COLUMN

デジタルのダダイスト、shotahiramaがパンク以後の電子音楽で継承するオルタナティヴな精神

EXOTIC GRAMMAR VOL.37

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  • 2015.02.23
デジタルのダダイスト、shotahiramaがパンク以後の電子音楽で継承するオルタナティヴな精神

2010年代にアップデートされるべき電子音楽

 20世紀の初頭、1910年代半ばに、チューリッヒをはじめ、ベルリン、パリ、ニューヨークなどの都市へ拡散、展開された前衛芸術運動「ダダ」は、これまでの芸術における美意識や価値観を否定し、解体するものだった。ゆえに、それは破壊的、暴力的な側面が強調されがちだが、分断された言葉やイメージを再構成するコラージュ、偶然性の導入、選択することで既製品を芸術化するレディメイドといった手法の発明などによって、あらたな独自の美意識と価値観をうちたてもした。あらゆる意味を一度白紙に戻す、リセットする行為としての解体と、そこからの再創造をこそダダは目論んだ。ダダに参加したアーティストたちの多くは、第一次世界大戦をのがれてチューリッヒにやってきた。それが同時代の、しかし、結局戦争賛美に向かったイタリアの未来派との違いであろうが、ダダにおける破壊と解体とは、精神の自由を求めるものであり、それは以降の芸術にも広く影響を与えている。

shotahirama Stiff Kittens SIGNAL DADA(2015)

 2010年代以降の電子音楽シーンにおいて、その先鋭的な活動によって異彩を放ち、注目を集めるサウンド・アーティストshotahiramaが、自身のレーベルをSIGNAL DADAと名付けているのも(実際に彼がなぜそう名付けたのか、正確なところはわからないが)、ある種のリセットと再創造としての音楽を標榜することのあらわれなのかもしれない。shotahiramaは、アーティスト・ブックやCDなどのリリースを行なう、サウンド&デザイン・レーベルmAtter(スイスのキネティック/サウンド・アーティストのペ・ランのリリースなどがある)のメンバーとして活動、2010年にSIGNAL DADAを設立し、自身の作品をリリースし始める。あるジャンルというものが形成されると、少なからずそれは均質化に向かうことを避けられないとするなら、自らのレーベルにダダの名を冠することは、彼がなんらかの意思をもって、それと対峙するための活動指針を打ち出していると考えられる。たしかに、shotahiramaは、自身の音楽的バックグラウンドを問われた際、「逸脱」というキーワードを挙げている。それは、彼の音楽聴取履歴によるものではあるが、しかし、インスパイアされるものとして、ダダ、バウハウス、といった20世紀のモダン・アートやポストモダン文学を挙げていたりもするから、それは音楽体験にとどまらないものであろうということもうかがえる。そうして作り出された彼の作品には、90年代以降確立され、現在まで更新され続けてきた、テクノ・ミニマリズム、グリッチ、エレクトロニカ、といった動向への批評的姿勢を感じることができる。そして、そこには「逸脱」というにふさわしい、2010年代にアップデートされるべき電子音楽におけるshotahiramaのスタンスが表れている。

 80年代末、テクノ、ハウス、などのEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)の隆盛の後、1990年代の半ばにひとつの潮流を作ることになるテクノ・ミニマリズムは、いわゆるクラブシーンを経由しつつも、ポスト・パンク以降のオルタナティヴやノイズの動向から派生、展開したものととらえられる。たとえば、英国のtouchなども80年代以降のノイズ、インダストリアルの流れを汲むレーベルだし、オーストリアのmegoピタフェネスといったアーティストたちは年齢的にもパンク(のちにテクノ)の洗礼を受けた世代である。アルヴァ・ノトことカールステン・ニコライも同世代だが、現在活動中のユニット、Diamond Versionでは、どこか後期ノイバウテンDAFに通じるような、80年代的なサウンドに回帰している傾向があるように思われる。

 2000年代半ば以降には、先行する世代が切り開き、確立した領野を、それを次の世代が受けつぐことで、スタイルとしても確立されていくようになる。そこからひとつは、ライヴにおける映像や舞台装置の使用によって、ミニマリズム、フォーマリズムを、メディウム・スペシフィックなスタイルから、より複合メディア的でスペクタキュラーな方向への展開。あるいは、ギターやピアノといった楽器と、電子音響によるエモーショナルなスタイルの展開。もうひとつは、映像なども複合的に扱いながら、よりDSP(デジタル・シグナル・プロセッシング)に特化した音楽として、また、よりプログラム/コード・オリエンテッドな方向に先鋭化していく。

 

現在の電子音楽におけるオルタナティヴな存在として

 shotahiramaが自身の作品を発表し始める2010年は、そうした新しい変化への兆候が顕在化しはじめる年ということになるのかもしれない。2011年の『Sad Vacation』(ジョニー・サンダースの曲のタイトルを連想させる)は、10秒に満たないトラックから、長くて2分以内の断片のような42のトラック(個別のタイトルもなにかイメージを喚起させる)がほぼ切れ目なく続く、それでも全体で20分ほどの作品である。フィールド・レコーディングによる具体音と電子音が、編集および音響合成を施されて、ゆるやかにカットアップされ、情景的な音景が現れては消えていく。非常に映像(映画)的であり、それは、耳のための映画、ミュージック・コンクレートという範疇でとらえることも可能だろう。2014年に福岡のカセットレーベルduennからリリースされた『Modern Lovers』(ジョナサン・リッチマンのバンド名を連想させる)は、《And The Elevator Music In The World Trade Center》と名付けられた約10分のドローン系のトラックが2作品おさめられており、どこかウィリアム・バシンスキーの作品を思い出させもする。

shotahirama surf shrine.jp(2015)

※既発4タイトル(『post punk』『clampdown』『Cluster』『Modern Lovers』)収録のCD4枚組ボックス

 

 しかし、おなじく2014年にリリースされ、大いに話題となった『Post Punk』からは、その音景は突然高速化、高密度化する。『Sad Vacation』が20分間を42のトラックに分割したものだとすれば、その要素をさらに細分化しつつ、全1トラックに濃縮(それでも18分弱)したかのようである。目眩く電子音のカットアップは、もはや情景的と言うには断片的に過ぎ、さらには切り刻まれて捩じ曲げられている。また、音が頭の中でなにかイメージを結ぼうとすると、次の音の奔流がなだれ込んで来てしまう。明確にリズムと認識できる要素はなく、ところどころにリズミカルなパートが現れるが、それとて、音の素材、断片であり、いち構成要素として次の瞬間には切断され、音の撹拌に巻き込まれてしまう。それは、反復的なものではなく、いわゆるミニマリズムとは異なるし、ノイズでもない。それでいて、その18分の中で緊張感を損なうことなく一気に聴かせてしまう構成力がある。それはまさに「1000の断片」としての世界の再構成であり、私たちの耳の、感覚の刷新をも伴うべきものなのだ。

【参考音源】 shotahiramaの2014年作『Cluster』収録曲“Neptune”(4枚組ボックス『surf』にも収録)

 

 

『Post Punk』以後 精神の継承

 では、『Post Punk』とは、なんの謂いなのだろうか。ここでもうひとつ、かつてパンクが、60年代のアメリカのプレ・ポップ・アートの動向と同様に(あるいは日本の60年代の前衛運動と同じく)「ネオ・ダダ」とも呼ばれていたということを思い出してみたい。ダダからおよそ60年後に現れた、ジェイミー・リードによるセックス・ピストルズのジャケットデザインに見られるコラージュ感覚もさることながら、エンターテインメント化したロックに対するアンチテーゼとしての態度がダダに重ねあわされたのだろう。shotahiramaの作品タイトルは、それが実際に彼の音楽的趣向によるものなのか不明だが、『Sad Vacation』『Modern Lovers』『Just Like Honey』『Post Punk』といった、あまりにもあからさまなタイトルが並ぶ。それが、パンク/オルタナティヴやノイズといったものへの本人の憧憬が率直に表わされたタイトルであるかはおいても、このような記号が音楽的意匠のひとつとなっていることに注目してみるべきだろう。「ダダ」「ポスト・パンク」という符牒は、どうしてもパンク以降に生まれたインダストリアル・ミュージック、キャバレー・ヴォルテールスロッビング・グリッスルを連想させずにはおかない。パンクによって破壊されたロックから、もうひとつの、まったく別の音楽を白紙から構築すること。それが、ポスト・パンクがオルタナティヴと呼ばれる所以であろう。その意味で、shotahiramaが現在の電子音楽におけるオルタナティヴとして、作品をより先鋭化していくきっかけとしての作品が『Post Punk』と名付けられていることは納得がいく。たとえば、パティ・スミスが、アルバム『ラジオ・エチオピア』のジャケットにアンドレ・ブルトンの言葉「美は痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう」を引用しているのを思い出してもいいだろう。それは一世紀におよぶ精神の継承なのである。

 

平間翔太(ひらま・しょうた)

ニューヨーク出身の音楽家。中原昌也evalaAmetsubといった音楽家に注目され、VICEをはじめ国内外様々な雑誌やメディアにて高い評価を得ている。OvalKangding RayMark Fell等のジャパンツアーに出演。代表作に「ノイズ、グリッチミュージックの新機軸」と評されたCDアルバム『post punk』や4枚組CDボックス『Surf』などがある。また、翻訳や通訳、雑誌媒体では音楽レビューを執筆、さらにはMark McGuire等を含む幾つかのCD作品にてライナー、歌詞翻訳等も担当する。

寄稿者プロフィール

畠中実(はたなか・みのる)

1968年生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]主任学芸員。現在、企画を担当した『OPEN SPACE 2014』(3月8日まで)を開催中。

 

TOWER RECORDS INFORMATION

shotahirama新作アルバム『Stiff Kittens』
発売記念イベント
出演:shotahirama (Live)、Ametsub (DJ)
日時:3/1(日)16:00~
場所:TOWER RECORDS渋谷店 Space HACHIKAI

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