〈21世紀のビリー・ホリデイ〉の愛称で親しまれてきたシンガー・ソングライターのマデリン・ペルーが、インパルス!移籍後初のニュー・アルバム『Secular Hymns』をリリースした。デビュー20周年の節目を飾る本作はカヴァー曲で全編が構成され、イギリスの古い教会でライヴ録音されている。ジャズとルーツ・ミュージックを折衷させた独自の歌世界は健在で、これまでにも増して味わい深い逸品となっている。そんな本作の魅力とバックグラウンドを、音楽評論家の渡辺亨氏に解説してもらった。ちなみにMikikiでは、昨年9月に開催された来日公演のタイミングで、彼女のキャリアを振り返ったコラムを掲載しているので、そちらも改めてチェックしてほしい。 *Mikiki編集部
★マデリン・ペルーが歩んだ20年―粋な魅力と生き様を振り返る
教会だからこそ得られる天国の残響
かつてNYに30丁目スタジオ(CBS 30th Street Studio)という伝説的なレコーディング・スタジオがあった。当時はCBSが親会社だったコロンビア・レコーズによって1948年に設立され、82年まで存続していたスタジオだ。名称が示す通り、このスタジオがあった場所は、マンハッタンの2番街と3番街の間の東30丁目である。その30丁目スタジオでは、グレン・グールドの『Bach : The Goldberg Variations』(55年)、ブロードウェイ・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」のサントラ(56年)、ビリー・ホリデイの『Lady In Satin』(58年)、マイルス・デイヴィスの『Kind Of Blue』(59年)などさまざまな歴史的名盤の録音が行なわれた。
単に数々の名盤が録音されたスタジオだから伝説となっているわけではない。30丁目スタジオは、ギリシア正教教会を改装した広大なスタジオだった。そのため、自然な音のアンビエンス、しかも時代物の建造物ならではの響きを得ることができた。いわば〈天国の残響〉を得ることができる音の聖堂だったのだ。ただし、30丁目スタジオはあまりにも広かったため、当初エンジニアたちは残響(リヴァーブ)のコントロールに苦心したという。だが、その独特の優れた音響ゆえにオーケストラやブロードウェイ・ミュージカルのレコーディングに重宝された。ちなみに、69年にマンハッタンに創設された有名なメディア・サウンド・スタジオも、バプテスト教会を改装して作られたレコーディング・スタジオだ。欧米には元来は教会だったスタジオが少なからずある。
〈21世紀のビリー・ホリデイ〉とも称されるマデリン・ペルーの新作『Secular Hymns』は、そうした類のスタジオではなく、教会そのもので録音されている。場所は、イングランド東部のオックスフォードシャーの田舎町、グレート・ミルトンにある聖マリア教区教会(The Parish Church of Saint Mary the Virgin)。12世紀に建てられた、約200人を収容できる規模の教会だという。
今回のプロジェクトは、マデリン・ペルーが2015年10月に前述の教会でライヴを行なったことに端を発する。このとき初めて同教会でライヴを行った彼女は、木造の天井によって生み出される残響を大変気に入り、ここでアルバムを録音することを決心した。このときの編成は、2015年9月のブルーノート東京での公演と同じく、マデリン・ペルー(ヴォーカル/ギター/ギタレレ)、ジョン・ヘリントン(エレクトリック・ギター)、バラク・モリ(アコースティック・ベース)のトリオ。マデリンたちはその後もツアーを続け、翌2016年の1月にふたたび教会に戻ってきた。
弱者の気持ちを代弁する世俗の賛美歌
『Secular Hymns』の録音は、2016年1月12日と13日に行なわれた。12日は地元の人たちを無料で招待してライヴを録音し、さらに翌日は追加のライヴ・テイクを録音したそうだ。あえて観客を前にしてライヴを行ったのは、マデリンたちが適度に緊張したり、リラックスできるからという理由だけではないだろう。ある程度の数の人間を入れることによって、教会全体の音の響きをレコーディングにとって適切なものにしたかったからに違いない。このように『Secular Hymns』には、過去1年間ほどライヴを積み重ねてきたトリオの〈生の姿〉がそのまま記録されている。その意味では、一種のライヴ・アルバムと言えるが、観客の歓声や拍手は一切入っていない。録音を手掛けたのは、ステュアート・ブルース。ヴァン・モリソンやデヴィッド・シルヴィアンなどのレコーディングに関わってきた英国人エンジニアだ。
クラシックの世界では、オーケストラをはじめ、合唱隊や古楽のアンサンブルなどのレコーディングのために教会が使用されることがわりとある。もちろん、教会特有の音の響きを求めてのことだ。クラシックほど多くはないにせよ、ポピュラー音楽のアルバムのなかにもいくつかの例がある。マデリン・ペルーと音楽性が近いアーティストを引き合いに出すと、カウボーイ・ジャンキーズの『The Trinity Session』(88年)がそのひとつ。このカナダ出身のバンドによる2作目は、トロントにある教会、Church of the Holy Trinityで87年11月に録音された。この場所にあやかって、アルバム・タイトルは、直訳すると〈三位一体セッション〉というわけだ。一方、マデリンの新作のタイトルは〈世俗の賛美歌たち〉で、より洒落ている。
収録曲は、ブルースやニューオーリンズR&B、アメリカーナなどのカヴァーばかり。アラン・トゥーサン作でリー・ドーシーの歌で知られる“Everything I Do Gonh Be Funky (From Now On)”やウィリー・ディクソンの“If The Sea Was Whiskey”、トム・ウェイツの“Tango Till They’re Sore”などが取り上げられている。なかでも“More Time”は2015年の来日公演でも披露されていたが、本作で初めて最近のマデリンのレパートリーであることを知った人には、かなり意外な選曲だろう。これは英国のダブ・ポエット、リントン・クウェシ・ジョンソンが99年にリリースしたアルバムのタイトル曲だ。だからマデリンたちもレゲエ調のリズムで演奏している。もっとも、“More Time”は、ワーキング・クラスの人々の気持ちを代弁している一種のブルースであり、それこそ〈世俗の賛美歌〉とも言える。同じように、アメリカ音楽の父スティーヴン・フォスター作“Hard Times Come Again No More”も、社会的弱者の心の叫びが描かれた曲だから、これらの選曲とアルバム・タイトルの関係にはなるほど、と思わず膝を打つ。
そして、『Secular Hymns』はパティ・スミスも2004年の同名作で取り上げていたトラディショナル“Trampin'”で幕を閉じる。正真正銘のゴスペルだ。〈嘆き〉と〈救い〉と〈赦し〉の声。このアルバムでは、これらのスピリチュアルな声が、まろやかな天国の残響として、こだましている。