クリス・クロスの“Jump”とか海外のラップを必死に読み取ってタイ語に起こしてました
――じゃあ、ここでJUUさんとG.JEEをお招きしましょうか。(手を合わせて)サワディークラッ。
JUU、G.JEE「サワディークラッ。コンニチワ」
――日本に来たのは初めてですよね?
JUU「そうですね。漫画やアニメでしか知らない世界だったので、すごく緊張してます(笑)」
G.JEE「漫画のなかに入り込んじゃった感じがする」
JUU「〈ドラゴンボール〉や〈ジョジョ(の奇妙な冒険)〉、〈クレヨンしんちゃん〉の世界というか」
G.JEE「そういえば子供のころ、お母さんから〈しんちゃん〉ってアダ名で呼ばれていたことがあったな(笑)」
――2人の基本的なことを教えてください。まず、JUUさんの出身はバンコクのウォンエンヤイですよね。
JUU「そうです。古い下町という感じで、バンコク中心部よりもゆったりした地域です。すごく住みやすいところだと思いますね」
――音楽はどうやって始めたんですか?
JUU「お父さんがロック・バンドのギタリストだったので、7歳からギターを弾き始めました。同じころにヒップホップ・カルチャーに触れて、ダンス(ブレイキン)をやるようになりました」
――JUUさんは1980年生まれですよね。ということは、80年代後半にはヒップホップ・カルチャーがウォンエンヤイに伝わっていたということですか。
JUU「そうですね。バンコクには入っていたと思います。学生も踊ってたし、当時は踊っている先生もいました(笑)。そのころみんなが聴いていたのはランDMCやヴァニラ・アイス、MCハマーですね」
――タイ人のラッパーは?
JUU「いや、80年代後半はまだいなかった。90年代以降ですね」
G.JEE「私がまだ生まれる前の話だわ(笑)」
――JUUさんがラップを始めたのはいつごろ?
JUU「13歳のころですね。海外のラップを聴きながら、それを必死に読み取ってタイ語に起こしてました。クリス・クロスの“Jump”とか(笑)」
――当時ヒップホップのかかるクラブはあったんですか?
JUU「いや、ほとんどないですね。当時はシーロムにあった〈SPEED〉が唯一ヒップホップのかかるクラブ。今はゲイバーになっちゃったけど(笑)。SPEEDはタイにおけるヒップホップの出発点でもあったんです。二階のすごく狭いフロアでヒップホップがかかってました。1階はテクノが、3階はレイヴ・ミュージックがかかってましたね」
宇都木「SPEEDでJOEY BOYなんかもライヴをやってたんですか?」
JUU「やってました。TKOやJOEY BOY、THAITANIUMのKHAN(カン)とか。その下の世代が私やFUKKING HEROですね」
ボブ・マーリーのラスタファリアニズムについての本に共感を覚えた
――JUUさんのラップはすごく独特ですよね。あのスタイルはどうやってできたものなんですか。
JUU「タイ人は決まったパターンでやるのがフツー。私はフツーじゃないほうがいい(笑)」
全員「(爆笑)」
JUU「タイの音楽界にはもっといろんなヴァリエーションがあるべきだと昔から考えていました。ひとりひとりの個性を出したほうがいいと思う」
YOUNG-G「〈タイ人は案外ひとつの方向にいきがちだから、いろんなやり方があるということを見せていきたい〉ということはJUUさんはよく言ってますね」
――レゲエからの影響もあるんでしょうか。
JUU「私はよく本を読むんですけど、なかでもラスタファリアニズムについて書かれたボブ・マーリーの本が大好きで。その本を読んでいるときに光が見えるような感覚があったんです。道が開けたというか。たとえ肌の色が違っても、みんな血の色は赤くて、そこは変わらない。その点に共感を覚えました」
――イサーンに移住したのはいつ?
JUU「3年前です。イサーンに住むプータイ族の文化と音楽に関心を持ったんですよ。彼らの作り出すものはすごく独特で、その要素を取り入れたヒップホップを作りたくて。(伝統的な弦楽器である)ピンを練習するところから始めました」
宇都木「(モーラム歌手である)アンカナーン・クンチャイさんもルーツはプータイ族なんですよ。イサーンにもいろんな少数民族がいるんですけど、プータイ族がルーツというモーラム歌手は結構多いんです。プータイ族は独特の文化を持っています」
――G.JEEさんにも話を聞いてみましょうか。出身はどちらなんですか。
G.JEE「バンコクのミンブリー区です。暴走族が毎日喧嘩してるようなところです(笑)」
YOUNG-G「工業高校の生徒は鉄で武器を作ったりするそうなんですよ(笑)」
高木「G.JEEも爆弾を作ってたって話を聞いたんだけど」
YOUNG-G「それって本当の話?」
G.JEE「(真顔で)はい、作ってました」
全員「(爆笑)」
G.JEE「作ったけど、あまりに危ないので使わなかった(笑)」
――それは良かった(笑)。
JUU「ミンブリーがそういう場所だったんで、G.JEEがイサーンに移ると言いだしたんですね。それで私も一緒に行くことにしました」
――G.JEEがヒップホップ・カルチャーに関心を持ったきっかけはなんだったんですか?
G.JEE「13歳ぐらいからヒップホップを自然に耳にするようになりました。SOUTHSIDEの“Kimuchi”とか好きだったな。でも、その頃は聴いてるだけ。そのうちJUUさんと出会って、ヒップホップに関心を持つようになりました。歌詞も魅力的だし、自分で書くようになったんです。ラップを始めてからまだ2年ぐらいしか経ってないんだけど」
YOUNG-G「JUUさんがきっかけだったわけですね」
G.JEE「そうそう。JUUさんはマスターだから。センセイ(笑)!」
――JUUさんから学んだもので一番大きかったのはどういうことですか。
G.JEE「いや、彼からは何も教えてもらっていないんです。ラップしているところを見せて、自分で考えさせる。そういう教え方なんですよ」
YOUNG-G「さすがマスター(笑)!」
――昭和の職人みたい(笑)。
JUU「やり方を教えてしまうと、その通りをやるだけになってしまいますからね。自分のアイデアを磨くことが大事なので」
G.JEE「JUU先生はシンプルで、格好つけることもないんです。常にゼロ、無の状態」
YOUNG-G「そういう精神面がリリックに出てるんですよね。さっきも言ったけど、〈ランボルギーニよりも自転車が欲しい/GUCCIの鞄なんてコンビニのプラスチック袋と一緒だ〉とか」
宇都木「ギャングスタ・ラップとは真逆の方向ですよね」
YOUNG-G「あと、JUUさんはすごくシリアスでメッセージの強い内容でも、決してユーモアを忘れないんですよ。そこもすごく好きですね」
――では、JUUさんがラップを通して伝えたいこととはなんなのでしょうか。
JUU「タイ社会には今も格差があって、バンコクのなかには裕福な層と貧しいスラム街が共存している。でも、私はみんな平等だと思ってるんですよ。人のことを侮辱したくないし、されるべきじゃない。そのことは歌を通して伝えていきたい」
――自分のラップを通して、経済格差を超えて人々をひとつにしたい?
JUU「まさにそうです。経済的には違う暮らしをしていても、お互いにリスペクトし合うべきだと私は思います」
――JUUさんはタイのヒップホップ・シーンがヨチヨチ歩きのころから見ているわけですが、シーンが大きくなった現状についてはどう思いますか。
JUU「タイのシーンは人間でいえば、そろそろ高校を卒業するぐらいの時期だと思いますね。もうそろそろ大学に入り、世界が広がる時期というか。最初のころからやってきたラッパーや関係者はみんな家族みたいなもの。絆がすごく強いんです」
宇都木「僕もJUUさんに質問したいんですが、影響を受けたラッパーは?」
JUU「JOEY BOYとTKOですね、やっぱり。海外のラップも聴いてきましたが、タイらしさをきちんと表現していくことは大事だと思うし、タイの古い音楽の要素も吸収しながらやっていきたいと思ってます」
――好きなルークトゥン~モーラム歌手は誰ですか?
JUU「ラピン・プータイです」
宇都木「渋いですねえ。若くてして死んじゃった甘い声が特徴の伝説的なルークトゥン歌手で、70年代の人ですね」
JUU「ラピン・プータイはもともとスタジオの雑用をやってたんですよ。でも、あるときにレコーディングするはずだった歌手がこなくて。代わりに歌ったところ、一気に有名になったんですね。そんなところも格好いいなと思って(笑)」
宇都木「JUUさんが今後何をやりたいか聞きたいですね」
JUU「(YOUNG-Gのほうを向いて)それはニュー・ルークトゥンですね、やっぱり」
――ニュー・ルークトゥン?
YOUNG-G「実は2人でいろいろ作り始めてるんです」
宇都木「YOUNG-Gのトラックの上にJUUさんのラップを乗せた新しいルークトゥンを作るプロジェクトが動き始めてるんですよ。さっきデモを聴かせてもらったんですけど、めちゃくちゃ格好よかった」
YOUNG-G「そう、めちゃくちゃ格好いいんですよ! 嬉しいですよね」
JUU「(何も言わず、ニコニコと笑っている)」
――YOUNG-Gさん、Soiのおふたりは今回のJUUさんのように、今後も定期的にアジアのアーティストを招聘していく予定なんでしょうか。
YOUNG-G「そうですね。でも、タイだけに限らないかもしれない。1年いたんで、いろいろと呼びたい人はいるんですよ」
宇都木「でも、最初がJUUさんで本当に良かったと思うな」
YOUNG-G「本当にそう。やっぱり〈マスターJUU〉ですからね」