2017年6月、Apple MusicとSpotifyで突然〈シェア〉されたサニーデイ・サービスのアルバム『Popcorn Ballads』は、称賛と困惑とをもって迎えられた。全22曲、ランニング・タイムは約85分――重厚なヴォリューム感を持ったこのアルバムは、配信後もミックスとマスタリングが変更されるなど、その姿を変えていった。その後、12月には〈完全版〉としてCDとアナログ盤がリリース。リアレンジや曲順の変更、楽曲の追加がなされ、全25曲、約100分の作品へと変貌していた。
まるで生き物のようにその姿かたちを変化させていった『Popcorn Ballads』。そのリリースから約9か月後の2018年3月14日、サニーデイ・サービスの新作がまたしてもストリーミングで届けられた。『the CITY』と題されたこのアルバムには18もの楽曲が収められている。またしても長大な作品だ。そのトラックリストには、ceroの髙城晶平やHAIR STYLISTICSこと中原昌也らの参加が記され、さらにMARIA、MC松島、bonstar、MGF、尾崎友直といったヒップホップ/ラップ・ミュージックのシーンでも異彩を放つミュージシャンたちが名を連ねている。これはいったい……?
そんな『the CITY』に耳を傾けてみれば、〈Fuck you, fuck you〉と繰り返し歌われるだけの“ラブソング 2”、そしてノイジーなインダストリアル・ファンクの“ジーン・セバーグ”という冒頭の2曲が聴き手を打ちのめす。曲調も質感もバラバラの楽曲群に翻弄されながら最後まで聴き進めたところで、明確なテーマが浮かび上がってくるわけでもない。そのとりとめのなさと重厚感は、〈ホワイト・アルバム〉(68年)やパブリック・イメージ・リミテッドの『Metal Box』(79年)、あるいはクラッシュの『Sandinista!』(80年)のようでいて……いや、下手な喩えはよそう。とにかくここに、得体の知れない厚みのある作品が届けられたのだ。
まるでサニーデイ・サービスというバンドの歴史を、それどころか、以下のインタヴューで曽我部恵一自身が語っているように、曽我部という音楽家のキャリアを否定するかのような不穏な作品『the CITY』。これは、単なる〈問題作〉なのだろうか? あるいは、サニーデイ・サービスの〈最高傑作〉なのだろうか? それは作品を受け止め、このインタヴューを読んだあなた自身が決めてほしい。
若い子たちは〈今日聴いた音楽のひとつ〉としてサニーデイを聴いてくれている
――サニーデイ・サービス(以下、サニーデイ)は昨年6月に『Popcorn Ballads』をまず配信でリリースし、12月には〈完全版〉としてフィジカルもリリースしましたよね。そんな『Popcorn Ballads』という作品やリリース方法への反響や曽我部さん自身の手応えにはどういうものがありましたか?
「反響は想定内のところもあるんです。突然のリリースで、〈SpotifyとApple Music限定〉っていうすごくインパクトのある出し方をしたわけだから、そういうことへのリアクションはもちろん予想していました。いま、音楽への接し方は〈二層化している〉というと語弊があるんですけど、分かれていると思っています。だから、〈CDショップに行って、CDを買う〉という人たちにはほとんど届かないだろうなってことも、もちろん想定していました。なので、逆に、そうじゃない聴き方をしてる人たちには届くんじゃないかとは思ってました。
『Popcorn Ballads』はもともと、いずれフィジカルも出そうと思ってたんですよ。でも、いざ配信で出してみたら、〈こういう出し方でも完結はするから、フィジカルはいいかな〉という気持ちに自分がなったのが意外でしたね。でも、CDを待ってるファンの方たちも、やっぱりけっこういたんです。なので、〈じゃあ、フィジカルを出すことももう一度考えようか〉と思い直して、〈CDに落とし込むとなると、どういうかたちがいいのかな?〉っていうのをすごく時間をかけて探しましたね」
――なるほど。では、これまでサニーデイを聴いていなかったリスナーや、ストリーミング・サーヴィスだけで音楽を聴いているリスナーに届けられたという実感はありますか?
「『DANCE TO YOU』(2016年)からちょっとずつだけど、うまく伝わってる気はしますね。『DANCE TO YOU』以降なんですけど、ライヴ会場に若いお客さんが本当に増えてて。これまでとは別物としてサニーデイを聴いてくれてるんだなあと。それはすごく励みになるというか、勇気づけられます。例えば、そういう子たちは〈今日聴いた音楽のひとつとして良い〉っていうふうにサニーデイを聴いてくれてるんです。だから、〈うわあ、めっちゃうれしいな〉〈音楽ってそもそもそういうものだよね〉って思って」
――確かに、3月27日に東京・渋谷WWW Xで開催されたワンマン・ライヴ〈DANCE TO THE POPCORN CITY #2〉では、20代の観客が多かった気がします。
「うん。バンドの流れとか成り立ちとか、もちろん物語性は大事なんです。僕らもそういう本(『青春狂走曲』)を作ったし。でも、自分のなかでも歴史観とか物語性みたいなのが出来てしまっていて、その轍を辿るところがあって……。それはしょうがない面もあるんだけど、でも、音楽って本当はそういうもんじゃないからね。
ドラマーの丸山(晴茂)くんがいなくなってしまったっていうのも含めて、『DANCE TO YOU』は自分たちにとってもバンドの物語性からの解放でもあったんです。だから、僕らと同じようにまっさらな状態の音楽として受け止めてくれる人たちもいてくれることが嬉しい。〈サニーデイの変化がおもしろい〉っていう人もいれば、〈昔のほうが良かった〉っていう人もいるし、〈昔のことなんてよく知らない〉っていう人もいる――それはいま、自分たちにとって最高の状態ですね」
自分が作ってきた決まりごとから完全に逸脱してる曲が、自然と生まれてきてる
――『the CITY』はいつ頃から制作に取り掛かっていたんでしょうか?
「もともとは『the CITY』ってアルバムを作ろうとしたわけじゃないんです。そうじゃなくて、制作の〈霞〉のような、〈澱〉のような……。制作過程でかたちにならなかったものとか、零れ落ちたものとか、その〈滓〉とかね、そういうものなんですよ。なので、いちばん古いものでは4年ぐらい前の録音もあって、丸山くんがドラムを叩いてる曲もあるんです」
――そうなんですか!? でも、アルバムとして統一されたムードを感じますし、曲間がシームレスに繋がっている部分も多いですよね。
「無理矢理そうしたの(笑)。時期も音色もバラバラだったから、〈どうやって繋ごう〉〈もう無理かも〉って思いましたね。『the CITY』っていう名前が付いたのは、『Popcorn Ballads』が配信で出た後なんですよ。『Popcorn Ballads』をCD化するときに、配信のままでは納得いかないなあと思って。外伝のようなものをくっつけて、CD2枚組か3枚組の〈Popcorn Ballads and the CITY〉っていうアルバムにしようと思ったんです。『Popcorn Ballads』という映画を一本観た後、映画館を出て、その歩いてる街の風景も全部ひっくるめた〈Popcorn Ballads and the CITY〉っていうアルバムにしようかなあと。
でも、そのうちホントに収拾がつかなくなって、『Popcorn Ballads』だけで一回まとめたのが〈完全版〉で。そこには〈Popcorn Ballads and the CITY〉から入ったものもあるんですよね、泉まくらちゃんをフィーチャリングした曲(“はつこい”)とか。『the CITY』は、そこからこぼれたものなんです。自分でも扱えないぐらいよくわからないし、こんなの出しても何になるの?って思っていました。ホントにもう悩みに悩んで、(リリースを)やめようかなって思ってたこともありました」
――ライヴのMCでは、〈これをリリースしたら嫌われるかもしれない〉とおっしゃっていました。
「そうですね。それも自分の弱さですよね。〈出来たものは出す〉っていうのが強さでもあり、正解でもあるんですけど……それがやっぱりできないんですよね、作り手っていうのは。無責任になれないし、自分っていうものがやっぱり確立されたものとしてあるから……。こんな一曲目から〈fuck you, fuck you〉って歌っているアルバムを出したら、自分が20数年かけて築き上げてきたこの音楽的地位がゼロになってしまうって思うわけですよ(笑)。そういう弱さを、やっぱり持ってるんだよね」
――でも、それをこうして発表されたわけですよね?
「うん。もうなんでもいいや、どうせいつか死ぬしと思って。〈これこそ配信だけで出しちゃえばいいや。あとは出し逃げしよう〉と思って(笑)」
――(笑)。いまお話に出た、1曲目の“ラブソング 2”と2曲目の“ジーン・セバーグ”は衝撃的でした。はじめてアルバムを聴いたときは、その2曲で感じた不安感や負の感情を最後まで引き摺ってしまったんです。正直に言って、気分が落ち込みました。
「うんうん。なるほどね」
――冒頭2曲の暗さやネガティヴな表現というのは、これまでサニーデイの表現としてなかったものなんじゃないかと感じています。なので、ぜひこの2曲についてお伺いしたいのですが、まず“ラブソング 2”の〈fuck you〉は誰に対する、何に対するものなんですか?
「それは、何かに対するものではないんです。〈fuck you〉っていう、そういう気持ちを抱くことがあるじゃないですか。自分の気持ちをそのまま曲にしただけで。そういうことをそのまま曲にしたことが、これまでなかったんだよね。いままでやってきたことは、そういうことに肉付けをしていくというか、装飾をして、物語や風景を作ったところで歌うっていうことなんです。けど、“ラブソング 2”ではそれすらもしていないんです」
――なるほど。では、二曲目の“ジーン・セバーグ”についてですが、楽曲のムードもかなり暗いですし、ジーン・セバーグは悲劇的な生涯を送られた女優だと思います。この曲はどうやって出来たんですか?
「“ジーン・セバーグ”はやってるうちに出来たっていう感じで、ああいう曲を作ろうとはまったく思っていなかったんです。データがグチャグチャになって、ああいうものになっちゃった。サンプルや自分が弾いた音をグチャグチャに混ぜ合わせてたりするので、曲のキーやコードがないんですよね。そういう、自分が作ってきた決まりごとから完全に逸脱してる曲が自然と生まれてきてるってことは、嬉しいなあ、良いなあって思ってますね。
タイトルについては、ちょうどジーン・セバーグのことを考えたり読んだりしてたんです。ちょっと暗い曲だし、悲劇を予感させるような部分があるから、良いなあと思ってこのタイトルにしたんです。“ジーン・セバーグ”って付けてたら、みんなジーン・セバーグのことをWikipediaで絶対調べますよね。それをしてほしかったというのもあります。ジーン・セバーグはホントに綺麗で可愛くておしゃれな人で、当時〈オリーブ少女〉っていう言葉はなかったけど、そういう感じのイメージでしたね。そんな人が社会の荒波に揉まれて、悲劇的な人生を送ったっていうのを読んでほしかったんですよね」