愛に生き続けたひとりの女性の物語

 1755年、マリア・アントニアは、16人兄弟の姉妹の11女として、ウィーンで生まれた。兄弟たちと乗馬に夢中なおてんば娘に母親のマリア・テレジアは音楽を学ばせる。最初の家庭教師は音楽家のグルックだった。チェンバロ(クラブサン)を演奏する彼女の肖像画は素敵だ。ブルーのドレスで、髪を高く結い上げ、右手は楽譜、左手は鍵盤の上に触れて微笑んでいる。7歳の時に、一つ年下の6歳のモーツァルトから「僕のお嫁さんになってください」とプロポーズされた逸話は有名だ。音楽家の妻になっていたら彼女の人生と世界史はどうなっていたのだろう。1770年、14歳でヴェルサイユにお輿入れしたマリアは、フランス名のマリー・アントワネットとして生きることになった。

 歴史作家シュテファン・ツヴァイク著『マリー・アントワネット』の初版本をひもといて発見した記述がある。「マリー・アントワネット本来の魅力は、これについては誰しも異口同音に申し立てることではあるが、彼女の動作の模倣しがたい典雅さにあったのである。生き生きと動きまわって初めて、マリー・アントワネットの肉体に生来備わっている音楽性が、露わに姿を現す。」それは、本能的なリズム感なのか。天賦の音楽性なのか。

 ルイ16世がマリーに贈ったプチ・トリアノンでは、親しい友達やゲストを招き、舞踏会や音楽劇が催され、王妃も女優として舞台に立ち歌ったという。庭園には農園もあり、ルソーの思想「自然に帰れ」の影響を受けていた。ある意味「エコ」で「革命的」である。

VARIOUS ARTISTS マリー・アントワネットの音楽会 ワーナー(2017)

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 アルバム『マリー・アントワネットの音楽会』のライナーノーツは、音楽コラムニストの高野麻衣さんが、マリーの一人称で、人生の思い出を語るように綴っているのが印象的だ。選曲は、ゴセック、グルック、ラモーシャルパンティエナーデルマン、ルソー、クープラン、モーツァルト、クルムフォルツ…。そこに、マリー・アントワネット作曲の《それは私の恋人》も並ぶ。後半のクープラン《子守歌、あるいはゆりかごの愛》には、せつない母の愛を感じる。ラストは、マルティーニの《愛の喜び》。天上界でアガペーの愛に満たされているのだろうか。愛に生き続けたひとりの女性の物語を辿りながら聴きたい。

 


INFORMATION

ヴェルサイユ宮殿《監修》 マリー・アントワネット展 美術品が語るフランス王妃の真実
○絶賛開催中~2017年2月26日(日)まで
会場:森アーツセンターギャラリー(東京・六本木ヒルズ 森タワー52階)
www.ntv.co.jp/marie/