INTERVIEW

HR重鎮バンド、BLINDMAN・中村達也の20年目も変わらぬ想い「HR/HMは名盤ありき。アルバムという作品を作ることが生業」

BLINDMAN『Reach For The Sky』

HR重鎮バンド、BLINDMAN・中村達也の20年目も変わらぬ想い「HR/HMは名盤ありき。アルバムという作品を作ることが生業」

BLINDMAN(ブラインドマン)は、今年でアルバム・デビュー20年の節目を迎える日本産ハードロック・バンドの重鎮だ。ハードロック/ヘヴィメタルが他ジャンルとの混交を繰り返して細分化・枝分かれする一方で、BLINDMANは度重なるメンバー交代と紆余曲折を経ながらも、骨太かつメロディアスなハードロックを一貫して追求。11月21日(水)には、通算10枚目となるニュー・アルバム『Reach For The Sky』をリリースする。

前作『To The Light』(2016年)で、バンドは新メンバー2人を迎え入れて文字どおり〈光〉を見出し、その勢いを保ったまま、今作『Reach For The Sky』では同一ラインナップでさらなる高みを目指している。ミュージック・ビデオが公開された“Now or Never”やタイトル・チューンを一聴すればそれは明らかだ。

Mikiki初登場となる今回は、バンドの屋台骨を一手に担うリーダー、中村達也にデビュー20年の節目を迎えた心境や、ニュー・アルバムで試みた新機軸、そしてソングライティングとアルバム制作に対するこだわりなどを語ってもらった。

『Reach For The Sky』収録曲“Now or Never”

 

長年バンドを継続できた秘訣は〈好きだから〉

――BLINDMANは98年4月の『SENSITIVE PICTURES』でアルバム・デビューを果たしました。長いキャリアを通じて、メジャー進出~活動休止~解散~再結成という浮き沈みがあったものの、20年間でオリジナル・フル・アルバムを10枚リリースしているので、結構なハイペースでは?

「そうですね。今回も特に20年の節目だからといって仰々しいことをせず、ごく普通にアルバムを作りました。これだけ長期間バンドを継続できた秘訣は、一言で表せば〈好きだから〉。でも、アルバムを出しても結果がまったく伴わなければバンドは潰れやすいですよね。幸いなことに、うちは最低限のラインをクリアしているので、活動を続けられるのではないかと思います。言い換えると、ことさら大きな野望を抱いていないんですよ。ハイリターンを望めば望むほど、リスクが高くなる一方なので」

――それは無理なく自然体、という意味ですか?

「自然体であることと、一生懸命やることは別物なんですよ。アルバム作りに関しては一切妥協しないし、もし予算面で妥協しなきゃいけない事態が生じたら、身銭を切る覚悟もあります。良質のアルバムを作ろうという気持ちは誰にも負けませんから。でも、それは名誉欲を満たしたいからじゃない。もうそんな年齢じゃないですし。もしかすると下の世代から猛烈な突き上げを食らったら、僕の出番はもう来ないかもしれない。下の世代にはもう少し発破をかけたいところだけど、最初に話したように〈好きだから〉ここまで続けていられるんでしょう」

――遡ること20年前、BLINDMANがデビューした90年代末、洋楽シーンはコーン、リンプ・ビズキット、リンキン・パーク、スリップノットなどのニュー・メタル勢の全盛期で、邦楽シーンではヴィジュアル四天王(FANATIC◇CRISIS、L'acryma Christi、MALICE MIZER、SHAZNAの4組)がメジャー進出していました。

その一方で、BLINDMANやCONCERTO MOONのような正統派HR/HMバンドが登場した現象は興味深く映ります。下山武徳(ヴォーカル)加入後のSABER TIGERが北海道から全国区に進出したのもほぼ同時期で、少し後になるとANTHEMが9年間の沈黙を破って2001年に再結成しますが。

「僕は18歳からバンドを組んでライヴハウスに上がっていましたが、二十歳を過ぎた頃にはジャパニーズ・メタルブームが下火になっていました。音楽性は今も昔も変わらず正統派HR/HMでしたが、当時はどんなライヴハウスに出ても客席では閑古鳥が鳴いているような状態で、本当にしんどかったです。

でも、それはヴィジュアル系の人達のほうが勢いで勝っていただけのこと。僕自身は時代を変えるような斬新な音楽をクリエイトするタイプではないし、長年影響を受けて培ってきたHR/HMをひたすら愚直にプレイするしかなかったんです。おそらくSABER TIGERやCONCERTO MOONなども同じスタンスじゃないかと思いますが。あくまで自分達のバックグラウンドであるHR/HMを正常に進化させようじゃないか、という道を選んだところ、90年代末にヴィジュアル系の熱気が一段落し、もう一度HR/HMムーヴメントが起こるのでは、という気運が高まった。それで、98年にアルバム・デビューして今に至っているわけです」

中村達也

 

意地でもこのバンド名を掲げて活動したかった

――さて今回のアルバム『Reach For The Sky』は、Rayさん(ヴォーカル)と實成峻さん(ドラムス)が加わった現ラインナップとしては2作目となります。前作『To The Light』と同様に、Rayさんのハスキーでソウルフルな歌唱も楽曲にうまくフィットしていますが、改めて彼の加入に至った経緯を教えてもらえますか?

BLINDMAN Reach For The Sky Walkure(2018)

「2014年夏に前ヴォーカル(高谷”Annie”学)と前ドラマー(ルイス・セスト)が同時に辞めてしまったんですが、ちょうどその直前に知人に誘われてMSG(マイケル・シェンカー・グループ)のトリビュート・バンドでプレイしたんです。そうしたら、偶然にもRayも別のバンドで同じ日に出演していましてね。レインボーのカヴァー・バンドで歌っていた彼の歌唱が印象深かったので、〈あの声ならばバンドを再興できるのでは?〉と思い立ち、加入のオファーを出したものの、最初のうちRayは躊躇していました。何しろ、前ヴォーカルはアルバム・デビュー前から遡ること19年もBLINDMANに在籍していたので、そのイメージが強すぎたせいでしょうね。

そのため〈正式加入ではなく、ゲスト扱いだったら……〉とRayに当初言われましたが、僕自身は過去の曲を捨てたくなかったんです。確かにクリエイティヴな人間として、ゼロベースで新しい曲、新しい作品を作ることは大切かもしれません。でも、過去に書いた曲は僕にとっての宝物であり、子供にも等しい存在なんです。BLINDMANというバンド名を捨てることにメリットがあるとも思えなかったので。それで話し合った末に、試しにセッションというかプロジェクト形態で何回か一緒にプレイして、その感触で続けるかどうかを判断しては? と提案したんです」

――なるほど。それで2015年に数回、〈PROJECT BLINDMAN〉名義でライヴしていたのですね。

「はい、それでPROJECT BLINDMANとして9本ライヴをこなしたら、幸いにもオーディエンスに受け入れてもらえました。おかげで彼も正式加入しようという気持ちに傾いたんでしょうね。今になって思うと、BLINDMANにうまくマッチした人材が見つかってよかったなと思います。僕としては、バンド名を捨てるつもりは毛頭なかったし、意地でもこのバンド名を掲げて活動したかったので」

PROJECT BLINDMAN時代の2015年1月のライヴ映像。演奏しているのは2001年のメジャー進出作となったセルフ・タイトルの4作目収録曲“The Way To The Hill”

 

多様なバックグラウンドを持つメンバーだからこそトライできた楽曲群

――『Reach For The Sky』は従来のBLINDMANらしい叙情味溢れるハードロック・ソングが詰まっている一方で、ヴェテランらしい緩急の妙というか、静と動のコントラストが際立つ印象を受けました。特にクリスタルズの“Da Doo Ron Ron”をカヴァー収録したのが目を惹きますが、その裏話を教えてもらえますか?

「今回のアルバム制作に当たり、〈リスナーが小休止を挟めるような曲を、そういえば一度も収録したことがなかったな〉と思ったんです。もちろんそれは捨て曲という意味ではなく、アルバム全体を俯瞰した時に、休憩という重要な役割を担う曲ですが。ひと昔前のロックのアルバムには、遊び心に溢れた曲が何かしら入っていましたよね。たとえば初期のヴァン・ヘイレンのように。それで自分のアルバムにもそういう曲が入っていてもよいのでは、と思った際に普段の自分になかった要素とは何だろうかと考えたんです。

その答えは、楽しくてハッピーなフィーリングを帯びた曲。しかも単に明るい曲だけじゃなく、きわめてシンプルに楽しめる曲です。でも21世紀のこの時代、何の変哲もないシンプルな曲をイチから書き下ろしても、往年のスタンダードの名曲に並び立つのは絶対に無理だと思いました。ならば発想の転換というか、自分が好きなスタンダードの楽曲群の中から1曲カヴァーすればよいのでは?と思い立って、往年の音楽プロデューサー、フィル・スペクター関連作のコンピレーション盤からこの曲をセレクトし、他のメンバーに打診したら皆納得してくれましてね。最初は半信半疑だったようですが」

ヴァン・ヘイレンの82年のセカンド・アルバム『Diver Down』収録曲“ (Oh) Pretty Woman”。原曲はロイ・オービソンの65年のヒット曲
 

――野球に例えるならば、剛速球のストレートに対しての変化球、といったところでしょうか。7曲目のボサノヴァ風の小曲“Blue Moon”も、やはり小休止という役割を担う曲ですね。この曲ではバンド最年少の實成さんによる繊細なドラミングが印象的でした。

「本人はレコーディング中にだいぶ模索したようですが、僕のギターと戸田(達也)のベースをいざ重ねてみると、予想以上にいい曲になるという手応えを得ました。實成はまだ20代の若手ですが、HM/HR一辺倒というタイプではなく、さまざまなジャンルの音楽を学んでいます。なおかつベーシストの戸田は、かつてソウルやファンク、果てはサルサまでプレイした経歴の持ち主です。

この“Blue Moon”はカヴァーではなく書き下ろしですが、多種多様なバックグラウンドを有するメンバーに恵まれたらこそトライする価値があった曲です。キーボーディストの松井(博樹)も含めて、今のメンバーでHR/HMしか知らないという人は誰もいないんじゃないでしょうか。当然ながら、BLINDMANのメンバー全員が揃えばHR/HMをプレイするし、全楽曲のコンポーザーでありプロデューサーの僕自身のルーツは、基本的にHR/HMなのですが」

 

アルバムという作品を作ることが生業

――ところで、中村さんは〈曲を常に書き溜めたり、ストックしたりしない〉ことをポリシーに掲げているそうですが、今回の最新アルバムでもそうでしたか?

「デビュー20年で10枚ということは、合計すると100曲くらいすでに書いてきたわけですよね。さすがに急に新しいアイデアが浮かぶようなことは起こりません(笑)。確かに常日頃から曲作りをしていれば自然とストックが溜まりますが、いささか苦痛を伴う作業なので、僕はギリギリになるまで曲を書きません。なぜなら曲作りとは、単にメロディーやギター・パートだけを構築することじゃないからです。バンド全体でプレイした状態を考えながら、最低限まとまるラインを大まかにイメージした上で完成させることが作曲だと思っているので、そのためには相当の覚悟が必要なんです。

僕の場合、完全防音のDAWスタジオを自前で持っているので、曲作りモードに入る時は部屋もそれ仕様に模様替えします。椅子から手の届く範囲内に楽器類を配置するという具合に。逆にそうやって自分を追い込まないとアルバム制作はできません」

――中村さんはアルバム制作に先立ち、デモ音源をかなり具体的に作り込むタイプだと伺いましたが、今回も同じような手順を踏んだのですか? それはバンド・リーダーであり、メイン・コンポーザーであり、プロデューサーでもあるという責任感ゆえでしょうか?

「そうですね。アルバム制作中はプロデューサー視点に徹しているので、自分がギタリストであるという認識はないですね。もちろん、ライヴ中はギタリストとしてステージで動き回っています。でも、僕の場合、ライヴ活動するために曲を書いているのではなく、曲作りありきなんです。優れた曲をたくさん書いて、それらを収めたアルバムという作品を作ることが生業だと思っているので。たとえば、レッド・ツェッぺリンの代表曲である“Stairway To Heaven”は『Led Zeppelin IV』(71年)の収録曲であり、“Highway Star”はディープ・パープルの『Machine Head』(72年)の収録曲であることが絶対条件なので。無謀かもしれませんが、僕が未だに挑んでいるのはその境地なんです」

 

HR/HMは名盤ありき

――最近はストリーミング配信の普及に伴い、音楽のリリース形態も多様化していますが、中村さんはアルバムありきの考え方なんですね。

「もしかすると古い考え方かも知れませんが、本来アーティストはかくあるべきだと思うんです。元々HR/HMは、シングル・カットされることが少ない音楽ジャンルですから。だから僕の認識では、あくまでHR/HMは名盤ありき。名曲ありきじゃなく、名盤の中に名曲が収められているというイメージが強いですね。僕達が学生だった頃は、なけなしの小遣いをはたいて欲しいレコードを買って、隅々まで覚えてしまうほど聴き込んだものです。なぜなら学生時代は〈大人買い〉ができなくて、大切なレコードを何度も繰り返しプレイヤーに載せるからですが、そうしたレコードが各自の心の中で名盤として残るんです。おそらく自分達がもっとも多感だったり、しんどかったり、あまりお金がなかった時期に手に入れたレコードほど、名盤として心に刻まれている確率が高いと思うんですよ」

――では、中村さんのオールタイム・ベストの名盤を3枚挙げるならば、何でしょうか?

「僕の好みでよければ、ブルー・マーダーの『Nothin' But Trouble』(93年)、ジャーニーの『Frontiers』(1983年)、そしてレインボーの『Long Live Rock 'n' Roll』(79年)ですかね」

黄金期のジャーニーがリリースした8作目『Frontiers』より“Separate Ways(Worlds Apart)”
 

――英国産ハードロックの影響が色濃いBLINDMANの音楽性と中村さんのイメージからしてブルー・マーダーとレインボーは順当なセレクトですが、アメリカのジャーニーが入るのは意外でした。それぞれ選んだ理由を簡単にお伺いできますか?

「実のところ、ブリティッシュ・ハードロックの要素はことさら意識していないんです。言い換えると、熱心に聴いたアメリカン・バンドがジャーニーくらいだったのかも知れませんが。ただ、元々ビートルズを取っかかりにギターを始めた僕にとって、80年代当時の最先端のロックを初めて知った作品がジャーニーの『Frontiers』だったので。それから、高校時代に地元の書店で『YOUNG GUITAR』誌の臨時増刊『ロック・ギター教室83年』を買ったところ、最初に譜面が載っていた曲がレインボーのこのアルバムのタイトル・チューンだったんです。ブルー・マーダーのこのアルバムは90年代の作品ですが、ずっと自分にとって理想像のアルバムですね」

レインボーの最高傑作と誉れ高い3作目『Long Live Rock 'n' Roll』表題曲
 
ジョン・サイクス(ギター)が歴戦の猛者達と結成したスーパー・グループ、ブルー・マーダーの2作目であり最終作『Nothin' But Trouble』収録曲“We All Fall Do”
 

――最後に今後の活動プランと抱負を教えてもらえますか?

「HR/HMは、演奏テクニックや難易度を競い合う傾向に陥りがちなジャンルです。確かに僕自身も84年のアルカトラス初来日公演でイングヴェイ・マルムスティーンのプレイに衝撃を受け、当時はあんなふうになりたいと憧れたものです。

でも、BLINDMANは演奏テクニックを前面に押し出すバンドではないし、僕にとって一番大事な仕事は優れた曲を書き、優れたアルバムを送り届けること。それらをコツコツ続ければ、絶対に応援してくれるファンがついてくるんだから、とアルバム・デビュー当時から変わらず思い続けています。広義のポピュラー音楽とHR/HMがもう少し接近して、リスナー層の裾野がもっと広がればよいですね。BLINDMANの音楽は、そのための架け橋になりえるはずなので。現在のバンドは非常に良好な状態なので、今回の最新作をすでにお持ちの方もそうでない方も、生のライヴにも足を運んでくれれば、満足していただける自信があります」

 


Live Information

〈BLINDMAN LIVE TOUR 2018-2019 “SURVIVE TO REACH FOR THE SKY”〉
2018年11月24日 (土)愛知・名古屋HeartLand
2018年11月25日 (日)大阪・心斎橋Bigtwin Diner SHOVEL
2018年12月23日(日)東京・目黒鹿鳴館
★詳細はコチラ

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