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秩序の乱れた時代、〈逃げ恥〉と映画、音楽の無料化に思うこと 

――日本国内の状況は、どうご覧になっていますか?

「今年の秩序の乱れ方とか、オリンピックの準備が上手くいかない感じとか、震災のときとは違った形で話題満載の年だったと思います。すべての話題がイタイ話題で、本当に日本人が掛け値なしに素晴らしいと思える話題は、オリンピックの凱旋パレードだけっていう(笑)。スポーツしか信じられないっていうのも、レニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』的というか、ナチス前夜にそっくりというか。貨幣価値も信じられないし、移民や労働力の問題も信じられないし、政治も信じられない。信じられるのは美しい肉体とメダルを取ったという業績だけというのは、ちょっと怖い感じだなと。怖さというのは、ヤバイと思っている間は怖くないんですよ。

一番怖いのは、〈いいな〉と思っちゃっていることなんです。あんなに人が集まって熱気があった銀座でのパレードはしばらく見たことがなかったし、感動的でもあった。オリンピアンのスポーツだけが信用できるというのは、相当ヤバイなっていう気はしているんですけど(笑)、ヤバイと思いながらも素晴らしいと思っちゃっている。一番怖い状況ですよね。〈この女を好きになったら大変なことが起こるってことは目に見えている、でも、好きにならずにはいられない〉という感じで、それが一番おっかないじゃないですか。こいつ嫌だなと思ったら、避けるわけですから。

まあ、それを言ったらガンダムも戦争ですけどね(笑)。いよいよdCprGも、宇宙での戦争に行き着いたかっていう感じですけれど。僕はあんまり社会的なことにコメントしたりしていないのですが、例えば以前はdCprGがイラク戦争に繋がっていく流れのなかで解散していくとか(2007年)、そういうことを意欲的に結び付けて語れていたわけですが、そうした時代は、実はわりと牧歌的だったなという気がいまはしています」

「機動戦士ガンダム サンダーボルト」サウンドトラックに収録されたdCprG “RONALD REAGAN OTHE SIDE”
 

――そうした時代とのバランスを、ご自身のなかではどう取られているのでしょう。

「40代までは、コンセプチュアルに生きるというか、美学とか概念があって生きていくことがキツくなかったんですよね。それによって仕事が決定し、文体が決定し、作る曲が決定することが、さほど辛くなかったんです。じゃあ50歳になったら何か変わるかと思ったのですが、別に変わらなかった。51歳も特に何も起きなかった。でも52歳になって、突然ガクンと来たんです。演奏において長時間吹けなくなるとか、そういった物理的な体力じゃなくて、さっき言った美学に則って生きるってことに使う体力が落ちました。そこにあまりエネルギーを充当しなくなってきて、逆に美学的な身なりが完成したのかもしれませんが。完成しなくて構築していたから疲れていたわけで、出来上がったら疲れない。だから完成しきったとも言えるし、簡単に言うと力が抜けた感じがすごくします」

――腕にタトゥーを入れたのは今年ですよね。

「タトゥーを入れたのは3か月前で、母親が亡くなったのが4か月前で、再婚したのが半年ほど前です。個人的には大変化があったようなイメージで見られるかもしれませんが、主観上はボヤッとしているんです。流れるがままに、静かにやろうかなって。あと、僕はデビューが遅いので。20代の頃から脚光を浴びる人もいますけど、それと比べると、仮に歌舞伎町に越してきてから記名性を獲得したとして、(初のエッセイ集である)『スペインの宇宙食』が出たのが40歳だった2003年で、『南米のエリザベス・テイラー』が2005年ですから、プロとしてのキャリアは長いけれど、菊地成孔としてのキャリアは13~14年なんです。それが、なんだか1周した気がするんですよ」

 

「周回は僕にとってとても恐ろしいことで、周回しないように常に先に行っていたんです。それはある種のマイルスイズムかもしれませんが。とにかくどんどん先に行って、同じことは二度としない、同じ服は二度と着ない、という感じで歩んできたのですが、この取材の前に何をしていたかというと、批評家の廣瀬純さんと、エディション・コウジ シモムラという六本木の2ツ星レストランで、『BRUTUS』の特集用に食べ物の本に関する対談をしていたんです。これって、10年くらい前に盛んにした仕事で、最近ついぞやっていなかったなと思って。アカデミズムの人たちは誰も僕に振り向いてくれなくなったし、別にそれでいいやと。フランス現代思想やゴダールとか、アデューという感じでした。ラッパーとか言い出したり、途中から韓国通になったり、どんどん動いていたわけですよ。それがグルっと回って、久しぶりにベルグソンだのドゥルーズだのフロイトだのといった話をしたので、なんだか懐かしい気分になりましたね。

世の中的な周回性という意味で言うと、いまは90年代感が来ていてますよね。僕は普段、例えばニカラグアの音楽や、アフリカのとんでもない僻国から出てきたゴム(Gqom)っていうクラブ・ミュージックとか、そういうものを聴く探検隊なわけですが、最近頭の中で毎日流れているのは、星野源さんの“恋”なんです(笑)。日々、何に一番執心しているかというと、あのダンスを覚えることですから。〈逃げ恥〉にやられて、新垣結衣さんカワイイ、星野源さんカッコイイ、あの曲いい曲だ!って。〈ブギーバック〉はパクリだったけど、今度はオリジナルだから、渋谷系リヴァイヴァルといってもこっちのがすごいんだ、みたいな。トランプが勝った、ISが大変だって、なんだかんだありますけど、強いポップ・ミュージックが出てくると、それで頭の中がいっぱいになったりするので(笑)、気は若いのかもしれないなと」

TVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌、星野源“恋”
 

――ドラマ、観てるんですね(笑)。

「観てますよ! 録画して観ています。しかも、観終わった後にもう一回観ようって、新妻と2人で胸をキュンキュンさせているという。バカじゃないかってね(笑)。〈『セッション』騒動〉以降、映画評論の仕事が3倍くらいに増えて、やたらと映画のコメントや評論を書いているのですが、今年自腹で行った映画は、『シン・ゴジラ』と『君の名は。』と『デスノート Light up the NEW world』なので、普通の人ですよ(笑)」

※ジャズを題材に扱った映画「セッション」を菊地が酷評し、それを批判した映画評論家・町山智浩と論争に発展、ネット上で炎上した事件のこと

――『シン・ゴジラ』、どうでしたか?

「もうちょっとハードコアだと思っていました。もう死語ですけど、一種のポリティカル・フィクション(PF)というか、政治的にこういうことが起こったら、閣僚がどう動いて、自衛隊がどう動いて、アメリカがどう動いて……というPFのゴジラ版をやるんだと思ってすごく楽しみに観ていたら、お楽しみで石原さとみさんが出てきたりとか、中途半端だなと感じました。ゴジラの造形がどうのこうのと言うほど、もともとゴジラが好きだったわけではないですし。自分なりの発見はありましたけどね。ご存知の通り、実家の両隣は映画館だったので、普通の子は親からお小遣いをもらってゴジラとミニラでキングギドラを倒すところを1回観られれば僥倖なわけですが、僕はタダで観放題だったわけです。それで、子ども心に〈ミニラって気持ち悪いな〉と思っていたのですが、その〈ミニラって気持ち悪いな〉という想いが、今回の『シン・ゴジラ』におけるゴジラの幼体の気持ち悪さと符号していて、やっぱり庵野秀明監督は細かいところのセンスがすごいなって感じましたけど」

「『君の名は。』のほうがよっぽどおもしろかったです。こんなSFだと思っていなくて。主観が入れ替わるうえに、入れ替わった主観がタイムリープしているので、20世紀的なSFの見方というか、オッサンのSFの見方だと辻褄が合わない。辻褄が合わないと気持ち悪くなっちゃって、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか『マトリックス』でさえ、シルバー世代のSFファンは文句付けますからね。〈あそこの時系列がおかしい〉、〈あそこでアイツとアイツが出会えるはずがない〉とか、そういう批判がネットに延々と書かれたりしたわけですけど、いまは違うのね。とにかく泣ければ、そういう矛盾があっても気にしないという感じなので、自分がオッサンだと思いました。観終わったあと、ファミレスに行ってノートを広げて、〈このときに出会って、ここの間に飛んで、ここで入れ替わっているわけだから、ここで東京で出会ってこのセリフはおかしい〉とか主人公2人の時系列を書きながら(笑)、はてながいっぱいになっちゃって、もう1回観なきゃ!となったんです。結局行かなかったですけど、こうやってリピーターが増えているのかと(笑)。ただ、SFとしては破綻しているとしても巧みだったりして、意欲的に作られている。そういった意味では、『マトリックス』を観たときの感じとすごく似ていましたね。意欲的に新しいSFのアイデアを盛り込もうとしているんだけど、やっぱり無理があるよねっていう。どこかに設定上の負荷が絶対掛かるよなというのを感じました」

「〈デスノート〉は、自分がチビなので、池松壮亮さんの服装や振る舞いをコピーしようと思って観に行きました(笑)。それは星野源さんにも繋がっているのですが。背の低い男がどうすればいいかっていう問題を、日々考えているので。小さい人の救世主としてhydeさんもいますけど、hydeさんにはなれないじゃないですか。hydeさんだと潰しが利かないので、池松さんを参考にしようということで観に行ったんです。でも内容は、やっぱりマンガ原作なのでわからなかったですね。つまらなくはなかったのですが」

――映画の話が出たところで、今度は、今年読んでおもしろかった本を1冊挙げるとすると?

「『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』はヤバイですよ。あれは圧倒的な本で、自分が音楽関係者じゃなくてもおもしろいです。デジタル・コンテンツとしての音楽が、もう実質上0円なんだという現実に対するとてつもない本で、日本の書評がどうなっているかは知りませんが、読解しきれる人はいないんじゃないかというくらい精緻に出来ていますね。Napster以前、不法にアップロードする奴らと、ユニバーサルのCEOにMP3の開発者、この三者がパラレルに動いて、最後はまとまっていくんです、音楽が0円化していく世の中に。それでふとわが身を振り返れば、音楽業界のなかで、CDを売って儲ける、しかもジャズっていう3重苦ですよ! ラジオをやったり原稿を書いたりして補填していますけど」

スティーヴン・ウィット,関美和 誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち 早川書房(2016)

 「音楽家にとって辛い時代である一方で、フェスは盛り上がっています。レコードも含めたプロダクツが0円化して、実演であるお祭りとしてのフェスの観客が増えるというのは、言うなれば先祖返りですよね。もともとレコードが生まれる前というのは、実演しかなかったわけですから。特殊な会場に人がたくさん集まって、木戸銭を払う。最初のレコードはアセテート盤のプロモーション用のキットで、タダだったわけですから。だから、20世紀の一種の徒花として〈アルバムというものが、小説や映画のように扱われていた時代があったんだよ〉というふうになるのか、なにかしらの業界の構造変革があって、またプロダクツを買うようになるのかわかりませんが、いまのところ、無料だったものが有料に戻ったという実例はないので、このままどんどん無料化が進むと思うし、そうすると音楽で食っていくということの意味が変わっていく時代ですよね。これは、いち菊地成孔のインタヴューでということではなく、音楽家全員が抱えていることだと思います。

だから一番大きな話題は、実はISでもトランプでもガンダムでもなくて、音楽の無料化ということに対してどうアゲンストしていくのか、ということかもしれませんけど、話がデカすぎてなんとも言えないですね(笑)。とりあえず直近では、秘密クラブ的な一回性の〈晩餐会〉を2回ほど開き、様子を見てみたいと思います」

 


菊地成孔がぺぺ・トルメント・アスカラールと供に提供する
『晩餐会 裸体の森へ』

日時/2016年11月29日(火)、12月1日(木)
会場:Motion Blue yokohama
開場/開演:18:15/20:15 (22:30終演予定)
料金:24,850円
※ディナー・コース+ドリンク付きの販売、未成年は入場不可。
BOX席の詳細は下記リンク先を参照
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