COLUMN

【追悼】Russ Solomonとの思い出 ―タワーレコード創始者ラッセル・M・ソロモン―

【追悼】Russ Solomonとの思い出 ―タワーレコード創始者ラッセル・M・ソロモン―

追悼
Russ Solomonとの思い出

 人生には何度かの忘れられない別れがある。還暦も過ぎれば、永遠の別れは身近に迫る。それが身内であったり友であったりするのだが。

 2018年3月6日の早朝、サクラメントからメッセンジャーで届いたRuss Solomon逝去の知らせに暫く茫然としていた。わたしが1979年に25歳で入社したタワージャパンは当初、日本人支社長を入れても8人のスタッフでした。初めてRuss Solomonに会ったのは、入社1年後の1980年の秋だったと記憶しています。その頃アメリカのタワーレコードは店舗ネットワークを拡大中でレコードだけじゃなく、カセットテープの量販店として貢献した日立マクセルのご褒美インセンティブ旅行の帰りでした。赤坂のオフィスでの挨拶や仕事の話はほんの少しで、後はランチ・ミーティング、デイナー・ミーティング、そしてホテルの部屋で飲んで話す、それがRussのスタイルでした。たぶん、いちスタッフであってもどんな奴なのか、人を知る事が大事だと思っていたのでしょう。

 Russの考え方や経営哲学を知るエピソードや名言はいくつかあるのですが、私にとって、今でも覚えているのは彼のオフィスでRolling Stone誌のインタヴューでレコードショップの仕事については「We don’t stay in this business without loving it.  It's not job to most people(愛がなければこの仕事はできない。大半の人にとっては仕事じゃないからね)」 、お店のスタッフについては 「They are nothing change, They just have green hair and yellow hair(特別なことはないよ。髪の毛が緑色だったり、黄色だったりする以外はね)」 と答えていたことです。タワーレコードの自由な社風はこんな考えから来ているのかなと思います。

 また、大阪の心斎橋店オープンの際に家主の不動産会社社長とのインタヴューでタワーレコードの経営スタイルを聞かれ、「トム・ソーヤーの冒険」に出てくるトムとハックルベリー・フィンの仲間たちと同じだと。「暑くて大変なペンキ塗りの仕事もみんなで楽しみながらやる事さ、僕はみんなにこれをやって、あれをやってと言うだけだよ」と。

 Russがタワーに残したDNAって何だろう?

The Best Place to Find Music.
NO MUSIC, NO LIFE!

 16歳でJuke boxで使われた中古のドーナツ盤の販売から始め「自分の行きたいレコード店を」の思いからスーパーマーケットスタイルの大型店を作り、可能な限りカタログ商品を在庫して、今では普通になった廉価盤のアイデアをレコード会社と掛け合い実現した。「レコード店はエキサイティングじゃなければ」が口癖で、経営者と言うより、父のような暖かさを持った人でした。ネクタイ嫌い、ドレスコードフリーに象徴される自由な社風や「信じて任せる」、この難しい経営スタイルには、まだまだ辿りつけませんが、これからもあなたの背中を追いかけていきます。総てのタワーOB、現役がそうであるように、私にとってもあなたの存在は特別でした。2017年の夏に会えたことがせめてもの救いです。ありがとうございました! 心より感謝を込めて安らかに!

 Russが言ってくれた「アメリカのタワーレコードは無くなってしまったけれど、 今も日本のタワーが存在していることを誇りに思うし、素直に嬉しい、心から感謝している」の言葉を現在のタワレコスタッフ、OB、関係者に贈ります。

2018年4月10日
森脇明夫
Pioneer DJ株式会社代表取締役社長(元タワーレコード株式会社代表取締役社長)

 


Russell Solomon/ラス・ソロモン
タワーレコードの創業者。60年にアメリカのカリフォルニア州サクラメントに出店したレコード専門店を発祥とする。ネクタイを毛嫌いしており、タワーレコード本社に訪れる人々全員にネクタイを外させた後、「ネクタイをしてきた人の名刺に〈違反者〉というタグ付けをして、ガラス製のディスプレイに入れた」という逸話がある。

 

創設されたばかりの音楽経営殿堂(The Music Business Hall Of Fame)で、ソロモン氏は、音楽産業の発展に寄与した功績が認められ、記念すべき1人目の殿堂入りとなりました。

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