2000年代のロックにおけるゴッドファーザーがヴェルヴェット・アンダーグラウンドとカンだとしたら、2010年代のそれはスーサイドなのではないかと感じることが多い。例えばキング・クルールとマウント・キンビー。両者の最新作『The OOZ』と『Love What Survives』(共に2017年)には、アラン・ヴェガとマーティン・レヴが70年代末に封じ込めた怨念のようなサウンドの亡霊が確かに息づいていた。

THE RATELのデビュー作となる『Focus EP』にも、それは感じられる。1曲目の“There is no care”のイントロで聴けるヒス・ノイズは、スーサイドのファースト・アルバムにアンビエンスとして漂っていた雑音に酷似している。50年代のエルヴィス・プレスリーを憑依させていたヴェガがまとうヒリヒリとした空気が、このアルバムからも感じられるのだ。

THE RATELのメンバーは、元・吉田ヨウヘイgroupの内藤彩(ヴォーカル/ファゴット)と池田若菜(フルート)、H Mountainsの畠山健嗣(ギター)、TOURSやTAMTAMの溝渕匠良(ベース)、サンガツの富樫大樹(ドラムス)の5人からなっている。古臭い言葉でいえば〈スーパー・バンド〉と呼べなくもないが、彼女/彼らはそうした話題性とは無縁のダークなオルタナティヴ・ロックを奏でている。

そんなわけで、『Focus EP』はフレンドリーなレコードとは言いがたい。耳馴染みのいい甘いポップスが詰まっているなんてことはなく、無表情のまま聴き手に挑みかかってくる音楽だ。80年代のポスト・パンクや、ハードコア・パンクの残滓を引きずっていた初期のポスト・ロック――そうした音楽に範を取った不可思議なリズム・パターンや引きつったギター、奇妙なフレージングのベースが異形のアンサンブルを奏でている。印象的なのは、このバンドの中心となっている内藤と池田の音だ。2つの木管楽器の柔らかな重なり合いが、ヒリついた演奏のなかで異彩を放っている(昨年末に観たライヴでは、2人の足元に複数のエフェクト・ペダルが並んでいた)。

内藤のヴォーカルにも存在感がある。真っ先に思い出すのはPhewのそれだ。内藤は低くぶっきらぼうに、言葉をちぎって投げるように歌う。親密さとは無縁の錯綜するアンサンブルにもすっと馴染み、なおかつ力強い。ライヴで、それこそアラン・ヴェガのように叫び散らしていたことも忘れられない。

ところで、池田とDMでやり取りをしていたとき、彼女は〈カウンターカルチャーとしてのロックの機能、もう一回掘り起こしてみたいんです。レコメン、80sポストパンク、ポストハードコア、ヨーロピアンアヴァンの歴史が好きすぎて笑〉と書いていた。軽い書きぶりだが、その短いメッセージからは強い野心と堅固な意志が伝わってくる。それは確かに『Focus EP』に結実していると、この作品を聴いていて感じられる。THE RATELによる〈オルタナティヴなロック、ロックのオルタナティヴ〉の探究は、いままさに始まったばかりだ。