術財団から映画学校に行って作品を作れるお金がもらえることになったのだ。〈これがなかったら、自分はどうなっていたか、分からない〉と今でも語っている。こうしたことは本当にあるものだ。自分にもあった。横尾忠則に〈破滅直前の時に限って救いの神がやってくる〉(「死なないつもり」より)という言葉もある。

 デヴィッド・リンチは、住む場所も与えられて、そこで知り合ったメンバーと白黒映画「イレイザーヘッド」を撮った。映画のストーリーは、ある男の人が白い精子のような液体を出しているところから始まる。男は、夜中にギャーギャー泣く子供とその母親と住んでいる。映画の後半で、男は“うるせえ”と思って、ハサミで泣く子供を刺殺してしまう。デヴィッドは、この映画で、自分の生まれたばかりの赤ちゃんの娘の泣き声を録音して使った。映画はカルト映画の名作となった。

 これは現実の世界で起きたらコワイ事件だが、イマジネーションやクリエイティブな発想と現実をはっきりと区別出来ている人には違うと思う。精神分析家のユングは人間はみんな影を持っていると考えていた。そして、その人の中にある影を外の世界に表現して出さなければ、人の中に残ってしまい、そのイメージが外の世界で見える怖いものになったり敵や嫌な人として見えて来ると書いている。ホラー映画やミステリーが流行るのは、このような理由がある。人が週刊誌でゴシップを読むのも、自分の中にもある影を外に出して読んでいるという見方がある。本当の殺人事件は、イメージにとらわれ過ぎて、執着心ができて、現実と区別ができなくなった時に起きるのではないか。客観的に考えてみる能力を得れば、多くの恨みや憎しみも消えたりする。死や恐れもイメージにして出してしまえば、その恐怖から自分は解放される。

 デヴィッドの赤ちゃんが大きくなると、「ローラ・パーマーの日記」という本を書いた。これは夜中に父親が自分の娘を襲いに来て、最後に殺されるという話を高校生の娘の立場から書いた本だった。その本はデヴィッド・リンチのテレビ・シリーズ「ツイン・ピークス」の中心的なストーリーとなった。「ツイン・ピークス」は1990年代の文化を代表するような大ヒット作品になった。そして、デヴィッドの娘は後にホラー映画の監督として成功をおさめるようになった。

 「ツイン・ピークス」はテレビの脚本家マーク・フロストと一緒に二人でソファーに座って、ストーリーを話しながら書いていった。2017年に放送された第3シーズンはSkypeを使って二人で話しながら台本を書いたと語っている。第3シーズンはすごいことになっている。その第8エピソードはほとんど会話がなく進んでいく。「ツイン・ピークス」の町のバーでナイン・インチ・ネイルズが演奏している。演奏が終わるとペンデレツキの《広島の犠牲者に捧げる哀歌》という曲が長く使われている。映像がスゴイ。原爆実験の映像が花火のような綺麗な色になり、細かい微粒子のようなものが空中に浮いている。その中から爬虫類のような生物が生まれ、ローラ・パーマーの母の体の中に入っていく。タバコをくわえながら〈火あるか?〉と聞く浮浪者のような男。ラジオ局に入り込んで、そこで働いている人の頭をつぶしてしまい、催眠的な言葉をラジオから語り出す。理屈で見るドラマではない。だが、今という時代をよくとらえている。陰謀説などがあふれている現代にぴったりの場面もある。〈あれ?〉と思わせる事件がたくさん起きる。それはコミカルであり、ブラックであり、現実に起きると悲劇でもある。しかし、観る人に次に何が起きるのだろうと、ゾクゾクさせて行く。全部で18時間だが、第8エピソードを見ると、もうやめられなくなる。正直にいうと、それまでの「ツイン・ピークス」と映画版「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」からカットされたミッシング・ピーセズまでを全部見てから第3シーズンを見ないと物語が分からいかもしれない。「ツイン・ピークス」はリンチの頭の中で作り出した町だが、もうすでに非物質的な想像の中の生きている町になっている。ドラマを見るということは、その世界を一緒に生きるということである。あなたも参加者になってしまうのだ。

 リンチはユングのアクティブ・イマジネーションのような瞑想をやりながら、ストーリーを想像して行く。「マルホランド・ドライブ」は作品の1時間のパイロット版を作ってからスポンサーに製作費を出してもらうまで、1年半以上も時間がかかった。しかし、予算が出ると数時間でストーリーが瞑想から思い浮かんだと言っている。

 デヴィッド・リンチの描く世界はユングの言葉を思い出させるところがある。横尾忠則が感覚的に書いている言葉もユングを思い起こしてしまうところがある。

 横尾忠則は書いている。〈どうもぼくは死のイメージが好きだ。死を恐れながら死のイメージで自分自身を彩ることがなぜか安心に繋がり、それがまたたまらなく快感さえ伴うのだった。死を日常化することによって生が虚構化されれば生と死の区別はなくなり、死の恐怖から解放されると直観したからだ。〉

《ヒキガエルと女》2017年 作家藏

 横尾忠則現代美術館の今回の展覧会のタイトルは〈横尾忠則の冥土旅行〉。

 展覧会は4章構成になっている。ダンテの神曲にテーマにした1970年の女性のヌード写真集、ダンテの神曲の場面をテーマにした1974年のポスター、赤のシリーズ、女性の後ろ姿を描いた1980年代のドローイング、顔を隠された女性 。小学生の頃の横尾さんは神戸や明石の街が空爆で燃え盛るのを何十キロも離れた故郷の街から見ていた。〈山の彼方の出来事だが、そこには想像を絶する地獄絵図が展開していた。僕が赤い絵を描く時によみがえるのは、あの赤い焼けた空であると同時に、その赤い空を大河のように流れる銀河の一粒一粒の無数の星の奏でる音楽に変わるのである。〉この頃から感じていた恐怖を作品を描く事によって克服した。

 横尾さんが描く故郷の西脇やデヴィッド・リンチが描くアメリカの小さな町には故郷と原体験がはっきりと出ている。故郷は創造の源泉。「横尾忠則遺作集」というのが横尾忠則の初の作品集のタイトルだった。1968年にそれまでの忙しすぎた生活を変えようと思い、横尾さんは〈死亡宣言〉をして、その年ニューヨークで4ヶ月の時間を過ごした。〈サイケのピーク時期との出会いがなかったら、今の僕は存在しなかった。〉と横尾さんは後に書いている。寺山修司にとってもそうだったと思う。新しい世界が始まる可能性がそこにあった。この時代にしか経験できない文化だった。

 この頃にニューヨークで、僕は初めて横尾さんに出会った。横尾忠則さんはよく子供だったAyuoに話しかけてくれた。8歳の頃に横尾忠則さんや寺山修司さんと自分の母と一緒にヒッピーのたまり場のディスコに行った。みんなドラッグをやって、踊り狂っていた。ロックのライヴに一緒に行った。大人が見る同じものを見て育った。横尾忠則さんはAyuoが大きくなったら、きっとめちゃくちゃな大人になるだろうと思っていたと後で僕に言った。

 僕の育った故郷は1960年代のサイケ文化の真っ只中のニューヨークだった。その原体験の中に横尾忠則さんは常にいる。それは一生変わらないことである。そこで出会った芸術家達、ミュージシャン、グリニッチ・ヴィレッジの学校の同級生達と共に。そして、年を取ると、その頃との距離がどんどん近くなっている気もする。

 最近、横尾さんが描いている顔が見えない女のシリーズも死のイメージとつながっている。その女性は死なない存在であって、人が戻っていく源泉でもある。

 〈故郷は子宮のようなものです。その故郷の奥に何があるかというと、死の世界があると思う。故郷は死後の世界とつながっている。〉

 人は誰でも生きている限り、死の事をどこかで考えている。芸術家や哲学者は常に自分がどこから来て、どこへ行くのか、自分は何者、という問題を作品で表現し続けている。

 〈人間は生の中で自由を求めている。もし真の自由を求めるのなら、肉体の中で死体を生きるしかない。それをわれわれは芸術と呼んでいるのではないかだろうか? 生と死は相対的なものではなかった。一つのものだった。〉――横尾忠則

 


横尾忠則(Tadanori Yokoo)
1936年 兵庫県西脇市生まれ。1972年ニューヨーク近代美術館にて個展。以降、ヨーロッパ各国での個展開催、ビエンナーレ出品など、国際的に高い評価を得ている。2015年に高松宮殿下記念世界文化賞など、受賞・受章多数。日本を代表する美術家。

 


デヴィッド・リンチ(David Lynch)
1946年アメリカ合衆国モンタナ州出身。2017年、前作から25年後の世界を描く新作「ツインピークス The Return」を発表、日本でも7月よりTV放送を開始した。2017年、監督引退を公言。今後の動向が注目されている。

 


寄稿者プロフィール
AYUO(あゆを)

1960年生まれ。自分の思想を言葉や詩にして、台本を書き、それを歌、朗読、楽器演奏と動きで演奏するパフォーマー。ニューヨークで育ち、60年代後半のアメリカの実験音楽、文学、アートに影響を受ける。18枚のソロ・アルバムを日米で発表。春には初の著書が発刊される予定。

 



《天の足音》1996年 227.3×181.8cm アクリル・布 作家藏(広島市現代美術館寄託)

EHIBITION INFORMATION

〈横尾忠則の冥土旅行〉
期間:2/28(土)~5/6(日)まで
会場:横尾忠則現代美術館
www.ytmoca.jp/

 


FILM INFO.

「デヴィッド・リンチ:アートライフ」
監督:ジョン・グエン、リック・バーンズ、オリヴィア・ネールガード=ホルム(「ヴィクトリア」脚本)
出演:デヴィッド・リンチ
配給:アップリンク(2016年/アメリカ・デンマーク/88分)
www.uplink.co.jp/artlife/

 

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