20年前のデモテープに現在の自身が歌詞を乗せる、という方法で作り上げられた鬼束ちひろのニュー・アルバム『HYSTERIA』。今回、その研ぎ澄まされた歌世界に音の面からの演出を施すべく、サウンド・プロデューサーとして招かれたのが気鋭の音楽家、兼松衆だ。その制作の背景を探るべく、bounceでは兼松へメール・インタヴューを実施。『HYSTERIA』をより深く堪能するためのサブテキストに相応しい、興味深い回答の全文をここに掲載する。先に公開中の本人へのインタビューと併せて読んでみてほしい。

鬼束ちひろ 『HYSTERIA』 ビクター(2020)

 

――鬼束さんの作品へは今回が初めての参加かと思いますが、参加前までは鬼束さん/鬼束さんの楽曲へどのような印象を持たれていましたか? また、鬼束さんと実際お会いしてみて印象は変わりましたか? 変わった場合、どのように変わりましたでしょうか?

「『インソムニア』(2001年)を何度も何度も繰り返して聴いていたのを覚えています。当時13歳のもっとも多感な(!)時期でしたので……今でも1曲目から順番に聴いていると、山奥の学校に通うバスから見えていた風景を思い出します。
 あまりメディアでたくさんお話しされている印象がなくて(今年の「SONGS」で初めて拝見したような気がします)、私の中ではステージにひとり凛として立っている、本当にこの方はこの世に存在するんだろうか……くらいのイメージだったものですから、初めてお会いした時はあまり現実感がなくて……(笑)。というか、本当はその日はディレクターの木谷(徹)さんとの打ち合わせの日で、鬼束さんにお会いできるとは思っていなかったのですが、たまたま同じ日に取材だったか何かで同じフロアにいらっしゃって。ご挨拶もそこそこに いきなり〈ハイ!〉って子猫を手渡されて、私も無類の猫好きなのでテンションが爆上がりしました。そのあとはすごくフランクに〈よろしくね〜〉くらいの温度感でお話ししてくださって。胎教のように聴いて育った音楽を作った方が目の前にいて、私の手の中で子猫は居心地悪そうにゴニョゴニョ動き回り、なんと申しますか……あの日の感情を言葉にすることは大変難しいです」

――デモを受け取られた際、アルバム全体のイメージやコンセプトは設けられましたでしょうか? 設けた場合、どのようなものでしたか?

「まず、デビュー当時のデモテープを聴かせていただくところから始まりました。まさしく〈テープ〉といった感じの音源で、本当に〈カチャッ〉から始まるくらいの(笑)。たぶん弾き語りで一発録音したものだと思いますが、ほとんどの曲がピアノと歌だけで、まるで時空を超えて当時の鬼束さんと対峙しているような……不思議な感覚がありました。
 コンセプトとしては、『インソムニア』のアコースティックな世界観でいこう、というところを最初に全員で確認しました。羽毛田丈史さんが作られたアレンジメントは今聴いてもまったく古くなくて……改めて聴き直したら、今まで自分のものだと思っていたアレンジの書法とか手癖みたいなものが、実は羽毛田さん由来だったんだなあという発見もあり……なので、コンセプト・イメージに悩むようなことはあまりなく、とてもナチュラルな気持ちでデモの制作を開始しました。
 とはいえ、単なる『インソムニア』の焼き直し/ゼロ年代ノスタルジーみたいなものにはしたくなくて(鬼束さんも全曲で新たな作詞にチャレンジされていますね)、2020年時点の自分が考えるアコースティック楽器の扱い、レンジの広い音像のようなものは強く意識しています。
 自分で言うのもなんですが、私はどうしても根が真面目なところがあって(笑)、それはクリエイターとしてはあんまり褒められたことではないというか。たぶんもっと先鋭的なサウンド作りを志向するのが、現代を生きるアレンジャーとしての正しい姿なのかもしれません。が、このアルバムに限って言うと、〈鬼束ちひろ〉という強烈な存在――詞/メロディー/歌唱をいかに邪魔せずに、鬼束さんの歌を待っているリスナーの皆さんに届けるか、というところを一番大事に考えながら、(特に申し合わせたわけではありませんが)制作チームは作業を進めていったように思います」

――風通しの良さを感じる明るい曲調が鬼束さんの楽曲のなかでも新鮮な“フェアリーテイル”、ギターがフィーチャーされてロック色の強い“「蒼い春」”、アコースティック・カントリーと表現できそうな“Boy’s Don’t Cry”などをアクセントとしつつ、全体的には兼松さんのピアノを基調に鬼束さんの歌唱を引き立てるミニマル(でありながらドラマティック)なアレンジが印象に残りました。兼松さんが各楽曲のデモを聴いたときの印象と、そこからどのようなイメージでアレンジを進めていかれたかを教えてください。

■憂鬱な太陽 退屈な月
「久しぶりにデモテープを聴き直しました。ピアノと歌だけの状態ではロックにもミドル・バラードにもできる感じのテンポ感でしたが、ものすごく広い音域(上も下もかなり攻めていますね)で、かなり言葉数の多いメロディーを歌い上げる曲ですので、その歌唱に急き立てられるようにアレンジの温度感もヒートアップしていったような気がします。当初は4リズムだけのシンプルなバンド・サウンドでしたが、録音前にストリングスを追加しました」

■フェアリーテイル
「鬼束さんの代表曲といえばマイナー・キーの曲をイメージされることが多いと思いますが、アルバムに入っているメジャーの曲がすごく好きで……『インソムニア』で言うと“BACK DOOR”“edge”“We can go”“call”の流れですよね。最初の話に戻りますが、通学中に『インソムニア』を聴くと、家を出る時から聴きはじめてちょうどバスに乗るあたりでこのあたりに差し掛かるのです(笑)。ちょっと土っぽく、でもカラッとした微妙なハネ感を意識して録音しました」

■焼ける川
「一聴して〈只事ではない……〉と震えました。説明するまでもないですが、とんでもない強度のメロディーと歌詞ですので、負けじと私の筆圧も高まっていった結果、このアレンジメントが仕上がりました。〈鬼束vs兼松だね〉って笑われてしまいましたが……」

■Dawn of my faith
「全曲解説って初めてなのですが、メッチャ大変ですね(笑)。この曲も本当に大好きなバラードです。鬼束さんのサウンドの意外と見逃しがちな特徴として、ドラムではなくてパーカッションだけで最後までいく曲が多いんですよね。“月光”がまさにそうですし“私とワルツを”とかも……。その要素はどこかに入れたいな思っていたのを、この曲の前半で取り入れてみました」

■swallow the ocean
「最初のタイトルが〈ピアニスト〉でしたので(歌詞に〈鍵盤〉が残っていますね)、かなり近いマイキングの音像のピアノと、ストリングスは4重奏から一本減らしてトリオで構成しました。デモテープの説得力がものすごく印象的で、〈鬼束さん+ピアノ〉の画を大事に演奏しました」

■「蒼い春」
「この曲は早い段階からギター・ロックにすることは決まっていて。録音にあたり、あんまりお行儀のいいものにしても仕方ないなと、(後述しますが)バンド・メンバーの演奏に依存するアレンジメントに振り切ってしまいました」

■ネオンテトラの麻疹たち
「これくらい隙間の多い、けれどストリングスは何故か分厚いR&Bサウンドをいつか一曲やってみたいと思っておりまして、この機会にプレゼンしてみたところ採用されて夢が叶いました。結果、演奏が熱くなってしまい、最終的にあまり〈隙間〉は多くならなかったのですが……(笑)。この曲は、コードのストーリーを考えるのが一番難しくて、基本的に他の曲ではあまり激しいリハーモナイズはせずに(する必要がなく)、鬼束さんの元のコードにほんの少し手を加える程度なのですが、この曲は手を加えると魅力が失われてしまう、けどアレンジメント的にはもうひと押し欲しい……というところで苦労しました。元の曲を知らないと何言ってるんだかわからないと思いますが(笑)、サビの4つ目のコードでメジャーに行くところが最後まで悩んだポイントです」

■UNCREMINAL
「一番編成が小さい曲ですね。ドラムやギターが入っても良かったのですが、この曲は頭からピアノと歌で作るなかで、全然ないほうがむしろ映える気がして、素晴らしいビオラ奏者の馬渕昌子さんとピアノ、ベースだけでミニマルに仕上げてみました。ヴァイオリンでもチェロでもない、なんともやりきれない音がビオラの魅力だと勝手に思っています」

■End of the world
「当初のキーは非常にイージーなキー(C)だったのですが、のちに現在のキーになった結果、とんでもなくストリングスが〈鳴らない〉音域になってしまい、正直レコーディングするまではどうなることか思っていました(笑)。蓋を開けてみれば、非常にダークで切々とした演奏を収録できて、むしろこのキーが大正解でした。最後のブロック〈世界の終わりに答えるならば〜〉で毎回泣きそうになります」

■Boys Don’t Cry
「一転してカントリー/フォークの世界へ……意外とワイルドなこと歌っていて大好きな歌です(笑)。これは本当に先入観で、字ハモ・コーラスのイメージがあまり鬼束さんになかったのですが、そんなことなくて、実は結構初期からたくさん入ってますよね(“We can go”とか)。最初は恐る恐るでしたが……レコーディングの最後に、私と高木(大丈夫)くんでコーラス隊を録音しました」

――先述したミニマルながらドラマティックなアレンジには、参加したミュージシャンの皆さんによる名演の貢献も大きいと思います。ラインナップも西田修大さん(元吉田ヨウヘイgroup)、高木大丈夫さん、越智俊介さん(CRCK/LCKS)、吉田雄介さん(tricot)、君島大空さんといった日本のインディー/新世代ジャズ・シーンで注目の方々や、アニソンなど幅広く活躍されている室屋光一郎さんなど予想外の人選にも驚きましたが、プレイヤー陣それぞれの魅力を教えていただけますか?

「バンド・メンバーはここ2~3年くらい……? 私の録音ではいつもお願いしている方々です。合宿みたいにセッティングを置きっぱなしで連日録音していました、贅沢なことですね……本当に感謝です。
 ギターの高木大丈夫/西田修大の組み合わせが本当に大好きで、いつもギターを使うときはこの二人をどう使い分けるか、どちらに何を弾いてもらうかを常に考えてから制作しています。ルーツもスタイルも正反対と言っていいくらい異なる二人ですが、私の音楽には絶対に欠かせないギタリストです。
 “「蒼い春」”のギター・ロックは、もちろん高木くんに弾いてもらってもよかったのですが、このところずっと気になっていた(ただのファンです)君島大空くんに、西田くんを通じてダメ元でオファーしてみたところ、〈合奏形態〉のツイン・ギターが実現しました。みんなに職権乱用だって叱られましたが……(笑)。間奏とエンディングのギター・ソロは君島/西田で割り振っています(当日ジャンケンで決めました)。どちらが弾いているか、注目して聴いていただけたら嬉しいです。
 ベースはエレキを越智俊介くん、アコースティック・ベースは鳥越啓介さんにお願いしました。越智くんはいい感じに後輩キャラで、現場を和ませながらスーパー・プレイを連発していましたね。鳥越さんはサウンドチェックから完璧なテイクをバシバシ決めてくる本当に頼りになるベーシストです。
 ドラムの吉田雄介は中学からの腐れ縁で(つまり、前述の〈バス〉に彼も乗っていました)、私と演奏に対する価値観というか……宗派みたいなものを共有している素晴らしい演奏家です。ピアノとドラムはどちらも叩く楽器ですが、大切なことは実は一緒だよねというか……これ以上は長くなりますし、企業秘密なので教えてあげません(笑)。欲しいところに欲しいエモーションをたくさん注ぎ込んでくれました。
 “Boys Don’t Cry”のセッションは、高木くんのリーダー・バンドであるNoProblemsからバンジョーの丸山朝光さん、フィドルの山田拓斗さんに参加していただきました。ブースをいっぱいに使って、〈せーの〉で収録した一体感をお楽しみいただければ嬉しいです。
 室屋光一郎さんは、もはやアニソン畑の方ではないと私は理解していますが……それはともかく、絶対に絶対に欠かせない存在です。必ず最初にスケジュールを押さえてもらう、というか、むしろ室屋さんに合わせてハコ(スタジオ)を調整しますね。本当ならお一人お一人ご紹介したいくらい、いつも素晴らしいメンバーを集めてくださいます。どんなに無理めなスコアでも〈すごいアレンジですね!〉って楽しそうに(内心怒ってるかもしれませんが……:笑)、完璧に演奏してくださるので、私も心置きなく好き勝手なアレンジを書かせていただいています。幸せなことです。

――レコーディングの現場には鬼束さんもいらっしゃったそうですが、その際の印象的なエピソードがありましたら教えてください。

「毎日メッチャおいしい差し入れを山のように携えていらっしゃってました(笑)。お会いするのは〈子猫〉以来久しぶりで、レコーディングの時はさすがにピリッとするのかしら……とか思っていたのですが、まったくそんなことはなく、メンバーとも気さくに話しながらムードメイクしてくださいました。私があんまり場を盛り上げるのは得意じゃないので(笑)、 とても嬉しかったですね。
 サウンドチェックで2回くらいバンドで回したあとは、鬼束さんもヴォーカル・ブースに入って一緒に録音しました。その時には意識しませんでしたが、一緒に演奏するのはその時は初めてで、何とも言えない幸せな時間でした……13歳の自分に教えてやりたい……」

――改めてのお話になりますが、全曲のサウンド・プロデュースを担当されて、アルバム全体を通してはどんな作品に仕上がったと思いますか?

「えーと、もう結構書き尽くした気がしますが……(最初のブロックの後半をここに持ってきもいいですよ:笑)。サウンド・プロデュースという意味では、私のアレンジ以上にエンジニアの今井邦彦さんのサウンドメイク(録音の時点でディスカッションしながら、バチっと方向性を定めてくださいます)と、ディレクターの木谷徹さんのヴォーカル・ディレクションの力が非常に大きいです。歌録音までアレンジャーの領分とする現場が多いですが、今回は木谷さんが完璧に素晴らしいテイクを紡ぎ出してくださったので、私はどちらかというと楽器に集中できて、非常に効率よく制作進行できたかなと思っています。
 聴いたことないような先鋭的なサウンド、ということではなく、かといってノスタルジーに浸ることもなく、また次の20年が過ぎてもずっと聴き続けてもらえるような……聴く人にとってそんなアルバムになったら嬉しく思っています。お楽しみください」