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ダンス・ミュージックへの愛を迷いなく更新してきたナイル・ロジャースとシックのヒストリー

【PEOPLE TREE】 CHIC

ダンス・ミュージックへの愛を迷いなく更新してきたナイル・ロジャースとシックのヒストリー

永遠のディスコ・マエストロ、ナイル・ロジャースはどこへも行かない。盟友のバーナード・エドワーズと組んで70年代のディスコで瞬く間に天下を獲り、軽快なグルーヴでダンスフロアをシックに染め上げてきたこの男は、ヒットメイカーとしてポップ・フィールドを蹂躙した80年代も、相棒を失った90年代も、迷いなくダンス・ミュージックへの愛を更新してきた。ラッキーは降って湧いたわけじゃない。26年ぶりにこの名前を使う意味は明らかだろう。いまこそフリーク・アウト!

 ナイル・ロジャースがシックの名義を用いたオリジナル・アルバムを発表するのは92年作『Chic-ism』以来26年ぶりのことだ。クール&ザ・ギャングとの共演曲を披露した2010年代前半には、発掘された古いデモ音源を使ったアルバムが出るとも囁かれ、その後、2015年にワーナーからマルティネス・ブラザーズとコラボしたシングル“I'll Be There”を発表。ナイルがダフト・パンクの“Get Lucky”(2013年)に客演して注目を集め、アヴィーチー、チェイス&ステイタス、ディスクロージャー、DJキャシディなどの作品にも招かれるという想定外の再評価もあってシックの本格復帰が期待されていたが、ついにこの時がやってきた。2010年にガンを宣告されて一時は死に直面し、アーティスト生命も危ぶまれたナイルがシックとして晴れやかな表情で放ったアルバム、それが今秋ヴァージンから登場した『It's About Time』である。

NILE RODGERS & CHIC It's About Time Virgin EMI(2018)

 ナイルのトレードマークであるカッティング・ギターを軸にしたアッパーなダンス・トラックの上で、ムラ・マサ、ヴィック・メンサ、ネイオ、クレイグ・デヴィッド、ステフロン・ドンらがハジけ、レディ・ガガに78年の“I Want Your Love”を歌わせた新作は、EDM通過後の現行ダンス・ポップの源流にシックがいたことを伝えるかのようで、影でシックを支えてきた鍵盤の名手フィリップ・セス、エルトン・ジョンといったヴェテランも参加。まるで〈ナイル・ロジャース&フレンズ〉といった趣でもあるのだが、そもそもシックが親しい音楽仲間とのコラボから発展したことを踏まえれば筋は通っている。77年のファースト・アルバム『Chic』へのセルフ・オマージュとなるジャケット(気鋭の人気モデルを起用)には、原点回帰をしながら新しい時代の扉を開くような未来感もある。〈ブギー〉という言葉と共にディスコがトレンディーなものとして再評価され、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(77年/日本公開は78年)が40周年を迎えたなかでの、ディスコを象徴するバンドの復活。その40余年に及ぶキャリアを振り返るタイミングとして、これほどの好機もないだろう。

 

音楽そのものの楽しさ

 まずは有名な逸話から始めよう。77年の大晦日、今年ドキュメンタリー映画も公開されたNYのセレブリティー御用達ディスコ〈スタジオ54〉でのこと。グレイス・ジョーンズのライヴに招待されたナイル・ロジャースと相棒のバーナード・エドワーズは手違いで入店を拒否された。そこで思わず叫んだひと言〈Aaaaaah, fuck off!(クソ喰らえ!)〉をヒントに、〈Aaaaaah, freak out!〉を歌い出しにして作ったのが、〈おしゃれフリーク〉の邦題で知られる全米No.1ヒット“Le Freak”(78年)だった。実はこの話には、彼らが楽屋口から入ろうとしたため断られたというオチがあるのだが、ともあれ、そうした狂乱の中で、NYから全米、そして世界へと羽ばたいたのがシックだった。

 揃って52年生まれのナイル・ロジャース(ギター)とバーナード・エドワーズ(ベース)は10代の頃から数々のセッションで腕を磨き、苦労を共にしていた。彼らは、“I'm Doin' Fine Now”(73年)のヒットで知られるトム・ベル肝煎りのヴォーカル・グループ=ニューヨーク・シティのバック演奏を担うビッグ・アップル・バンド、及びボーイズというバンドで活動。そこに参加していたのがドラマーのトニー・トンプソン(54年生まれ)だった。が、ビッグ・アップル・バンドは76年のディスコ・ヒット“A Fifth Of Beethoven”で有名なウォルター・マーフィのバンドと同名だったため、バーナードの発案でシックと改名(正確な発音は〈シーク〉とされる)。オハイオや西海岸のファンク・バンドとは違うNYの洗練されたイメージを打ち出すべく、かつてデューク・エリントンやカウント・ベイシーがパリで人気を得たことなどをヒントにフランス的なモードを気取ったとナイルは言う。もともとジャズの影響を受けていた彼らは、ハービー・ハンコック、ノーマン・コナーズ、ハービー・マン、クルセイダーズといったジャズ・ヒーローがクロスオーヴァーなヒットを出していたことに刺激を受けてシックをスタート。当初ブッダから発表された77年のデビュー曲“Dance, Dance, Dance(Yowsah, Yowsah, Yowsah)”の〈Yowsah〉も、その昔ベン・バーニー(20世紀前半に活躍したジャズ・ヴァイオリニスト/バンド・リーダー)がラジオDJをする際のキャッチフレーズとして使っていた掛け声に由来するものだ。そして、同曲の再発を皮切りに、新たに契約したアトランティックから作品を出していくことになる。

 匿名のスタジオ・プロジェクト的な性格が強かったファースト・アルバムには、ナイルとバーナード、トニーを含む演奏陣に加え、メインで歌うノーマ・ジーン(・ライト)を中心に、アルファ・アンダーソン、ディーヴァ・グレイ、ルーサー・ヴァンドロス、ロビン・クラークといったNYのセッション・シンガーが集結。その後ルーシー・マーティンが加わり、ノーマ・ジーンとのツイン・リードとなるが、ノーマがソロ活動のため独立し(78年のソロ作はナイルとバーナードが制作)、アルファ・アンダーソンがリードに格上げとなる。やがてコーラス陣からルーサーが抜け、後にフォンジ・ソーントンやジョセリン・ブラウンらが加わるが、83年作『Believer』までは、ナイル、バーナード、トニー、ルーシー、アルファの5人を中核メンバーとして活動を続けていくことになる。

 乱暴に言えばシックの音楽スタイルは“Dance, Dance, Dance(Yowsah, Yowsah, Yowsah)”に集約されている。和音を動かしながらカッティングを刻むナイルのギター、ズンズクズンズクと力強く地を這うようなバーナードのベース、鋭くステディーにビートを刻みながらグルーヴを生むトニーのドラムス、そしてエレガントで洗練された女性シンガーたちによるユニゾン歌唱。ゴージャスな雰囲気を醸し出すストリングス(78年の2作目『C'est Chic』からはジーン・オルロフ指揮のシック・ストリングスが登場)も忘れられない。“Everybody Dance”“Le Freak”“I Want Your Love”“Good Times”といった77~79年にかけてのヒットもその延長線上にあり、これらは同じリズムを繰り返しながらもメロディーはキャッチーなため中毒性が高い。そのスタイルがいかに革新的であったかは、シュガーヒル・ギャングが“Rapper's Delight”(79年)で“Good Times”を引用して(弾き直して)ラップ/ヒップホップの扉を開いたという事実からも明らかだろう。そのベースラインなどを真似てクイーンやブロンディもディスコ・ソングを作った。一方で、シックの個性として語られることは少ないモダンでジャジーなスロウやミディアムも、一連のダンス・ナンバーに引けをとらないものだ。

 では、歌の内容はどうだったのか? 今回の新作『It's About Time』では、アンダーソン・パークがペンを交えた“Till The World Falls”で〈狂った世界でもダンスフロアなら安心だ〉と歌い、旧知のトム・ベルに捧げたという“Queen”ではエルトン・ジョンとエミリー・サンデーが女性の地位向上をテーマに歌っている。こうした思いは、かつてブラック・パンサー党員としてNYロウアー・マンハッタン地区のサブ・リーダーを務めていたナイルがシックを始めた時から抱いていたものだが、しかしシックはあからさまにメッセージを打ち出さず、あえて隠すDHM(Deep Hidden Meaning)というポリシーを貫いてきた。つまり、言葉で語らずとも音楽そのもので人々をハッピーにして享楽の世界に導くことがメッセージなのだと。だからこそ彼らの鳴らす音には説得力があったのだろう。

 

音楽そのものの楽しさ

 79年作『Risque』を出した頃の絶好調ぶりは、ナイルとバーナードがシック・オーガニゼーションとしてシックの作法を持ち込んで手掛けたシスター・スレッジ『We Are Family』(79年)やダイアナ・ロス『Diana』(80年)を聴いても明らかだ。が、〈Disco Sucks!〉を合言葉にしたディスコ排斥運動の影響もあって、シックの人気も下降線を辿りはじめる。もっとも80年作『Real People』は前3作の勢いをキープしていたし、『Take It Off』(81年)や『Tongue In Chic』(82年)も悪くない。82年には、テディ・ペンダーグラスやカーリー・サイモン、デボラ・ハリーらの曲を含むシック印のサントラ『Soup For One』も登場。しかし、時代が求める音と徐々にズレが生じ、83年の『Believer』を最後にシックの活動はいったんストップしてしまう。

 83年にナイルとバーナードがそれぞれソロ作を出したことも、協力関係にあったとはいえ、結果的にふたりの関係を引き裂く結果となった。以後80年代後期にかけて、ナイルはデヴィッド・ボウイ、マドンナ、デュラン・デュランなどをプロデュースし、愛器であるフェンダーのストラトキャスター〈The Hitmaker〉の愛称のままに活躍。バーナードもトニー・トンプソンがロバート・パーマーらと結成したパワー・ステーション(シックが根城にしていたスタジオの名前を拝借)をプロデュースした。が、バーナードが後に「84年が人生最悪の年だった」と語っていたように、シックで味わった成功を超えるものはなかったのだろう。結局、再結成盤となった次のアルバム『Chic-ism』が出たのは92年。彼らがシーンに不在だった頃はちょうどニュー・ジャック・スウィングの全盛期だったが、不在期の空白を埋めるかのように、今回の新作では直球のニュー・ジャック曲“Sober”を披露し、テディ・ライリーを担ぎ出したヴァージョンまで用意しているのだからおもしろい。

 再会したナイルとバーナードの分かち難き友情は、96年4月、日本での〈JTスーパー・プロデューサーズ〉というコンサートでシックがジル・ジョーンズらを連れてツアーを行った時にも確認できたが、後に商品化された日本武道館でのステージを終えた後、バーナードが宿泊先のホテルで急死。43歳の若さだった。この後ナイルはしばらく仕事が手につかなかったという。が、2000年代以降は亡きバーナード(2003年にはトニーも48歳で他界)への思いを原動力として、一時期リードを務めたシルヴァー・ローガン・シャープ、そして新作にも参加しているベースのジェリー・バーンズ(元ジューシー)、ドラムスのラルフ・ロール、シンガーのフォラミやキンバリー・デイヴィスらとともにライヴを中心とした活動を続けてきた。

 そして冒頭で触れた2010年代の復活劇。若手からの再評価という以上に、バーナードをはじめとする亡き友の分まで生き、混迷の時代にもう一度音楽の楽しさを伝えたいという気持ちがナイルを奮い立たせたのだろう。新しいシックの幕開け。It's About Time——いまがその時だったのだ。 *林 剛  

関連盤を紹介。

 

バーナード・エドワーズがプロデュースした作品を一部紹介。

 

ナイル・ロジャーズの参加したダンス・ミュージック系の近作を一部紹介。

 

『It's About Time』に参加したアーティストの作品を一部紹介。

 

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