――お客さんは学生が多いんですか?
「イヴェントによってさまざまですね。ビルの1階と地下を借りてまして、1階をレストラン、地下をライヴ・スペースにしているんですけど、通りから一歩奥まったところにあるので、ちょっと上の年齢層の方もいらっしゃいますね。日本文化や音楽に関心を持ってる若い方も多いですし」
――イヴェントは毎日やってるんですか?
「いまのところ週末だけですね。台北って平日にフラっとライヴを観に行く文化があまりないんですよ。出演バンドもさまざまで、日本のアーティストも多いんです。最近だったら青葉市子さん、Alfred Beach Sandal、シタールのヨシダダイキチさんや、マーレーズが台北のSKARAOKEと一緒にやったり。ウチの店はあまり大きな音を出せないので、他のライヴハウスでやったYogee New Wavesとnever young beachの台湾公演のアフター・パーティーをアコースティックでやったりしました」
――台北のライヴハウス界隈の状況はどうですか?
「透明雑誌やスキップ・スキップ・ベン・ベンがガッと出てきた5、6年前の台北は、一種のバンド・ブームの時期だったんですね。その頃は日本でも〈台湾がおもしろいぞ〉っていう噂が広がってましたけど、その最中にいたバンドのメンバーもだいたい30歳を過ぎて、多少ブームも沈静化していて。あと、透明雑誌やスキップ・スキップ・ベン・ベンの次の世代の盛り上がりがなかなか出てこないんですよ。台湾だけの話じゃないと思いますけど、インディーだとなかなか食べていけないし、一方では親から〈就職しろ〉なんて言われるし、30歳を過ぎても音楽活動を続けているインディーのミュージシャンって台湾では本当に少ないんですよ。40代のインディー・バンドってほとんどいないぐらい」
――5、6年前に比べて、インディー・バンドが活動できるライヴハウスも減ってきてる?
「やっぱり〈地下社會〉というインディー・シーンのシンボルみたいなライヴハウスが2013年になくなっちゃったのが大きいと思いますね。以前からお店の前に人が溜まっていたこともあって、結構クレームも多かったそうなんですよ。それで消防法の問題を突っ込まれて閉店しちゃったという。ただ、インディーのミュージシャンにとっては本当に大切な場所で、いまはメジャーになったバンドも地下社會出身の人たちが多いんです。(マレーシアの)クアラルンプールに〈Livefact〉というインディー・バンドの溜まり場みたいなライヴハウスが最近出来ましたけど、オーナーは〈地下社會みたいな場所を作りたくてLivefactを始めた〉と言ってましたね」
――それはいい話ですね。
「いい話ですよね。地下社會はマレーシアのインディー関係者にインパクトを与えるぐらいの場所だったということですよね」
――若手のバンドはどうですか?
「2015年にめちゃくちゃブレイクした台北芸大の学生バンドがいるんですよ。草東没有派對(ツァオトンメイヨパイトゥイ)っていう20代前半のバンドで、バンド名は〈ツァオトンにはパーティーがない(No Party For Cao Dong)〉という意味。600人規模の〈WALL〉というライヴハウスをパンパンにできるぐらいの人気を集めていて、それって台北のインディー・シーンではすごいことなんです」
――他に寺尾さんがマークしているバンドは?
「草東没有派對よりも年上の30代の世代では、フォレスツという3ピースのバンドがおもしろいですね」
「もともと台北のインディー・シーンでは重要なバンドなんですけど、彼らを中心とするシーンができつつあるんです。フォレストはノイズ~音響系のバンドで、台北インディー・シーンのなかでも先鋭的な音を好むリスナーはみんなフォレスツのことを気に掛けてますね。最近、フォレスツがプロデュースした『noWhere』というフリー・ダウンロードのコンピレーションが出たんですけど、台湾のインディー・バンドが15組ぐらい入っていて、それを聴くと台湾インディーのアンダーグラウンドなバンドはだいたいチェックできます」
――まさにいまの台湾インディー・シーンがわかるわけですね。
「そうですね。フォレスツのうちの2人はサンセット・ローラーコースターというバンドもやっていて、そっちもサイケ~ジャム系の要素が入っていて、めちゃくちゃいいんですよ。2年ぐらい活動を休止していたんですけど、今年に入ってからまた活動するようになって」