INTERVIEW

鬼束ちひろが掴んだ10年後も歌える歌―〈原点回帰〉掲げ、人々の悲しみや痛みを音楽に昇華した新作『シンドローム』を語る

鬼束ちひろが掴んだ10年後も歌える歌―〈原点回帰〉掲げ、人々の悲しみや痛みを音楽に昇華した新作『シンドローム』を語る

試行錯誤の末に還ってきた原点。曲を書くこと、歌うこと――シンプルな環境に身を置くことで改めて手にした音楽は、10年後もその先も〈生〉の凄みを響かせ続ける

 

10年後も歌えるか

 繊細で美しいメロディーライン、詩的な言葉と共に〈生〉の凄みを映し出すリリック、そして、澄んだ透明感と濃密な感情が共存するヴォーカリゼーション。約6年ぶりとなるニュー・アルバム『シンドローム』において鬼束ちひろは、“月光”“眩暈”に象徴される初期のテイストに回帰しつつ、さらに奥深さを増した表現へと到達してみせている。本作によって彼女は、みずからの音楽的な本質を改めて提示することになるだろう。

 「『剣と楓』(2011年)の頃もそうだし、バンド(鬼束ちひろ&BILLYS SANDWITCHES)のときもそうだったんですけど、最近は自分で自分をプロデュースすることが多かったんです。でも、今回は原点に戻って、詞と曲、歌だけに専念したくて。それができるようになったのは、いまのレコード会社のディレクターとの出会いがきっかけなんですけど。私のいちばん良いところを知っているし、それをさりげなく伝えてくれる方なので。曲を書くこと、歌うことだけに集中したほうがいいということには、いままで何度も気付いていたんですよ。でも、不器用だからなかなか上手くいかないこともあって。20代後半からいろんなことを試してきましたけど、いまはいい環境で制作できているなって思います」。

鬼束ちひろ シンドローム ビクター(2017)

 キャロル・キングカーペンターズなどを想起させるオーガニックな旋律を軸にしたシングル曲“good bye my love”に始まり、クラシカルなピアノと憂いを帯びたヴォーカルが絡み合う“Sweet Hi-Five”、〈ねえ どうか少しだけ 傷口を見せて〉というフレーズが心に響くバラード“悲しみの気球”、壮大なスケールを備えたメロディーと〈貴方の翼になり その背を押してゆく〉という決意がひとつになった“火の鳥”……このアルバムのために制作された約30曲のなかから厳選されたという収録曲(“悲しみの気球”だけは2002年頃に書かれたそう)には、普遍的な表現を追い求める彼女の姿勢が強く反映されているようだ。

 「収録曲は基本的にディレクターの方に決めてもらったんですが、私自身も純粋に〈歌いたい〉と思う曲ばかりです。いまは〈10年後も歌えるかどうか?〉ということが基準になっているし、今回のアルバムの楽曲は俯瞰して聴いても〈ずっと歌っていけるだろうな〉と思えるので。デビュー当初と比べて違うところは、メッセージ性が少なくなっているところかな。歌詞を深読みされることもあるんですけど、私としてはそこまで強い思いを込めているわけではなくて、どちらかというと感覚的に書いていることが多いんですよ。好きな映画に影響されて曲が出来ることもありますね。例えば“ULTIMATE FICTION”は『キック・アス』という映画の印象が元になっていたり。あと、映画ではないですけど、“シャンデリア”はシーアの“Chandelier”という曲へのオマージュなんです。こういうことを恥ずかしげもなく言っちゃうのもどうかと思いますけど(笑)」。

 サウンド・プロデュースは、ジャズやロック~ポップスなど幅広いフィールドで活躍するベーシスト、鈴木正人。アコースティックな手触りと心地良いダイナミズムをバランスよく融合したアレンジに加え、八橋義幸(ギター)、あらきゆうこ(ドラムス)、伊藤大地(ドラムス)といった凄腕のミュージシャンたちによる演奏は、現在の鬼束ちひろの魅力を的確に際立たせている。

 「鈴木正人さんとは初めてご一緒したんですけど、性格はすごく優しいのに、音楽はアナーキーなんですよね。ベースを弾いている姿からは狂気を感じるし、〈自分の歌が負けてしまう〉と思うこともあって。アレンジも素晴らしいですね。特に“弦葬曲”はいままでの私の曲のなかでもベスト3に入るほど好きです。アレンジによる影響が歌に出ているかはよくわからないんですけど。歌うときは女優みたいになるというか、とにかくその曲に入り込んで、歌い終わったときはスッと元に戻る感じなので……集中力が強すぎるのかもしれないですね」。

 

役割みたいなもの

 そうした鬼気迫る歌唱は、初回限定盤に同梱のライヴ音源でも確認することが可能。これは2016年11月4日の中野サンプラザ公演を収めたもので、“月光”“everyhome”などの代表曲から、新進女性シンガーの花岡なつみに提供した“夏の罪”のセルフ・カヴァーまで、彼女のキャリアを網羅するラインナップとなっている。

 「ライヴに対する意識は以前から全然変わってなくて。とにかく死ぬかと思うほど緊張するし、ステージに上がっているときは女優性がさらに強くなるというか、何かに乗り移ってもらって、自分の感情をねじ伏せているような感じです。TVに出演するときは時間も短いから、乗り移られ切れないこともありますけど(笑)。ただ、声自体は以前よりも出ていると思います。ちょっと前に〈ずっと歌っていくためには、このまではダメだ〉と感じて、運動を始めたんですよ。身体は単純だから、かなり(歌が)鳴るようになってきましたね」。

 年末に放送された「FNS歌謡祭」に出演し、“月光”を熱唱するなどメディアへの露出も徐々に増加。〈原点回帰〉というテーマを掲げた『シンドローム』によって彼女は、みずからの音楽性を改めて認識し、その役割――人々が抱えている悲しみ、痛みを代弁し、それを歌として昇華する――を引き受けはじめたように思える。

 「聴いてくれる人がどう感じるかは気にしていないけど、その〈役割みたいなもの〉に従ったほうがいいと思うようになりましたね。以前は〈みんなが求めることをやらなくちゃいけないのかな?〉と感じることもあったし、無理して自分を強く見せがちだったんです。それが曲にも出てしまって、悪いループに入っていたこともあったし……。いまはいろいろな方々との出会いによって、自分がいちばん得意なことをやれていると思います。誰かに引き上げてもらうほうがいいんですよね、私は」。

 今春からスタートする『シンドローム』を軸にした全国ツアーに対しても、「いままでの楽曲と新しい楽曲が混ざることで、ライヴの雰囲気も変わってくると思います。バンマスをお願いしている坂本昌之さんのアレンジも大好きなので、すごく楽しみですね」と意欲を見せる鬼束ちひろ。シンガー・ソングライター/パフォーマーとしての強烈な個性をより高い純度で音楽へと結び付けはじめた彼女は、これから新たな充実期を迎えることになるはずだ。


 

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