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金沢21世紀美術館〈生誕百年記念 井上有一〉―誰よりも自由に、激しく、遠くへ翔んだ書家・井上有一の大回顧展

金沢21世紀美術館〈生誕百年記念 井上有一〉―誰よりも自由に、激しく、遠くへ翔んだ書家・井上有一の大回顧展

生誕百年記念 井上有一
誰よりも自由に、激しく、遠くへ翔んだ書家井上有一の大回顧展

 金沢21世紀美術館で、日本の現代書家井上有一(1916~1985年)の生誕百年を記念する大回顧展「生誕百年記念 井上有一」が開かれている。同館は、現代美術の最先端の作品を紹介することで知られるが、書を現代美術の文脈で再考する試みが注目されている。

 井上有一は、小中学校の教師という生業を持ちながら、書の革新に命がけで挑んだ鬼才だ。1950年代、頭角を現し、海外の現代美術シーンで高い評価を受け、戦後の日本現代美術を牽引する存在になった。近年、改めて井上有一への関心が高まり各地で大小の展覧会が開かれているが、今展は初期から晩年までの200点を越える代表作を揃えた過去最大級の回顧展で、井上有一の生涯を総覧し、その芸術の核心に迫る決定版ともいえる展覧会だ。

 この展覧会は、3つの作品『愚徹C』『不思議B』『無我A』から始まる。これらは、1957年、ブラジルで開催された第四回サンパウロ・ビエンナーレ国際展に出品され、井上有一(以下有一)の国際的評価を決定づけた傑作だ。練墨で書かれた、和紙からはみ出さんばかりの「愚徹C」の二文字は、漆黒の塊となって、見るものに迫ってくる。『愚徹C』は、当時のビエンナーレの来場者の度肝を抜き、高名な英国の美術史家ハーバート・リードの著書「近代絵画史」にも掲載された。

 「1957年は、アクション・ペインティングとアンフォルメル両者の開花の時代で、その年のサンパウロ・ビエンナーレはたいへんな展開になっていた。ハーバート・リードは、その会場で有一の出品作『愚徹C』に驚いた。有一はそれ以前に、文字のない「メチャクチャデタラメ書き」をやっていて、それはアクション・ペインティングやアンフォルメルに共通していた。有一がビエンナーレに出展することになったのは、その「メチャクチャデタラメ書き」が注目されたからだったけれども、有一は、このメチャクチャデタラメの世界には何もない、腹の中のものを全部吐き続けるようなものだと気づいて止めてしまう。そして、文字に帰って書いたのが『愚徹C』。愚になりきって書くという覚悟だった」と、有一と長い親交があり、有一芸術の深い理解者である美術批評家の海上雅臣氏は言う。

 「このとき有一は単に文字に回帰したのではなく、これまでになかった場所に立った。それは美術にまたがる書の世界だった」と本展を企画した当館館長秋元雄史氏は言う。

 有一が1955年に制作した「メチャクチャデタラメ書き」の作品も今展で展示されている。旧来の書の決まりごとを全て捨て、和紙、墨、筆を使わない「メチャクチャデタラメ書き」(洋紙にエナメルで非文字を書きまくる抽象的表現スタイル)は、有一にとって、旧態依然とした書の否定であり、それとの決別のための禊のような行為だった。しかし、秋元氏は、「有一が否定したのは、それまでの書の世界のみでなく、もっと大きなもの、20世紀の近代文明そのものだ」という。2つの大戦を引き起こしてしまった、非人間的な近代文明。それこそが彼が「否」といい続け、立ち向かうべき相手だったというのだ。

 サンパウロ・ビエンナーレで『愚徹C』を発表して以降、有一は、カッセルの第二回ドクメンタ展など、次々と第一線の国際展に出展し活躍する。文字に回帰した有一は、さらに技法を探求し、漢字一文字を大きな画面にダイナミックに書く「一字書」を多く生み出した。「一字書」は、最も有一らしい作品で、亡くなるまで書き続けられた。

 同美術館の天井高9メートルの大展示空間に、「山」、「花」、「母」、「貧」といった「一字書」の連作が、天井近くまで並ぶ様は壮観だ。同じ文字であっても、作品の各々が別人格を持っているかのような生命力を放ち、その躍動感が大空間の中で響き合っている。その光景は圧巻で、これまでにない新しい書の世界が立ち現れていた。

 展示会場の通路から、時折流れる「ウオー」という奇声。その音に導かれ、音源を辿ってみると、ビデオモニターから井上有一の制作風景を収めた記録映像が繰り返し上映されていた。

 裸足、坊主頭の男が、箒ほどもある大きな筆先をバケツに突っ込こむ。墨をたっぷり含み、ずしりと重くなった筆を「ウオー」と雄叫びしながら持ち上げ、渾身の力を振り絞って、床一面に敷かれた紙に一気呵成に「上」と書いた。

 井上有一の制作姿勢には鬼気迫るものがある。「断崖から飛び込む感覚で書く」という有一は、今まさにある命を燃焼し尽くすかのように、一文字一文字を全存在をかけて書く。まるで、一瞬一瞬の生きる証を刻もうとするかのようだ。その凄まじさは、いったいどこからくるのだろうか。

《噫横川國民學校》部分 1978 群馬県立近代美術館蔵 (C)UNAC TOKYO 撮影:玉重佐知子
 

 1916年東京・下谷ニ長町の古道具屋に生まれた有一は、師範学校に学び、東京の横川尋常小学校の教員になる。画家を志しながら教職と両立しうる書の道を選び、前衛書道家上田桑鳩に師事した。1945年3月10日、当校で夜勤中の有一は、東京大空襲に遭遇する。下町が標的になった空前の無差別爆撃は町を焼き尽くし、一夜にして10万人の犠牲者を出した。自らも仮死状態に陥り、辛うじて生還した有一だったが、教え子を含め多くの人々が焼き殺された地獄絵を目の当たりにし、打ちのめされた。

 「有一が、東京空襲への憤り、悲しみを書こうとしても2~3文字書くと涙が溢れ、書けなくなってしまうんですね。そこに彼の一字書の原点があると私は思います。」と海上氏は言う。有一は多くの「一字書」を残しているが、『貧』の文字は生涯を通し繰り返し書いた。「日本が戦争に負け、焼け野原になって、何もなくなった、丸裸の『貧』の状態の自分がそこに在る。この『貧』から出直すわけです。『貧』という、ありのままの素の自分から始め、『貧』を守って生き抜かなければならない。そういう思いで彼は『貧』を書いた。そして、彼が東京空襲の惨状をやっと書くことができたのは、33年を経てからのことだったのです」と海上氏は続けた。

 有一の代表作『貧』は、戦後の経済志向の時代への反発であり、物質文明と一線を画して生きる自らの自画像でもあった。1978年、有一は自らの戦争体験を『東京大空襲』『噫横川國民學校』の多文字書として作品化した。両作品が展示された部屋は、さながら霊廟のような雰囲気が漂い、足を踏み入れるだけで厳粛な気持ちになる。いずれの作品も墨一色の文字で書かれているが、流血の惨状を目の当たりにした慟哭が伝わってくるかのようだ。有一にとって、この戦争体験こそが彼を突き動かす原体験だったろう。「書くたびに絶筆。命がけで書いた」 有一の一文字一文字は、 失われた命への供養、鎮魂の祈りだったのかもしれない。

 「東京空襲から奇跡の生還をとげ、戦後日本を実直な教師として生き抜き、書壇も画壇も蹴飛ばし、前衛書道も笑い飛ばす、一匹狼の書家だった」有一は、「書に命を燃やす型破りの凡人」と海上氏は評す。

 「書家が書を独占しているつもりでいること程、滑稽なことはない。書は万人の芸術である。」(井上有一「書の解放」『墨美』9号、1952年)と有一は言い、何ものにも捉われない自由な書の境地を切り開き、あまりにも突き抜けた作品を生み出し た。

 「保守的な書道界に立ち向かい、最大限闘い、土着的なものを引きずりながら日本的なるものと格闘し、書をここまで前衛にもってきた井上有一。その生涯と作品を振り返ることが、今の日本文化を考えていく上での足場になればと思う」と秋元氏は言った。

 


EXHIBITION INFORMATION
生誕百年記念 井上有一

開催中~3/21(月・祝)まで
会場:金沢21世紀美術館 展示室7~12、14
www.kanazawa21.jp/

今福龍太 レクチャー
「〈筆〉と〈踏み手〉―井上有一と宮沢賢治」

日時:3/13(日) 14:00~15:30 (開場 13:45)
講師:今福龍太(文化人類学者・批評家。東京外国語大学教授)
会場:金沢21世紀美術館 レクチャーホール
料金:無料
定員:先着70名(予約不要)

井上有一の書は、記号と化してしまった文字(=ふみ)への不断の反逆です。言語が抽象的な記号体系に回収される以前の、古い身体的な「模倣」と「交感」をめぐる豊かな対話が、井上有一と宮沢賢治のあいだで交わされていたのです。「言語」と「身体記憶」の境界上に立ち上がる井上有一芸術の美について語ります。

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