長門芳郎

山下達郎が76~82年にRCA/AIRからリリースした名盤の数々が新たなリマスターとカッティングのアナログ盤およびカセットテープでリイシューされている〈TATSURO YAMASHITA RCA/AIR YEARS Vinyl Collection〉。同企画にあわせてタワーレコード渋谷店で開催されたのが〈CITY POP UP STORE FOR YOU @ TOWER RECORDS SHIBUYA〉だ。大阪の梅田NU茶屋町店の〈CITY POP UP STORE @ TOWER RECORDS UMEDA NU CHAYAMACHI〉は終了間近だが、9月5日(火)から9月28日(木)にかけて〈CITY POP UP STORE CIRCUS TOWN @ TOWER RECORDS SHIBUYA〉が再び渋谷店で催されることが発表された。

渋谷店のポップアップストアではクリス松村と長門芳郎のトークイベントが5月13日に行われた。山下達郎の音楽に造詣の深いクリス松村とシュガー・ベイブでのデビュー以前から山下達郎を知るパイドパイパーハウスの店主・長門芳郎の対話は(時系列が少々混乱し脱線をしながらも)貴重なエピソードが満載。Mikikiは充実のトークの模様を4回に分けてお届けする。第3回に続く最終回はヒットメーカーになっていった山下達郎とその時代、再評価著しい名盤『SPACY』の秘話などについて。


 

タツローファンお気に入りのジャケットは?

長門芳郎「パイドパイパーハウスには白い壁があって、そこに新譜のレコードジャケットの壁画を描いていたんです。あの頃、公園通りのパルコって壁画が描かれていたじゃないですか」

クリス松村「……時間、大丈夫ですよね? (携帯電話を取り出して)こうやって電話が鳴ると、〈早く終われ〉って合図なんですよ。あっ、違いました。〈そろそろですよ。まとめに入りましょう〉という合図でした。……ええっ!? 1時間もしゃべってるの、私たち!?」

会場「(笑)」

クリス「これからがRCAイヤーなのに!!」

会場「(笑)(拍手)」

クリス「長門さんのお話が面白すぎて(笑)。

……で、その壁に『MELODIES』のジャケットとかを描かれるわけですよね。ごめんなさい、全然関係ないMOONの話になっちゃって」

長門「美大の学生さんに頼んで、ギャラはレコード会社から直接学生さんに払ってもらって。それで、大貫(妙子)さんの『Cliché』とか『SIGNIFIE』とか、南佳孝さんの『SEVENTH AVENUE SOUTH』などの壁画を描いていました。なぜか『FOR YOU』はやってないと思いますね」

クリス「ですから、壁画は『MELODIES』からですね。すみません、『MELODIES』になるとですね、RCAイヤーズじゃなくなっちゃうんですよ」

会場「(笑)」

長門「あの頃『FOR YOU』のジャケットを壁画にしていたら、すごかったでしょうね」

クリス「本当ですよね。達郎さんのアルバムジャケットってペーター佐藤さんの世界から始まっていますけど、みなさんがお好きなジャケットって何ですか? (会場に挙手を求めて)『FOR YOU』? えっ、1人だけ!? じゃあ、『RIDE ON TIME』。あっ、すごく多い! あとでパネルに顔を入れていってくださいね」

会場「(笑)」

クリス「『MOONGLOW』は? 『IT’S A POPPIN’ TIME』は? 『SPACY』は? あっ、多い! 音楽的なことも含めて、みなさん『SPACY』が大好きってこと?」

 

ディスコとサーフィンとドライブとタツロー

クリス「達郎さんの最初のヒットというと、“BOMBER”(『GO AHEAD!』収録曲)がきっかけだったとラジオでも話しましたけど、あの曲を最初に聴いた時、小杉(理宇造)さんは〈絶対にヒットする〉と思ったそうなんです。〈良い音楽を作る〉とはまた別に、当時はシングルヒットが要望されるわけですよ。シングルヒットがないと、紹介してもらえない。“WINDY LADY”(『CIRCUS TOWN』収録曲)の見本盤もあったそうですが、突っ返されたんですって。

小杉さんたちはそれですごく苦労していたけど、“BOMBER”が大阪からヒットしたことがきっかけになった。私は大阪の人じゃないから全然知らなかったんですけど、ディスコは通っていましたよ」

長門「今はクラブって言いますけど、東京の一部のディスコ、青山や麻布の方ではかかっていたんですよ。そういうところのディスコのオーナーさんが、かけるレコードを探しにパイドに来ていました」

クリス「その中に、達郎さんの『GO AHEAD!』もあったと」

山下達郎 『GO AHEAD!(完全生産限定盤)』 ARIOLA JAPAN(2023)

長門「関西から火がついたって言われていますけど、東京の一部のディスコではかかっていたんです」

クリス「そこで初めて達郎さんもヒットして、〈狐につままれたようだった〉とか色んな思いを語っていらっしゃいますけど。

シングルカットはあくまでも“LET’S DANCE BABY”(『GO AHEAD!』収録曲)までなかったんですよね。けれども、シングルを出すという時、達郎さんは小杉さんの下で働いている人たちの熱量を感じたんですって。みんな、すごく〈売ろう!〉という風にしてくれたと」

長門「宣伝マンが一生懸命でしたね」

クリス「その頃からレコード屋さんの空気感も変わりましたか?」

長門「ウチでは数百枚単位で毎回売っていましたからね」

クリス「数百枚って、1つのレコード店としてはすごい数ですよね?」

長門「小さいお店ですからね。ある時から大瀧(詠一)さんとかが売れ出して、湘南のサーフショップからわざわざ来る方とかもいらっしゃって……」

クリス「サーファーや大学生がね。シティポップの前に、当時は〈リゾートミュージック〉とよく言われてましたけど、サーファーたちの流れは結構関係してますよね」

長門「サーフボードを載せた車でパイドパイパーに来たお客さんもいらっしゃいましたよ」

クリス「ワーオ。鈴木英人さんが描いたら素敵な絵になりそうですね。

その辺から、私は話に入れるんですよ。なんでかというと、79年、大学生のサーファーのみなさんから〈お前が聴いているのは音楽じゃない、これを聴け〉と達郎さんのレコードを出されて、長門さんや小杉さんが初めて聴いた時みたいに〈こんなすごい音を作る人なんだ!〉と感動したんです。何も知らず、わからなくても感じるすごさがあった。これはもう何百回もしてる話ですから、聞き飽きた人もいるかもしれませんけど(笑)。〈リゾートミュージック〉というと語弊がありますけど、きっかけって重要ですよね」

長門「そう。自分で編集したカセットを車の中で聴くという……」

クリス「出ちゃった……! カセット!!」

会場「(笑)」

クリス「カセット文化は『COME ALONG』に繋がっていきますからね。『COME ALONG』ってオリコンの数字上、カセットだけで10万本売れているんですよ! ちなみに、レコードは『COME ALONG 2』の方が先に出たんです。ここにいるみなさんはご存知でしょうけど」