INTERVIEW

追悼デヴィッド・ボウイ―浅井健一×土屋昌巳×THE NOVEMBERS・小林祐介が語る、〈地球に落ちて来た男〉から受け取ったもの

追悼デヴィッド・ボウイ―浅井健一×土屋昌巳×THE NOVEMBERS・小林祐介が語る、〈地球に落ちて来た男〉から受け取ったもの

1月11日に伝えられたデヴィッド・ボウイの訃報は、偉大なるスターが亡くなったことへの喪失感はもちろんとして、死の直前にリリースされたアルバム『★』がキャリア屈指の完成度だったが故に、あまりに衝撃的だった。Mikikiでは『★』特集の第2弾として、新作を切り口に〈ロックンロール・アイコンとしてのボウイ〉を掘り下げる内容を当初企画していたが、その方針も踏まえつつ、この記事をもって〈地球に落ちて来た男〉に追悼の意を捧げることにした。

今回ご協力いただいたのは浅井健一土屋昌巳THE NOVEMBERS小林祐介という、世代は異なれど交流の深い3人。SHERBETSのリーダーとしてニュー・アルバム『CRASHED SEDAN DRIVE』を発表したばかりの浅井は、このインタヴュー中に〈ボウイの詩作に影響を受けた〉と語っている。かつてプロデューサーとしてブランキー・ジェット・シティに携わった土屋は、ボウイの2013年作『The Next Day』が発表された際に〈やっぱり僕はあなたになりたい〉とコメントを寄せるなど、アーティストとして決定的なまでの影響を受けたという。さらに小林は、THE NOVEMBERSとして土屋をプロデューサーに迎えたミニ・アルバム『Elegance』を昨年リリースし、浅井率いるROMEO's bloodのメンバーでもある。自身もニューウェイヴに大きなルーツを持ち、その先駆けであるボウイの存在はやはり大きいのだとか。

『★』の最後の曲“I Can't Give Everything Away”で、ボウイは達観したような声で〈すべてを渡すことはできない〉と歌っているが、この3人はそんなボウイから何を受け取ったのか。音楽評論家の小野島大氏を聞き手役に迎えて、エピソードの数々を語ってもらった。 *Mikiki編集部

★「デヴィッド・ボウイはなぜ新世代ジャズを選んだのか?  冨田ラボ×柳樂光隆(JTNC)が『★』の魅力と制作意図に迫る」はこちら
★「THE NOVEMBERS小林祐介×土屋昌巳―新作『Elegance』を巡る対談」はこちら

DAVID BOWIE ISO/Columbia/ソニー(2016)

 

歌に熱いものを感じるというか。この人真剣だなって(浅井)

――この座談会の企画が持ち上がった時は、新作『★』を切り口としてボウイの魅力を語っていただこうという趣旨だったんですが、リリース直後にボウイが亡くなるというまさかの事態に全員が衝撃を受けています。皆さんがその死をどう受け止めたか、お話しいただけますか。

小林祐介「ボウイが亡くなったのを知ったのは、ちょうどライヴで沖縄に向かう途中だったんですが、新作が凄く良かったという話で僕の周りが持ちきりだったので、なんだか現実のこととは思えなかったんです。もともとボウイという人は自分のなかでは伝説の存在で。〈本当にいたんだ〉ぐらいの。なので、亡くなったのもまったく実感が湧かなくて。最近になってからようやく、ずしんと重いものを意識しはじめた感じです」

浅井健一「〈まじか!〉って感じだったよね。今日改めて『★』をじっくり聴いとって……凄い良かったんだわ。声が格好良くて。一番始めに小学校の時に聴いたもんだで、その時もカッコイイ声だなと思ったんだけど、ずっと……死ぬまで声って変わらないんだなと思った。メチャクチャ寂しいね……」

土屋昌巳「僕の場合はもう一言では言い表せない思いがあります。正直な話、薄々は知ってたんですよ。余命はそんなにないなっていうのは。2004年には動脈瘤でツアーをキャンセルしたり、心臓の病気で体調が良くないというのは聞いてて。なので、ある程度心の準備はできていたんです」

――そうだったんですか。

土屋「ボウイはまさにリアルタイムで聴いてきました。大学に入るために東京へ出てきた時に〈Ziggy Stardust〉(72年作『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars』)で知って。それからずっと、価値観から何から、ほとんど彼が指標でした。ボウイだったらこのコード・チェンジはしないだろう、ボウイだったらこのジャケットは着ないだろう、というふうに。音楽だけじゃなく、何か選択を迫られた時に何を優先すべきか。それらすべてを彼に教わった。いつもボウイの作品のレヴェルに照らし合わせて自分の作品も考えていました。もちろん、その間に影響を受けたアーティストはいっぱいいますけど、僕にとってはやはりボウイが絶対だったんです」

83年のライヴ映像作品「Ziggy Stardust: The Motion Picture」収録曲“Ziggy Stardust”

 

――なるほど。

土屋「ベンジー(浅井)が、新作を凄い良かったと言ってくれたことは嬉しい。直接的にボウイの影響から派生してる音楽じゃないものをやってるのに、ベンジーが聴いてもカッコイイ。小林くんの周りでも評判が良かったっていうし。いま売れてる流行りものなんか比じゃないですからね、ここ数年のボウイの作品におけるアートとしてのレヴェルの高さは。それを彼らのような若く優れたミュージシャンがちゃんと評価してくれている。それがとても嬉しい」

――わかります。

土屋「プロデューサーのトニー・ヴィスコンティによれば、『★』は前作『The Next Day』(2013年)とは違って、これまで発表してきた作品にはない路線で作るつもりでスタートしたらしいんだけど、知らないうちに昔のものが忍び寄ってきたっていうのが泣けた」

浅井「そう。サックスの音とかさ、凄い懐かしい感じがした。コーラスの入り方とかさ」

土屋「特にサックスはさ、ボウイ自身がそこから音楽に入ってるからね。元はジャズ・バンドのサックス・プレイヤーだったから。そこは物凄くこだわってるよね、聴こえ方。〈どうだ!〉ってこれ見よがしじゃないんだよね。一個一個の音が本当に素晴らしい」

浅井「うん、そうだね」

土屋「ヴィスコンティも言ってたけど、とにかく破格の人だった。たぶんボウイがやりたかったヴィジョンは、ここで僕らが聴く以上のものだったと思う」

『★』収録曲“Lazarus”

 

――浅井さんがボウイを知ったのは、どういうきっかけだったんですか。

浅井「姉が洋楽を好きで、隣の部屋から聴こえてくるわけ。カーペンターズとかさ。姉がいない時に部屋に入り込んでさ。勝手に『ミュージックライフ』とか見とって。〈Ziggy Stardust〉のLPもあって、それを聴いてからだね。中学生の時かな。初めは全然ピンとこんかったし、格好良さもわかんなかったけど、そのうち〈カッコイイな〉って気付いて。何がいいのかわからんけど、歌に熱いものを感じるというか。この人真剣だなって。伝わってくるものがあったんだと思うよ。その時はすでにいろんな音楽を聴いとったけど、とりわけ格好良さを感じたかな」

土屋「ベンジーが〈真剣さを感じた〉っていうのが素晴らしいよね。イギリスだと彼の音楽は〈Serious Music〉と言われているんですよね。要するにロックンロールとかポップスの価値観では語れない存在。日本語に訳すと〈真剣〉」

――それはアートって意味でしょうか。

土屋「そうですね。その姿勢は〈Ziggy Stardust〉の頃にはあったと思うんです。でも一般的に〈Serious Music〉を確立したとされるのは、もっと全然後じゃないですか。それこそ『Low』(77年)や『Heroes』(77年)の頃。僕がボウイのピークだと思うのもその頃ですけど、ベンジーは〈Ziggy Stardust〉で〈真剣さ〉を感じた。流石ですね。でもお姉さんに教えてもらったのは良かったね。そうじゃなきゃ絶対素通りしちゃうよね」

浅井「絶対そうだと思う。(姉の)デヴィッド・ボウイの切り抜きがスクラップ・ブックになっとったもんね」

土屋「そうなんだ、いいなー(笑)。そういう環境が羨ましい」

――グラム時代の、お化粧してど派手な衣装の写真ですか。

浅井「なんだっけ、ナントカ寛斎……」

土屋山本寛斎

浅井「そう、山本寛斎がデザインした日本語の入っている衣装を着た写真とかさ」

――来日公演の時の〈出火吐暴威〉ですね。

浅井「うん。黄色いサングラスかけてオレンジ色の髪の毛した、すんごいカッコイイ写真もあってさ。お洒落だよねえ」

〈出火吐暴威〉の衣装を纏った73年のライヴ映像

 

――中学生の時に、すでにそういう洗礼を受けていたわけですね。小林さんがボウイを知ったきっかけは。

小林「父親ですね。父親がキング・クリムゾンやボウイとかが好きで、しょっちゅう聴いてたんですよ。ステレオセットの前で腕を組んでレコードを聴いてるのが日常だったんですね。それで、僕が学校から帰ってくると、いろいろ聴かせてくれるんですよ。小学生だったのにクリムゾンとかピンク・フロイドEL&Pなどをワーッと聴かされて。そのなかにボウイがあったんです。その時はまったく意識することなく聴いてたんですけど、あとで父親に、僕が唯一〈いい〉と言っていたのが『Low』だったと聞かされて」

土屋浅井「おお~~~」

小林「どれを聴いても、何も反応しなかったらしいんですけど、『Low』だけは反応したみたいです(笑)。凄くキレイな音楽だと思ったんですね。それで父親からCDを譲り受けて、いろいろボウイを聴きはじめて、本格的にハマったのは大学の時ですかね。とにかくカッコイイと思いました」

『Low』収録曲“Warszawa”、78年東京公演でのライヴ映像。小野島氏によると、〈まだ客電がついてる間にメンバーがぞろぞろ出てきてこの曲を演奏しはじめるという演出にみんなびっくりして、その後に真似る日本のバンドが続出した〉という。

 

――小学校時代からのお父さまのロック英才教育があって、今の小林祐介がある(笑)。

土屋「じゃあ、ミュージシャンになりたいとか言っても反対されなかったんだ?」

小林「父が弾いているギターが家にあって、僕が触るとすごく喜んだんですよ」

土屋「ああ、いいな~」

小林「だからいろいろ教えてもらって。こうやると音が歪むんだ、とか(笑)。ずっと応援してくれてましたね」

――親に反対されてた世代としては……。

土屋「反対なんてもんじゃないですよ(笑)! もう逃げ隠れして練習してたもん、ほんとに(笑)。そういう意味ではおもしろいよね。影響の受け方、入り込み方が三者三様というか」

――世代ごとにくっきり分かれてますね。

土屋「ただ、どの世代でも一様に〈カッコイイと思った〉っていうのが凄いよね」

――〈何がカッコイイのか?〉と問うのは野暮だと思いますが、ボウイの何が一番格好良かったのでしょう。ルックス、音、生き方……。

土屋「なんだろうね? やっぱり人と違ったことなんじゃないかな。それまで見たことないものだった。だから気持ち悪いから拒否する、って可能性もあるわけじゃない? いろんな意味で破格の存在だし、偉大なアーティストではあるけど決して一般性のあるポップスターじゃないから。だって今度の『★』が初の全米1位だよ? 『Let's Dance』(83年)ですら1位になってないんだよ? でも死んだらNHKのトップ・ニュースになるんだから」

84年のライヴ映像作品「Serious Moonlight」収録曲“Let's Dance”

 

――数字に表れないような影響力があったということですね。

浅井「小学生か中学生の時、ボウイのライヴをテレビでやっとったんだよね。それを観逃したお姉ちゃんがめちゃくちゃ怒っとった(笑)」

土屋「そりゃ怒るよね(笑)!」

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ポール・マッカートニー