観ること、聴くことから、肌感が、〈フィジカル〉が奪われる事への戸惑いが、広がる。感染症対策が聴衆をコンサートから阻み、配信というメディアが、演奏結果を外装することから解放し、浮遊し始めた音楽から、表現行為という磁力が引き寄せた観衆すら、いつもの軌道から遠ざけ始めた。リモートという方法に〈必用、緊急〉に可及的に頼らざるを得ない事態が何をもたらすのか、議論が沸騰した。この本を監修する作曲家三輪の「三輪昌弘大祭ー清められた夜」は、この選択肢を積極的に用い、この本に収められたそうした議論の前衛を形成した。感染症対策が契機となったこの作品は、浄化という普遍的な問題を突き、その伝達手段は音楽の本質的な問題を指す。