現代最高峰のジャズ・トランペット奏者、ロイ・ハーグローヴの2年ぶりとなる来日公演が1月26日(火)~29日(金)にブルーノート東京で開催される。デビュー以来、フレディー・ハバードやハービー・ハンコック、ソニー・ロリンズなど数多のジャズ・レジェンドと共演を果たすと共に、ディアンジェロの『Voodoo』(2000年)や『Black Messiah』(2014年)を筆頭にコモンやエリカ・バドゥの名作に参加するなど、ネオ・ソウル/ヒップホップの発展にも大きく貢献したカリスマが、今回は5人編成のアコースティック・ユニットを率いて登場する。

ディアンジェロが復活し、ロバート・グラスパーなど新世代ジャズ・ミュージシャンの折衷センスが注目を集める今日において、ロイ・ハーグローヴのキャリアで特に注目したいのは、2000年代前半にジャズとR&B/ヒップホップの融合を目論んだ先鋭グループ、RHファクターでの活動だ。そこで今回は、日本のジャズを代表するトランぺッターの類家心平を迎えて、彼ならではの視点でロイの魅力を語ってもらった。類家が参加するRM jazz legacyのインタヴュー記事でも言及されているが、DCPRGや菊地成孔ダブ・セクステットのほか、ジャズのみに留らずさまざまなフィールドで活躍している彼は、飛躍のきっかけとなったバンドであるurbのメンバーだった時期に、ディアンジェロやRHファクターに刺激されたジャム・セッションを日夜繰り広げていたという。類家が語る当時の記憶から、2000年代以降の日本における音楽シーンにロイが与えた影響も再確認することができた。

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日本人ミュージシャンの指針となったロイ・ハーグローヴ

――まずはRHファクターやディアンジェロに対して、どんな印象を抱いてましたか?

「ディアンジェロの『Voodoo』が2000年にリリースされて、RHファクターの『Hard Groove』が2003年ですよね。あそこからジャズとR&Bが一気に近付いて、(日本でも)ああいうスタイルが顕著になってきましたよね。NYで活動するトランぺッターのスタイルも、ロイ・ハーグローヴが登場した前後で大きく変わった気がします。RHファクターはブレンドの匙加減というか、ダサくしないで上手く繋いでみせた功績がデカイと思いますね」

――RHファクターの前にもああいう(ジャズとR&Bが接近した)ものはありましたけど、カッコイイものはなかったんですよね。

「そうですね。格好良さにおいてはずば抜けていました。urbで演奏するときも、ヒップホップやファンクはわりといけるけど、R&Bは凄く難しかったんです。インストとなったらなおさら難しい。そういうことを日本人がやるのは危ういというのもあるけど(笑)、ロイの示した手法は一つのきっかけというか、指針になっている部分もあると思いますね」

RHファクターの2003年のライヴ映像

urbによるディアンジェロ“Brown Sugar”のカヴァー・パフォーマンス音源。演奏はインスト

――ロイは90年にメジャー・デビューしているからキャリアも長くて。ブランフォード・マルサリスが率いたバックショット・ルフォンクという、ヒップホップとジャズの融合をめざしたプロジェクトに参加していますよね。それは少しダサかったんですけど(笑)。あとはスティーヴ・コールマンを筆頭にMベース・シーンとも交流があったり、バックショット・ルフォンクで演奏していたバーナード・ライトという、フュージョン系のキーボーディストがRHファクターにも参加していたりと人脈も広かった。バーナード・ライトは、スナーキー・パピーのリーダーであるマイケル・リーグの師匠なんですよね。

「僕らのなかでは、そういう(ロイが牽引した)流れと、ソウライヴやレタスなどのジャム・バンドの動きがリンクしていたんですよね。それにクラブ・ジャズも90年代後半から活性化していたし、いろんなものが入り交ざっていたというか」

バックショット・ルフォンクの94年作『Buckshot LeFonque』収録曲“Breakfast @ Denny's (Uptown Version)”

ソウライヴの99年のライヴ音源

――2000年くらいを境に、みんなソウライヴを聴くようになりましたよね。それより前だとMONDO GROSSOとかSLEEP WALKERなどの世代になりますよね。ちょうど、アシッド・ジャズから別のものに変わっていく時期だった。類家さんはurbに参加する以前はどんなことをやられてたんですか?

「普通にジャズをやってました。池袋にあるホットペッパーというお店に出演したり。あとはマイルスカフェですね。そこではジャズとファンクのセッションをそれぞれやっていたので、最初はジャズのセッションで知り合った人たちとバンドを組んで、スタンダードやハービー・ハンコックの曲を定期的に演奏したりして。それで、自分はクラブ・ジャズとかそういう(新しい)モードが好きだったから、ファンク・セッションのホストもやるようにもなったんです」

類家が参加した、2006年のマイルスカフェでのセッション映像

――なるほど。

「そこからTHE ROOMの〈SOFA〉というジャム・セッションのイヴェントにも顔を出すようになって、そこで知り合った人に誘われてurbに入ることになりました。そのとき出会った人は、いまだに一緒にやっている人も多いですね」

――〈SOFA〉はソイル(SOIL & “PIMP”SESSIONS)のメンバーも出入りしていたんですよね。

「そうですね。あとはquasimodeの平戸(祐介)くんや、thirdiqにいた渥美幸裕とか。ドラマーの天倉正敬ともそこで知り合ったし。最初はフロアにソファを並べて、そこに座ってジャズを聴くというイヴェントだったらしいんですけど、そういう初期の話は僕もよく知らなくて。イヴェント自体は吉澤はじめさんがスタートさせて、セッションするようになって盛り上がってきたら、その後はROOT SOULのいけっち(池田憲一)さんが引き継いで仕切るようになったんですよね」

ROOT SOULのTHE ROOMでのライヴ映像

――へー!

「そうそう、僕がまだジャズのセッションしか経験してなかったときに、初めてTHE ROOMへ行ってみたんですよ。それで夜10時くらいのオープンに合わせて到着したら、スタッフしかいなくて。〈いつ始まるんですか?〉と訊いたら、〈夜の2時くらいにならないと誰も来ないよ〉といけっちさんに言われて。当時は田舎から出てきたばかりだったから、〈東京はすげぇ!〉と思いましたね(笑)」

――ハハハ(笑)。終電が終わったあとにライヴを終えたミュージシャンが集まって、それから一晩中セッションしていたということですね。

「そうです。そこでは曲を演奏するというよりもインプロが主体で、みんなでソロを回したり、ヴォーカリストも即興で歌う人が多かった。ラップやヴォイス・パーカッションをする人もいたりして」

――マイルスカフェではどうでした?

「ファンクっぽい感じだけど、シンガーも多かったですね。mabanuaくんを含めたOvallのメンバーに、groovelineのSoshi(内田壮志)やcro-magnonもいたし。あとはpochi(林田裕一)。彼もRHファクターやファンクが好きで、マイルスカフェでもそういう曲を演奏していたんですけど、いまではEXILEの音楽を手掛けていますからね。あとはヒップホップやブラック・ミュージック寄りの人たちとの接点もいろいろあったな」

RHファクターの2005年のライヴ映像

内田壮志(ベース)と林田裕一(オルガン)が参加した、2006年のマイルスカフェでのセッション映像

――みんな近いところにいたんですね。

「ファンクでセッションといえば、〈SOFA〉やマイルスカフェ、あとは渋谷のPLUGで〈urb’s bar〉という自分たちの主宰イヴェントを月イチでやってました。いつも大体同じようなメンツが集まってたんですけど(笑)、やっぱり当時はジャム・バンドが流行っていたので、プレイヤーの人口も多かったのかな」

――そういうところで、RHファクター的なセッションをされていたんですよね?

「そうですね。(RHファクターの)曲もやってましたし。そういえば、対馬(芳昭)さんが独立してorigami PRODUCTIONSをスタートさせたのは、groovelineのセッションを観たときに〈日本にもこういうバンドがいるんだ!〉と驚いて、もっと盛り上げたいと思ったからだそうで。それでソイルやgrooveline、urbのメンバーを集めて、レーベルの前にJAMNUTSというジャム集団を立ち上げて一発目のアルバムを作ったんですよね(2007年作『Nu JAM』)。そのとき僕は、pochiがプロデュースした曲にホーンを吹き込んだんですけど、ロイがやっていたように、自分のトランペットをオーヴァーダブして、セクションみたいな感じに仕上げようと思ったんです」

JAMNUTSの2007年作『Nu JAM』収録曲、アウトキャストのカヴァー“Hey Ya!”

――あれってジャズ・ミュージシャンはあまりやらないことですよね。

「でも、おもしろい響きになるんですよね。同じ奏者が重ねるのと、別々の人が吹くのを重ねるのだと、音色やニュアンスも違ってきて。ピッチシフターやオクターバーを使ったときの音にも近い、かなり独特なハーモニーが生まれるんです。あの感じを出したくて挑戦してみたんですけど、最終的にえらく時間がかかってしまって(笑)。そのときは3本重ねることにして、トップの演奏はすぐに録れたんですけど、ハモリをpochiと一緒に悩みながらレコーディングしていたら、気付いたら朝方になってました。そういう辛い思い出もあります(笑)」

RHファクターの2003年作『Hard Groove』収録曲“Out Of Town”。エフェクティヴなトランペットを聴くことができる

――ハハハ(笑)。

「たぶん昔からある手法なんでしょうけど、それをポピュラーに提示できたのがロイだったんでしょうね。本人がどうやっていたのかはわからないですけど。当時はジョシュア・レッドマンもエフェクトの使い方が目立ってましたね。(前の世代である)マイケル・ブレッカーとはやっぱり違う」

――マイケル・ブレッカーはフュージョンっぽいですもんね。

「そうそう。ロイやジョシュアは、もっと座りのいい形でエフェクターを操っている印象です。ジャズ以外のリスナーが聴いても、センスの良さが際立っているというか。あと、リズムがレイドバックする感じを上手く出すのも、RHファクターがようやく形にできた部分じゃないですかね。mabanua君が叩くような、リズムが遅れたまま進んでいくあの感じも、そのあたりの影響が大きかったと思いますし。僕らの世代は、あの時期にああいう音楽をやりたかったんですよ。JAMNUTSの曲も、当時のブラック・ミュージックに近付けようと思って作っていたところもあると思いますし。そのあと(2006年)にurbは解散してしまうんですけど」