ポップ史上もっとも汚れた英雄……君はミリ・ヴァニリを知っているか?

 89年の欧米ポップ音楽シーンをリアルタイムで体感したリスナーが振り返るなら、少なくともその主役の一組として思い出されるのは彼らに違いない。ロブ・ピラトゥスとファブリス・モルヴァンのコンビ……だと信じられていたミリ・ヴァニリ。西ドイツで88年に始動してすぐ欧州全域から大西洋を横断し、グラミー賞の最優秀新人賞にまで輝いたグループである。そこから実際には本人たちが歌っていないことが露見して賞を剥奪されるというスキャンダルで地に墜ちるまでの栄華は短かったが、作品自体の功績は苦々しくも無造作には消し去れないものだろう。デビュー35周年にあたるこの秋にはルーク・コレム監督のドキュメンタリー映画「Milli Vanilli」が公開され、以前から製作が伝えられていた伝記映画「Girl, You Know Its’s True」も前後して公開。俄にその名前が思い出されるなか、その圧倒的なヒットを満載したベスト盤『The Best Of Milli Vanillii (35th Anniversary)』がリリースされた。

MILLI VANILLI 『The Best Of Milli Vanilli (35th Anniversary)』 MCI(2023)

 パリで育ったファブリスが相棒のロブと出会ったのは、18歳で拠点を移した西ドイツのミュンヘンにて。ロブは成功を夢見てクラブで踊っていたダンサーで、スターをめざしていた二人は意気投合する。やがて実績あるプロデューサーのフランク・ファリアンと出会ってグループ結成へ至るのだが、アルバム契約を結んだ後に両者はファリアンに〈レコードでは歌わない〉ことを告げられたという。契約金を返済できる余裕はなく、結果的に二人は嘘を受け入れたそうだ。その時はここまでの成功を誰も予想していなかったのだろうが、西独のハンザから88年6月にリリースされたデビュー・シングル“Girl You Know It’s True”は本国チャート首位を獲得。ヨーロッパを席巻し、US以外で発表したアルバム『All Or Nothing』も成功を収めている。

 キャッチーなフックとラップを備えたスウィング・ビートの“Girl You Know It’s True”は、もともと米ボルティモアのヌマークスなるDJユニットが87年に発表していたローカルな楽曲のカヴァーだ。このグループは後にハウスDJとして名を轟かせるDJスペンを中心に、人気ファンク・バンドであるスターポイントのカイ・アデイエモ、さらには後にデフ・ジャムや300の重役として成功するケヴィン・ライルズもラッパーとして在籍していた。この曲がドイツのクラブで流行ったことで、それを耳にしたファリアンがピンときたのだろう。

 欧州での絶大な実績を引っ提げて米アリスタと契約したミリ・ヴァニリは、ドイツ盤を元にした『Girl You Know It’s True』で89年3月に全米デビュー。USでの成功は凄まじく、“Girl You Know It’s True”が全米2位になったのに続き、ダンサブルな“Baby Don’t Forget My Number”、クライヴ・デイヴィスの推薦でグループ最大のヒットになったダイアン・ウォーレン作の“Blame It On The Rain”、メロウな“I’m Gonna Miss You”と3曲が連続で全米1位を獲得。そのいずれでもロブとファブは歌わず、ライヴはリップシンクで賄っていたが、グッドルッキングな風貌と鍛えられた肉体でパフォーマンスする姿は若いファンたちの心を掴むには十分だっただろう。

 ただ、人気絶頂の89年7月にはMTV主催ツアー中のステージ上で音飛びして歌が進まないアクシデントが起こる。また、ロブとファブの英語力の拙さも疑問に感じられていたという。90年2月にはグラミーの最優秀新人賞を獲得するも〈影のメンバー〉側の告発が持ち上がるなど、グループは徐々に追い込まれていく。そして90年11月、ついにファリアンは二人が歌っていないことを認め、その過程で歌うことを主張したロブとファブを解雇した。今回のベストにも収録されているレゲエ風のヒップ・ハウス“Keep On Running”はまさにその11月にリリースされたもので、公開されたMVでは急遽〈本物〉のメンバーたちがパフォーマンスを披露していた。

 同曲を含む次作『The Moment Of Truth』は〈本物〉を前に立てた〈リアル・ミリ・ヴァニリ〉名義で世に出されるが当然のように失敗。ロブとファブは口パクを自虐ネタにしたCMなどの哀しい仕事を経て、ロブ&ファブ名義で歌唱した作品を出しても見向きはされなかった。97年になってファリアンと再会した二人はミリ・ヴァニリのカムバック作の準備に入るも、生活の荒れていたロブはドラッグや犯罪に手を染めており、新作のプロモーション直前だった98年4月3日、フランクフルトのホテルで逝去する。

 ファンを失望させたロブとファブだけがわかりやすく矢面に立って済むものでなかったのは明らかだが、結果的に誰がどれぐらい加担していたのかという問いに対する明快な答えは存在しない。その後のファブは自身の音楽活動を続け、ドキュメンタリー映画には現在アムステルダムで暮らす彼が自分の声で歌う姿も映し出されている。ケヴィン・ライルズ製作の映画「Girl, You Know It’s True」のほうで舞台裏がどう描かれているのかも気になるが、まずは名曲の数々を改めて堪能しておきたい。

同名映画のサントラ『Girl, You Know It’s True』(Sony)

左から、DJスペンの2021年作『Soulful Storm』(Quantize)、スターポイントのボックスセット『Object Of My Desire: The Elektra Recordings 1983-1990』(SoulMusic)、ダイアン・ウォーレンの2021年作『The Cave Sessions Vol. 1』(BMG)