つい先日にはBTS(防弾少年団)が米ビルボード・チャートでアジア圏アーティストとして初の首位を獲得するなど、K-PopやK-Hiphopをはじめアジア産の音楽が世界的に注目を集めるシーンも見られる昨今。日々変化するアジア各地の音楽シーンは今日もパワフルでオリジナルな活況を呈ており、近年ではアジアのアーティストの来日公演や国を超えたコラボレーションもぐっと増え、日本にもその現状が伝えられるようになってきました。Mikikiではこれまで、アジア各地のローカル・シーンを中心とした状況を連載〈REAL Asian Music Report〉にてレポートしてきましたが、このたび本連載が〈アジアNOW! ~アジア音楽最前線~〉と名前を変え、リニューアル! 当事者たちへのインタヴューを通して、現在進行形のアジア・シーンのリアルな姿をより熱く伝えていきます。ナヴィゲーターはもちろん!この方。世界の音楽とカルチャーをディープに掘り下げてきたライター/編集者の大石始です。

リニューアル初回の主役は、タイ発のラッパー、JUU(ジュウ)。日本ではほぼ無名の彼ですが、本国タイのヒップホップ界では重鎮とされ、現行の若きラッパーたちがこぞってリスペクトを捧げる存在だそう。そんな彼をこのたび自身のイヴェントに招聘したのが、stillichimiyaのYOUNG-Gと、タイ音楽を中心に世界の音楽をフィーチャーした活動を続けるDJユニット、Soi48。レジェンドへの熱い想いを胸にJUUの初来日を実現させた両者と、JUU本人、そして彼と共に来日した女性ラッパーのG.JEE(Gジェー)へ大石始がインタヴューを行いました。 *Mikiki編集部

★〈REAL Asian Music Report〉記事一覧

JUU
 

2011年にフィリピンの貧困地域、トンドを舞台に行われたヒップホップのワークショップ〈RAP IN TONDO 2〉に参加して以降、アジアのヒップホップ・シーンと接点を持つようになったというYOUNG-G。stillichimiyaのプロデューサー/DJとして活動を展開してきた彼は、昨年からタイに長期滞在し、帰国後は日本とアジア各地のシーンを繋ぐべく引き続き勢力的な活動を続けている。

そんなYOUNG-Gが、同じようにアジア各地のローカル・シーンを見つめてきたSoi48(宇都木景一&高木紳介)と組んでタイ・ヒップホップ界のレジェンドを日本に連れてきてしまった。それが90年代から活動を続けるというJUU。タイ東北部イサーン地方を拠点とする彼は、ヘヴィーなトラップに乗せてレゲエ・ディージェイ的な脱力ラップを聴かせる異才。シーンの兄貴分として多くの若手から信頼を集めているだけあって、今回は弱冠19歳の新鋭ラッパー、G.JEEを連れての来日である。

東京と山梨で行われた来日公演先駆けて、そんなJUU御一行を東京・渋谷のイサーン料理店「モーラム酒店」でキャッチ。まずはYOUNG-GとSoi48の2人にタイ・ヒップホップ・シーンの魅力を語っていただき、後半でJUUとG.JEEに加わってもらって、直撃インタヴューを試みた。

※5月30日開催〈ONE MEKONG MEETING VOL.1〉、6月2日開催〈KAMIKANE3000〉、6月3日〈SOI48 VOL.28 JUU SPECIAL〉の3イヴェントに出演。JUUがアップした来日ツアーの様子はこちら

★取材協力:モーラム酒店

(後列左から)取材に参加した高木紳介、宇都木景一(以上Soi48)、JUU、G.JEE、YOUNG-G(stillichimiya)。(前列左から)この取材後に行なわれたイヴェントに皆で出演するため取材現場に一緒に登場した富田克也(空族)、MMM(stillichimiya)

 

タイではとにかくそこいら中でヒップホップが爆音で流れている

――YOUNG-Gさんはタイにどれぐらい行ってたんですか。

YOUNG-G「11か月ちょっとですね。基本はタイにいて、ラオスやカンボジア、ミャンマーにも行きました」

――今回はタイのヒップホップを中心に話を進めたいんですが、まず、タイのヒップホップ・シーンはどういうところに特徴があると思いますか?

YOUNG-G「アジア各国でヒップホップをテーマにしたTV/ネット番組が人気になってますけど、タイでもそういう番組が始まってるんですね。去年はTHAIHOPというクルーのYOUNG OHMが“Choey Moey”っていう大ヒット曲を出したんですけど、彼ももともと『Rap Is Now』っていうオーディション番組出身で。あと、曲の発表の仕方が日本とはずいぶん違いますね。たとえば、日本ではまだCDやフィジカルも出てますけど、タイだとほとんどYouTubeにアップして終わり。あと、シーンとして団結してる感じがしました」

近年のタイ・ヒップホップ・ブームを象徴するYOUNG OHMの大ヒット曲“Choey Moey(เฉยเมย)”
 

――向こうのアーティストやレーベルはどうやって収益を得てるんですか。

YOUNG-G「基本、ライヴだと思います。ライヴをやる場所はいくらでもあるし、しかも規模が大きい。たとえば、渋谷を歩いていてもどこかのカフェやレストランでラッパーが爆音でライヴをやってることってあまりないじゃないですか。でも、バンコクだとそこいら中でライヴをやってて、しかもどの店にもお客さんが集まってる。(stillichimiyaが拠点とする)山梨ぐらいの規模の地方都市でも5,000人規模のヒップホップ・イヴェントが行われてるし、若手がその人数を盛り上げているんです。SpotifyやApple Musicにリリースしている人も少しはいますが、それもまだ少なくて、YouTubeの広告料も収入源になっていると思われます。YOUNG OHMの“Choey moey”なんかは1年で1億1000万回再生されてますから!」

――バンコクだけの盛り上がりじゃないんですね。

YOUNG-G「そうなんですよ。ローカルで活動しながらちゃんと食えてるDJも多いし、地方でエンターテイメントが成立してるんです。日本だとちょっと音を出すだけで苦情がきたり、警察の取り締まりが入ったりするから、環境自体が違うということはあると思いますけど。タイだとそこいら中で音楽が爆音で流れてますからね(笑)」

――日常的にヒップホップが流れてるから、子供たちが触れる機会も多いと。

YOUNG-G「そうですね、その意味でも日本とは全然違うと思う」

高木紳介(Soi48)「〈関心がない〉なんて言ってられないぐらいそこいら中でヒップホップが流れてますからね(笑)」

――そういうふうにタイのヒップホップ・シーンが盛り上がり始めたのはいつごろのことなんでしょうか。

YOUNG-G「JUUさんによると、2000年代に入ってから増えたらしいですね。それ以前はまだまだアンダーグラウンド。〈90年代から続けてる人は全員知り合いだ〉とJUUさんは言ってましたね。最近はフリースタイルバトル番組で名を上げた若い子たちがどんどん増えてきて、一気にシーンが巨大化したみたいです。あと、僕はTHAITANIUMの影響も大きいんじゃないかと思いますね。今や彼らは日本で言うとSMAPレヴェルの国民的スターになりましたけど、2000年代初頭に彼らを見てヒップホップを始めた若い子も多かったんじゃないかと思う」

THAITANIUMの2017年作『Now』収録曲、JUUをフィーチャーした“Turnt”。THAITANIUMは日本デビューもしているしZEEBRAやAK-69ら日本勢とのコラボも多数
 

――まだアンダーグラウンドだった90年代に活動していたのはどういう人たちだったのでしょうか。

YOUNG-G「90年代はJOEY BOYの時代だったと思いますね。世代的にはそのJOEY BOYの下にTHAITANIUMやJUUさん、昔からJOEY BOYとやってるFUKKING HEROっていうMCがいた。JUUさんはオールドスクールと2000年代以降の世代を繋ぐ役割も果たしているみたいですね」

90年代のタイ・ヒップホップを代表するヴェテラン、JOEY BOYの96年のヒット曲“The Floating(ลอยทะเล)”
 

 

お金のないイサーン出身者の成り上がりの美学と、ヒップホップ・カルチャーの相性がいい

――なるほど。Soiの2人がタイに通うようになったのは2006年以降ですよね。当時からヒップホップを耳にしてました?

宇都木景一(Soi48)THAITANIUMは本当にどこでもかかってました。CD屋に行くとJOEY BOYがプッシュされてるし、BUDDHA BLESSっていうレゲエ・ヒップホップのアーティストもすごく人気がありましたね」

――Soi48がフィーチャーし続けているタイの伝統音楽のモーラムや、ルークトゥンの世界とヒップホップのシーンは繋がりはあるんですか。

高木「基本的にはないと思います」

宇都木「ただ、そのなかでもDABOYWAYっていうTHAITANIUMのメンバーがアンカナーン・クンチャイをフィーチャーした曲をリリースしたり、状況が少し変わってきた感じがしますね」

※タイの人間国宝でもある女性モーラム歌手

YOUNG-G「イサーンからはモーラムをサンプリングしたVKLっていうラッパーが出てきてブレイクしてますね」

アンカナーン・クンチャイをフィーチャーしたDABOYWAYの“Kaow Ma(เข้ามา)”
 
イサーン南部出身であり、現在はSWEED DREAMZ RECORDSを率いるVKLの“ยโส Ft. Beem Loei”
 

高木「VKLは昔のヒップホップみたいにサンプリングしただけじゃなくて、その混ぜ方が絶妙なんですよ。それはJUUさんも一緒。〈イサーンの要素を採り入れてる〉というより、〈イサーンからヒップホップを作り直してる〉という感覚に近いかもしれないですね」

YOUNG-G「そうそう。〈新しいイサーン〉を作り、発信してるというかね」

宇都木「あと、VKLは自分がイサーンの田舎出身ということを売りにもしてるんですね。〈都会のヤツら、ナメんなよ〉というスタンスで、それって同じイサーン出身のルークトゥン~モーラムの歌い手と対して変わらないんです。お金のないイサーン出身者の成り上がりの美学とヒップホップ・カルチャーの相性がいいということもあると思います」

YOUNG-G「今までモーラムやルークトゥンが担ってた役割がヒップホップに移り変わってきたところもあると思うんですよ。ルークトゥンがあまりにビジネス的になってきて衰退していくなかで、ヒップホップの連中が〈俺らも頑張ればモーラムやルークトゥンの歌手みたいに金持ちになれるかもしれない〉と考えるようになってきてる」

宇都木「〈イサーンはクールだ〉という価値観も広まってきて、ちょっとしたトレンドみたいになってるんです」

YOUNG-G「あと、トラップの流行も大きかったと思うんですよ。あのビートが定番化するなかで、トラップのなかにイサーンのリズムやメロディーを採り入れてみようという動きが出てきた。その背景には当然インターネットが普及してアメリカの流行がダイレクトに入ってきたこともあるだろうし、YouTubeを通じて誰でも発信できるようになった。あと、ソフトの進化によって、ループ・ベースの音楽を作りやすくなったということもありますね」

――なるほど。

YOUNG-G「でも、JUUさんはかなり早い段階からネットで引っ張ってきた音でループを組んでたんですよ。今バンコクで活躍している20代のヒップホップの連中はみんなJUUさんから影響を受けてるし、今のタイのラップの礎を作ったのがJUUさんだと思いますね」

――そういう世代を超えた繋がりは強いんですか。さっきYOUNG-Gさんは〈シーンとして団結してる〉と言ってましたよね。

YOUNG-G「そうですね。そうですね。たとえば、さっき話したYOUNG OHMも在籍しているTHAIHOPっていうクルーがいるんですけど、メンバーのひとりであるYOUNG BONGはJUUさんが師匠。そういう先輩後輩の繋がりも強いし、イサーンという地域内での繋がりもあれば、地域を超えた繋がりもある。バンコクとイサーン出身のラッパーがコラボして、サビはイサーン語。そういう曲も出てきましたね」

――バンコクでイサーン出身者は田舎者として差別されてきたといいますよね。でも、ヒップホップの世界にそういう分断はないわけですか。

YOUNG-G「あんまり見えてこないですね。イサーン出身でバンコクでブレイクしてるラッパーも増えてますし」

 

ランボルギーニよりも自転車が欲しい、GUCCIの鞄なんてコンビニのプラスチック袋と一緒だ

――Soiの2人はJUUさんのどういうところに魅力があると思いますか?

宇都木「YOUNG-Gにタイのヒップホップをいろいろ聴かせてもらったんですけど、JUUさんはちょっとズバ抜けてましたね。JUUさんの曲はたとえトラップをやっていても、フロウにはタイっぽさがあるんです。現行のルークトゥンやモーラムはよりビジネス化しちゃって、型が固まってきちゃってるんですけど、それよりもJUUさんのようなヒップホップのほうにタイ音楽らしさを感じるんですよ。リリックもスピリチュアルで仏教観があるし」

YOUNG-G「精神性を重視したリリックなんですよ。あと、JUUさんは90年代から2000年代にかけて一度ブレイクしてるんですけど、自分たちの居場所を作ってきたインディペンデントなアーティストって感じですね。〈ランボルギーニよりも自転車が欲しい/GUCCIの鞄なんてコンビニのプラスチック袋と一緒だ〉っていうリリックもあるぐらいで(笑)」

――そういうメッセージがタイの若者たちの共感を生んできた、と。

YOUNG-G「そうなんですよ。JUUさんは現場からの支持もすごくて、アーティストや音楽関係者がみんな〈JUUさんはヤバイよ〉と言ってる。みんな彼のラップを聴いて育ったし、先生みたいな存在なんです。それなのに、JOEY BOYやTHAITANIUMみたいに海外で活動してこなかったので、これまで海外でまったく知られてこなかった。それで日本にぜひ呼びたいと思ったんです」

――今回連れてきたG.JEE(Gジェー)はJUUさんが見出した若手らしいですね。

YOUNG-G「そうですね。まだ十代なんですけど、完全に次世代フィメール・ラッパーです。ミンブリーっていうバンコク郊外の出身で、今はJUUさんと2人でイサーンに移って活動してます。彼らは自分たちのバンドもあるんですけど、それがヤバイんですよ。バンコクではほとんどライヴをやってなくて、僕もまだ生で観れてないんだけど……」

宇都木「動画しか観れてないけど、ちょっと狂ってましたね(笑)。本当にヤバイんですよ」

JUUバンドの2018年のライヴ映像